5 ニレと遠足

文字数 4,265文字

 航宙高速艇ヴァントヌフ——— 横八角断面の長い胴体に大小二対の超重力制御装置(Gトロニック)の推進翼を装備した全長百二十メートルほどの小型艦。
 格納庫は艦尾側に備わり、出入りには艦の底面に設けられたメインゲートを使う。
 ヴァリオギアが四機収納が可能なスペースが確保されるが、現在は私のナザニエルとニレの現行型ディスの二機のみしか積まれていない。
 眼下には衛星C8の「騒がしきもの」と名付けられた衝突クレーターの原野が広がっている。
 その中で青く朧げに光る約六百キロ平方メートルの領域がOCDストレージである。

『ニレ、降下します』
「では「遠足」へ、行って参りまーす」

 二対の重力制御の翼を広げ、足下に四角く開いたメインゲートの縁を蹴る。
 極めて薄い大気密度と、約八分の一の低い重力のお陰で面倒な降下計算は要らない。
 私とニレのヴァリオギアは時間を掛けてダイブし、広大な茶褐色の大地へと降り立った。
 天空を見上げれば、漆黒の天蓋に大河のような星々の帯が横たわっている。
 その中で一際大きく浮かんで見えるのは、およそ百八十八万三千キロ先のクラウドスフィア。
 水素の海で作られた縞模様と楕円の巨大な赤斑が、C8からでもはっきりと見える。

 北の第五ブロック二〇五番、十メートル間隔で大地に刻まれたグリッド。
 その中央に時空災厄(アウターコンテニューム)の断片、目的のOCDが置かれている。
 通常見る〈彼ら〉と同じ仄かな青光を放っているが、発光の波長が僅かに強い。五メートル四方まで砕かれたそれから可変アロイを精製すれば、恐らくヴァリオギア二十機分くらいだろうか。

「そんなに……… 外観に大きな差異は見受けられない、か」
『全部持ち帰っても構わないけど、結局使えなかった面倒だから、君に任せる』
「えっ、丸投げ………」

 ヴェントヌフに残ったゲルダからの通信に呆れる私。
 彼はVARDの所長だが、実はそれほど可変アロイに詳しくない。お飾りは言い過ぎだが「観察者」は私達「二番目の人類」にとって要人だから止むを得ない。
 私がナザニエル頭部のマルチカメラで現物を撮影した後、ニレが黙々とランスガン先端の高周波振動ブレードで切り出し、サンプルを採取する。
 全てのサンプルを専用のケースに収めると、おもむろにニレが口を開いた。

『シズ、ひとつ、きいていい?』
「なに? スリーサイズと体重以外なら、お姉さんなんでも答えちゃう」
『ふふ、それも、ききたいけど』

 ニレの言葉は普段より一層辿々しくなる。

『えっと、その、現役の仲間達には、きけない、ことだから………』

 ヘルメット型情報モジュールを被ったニレのぴったりタイトなスーツ姿が目に浮かぶ。
 恐ろしく可愛いくモジモジしているに違いない。私は自らの想像力が憎い。
 何を言ってるんだ私。

 だが、

『〈ジェネクト〉って……… 怖い?』
「え?」
『あ、あのっ、わたし、まだ「死に帰り」の経験、ないから………』

 ニレのその言葉で察しが付いた。
 私は一度は〈ジェネクト〉を経験して、二度目は辛くも経験しないまま引退した。
 その結果がこの造りものの両脚である。
 恐らく、先日のエナとの顛末に付随してゲルダが話したのだろう。

「ああ、聞いちゃったのね、私のこと。もうっ」
『うん、ごめんなさい』
「ううん、おあいこ。実は私も少しだけニレのこと、知ってる」
『え………』
「〈ジェネクト〉が壊れちゃった人のこと」

 ニレの「ある事故」——— 〈ジェネクト〉の誤起動。彼女は存命のまま「死に帰り」した人物と出会い、その「最後」に立ち会ってしまったのである。

 実は私はいつの日にか、ニレと対峙することを予感していたのだ。

『くすりを飲んで、あたたかいベッドで眠れば、二度と目覚めないだけって』

 間違って〈ジェネクト〉が起動し新しい素体に記憶が注入されてしまえば、同一人物が同時に二人存在する事態が発生する。私達「二番目の人類」の規則ではそれを許していない。
 つまり「最後」とは「古い素体を処分」という意味だ。

『その人は、規則だから、しかたないって笑うの』

 ニレは訥々と言葉を続ける。
 表向きは地位や資格などの「個人の権利」が分割できないためと説明されているが、言ってしまえば私達の「不死」が偽りだとを証明してしまうからだ。
 だが、滅多に起こらない、あってはならない事故。それ故に規則をよく理解していない仲間達も多い。かく言う私もニレに出会うまではそうだった。

『なんで、死ななきゃダメなの? 目の前で生きているのに』

 殆どが二酸化炭素の極めて薄い大気はもちろん音を伝えない。聞こえるのは通信機器が出す僅かなノイズと、超重力制御装置が囁く低いアイドリング音。
 クレーター平原の片隅で佇む二機のヴァリオギア。機体足下のOCDはぼんやりと青い光を発するだけ。衛星C8の地表は静かだ。
 少しばかりの沈黙の後、コクピットの向こうでニレは再び口を開いた。

『わたし達にとって、ただしいのかな?〈ジェネクト〉』
「…………」

 彼女の言わんとすることは分かる。
 そしてそれは、私の後悔と同根のものでもあるからだ。
 本当は分かっていた。
 私は自らに肯定的な解釈を認めたくなかった。

 あの時のケイは、私の二度目の「死」を看過できなかったのだ。
 そして私は「死」を躊躇したことで、彼女に深手を負わせたことが許せなかった。

「正しく…… 正しく〈ジェネクト〉さえ起動すれば、すべてが元通り………」

 私はうわ言のように呟くことしかできない。
 私達「二番目の人類」の使命、人類の再興と引き換えに身を賭して時空災厄と戦うこと。
 そしてそれこそが私達の悲願であり、存在理由でもある。
 旧人類にとって絶対だった「死」。
 それが〈ジェネクト〉により薄められているのは、迷いなく自らの使命と向き合うため。

『わたし達は、かんたんに死んでは駄目、じゃないのかな?』

 ニレの声が僅かに震えを帯び始めている。
 だが、引退した私に現役のニレを導く言葉は持ち合わせていない———

「それは………」




『ああ、そうだ。そろそろ「お客さま」が通過する時間だよ』

 歯切れが悪い私の言葉の途中、唐突にゲルダの通信が割り込んだ。

「え、お客さま?」
『言ってなかったっけ? 専任槍士官(ランスマスター)の方々』
「う、ウソ………」

〈私達の後方、五時の方向に接近する八つの機影が見えます〉

 ナザニーの声に振り返ると、ちょうど西の彼方からヴァリオギア編隊が現れた。
 マットブラックに真紅のピンストライプ。旧人類の言う猛禽の翼に似た巨大な超重力制御装置の推進翼を持つ最新鋭のヴァリオギア。
 一機だけブラックと真紅のカラーリングが逆だ。

『僕達にOCDを紹介したからだってさ。新しい推進翼のテストついでに寄り道ってことらしい。あの連中、また上からだよ、まったく』

 ゲルダの文句など知る由もなく、八機のヴァリオギアは私達の頭上三千メートル付近を大きく旋回。再び元の巡航コースに戻り、東方の天空へと飛び去っていく。
 だが、一機のヴァリオギアだけが残ってそのまま旋回を続けていた。
 投影視界をノックする電子音が響き、旋回する黒いヴァリオギアから通信要請が入る。
 ナザニエルの回線を開くと、目の前に懐かしい個別識別コードが流れ出た。

 KEI9218f087、ケイだ。

 投影視界に情報モジュール越しの現在のケイの姿が映し出される。
 伸ばした巻き毛で目立たないが、顔の右半分が半透明の樹脂で覆われている。
 エナの言葉の通りだが、左に残された円らな瞳は昔のままだ。
 私は無意識に義肢の両膝に掌を添える。
 分厚い与圧服が遮って造りものとはすぐに分からない。

『久しぶりだね、シズ』
「えと、その、久しぶり、ケイ」
『上からごめんね。この子、着陸脚が無くて』

 ケイのヴァリオギアは脚部が丸ごと推進翼になっている。高速戦特化型だからであり、先のサブアームのオーダーは浮いた脚の制御を副腕に回そうという発想らしい。
 その機体は六つの光輪を従え、まるで禍々しい死神に見紛う姿だが、パイロットが誰か分かっているので印象は少しも悪くない。現金だな私。

「え、あ、ほ、ほんとだね」

 突然のことに私の声は上擦っている。懐かしいケイの声、無理もない。
 ケイのヴァリオギアは高度をゆっくりと下げ、地上一千メートル辺りで静止した。
 私はケイの機体を見上げる格好となる。

『その……… 先日の、エナの無礼を許してほしい』
「ううん、気にしてない。ケイ、元気そうね」
『うん、シズも』

「あの……… 」と、暫くの間があるのは、二人とも次の言葉を探している所為だろう。
 だが、その合間に真紅のヴァリオギアが折り返し、ケイの側へと舞い戻った。
 その機体は左アームを頭部まで近付け、メインカメラを指差すとクイっと下に引く。
 図書クラスタで観た旧人類の威嚇行為の一つ。あっかんべーのジェスチャー。
 こちらもパイロットが誰なのか、言われなくても分かる。

『怖い人が来たから、これで失礼するね、シズ』
「う、うん、元気でね。ケイ」

 心の中で反芻するかのように、お互いの名を呼ぶ。

『ありがとう、シズ。元気で』

 先を往く仲間達の編隊を追い、ケイとエナのヴァリオギアは寄り添いながら上昇を始める。
 巨大な推進翼が描く六つの光輪に輝きが増し、一気呵成に加速した。
 私は二人の機影が投影視界から消え、個別識別コードがロストするまで見送った。

 私は星の海に視線を留めながら、傍らに立つニレに先の続きの通信を送る。

「ニレは、ニレはきっと正しい。間違ってない」

 ニレのヴァリオギアは、そっとナザニエルの手を取った。






————————————————————






【unnecessary.】



〈シズ、ワタクシの胸で良ければお貸ししますよ〉

 不意のナザニーの言葉に、私はまたしても泣いていることに気がついた。
 涎だの涙だの、私は事あるごとに体液を垂れ流してしまう。
 慌てて与圧服のバイザーを開けて、グローブ越しの指で拭く。

「へえ、随分と気が利いたジョークが言えるのね」

 コンソールに収まったナザニーは、ボディ先端のライトを得意げに点滅させる。

〈シズとおなじで、ぺったんこな『ガンッ』

 与圧服のグローブはさらに分厚く、拳を傷めないから遠慮は要らない。

『ふふ、わたしもシズとお揃い、似たものどうし』

 続いて投影視界に映るのは、涙目ではにかんでいるニレ。
 ニレ、君は笑っているとほんとに可愛い。
 お姉さん嬉しい。

 ん?

『ぺったんこで、泣き虫』
「ニレ、帰ったら検証の続きをやろう。君に拒否権はない」
『ええっ』



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