前編

文字数 5,218文字

 次のミッションは四十八時間後。
 それまでの間、ボクはミルと二人っきりで過ごす。

 MIL2038f088、それがミルの正しい名前。
 頭のアルファベットから四桁の数字が個人識別コード。
 残りは全部で二百五十六通りあるクローン素体の基本タイプを指す。
 RIT2521f088、対するボクの名前。
 彼女はボクのことをリトと呼ぶ。

 素体タイプが示す通り、同じ素体のボク達はほとんど同じで少しだけ違う。

 ボクと彼女はミッションの招集がかからない間、航宙要塞の第十三区にある図書クラスタで、旧人類の文化に関わる記録の解読を仕事にしている。
 普段の時間を一緒に過ごす家族制度(ファミリア)の兄弟達とは違う「特別」なパートナーシップ。
 ミッション前の四十八時間、別々に過ごした時間の差違を補い合う。
 それがボクとミルの関係。

 今回はボクのプライベートルーム。
 雲の惑星(クラウドスフィア)に向く採光シールドは閉じられ、今は旧人類周期で言うの夜時間(ナイトタイム)
 彼女は部屋に着くと、そそくさとお堅いポリマースーツを脱ぎ始める。
 真っ白い花のようなルームケープを一枚、素肌の上に纏うだけの姿になった。
 ミルは弾む声でボクを急かす。

「ねえ、今日は沢山話すことがあるから、リトも早く着替えて」
「なにかいいこと、あったの?」
「ふふん、それも、あ・と・で・ね」

 ミルは鼻歌混じりにキッチンに立ち、軽い食事を用意し始める。
 香ばしいスナックとミルが使う整髪料の匂い。
 彼女はここがボクの部屋だということをすっかり忘れている。
 お互いの部屋の物も場所もほとんど同じ、彼女が迷うことはない。
 何か特別なことがあったのだろうか。ミルの機嫌が良いとボクも嬉しい。

「今日はボクがホストのはずなのにな……」
「リト、ドリンクは何がいい?」

 聞こえるように漏らした不平を彼女はしれっと聞き流した。
 ボクも同じ格好に着替えると、改めてキッチンのミルに視線を向ける。
 間接照明のアンバーの灯りで薄っすらと透けたケープは、彼女の有りのままを描き出している。
 染みひとつない肌、痣ひとつない脚、腰から大腿へと続くなだらかなカーヴ。
 しっとりとした艶のあるディープグレイの長い髪。
 綺麗に毛先を切り揃えたそれが、彼女の背中をすっぽりと覆っている。
 ボクはその髪の下に隠れた背中が好きだ。
 対してミルはボクの胸の二つの膨らみが好きだと言う。
 ほとんど同じなのにね——— そう彼女が笑ったのはいつだっただろうか。

 果実を加えた甘い混成酒、熱が入って湯気を立てるソイスナック。
 それらを載せたトレーを脇のテーブルに置き、ボク達は並んでベッドに腰掛ける。
 彼女はリキュールに一口付けると、嬉しげにその話題を口にする。
 
「今日ね、ニレにパートナーを紹介してもらったの、シエロって呼んでた」
「へえ、mタイプ(男の子)って聞いたけど」

 ミルの家族制度上の妹、NIL2042f090。呼び名はニレ。
 数ヶ月前に兵徒任務に就いたばかりで、パートナーシップはmタイプと結んでいる。
 ボク達と違って「特別」なパートナーではないと聞く。

「ナイーヴで少し意地っ張り。初々しくて可愛い」
「男の子に可愛いは失礼だよ、旧人類の慣習では」
「そうだけど、こうなる前の昔のリトみたい」
「こうなるって………」

 ミルは摘んだスナックをボクの口に無理やり押し入れる。
 そして、先に着たばかりのボクのルームケープに手を伸ばした。

「え、もう始めるの?」
「ううん、比べたくなっただけ」
「比べるったって………」
「ふふ、fタイプ(女の子)はどんなだったかなぁって」
「もう、今さら。同じ素体なんだから、鏡を見ればいいのに」

 彼女はボクに両腕を挙げさせると、するりと上にルームケープを剥ぎ取った。
 僅かに冷えた空気が露出した素肌に触れる。

「ふうん、リトは私に逢えなくても、鏡があれば満足するんだ」
「そ、それは………」

 口角を吊り上げるミル。視線はボクの膨らみでピタリと止まる。
 思わず恥ずかしくなったボクは、胸の前で両腕を交差してそれを隠した。

「ああん、リト。なんで隠すの? 今さら」
「もう、お返しっ!」

 彼女のルームケープに手を掛けると、ミルはご機嫌な顔のまま両腕を挙げた。
 柔らかいアンバーの光が、彼女の胸の膨らみとお腹の下にぼんやりと淡い影を作る。
 ボクとミルはふたり揃って一糸纏わない姿になった。
 彼女はベッド脇のカウンターに置かれた透明の小瓶を手に取る。
 中身はボク達がミッションで搭乗する拡義体、通称「ヴァリオギア」のコクピットを満たすニューラルジェルと同じものだ。
 ベッドに上がって灯りを消す。膝立ちで向き合うボクとミル。
 ニューラルジェルを手に取り合い、お互いの身体に薄く伸ばして塗り始める。

 ヴァリオギア――― 精神感応体とも言える軟性形状可変合金「可変アロイ」が主要構造を成す、体長十二メートルの言わば「ヒト型の戦闘機」。
 元々は惑星調査など過酷な環境下での運用を想定した着用型重機で、いわゆる強化外骨格(エグゾスケルトン)から発展、進化したもの。
 強化外骨格が複雑なアクチュエータによる追跡動作(トレーシング)を行うのに対して、ヴァリオギアはヒトの筋肉構造を模した可変アロイそのものが模倣動作(ミラーリング)を行う。
 まるで四肢の延長のように緻密に動作することから「拡義体」と呼ばれ、可変アロイに依存することで得られる単純な構造は量産性、整備性の他に電磁パルス耐性にも優れる。
 そして、搭乗者と可変アロイの神経接続を可能にする媒介物質がニューラルジェルだ。

「ふふ、もしかしてリト、怒ってる?」
「ううん、怒ってないよ、怒ってない」

 ミルはその嫋やかな指で、ボクの胸の形を確かめるようにジェルを塗る。
 僅かに鼻に掛かった鈴鳴りの声が、奥底に眠る官能の器官を呼び醒していく。

 暗がりの中、お互いの腕を腰に回して身体を引き寄せ合う。
 同じ高さにある膨らみ同士が当たって潰れ、お腹までぴたりと張り付いた
 ミルが右脚をボクの両腿の間に差し入れると、ボクも彼女の両腿に右脚を差し入れる。
 息遣いはおろか、彼女の胸の高鳴りまで手に取るように分かる。
 じわりと肉体の内側から湧き上がる、痺れにも似た感覚。

 ニューラルジェルはクローン素体同士でも特殊な交感作用がある。
 ボクとミルは日々の経験の差異を言葉と身体で補完し合う。
 本来であればそこまで密に共有する必要はなく、その行為は錯覚に近い。
 ボク達がそれに拘るのは、お互いに「特別」な感情を持ち合わせているからだ。

 ボク達はほとんど同じで少しだけ違う。
 その少しだけ違う部分をお互いに尊重している。

 ボクの左腕は十二回前のミッションで醜い造りものに変わってしまった。
 半透明の軟性樹脂で覆われた機械式の義肢。
 ミルはそれさえも自分のことのように大切に思っている。
 補完しきれない違いがあるからこそ、ボク達は埋め合う行為に意義を見出している。

 この感情が何処から来たものかは分からない。
 遠い遠い昔、ボク達人類の記憶は最初の「時空災厄」の時に殆どが失われてしまった。
 確かなのはお互い同じクローン素体だけということ。

 髪と左腕以外、鏡を見るかのように顔も身体もそっくり同じ。
 ボクは彼女の背中に指を這わせ、吐息が漏れる唇を塞ぐ。
 彼女はボクのショートウルフの髪を両の指で弄び、ゆっくりとボクに体重を預ける。
 ボク達は口づけをしたままベッドに倒れ込んだ。

「ああ、やだ私。塗り忘れてる」
「もう、わざとの癖に」

 上になったミルはニューラルジェルを口に含み、ボクの首筋に舌を這わせる。
 ボクも彼女もお互いの唇が知らないところは無い。
 ジェルに濡れた彼女の髪がボクの身体に纏わりつく。
 ひんやりとしたジェルに抗うように、ボク達の身体は少しずつ熱を持ち始める。
 交感作用が始まった合図だ。


 ミルはボクの中へ、ボクはミルの中へと静かに沈んでいく。




***




 時空連続体外存在(アウターコンティニューム)こと〈彼ら〉、通称「時空災厄」。
 大銀河を含む宇宙全てを内包する三次元時空連続体、その外側の存在が時空断層より溢れ出て、ボク達の時空の物理法則下で実体化したもの。
 大きさは数千メートルから数十キロメートルにまでおよび、無数に枝分かれしたチューブ状の本体を持つ奇怪な半知性体群。

〈彼ら〉の行動目的、それは逸れてしまった主人(あるじ)を探すこと。
 だけど、主人はボク達の時空の外側の存在。加えて自らの組成も変わってしまったので、本来在るべき場所へ帰ることができない。
 止むを得ず〈彼ら〉は新たな主人を求めて、ボク達の時空を彷徨うことになる。
〈彼ら〉の意思疏通(コミュニケーション)手段は摂取融合、つまり「相手を食べる」しかなく、結果として大銀河全体の脅威となっている。

〈彼ら〉は生物的に一定の知性と目的を持って行動する。その巨体は決して死滅することなく、発生の根源を断つ手段はない。それが「災厄」と喩えられている所以だ。
 大銀河文明連帯が採り得る対処手段。それは巨大な〈彼ら〉を特定サイズまでバラバラに解体し、太陽など主系列星の超高熱をもって熱焼却するしかない。
 即ちその解体行動こそがボク達に課されたミッション、討伐任務だ。



————————————————————



 ボク達は不死になった人類。
 滅亡した人類の再興と引き換えに時空災厄と戦う取り引きをした。
 大銀河文明連帯はそのために人類を救った。
 ヒトゲノムからサルベージされた「二番目の人類(フィギュアス)」として。

 ボク達「二番目の人類」は量産されたクローン素体を魂の容れ物(スペアボディ)として利用する素体置換システム〈ジェネクト〉によって成り立っている。
 左眼窩の奥に埋め込まれた〈ジェネクト・コア〉と量子情報通信により、三分毎に更新する記憶のバックアップをホスト演算思考体グランヘリオスに録っている。

 ボク達は〈ジェネクト〉のお陰で危険なミッションと向き合える。



————————————————————



 クラウドスフィア航宙要塞の第六層、宇宙港第六格納庫。
 直上に伸びる出撃カタパルト上で立ち並ぶ「ヒト型の戦闘機」こと拡義体(ヴァリオギア)

 ヴァリオギアそのものが巨大な宇宙服とも言え、ボク達の装備は軽装だ。
 生命維持装置をコンパクトに内蔵したヘルメット型総合情報モジュールと、二級兵徒の階級を示すペリウィンクル/オフホワイトのスキャンスーツ。
 身体にぴったりタイトに張り付くスーツは、言わばインナーウェアのようなもの。
 主に神経接続の状態監視を目的としており、薄いメッシュ素材で造られているのはニューラルジェルを透過し易くするためだ。
 ボク達がそれらに身を包むと、傍からは全く区別がつかない。

 ニューラルジェルが充填済みのコクピットに頭の天辺まで身を沈め、エアロックを閉じると即座にヴァリオギアの主要構造材、可変アロイが目を醒ます。
 すぐ目の前を覆うように広がるホログラムの投影視界が立ち上がり、可変アロイが囁く吸入音に似た音が途切れると機体側の出撃準備が完了する。
 ポポポポッと軽い電子音。併せて、投影視界の両端に〈彼ら〉の観測データ、ミッションプロトコルを記した情報窓が次々と浮き上がった。
 ざっとそれらを眺め、パートナーのミルの情報窓を探す。

「ミル、ポジションの確認。ボク達は五十三番と五十四番、ちょうど真ん中だね」
『フォーメーションはパターンC、許可兵装はレベル4』
「開始時刻は第三航宙時間二〇〇五、遂行指揮は演算思考体ヘリオス3」
『うん、合ってる』
「パターンCでレベル4って重いな……あまり若くない個体かな?」

 許可兵装とは、超重力により特定範囲を一瞬にして圧壊するヴァリオギア主力兵器、超重力圧縮弾(グラヴィトン)の弾数および効果範囲を指す。
 当該兵器の使用は威力もさることながら時空の安定を損ない、〈彼ら〉を呼び込む時空断層が生じ易くなるため、厳しい制限が課されている。
〈彼ら〉はボク達の時空に存在する時間が長くなるほど適応が進む。
 要するに手強くなるのだ。

『多分、そうだと思う』
「もしかして、アイツ、かな?」
『わからない。なんだっけ、『アンズルヨリウムガヤスシ』……だったかな?』
「へえ、早速使うんだ、その言葉」
『ふふ、合ってる?』

 先日、ボクが人類言語で解読した言葉の一節。
 太陽が現れる場所――― 確かそういう名の国の記録だ。
 彼女はこのミッションの前に初めて覚えた。

 ボクとミルはヴァリオギアの超重力制御装置(Gトロニック)を作動させ、カタパルトレールから突き出るバーにヒト型の腕を伸ばして掴ませた。
 出撃シグナル点灯の瞬間、ボクは投影視界に浮かぶ情報窓のミルと視線を交わす。
 超重力制御装置により重力の縛りを解かれたヴァリオギアは、弾けるように垂直上昇を開始。ボク達の活動拠点であるクラウドスフィア航宙要塞を後にした。
 情報窓には、ぐんぐんと小さくなっていくリング状の巨大構造物が映し出される。
 いつもと同じ、何度も見た光景。


 ボクがある二つの事柄を真に理解するのは、この後のことだ。
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