幕引き

文字数 3,210文字


しんがりを自ら引き受けた千代丸様は、少数の手勢で、敵に奇襲をかけては、即座に退却し、また、奇襲をかけるという戦法で、本隊が逃げ延びる刻を稼ぎつつ、自分達もゆっくりと、退却をしていました。




この戦場の中に、ひとつの光明があるとすれば、戦場での死と隣併せの危機感からでしょうか、千代丸様は、いつしか「愚図郎殿」になる事は無くなっていたのです。

私達が、散々、千代丸様から、遠ざけようとしていた戦場が、千代丸様の病を治したとすれば、なんとも皮肉で口惜しい話ではあります。




千代丸様達は、なんとか夕刻まで、味方の本隊が逃げ延びる時を稼ぎ、隊を持ち堪えさせていたのですが、もはや、皆、限界が来ています。

さんざ、戦い果てた千代丸様の隊は、もはや刀折れ、矢尽き果てて、皆、戦う手段はもちろん、気力さえも失っないつつありました。


隊の中に手傷をおっていない方は一人もいません。
百人いた、しんがりの隊も、生き残りは、僅か十三人程度です。

千代丸様自身、甲冑は砕け、全身に刀傷を負い、右肩に矢を受けています。

千代丸様は隊の皆に厳命します。


「皆、これより村に帰りたまえ」


隊の方々は反対します。


「千代丸殿!ここまで皆で、共に戦って来たではありませんか!こうなれば、我らは最後までお供致しますぞ!」


千代丸様は隊の方々を怒鳴ります。


「拙者は一人で動く!貴殿らは足でまとい、と申しておるのだ!」


「千代丸殿!なんと!あまりのお言葉にござる!」


「しんがり隊のしんがりは拙者のお役目だ!」


そう言い残すと、千代丸様は素早く、その場を走り去ります。

「千代丸殿ー!」


走りが早すぎて誰も追いつけません。


「良いな!?必ず村中に帰るのだぞ!妻子と共に逃げ延びよ!」


千代丸様は走りながらに再び隊の方々に厳命します。




今度は、自分について来てくれた部下達の生き残りを逃がす為に奮戦するつもりなのでしょう。

戦場に落ちている刀や槍、弓矢を持てるだけ拾うと、少数の追っ手に切りかかって行くのです。







その頃、私は、千代丸様の元へ素足で向かっていました。足の痛みなど何ともありません。

不思議に疲労も感じないのです。

途中、戦場から撤退してくる千代丸様の部下の方々に鉢合わせました。


「おお!千歳殿か!何故ここへ!?」


「…千代丸様は?千代丸様は、ご無事なのですか!?」


「分かりませぬ、あの方は我らを逃がす為に自ら戦場に駆け出して行かれたのです」

嫌な予感が致します、私は千代丸様の隊の方に問いただしました。


「それはどちらの方角ですか!」


千代丸様の部下の方々に、大まかな場所を聞くと、私は再び駆け出します。

高台から、下を見下ろすと、信じられない程の大軍が、ゆっくりと私達の村中の方向に、歩を進めています。

その左の方角の半々里辺りに千代丸様らしき人物を確認出来ました。

私は千代丸様の元に必死で走ります。






その頃、千代丸様は、ついに進退極まり、大軍に囲まれてしまいました。

敵の大軍が眼前にあって、一斉に千代丸様に向けて、弓を構え矢をつがえます。

満身創痍の千代丸様に為す術はありませんでした。

うつむきながらこぶしをにぎり、

「(もはやこれまでか、千歳殿、済まぬ)」

千代丸様は完全にこうべをたれます。


その時、私は庇うように、千代丸様の前に立ちました。

大熊から、助けて頂いた時とは逆になってしまいました。ただ、私はこの時、千代丸様の盾になり、弓矢に射貫かれても、悔いはなかったのです。

千代丸様が仰天します。


「千歳殿!何故ここへ!?」


私は千代丸様の方を振り返らすに言います。


「待っていても貴方は帰って来ないと思ったからです」


千代丸様はぬけぬけと言います。


「いや、必ず帰ると言いましたぞ!」


私はカチンと来ました。


「この有り様なのに…で御座いますか?」


千代丸様は、ぐうの音も出ないようです。


「う…む、面目ない!」


聞くに、私の事など考えもせずに、自ら、死地にばかり赴いている千代丸様に、微かに怒りの念がわいてきました。


「わざわざ、わざわざ、わざわざ、危険千万な戦地にばかり参上されておられるとか、…ひょっとして、私に会いたくなかったから…で御座いますか?」


戦場の一番危険な場所で痴話喧嘩とは、滑稽ですが、私は、千代丸様の心中を確かめたかったのです。

そんな私の心配をよそに千代丸様は屈託なく笑います。


「いや、会いたかったですぞ、はっはっはっ」


千代丸様は、突然、後ろから私を抱きしめてきました。


「きゃ…千代丸様!びっくりします!赤面致します!」


千代丸様が真剣な面持ちで言います。


「千歳殿、そなたの思いに報いてやれぬのが、誠に無念だ…が、」

千代丸様は強弓を手に取り矢をつがえました。

「文字通り、せめて敵軍の将に一矢報いて、ご覧に入れましょう」

私は千代丸様の弓と矢を共に、にぎりしめ、この場から遥か遠くにいる敵将を射る姿勢を見せます。


いよいよ敵軍が、一斉に矢を放たんとします。


私達は敵将にのみ狙いを定めます。


「勝負!!」


互いが互いに弓矢を放たんとする、まさにその時でした。


敵軍が矢を放つ寸前、妙な事令が敵軍に届いたのです。

その事令の為に、敵軍は攻撃を辞めたのです。







『惣無事令』(そうぶじれい)

百姓から、偉い大名様にのぼりつめ、いまや、天下の大半を手中に収めた、猿面冠者とあだ名される御方が全国の大名達に発した事令です。


総無事令の内容は、有り体に言えば、これより一切いくさをしてはならぬ、もし、事令に違えば天下人自ら、成敗、もしくは領地を召し上げられる…と。



ともあれ思いも寄らぬ形でいくさは終わりました。

敵軍は口惜しそうに、総撤退して行きます。



私も千代丸様も、あまりの出来事に呆然としました。

千代丸様がボソりと呟きます。


「…いくさが、終わった…」


私も、無心で呟きました。


「…いくさが終わりましたねぇ…」



千代丸様は空に向けて豪快に笑いだします。


「はっはっはっ!わーはっはっはっはっ!」


私は泣き笑いです。

「あはは、うっ、うっ…あは、」

千代丸様は私をキツく抱きしめてくれました。

私も千代丸様に必死でしがみつきます。

もはや、絶対離しませぬ…。







それから一年後。


兎鉢は村中の番頭となり、多比野は同じく兎鉢の補佐兼当家の道場にて、空手の師範として活躍しております。
二人共、多忙な日々を送っているようですね。

時々、私の部屋に来て、他愛のない世間話に華を咲かせます。


千代丸様は、父上様との約束?通りに、当家の婿養子とあいなり、今、縁側から村中の景色を眺める、私の隣にいます。

「良い眺めにございますね、千代丸様」

「…」

千代丸様は、うたた寝をしております。

「千代丸様!!」

「うん!ごめんね!」

怒鳴ってしまいました、最近、何故か、何かとイライラするので、何でだろう?と思っていたのですが、間もなく疑問が解けます。

「…ぅ…」

突然、吐き気に襲われたので、厠に向かい、粗相をして戻ってくると、千代丸様は何事かを察したようでした。

「千歳殿…まさか」

「…はっ?」

千代丸様が大慌てで医者を呼び、直ちに診てもらうと、なんと、おめでた、との事です。

子を宿せないはずの私がややこを授かりました。

ここ数ヶ月は月経も、巡って来るようになっていたので、ああ、快癒して来ている、との自覚はあったのですが、まさか、子を授かるとは夢にも思いませんでした。

「いや!めでたい!」

「千代丸様、もうお父上になられますよ」

「うん!はっはっはっ!」

ややこが出来たと、お知らせすると、お父上様も、お母上様も、大喜びで舞を舞っておりました。

兎鉢と多比野がお勤めをほっぽり出して、駆けつけてくれ、二人して私を抱き締めてくれるのです。

加賀美家の化け物三兄弟などは、無骨にも、祝いの品として、お酒のみを山ほど届けてくれました。







……

暖かい春風が、そっと優しく、私のおでこを撫でます。

当家はこれからますます賑やかになりそうですね。

春風に吹かれてきた桜の花びらが、私の傍らに置いてあったお茶碗の水面にそっとのりました。
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