毒傷快癒

文字数 3,461文字


「さっ、成人の儀式を、すぐにも終わらせねば」

「きゃ…」


千代丸様は多比野を、たすきの紐で背に巻き付け、私を横抱き(お姫抱っこ)にしながら、慌ただしく、儀式の社に向かいます。

「近道を知っている。けもの道だが、そちらの方が早かろう、少々揺れるやも知れぬが、ご辛抱を」

「あの…千代丸様は、噂とは随分、違うのですね」

「うん?まあ、それは、ちと込み入った話になるのだ」


詳細を詳しく聞いてみると、千代丸様は幼少の頃より、熱病に倒れてから、つい最近まで、ずっと眠っていたと言う事です。

ただ、ここ数年の間に朦朧とではありますが、徐々に意識を取り戻し始めて、段々とはっきりするようになった、と。

では、十年前から、村中を朝から晩まで、うろつく「愚図郎殿」は一体なんだと言うのでしょうか?


千代丸様曰く、「愚図郎」である時は、なんの意識もなく、何をやっているかの自覚も無いとの事です。


「千代丸」である時に、内々で、別の村の医者にかかった事があったらしいのですが、医者によると、思春期を迎えた心境や内面の変化が、心を刺激して、本来の千代丸様へと、目覚めて来ているのかも知れない。と言う訳です。

千代丸様にとって、言わば「愚図郎殿」は、幼き日の不運の残余というわけです。

私は訊ねずには、いられません。


「千代丸様が、千代丸様でいられるのは、稀なのでしょうか?」


「いや、何故か最近は、昼辺りから「起きて」夕刻辺りに「寝てしまう」、というのが多い。実は今も、段々と眠くなって来ておる」

「…まあ」

「はっはっ、ここで寝入って、愚図郎になっては、不味かろう?それで急いでいると言うわけだ」

私は怪訝に思います。

「何故、その事を御家族に打ち明けられないのですか?」


千代丸様は少し困った顔をしています。


「…打ち明けたとて、憑き者と思われ、気味悪がられ。それを飼う当家も、評判はますますに下がるだろう。」

苦笑する千代丸様に思わず…。


「そんな…本当は、こんなに凛々しい御方なのに…」


不覚にも、口が滑りました。

どうにも心が乱れます。


「…ん?」


「…た、助けて頂いた恩がありますので…」


「はっはっはっ、お褒め頂いておるわけか、かたじけない」

憂いも、嘆きもない、真っ直ぐな瞳を、私に向けて千代丸様は言いました。


「まあ、貴女も拙者の事はここまでとせよ。長い目で見たら、拙者の病は快癒するかもしれんが、確信は持てぬし、大体、未だに読み書きすら出来ぬ馬鹿者に変わりはない」

私はムキになって反論します。

「それは熱病が今に至るまで、尾を引いているからです。読み書きぐらいなら私がお教え致しますので、千代丸様の自覚ある時に山里家にフミでも頂ければ…」


「……うん、いやフミが書けたら、貴女に教わらんでも良いでは無いか」


「あ…」

私は赤面します、迂闊な事を言ってしまいました。

そんな私を千代丸様は暖かい眼差しで見てくれます。

「うん、昼辺りですな、もし、拙者が拙者であったなら、また会おう、まあ、読み書きは御指南頂ければ有難い。」


「…はい!是非!御指南させて頂きます!」


八幡の社に着きました。

儀式用の鈴を納め、足早に八幡山の入口までかけ降りると、多比野が引いてきた荷車を、千代丸様が代わりに引いて、私と多比野を村の近くまで運んでくれました。



「はっはっはっ、千歳殿、早う家に帰って父母殿を安心させよ、では、拙者はこれにて…」


そう言って、千代丸様は何処かへ去ってしまわれました。

今頃、すでに「愚図郎殿」に戻ってしまわれたのでしょうか?

何にしても名残り惜しい限りです。



それにしても、なんと快活に笑う方でしょうか。

それでいて、先程、大熊と対峙した時は冷静であり、そして勇猛果敢でありました。

大熊の断末魔の爪から、私を身を呈して庇おうとした男らしさ、潔さ。

それに、長年に渡って、自分を蔑んできた家族や村人達を、まったく、恨む様子もなく、最後まで愚痴の一遍たりとて吐かなかったのです。

私が千代丸様の立場だったなら、やっぱり、自分の命運を嘆いていたでしょう。

家族や村人達を恨んでいたでしょう。


私はこの時、千代丸様に、恋情の念をいだきはじめていたのです。

理合いよりも、恋慕の情で、あの方を離してはいけないと、感じていました。





しばらくして、多比野が目を覚ますと、山里の家まで、夜の闇に紛れながら、無理を押して、荷車を家まで引いてくれました。


…ありがとう。多比野。


家に遅く帰ってしまい、お父上様とお母上様には大層、心配をかけてしまいました。

無事で良かったとの一言に、私はつい涙を見せてしまいます。





翌日の朝。

昨日、体を酷使したせいか、身体中の節々が痛むので、しばらくはまともに動けそうもありませんが、朝支度はしなくてはなりません。

身を引きずるようにして、鏡台の前に移動し、鏡にうつる自分の顔を、いつものように見たのですが、不思議に背中のキズが痛まないのです。

「千代丸様、貴方は…」

千代丸様は私の命を救ってくれただけでなく、大熊を仕留め、私の心の傷をも、癒して下さったのでした。

この日以降、背中の傷が傷むことは二度と無く、私は忌まわしい過去を振り返る事もなくなったのです。




そのうしろ隣で、多比野が、兎鉢に、昨日の事を、報告しながら、詳細を説明しています。

「そんな事があったんだね、でも愚図郎殿が、まさか…」

「うん、馬鹿だけど馬鹿じゃ無かった!」

私は不意に口を挟んでしまいます。


「兎鉢や…貴女の水灰や策には随分、助けられました。多比野も良く働いてくれましたね」


昨日までとは、明らかに人が違う私に、二人共、驚いているようです。


「ね、二人共、千代丸様の事は、私達だけの胸にしまって置いてはくれませんか?」


兎鉢が戸惑いながら、何事か思案し、頷きます。


「私も、その方が良いと思います。皆に悪戯に真実を伝えるよりも、千代丸様の快癒を軸に事を進めるのが、今は肝要だと思われます」


多比野も兎鉢に、うんうんと同意します。


「そうです!伝えるのは無意味です!あの場にいた、僕だって、まだ半信半疑ですし、真実を確認させても、憑き者だと誤解され、下手すれば、千代丸様は、村から追放されかねません!」

私は二人の言い分に頷きます。

「では、このお話は、ここだけと言う事で、二人共、お願いしますね」


昨日の千代丸様との事と、千代丸様の事情は、私と、信頼出来るお供の多比野と兎鉢だけの三人の秘め事に致しました。

他者への信頼。

昨日までの私には出来なかった事が、今日は出来るようになっているのです。

我ながら、不思議なものですね。




それから、さらに、数日が経ったのですが、千代丸様の事が、あの日以来、頭から離れないのです。


日を追うごとに、私の中で、その存在は大きくなってゆくのです。


何故か、いつも、千代丸様が私の心の中にいるのです。


昨晩などは、千代丸様が、夢の中に出てきました。


夢の中で、私は、千代丸様に、抱擁される始末…。


挙げ句、接吻まで…





翌朝。

顔を真っ赤にして飛び起きると、あれから数日しか経っていないのに、千代丸様にお会いしたいと焦がれている自分がいます。




昼辺りに、外から童達の声が聞こえてきました。

「愚図郎だー!愚図郎が出たぞー!」


私は居てもたってもいられずに、思い余って、外に駆け出しました。

しかし、声のする方に行けども、追いつけず、やむなく、「愚図郎殿」が良く昼寝をしているという、村の社の石段の方に行く事にしたのです。

石段まで行くに、歩みは遅く、心は浮かれて、急いています。


やっとの思いで、村の社の石段に着きましたが、肝心の「愚図郎殿」はいません。


溜め息をついて、石段の上で疲れた体を休ませていると、私の隣りに座る者があります。


姿を見ると「愚図郎殿」でした。


「愚図郎殿」は、私の事など、気にもとめずに、そのままゴロンと横になり、寝入ってしまいました。


「千代丸様」は、きっと、まだ、起きていないのでしょうね。

私は、初めて見た無邪気な顔の愚図郎殿も、凛々しい千代丸様も、奇妙に愛おしいのです。

どちらか一方でも、傍にいれば、今は、それだけで嬉しいのです。


私は愚図郎殿の寝顔を見つめます。

何か夢でも見ているのでしょうか?


私はニッコリと顔をほころばせながら、愚図郎殿のすぐ傍に詰め寄り、上からお顔を見ながら、ほほ、を優しくつねりつつ、問いかけます。


「…千代丸様、千歳ですよ。まだ、起きられませぬか?」


この時から、私は好奇心を抱くことも、他者に関わる事も、恐れなくなっていました。

「…千代丸様」


「千代丸様」が起きたのは、それから、お昼を過ぎて、未の刻、辺りでありました。

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