ひたすらに
文字数 2,980文字
明けて、五月、隣国が国境に進軍して来る、との報せを受けると、村中の武家達は、いくさに出陣することになりました。
当家からはお父上様と家来の方々、加賀美家や他の武家の方々は、総出で、これを国境で迎え討つ為に出陣して行きます。
いくさが始まらんとしている時に、私の心に去来して来るのは、どうしようも無い虚しさでした。
今こそ、武家の女として、皆が戦場におもむく時。家を守り、勤めを果たさなければなりません。
ですが、どうにも、心がカラッポになってしまって、活力が湧いてこないのです。
千代丸様が死地に向かわれる。
千代丸様が死んでしまわれる。
千代丸様、貴方は私よりも、武士の面目が大事なのですか?
何故、私より、戦場を選んだのですか?
誰の為に戦うのですか?
何の為に死ぬのですか?
武家の女という立場から見ると、自分が、何とも身勝手な事を言っているのは分っています。
しかし、どうしたらいいかも分からぬ、今にあって、私はただただ、千代丸様に焦がれ、千代丸様を想う事しか出来ません。
私は半ば、幽霊のようにゆらゆらと、村のお寺に行き、白木で出来た無銘の位牌を頂くと、白装束に着替え、短刀で、無銘の位牌に己の名を刻むと、家にあった首桶の上に位牌を乗せ、村の橋の上まで行きました。
橋の上から、そのまま、いくさにおもむく、村中の軍を見送ります。
「あれは、山里家のお嬢さんか?」
「あれは、我等が敗れれば、御自身も自害なさるとの、一念からのお姿か」
「なんとも、荘厳なお姿よ!武家の女の鏡であるな!」
皆は、出陣して行く自軍が敵軍に敗れれば、私は村と運命を共にし、自害すると受け止め、感心していたようですが、私としては千代丸様にもしもの事があったら、自害するつもり、という意思表示だったのです。
この時、私は千代丸様の無事以外、何も考えていませんでした。父上様の事も母上様の事も、お供達の事もです…
橋の上から遠目に、目を凝らすと、加賀美家の家紋入りの旗の下に、千代丸様を見つけました。
千代丸様も、私を確認したようです。
遠目ながら、お互いに、じっと見つめ合いました。
どの道、「武士らしく」 すぐに身を翻して、私の事を見なかったものとするのでしょうね。
…?
微かに声が聞こえます。
…「ぉーぃー」
段々と声は大きくなってゆきます。
……「ぉーいー千歳殿ー」
「千歳殿ー!拙者はしっかり、生きて帰るから心配ご無用!わははっ!」
千代丸様…。
私は無自覚に涙をながしていました。
どうして、あの方は、こんな時でも明るく楽観的に振る舞えるのでしょう。
そして、その振る舞いには、取って繕った嘘が微塵も無いのです。
千代丸様は、真っ正直な方、私とはつくづく、正反対ですね。
私はボソッっと呟きます。
「生きて帰らないと承知しませんよ…」
一言呟くと、堰を切ったように、涙があとから、あとから溢れて止まりません。
私は千代丸様を、固く信じて疑わない事にしました。
やがて、隣国の軍が、一方的に私達の国境に攻め入り、開戦となったのですが、千代丸様を含めた先鋒隊の加賀美家の長男、次男、三男殿は、敵軍の数の多さに唖然とします。
長男殿が大声を張り上げました。
「何たることか!敵は三万はおるぞ!」
次男殿が、味方の軍を返り見て言います。
「こちらは二千と少々!これは不味い!」
次男殿が冷静に、自軍を鼓舞します。
「この地形では総突撃はして来れぬ!ここはなんとしても敵軍を止めるのだ!」
敵軍の先鋒隊が攻め込んで来ました。千代丸様が迎撃の構えを取り、剣を掲げます。
「兄上方!千代丸が先陣つかまつる!」
「千代丸!待てぃ!」
想像以上に敵軍の先鋒隊の数が多く、村中の軍は、圧倒的に押されます。戦況は村中にも、伝わって来ますが、皆、戦々恐々として、他里に逃げ出す村人もチラホラ出始めました。
多比野が私に進言します。
「千歳様、私達も、母上様を連れて逃げましょう!」
兎鉢も、多比野に続いて進言します。
「加賀美家も今頃、そうしているはず、武家の女は逃げ延びて、家を再興させねばいけません」
私は淡々と述べます。
「千代丸様は戻ってくると仰いました。」
「千歳様!」
「多比野、兎鉢、貴方達は国にお帰りなさい」
私は心ばかりの銀子を差し出します。
「嫌です!千歳様!一緒に逃げましょう!」
「そうですよ、逃げるのも一緒です。千歳様、逃げるなら、皆で、逃げ延びましょう」
「二人とも、ごめんなさいね…」
私は逃げないと決めたのです。
千代丸様の帰還を信じて…
その日、なんとか、自軍は敵軍の進行を食い止めました、ですが、千代丸様や父上様達の軍は、もはや崩れに崩れ、多くの者達が死に、そして逃げてゆく中、有志達が辛うじて、戦線を保っているとの事です。
村中の軍は、既に限界を迎えていました。
全軍の退却が決まり、退却の為に、敵を食い止める囮役である、しんがりを選ばなければ、立ち行かぬ所まで、戦局は悪化していたのです。
軍議のさなか、私の父上様が、提言します。
「しんがりは、それがしが承る!」
加賀美家の長男殿が、反論します。
「山里殿!我らが若輩者を差し置いて、貴殿が死に役を買って出るとはいかな存念か!」
父上様は千代丸様を見ながらに存念を述べます。
「当家には世継ぎはおらぬ、よって、願わくば、千代丸殿よ、我が老骨を踏み台とし、生き延びて、千歳の婿になって頂けぬか!?」
千代丸様が長男殿の隣で驚いています。
「婿養子でござるか!?」
「左様!頼めるかの!?」
千代丸様はガンとして受け付けません。
「千歳殿のお父上を踏み台に生き延びても、千歳殿に合わせる顔がござらぬ!断わりもうす!」
父上様は狼狽します。
「む、婿養子の件も断わるか?千代丸殿!」
長男殿が話に割って入ります。
「喜んで受け申す、駆け落ちなどと言う、けったいなマネをされずに、済むよってな」
「兄上!」
「千代丸、貴様は帰れ、千歳殿と共に逃げ延びよ、」
千代丸は何事か、意を決したようでした。
「兄上…」
「なんじゃ?」
「…お許しを」
「千代丸!貴様…」
千代丸様は瞬く間に、自身の三兄弟と、私の父上に峰打ちを食らわすと、気を失った四人を、従者に託すのでした。
「兄様達には妻子あり、山里殿には愛娘と愛妻がおられる。ここは拙者が残るが、筋合いであろう」
この時、千代丸様は、いくさにおいて、もっとも、困難だと言われている、しんがりを自ら引き受けたのです。
しんがりとは、少数で、苛烈な追い討ちをかけてくる敵を、食い止め、撤退する味方の本隊を逃がす役目です。
それだけに、しんがりは刻を稼がなくてはなりません。
素早く逃げ切っても、敵軍に対抗し過ぎても、いけないのです。
敵部隊は、当然、大軍の部隊で、追い討ちをかけてくるのですから、こちらの奮戦虚しく、一斉に踏み潰されても不思議はありません。
それだけに、しんがりというのは生存率が絶望的に低いお役目なのです。
千代丸様が、しんがりを請け負った。
その報せが届くと、私は遮二無二駆け出しておりました。
「千代丸様ー!」
多比野が私を止めようとします。
「駄目です!千歳様!」
兎鉢が、多比野を制します。
「行かせてあげようよ」
「千歳様が死んじゃうだろ!」
兎鉢は辛そうな表情でしたが、事、ここに至って、私の心中を察してくれたのでしょうね。
私は、ひたすら千代丸様の元へ走ります。
千代丸様に必ず、お会いするとの決意を込めて…
千代丸様が生きておられる、そのうちに…