2 セリの思惑

文字数 6,818文字

 何か起こってもらっては困るものの、それでも何もなく第一セッションは終了。
 護衛任務は採掘場の外周をぐるぐるとひたすら歩き続けるだけだ。
 もちろん警戒を怠る訳にはいかないけれど、AP016は他の小惑星より大きい分だけ地形変化に乏しく、採掘場を一周もすれば飽きると言わざるを得ない。
 結局ニレはあれから一度も回線を開いてくれなかった(反省)ものの、お調子者のセリのおかげで第一セッションは退屈せずに済んだ。
 彼女の方はどうだったか分からないけれど———

「あら、そんなことはないわ。アタシも楽しかったけど?」

 セリはそう口にすると、ジェル塗れのスキャンスーツをするすると脱ぎ始める。
 ヴァリオギアのコクピットを満たすニューラルジェルは主成分が水溶系ポリマーと水だ。
 隙間なく密着していたはずのスーツは、抗うことなく彼女の柔肌を晒した。

「一緒に済ませちゃおう、待機時間は貴重だから」

 先にバスルームに入っていたのはボクの方。
 要するに、あっと言う間に裸になったセリを止めることができなかったのだ。
 最大三十機のヴァリオギアが積載可能な航宙揚陸艦トラントサンク級には、先のレストルームの他に六人分の簡易ベッドがあるキャビンが六室、バスルームは四室備わっている。
 ボクは脱いだスーツを専用ウォッシャーに放り込むと、ある疑問を口にした。

「あの、セリ? ええと、他、空いてなかった?」
「ううん、アタシが見た時は埋まってた。それより早く入ろ」

 セリは髪をアップにしながら口角をにぃと吊り上げる。
 本当に? と口にする間もなく、ボクはセリに手を引かれてミストシェルの中に入った。
 基本的にミストシェルは一人用のため室内は幅奥行き共に一メートルほどと狭く、ボクとセリは一糸纏わない姿で向かい合う形になる。
 ほぼゼロ距離、もの凄く近い。セリの方が背が高いのでボクが見上げる格好だ。
 セリがシェル内のコンソールを操作してミストシャワーを作動させると、四方から噴き出す熱を持ったミストが首から下に残ったジェルを浮き上がらせる。
 すると、セリは腰に手を回して身体ごとボクを引き寄せた。
 次に果実のような唇をボクの耳元に寄せる。

「ねえ、良かったら、このまま「特別」しない?」

 一瞬セリが何を言っているのか理解できなかった。
 ボクの胸の少し上に当たって形を崩すセリの膨らみ、ひたっと合わさったお腹。
 仄かに冷んやりと感じるのは、ボクの方が体温が高いからだろう。

「ミストシェルの中なら誰にも聞こえないし」
「え……… ええっ! セリ、な、なにを言ってっ?!」

 ボクは慌てて両腕でセリを突き放すと、彼女はこともなげに言う。

「ふふ、ダメかな?」
「え、だって、ボクは、その、こ、困る……… と言うか」
「みなまで言わなくていいわ。やっぱりダメか。アナタはそうだと思った」

 セリは再びコンソールに手を伸ばしてミストを止め、コンディショナーを手に取る。
 数滴のそれを両掌ですり合わせて、真白な泡を作り始めた。

「アナタはそう……… って?」
「ダメじゃない素体もいるから……… だけど?」
「え………」

 ボクが二の句を告げないでいると、セリはにやりと笑みを浮かべる。

「そうね、ダメなら洗いっこしない? 代わりに」
「そ、そのくらいなら、別に、いいけど………」
「じゃあ、背中を向けて」

 セリはボクを壁際に追いやり背を向けさせると、コンディショナーの泡を撫で付ける。
 ボクの両肩から腕に泡を伸ばしながら、彼女はうわ言のように呟いた。

「先に無理な要求をして、本当に通したい要求を後で呑ませる」
「あっ、ズルい」
「あはは、言質取ったんだから、今更イヤはダメよ。はい腕を挙げて」

 ボクは狭いミストシェルの左右の壁に両手を突く。
 腕の次に腋の下、そしてセリの掌は背中へと舐めるように撫で回す。

「アタシ、気に入ったらfでもmでも誰でも誘うの。その代わり誰とも組まない」
「それって、寂しく……… ないの?」
「ずっと兵徒を続けていれば誰かしら側に居るし、組んでる間だけだから皆楽しもうとするわ」

 セリの掌が背筋から腰、腰からお尻へと緩急を付けながら丁寧に滑り降りていく。
 彼女の姿が見えないから、どうしても触れられた部分に意識が向いてしまう。

「享楽的だと自覚はある。でも、誰か一人の気持ちに縛られたくないの」

 セリが口にする言葉に少しずつ理解が遠くなる。

「少し、脚を広げてくれない?」
「え……… こう?」

 わざともどかしげに腿の内側に滑り込むセリの指先。
 且つて知る昂りと同じものが、沸々と己れの奥底から湧き上がり始める。
 きゅうっと肉体の何かが絞られるような感覚。
 小々波に似た痺れがじわりと全身に拡がっていく。

 未知なる相手への好奇心、純粋な官能への渇望、そして罪悪感。
 だけど、今ボクの中でそれらに優っているのは恐怖だ。

 実を言うとミルが「死に帰り」してから、ボク達はまだ一度も「特別」をしていない。
 理由は分かっている。〈ジェネクト〉の前と後、寸分違わないはずのミル。
 その違いを見つけてしまうのではないか。
 薄っすらと頭に張り付いて離れなかった恐怖が、強引に剥がされようとしている。
 ボクが向き合わなければならない、ボク自身を形作っているもの———

「く………っ」
「ふふん、前も、洗って欲しい?」

 セリの言葉はまるで揺らいでいるボクの内側を見透かすかのよう。
 だけど、ボクは持ち堪えて見せた。

「い、いや、代わるよ。前は自分で………」
「あら、残念」





 どうやらボク達はミストシェルに小一時間ほど篭っていたらしい。
 各セッションのインターバルは三時間、その1/3を既に消化してしまったことになる。
 一言愚痴を言わせて貰えるなら、任務よりキツかったのはここだけの話。
 ボクがバスルームの給水機で水分を採って一息吐いていると、バスシンクの鏡の前で髪を拭いているセリがおもむろに口を開いた。

「ねえ、〈ジェネクト〉って素体を変えられないかな? mタイプに」

 ボクは白いバスタオルを巻いているけれど、セリは裸のままだ。
 なだらかなスロープを描く背中、くの字に括れた腰、真円に近いアールを描く豊かな胸。
 離れて見る彼女は息を飲むほどに美しく、まるで神を讃えるために造られた偶像のよう。
 どこにも欠損が見当たらない、真っさらで完璧な躯体。

「えっ、そんな話、聞いたことがない。できるの? と言うか、fタイプは嫌なの?」
「実はアタシ、素体はこれで六体目なの。試してみたくもなるわ」

 基本的にボク達クローン素体は二百五十六通りしか存在しないため、記録上の旧人類達より多様性に乏しく個性も薄い。けれど、積み重ねた記憶が堆積に比例してそれを補う。
 恐らくセリの性格は長い経験により育まれたもので、要するにベテランなのだろう。

「だって反射や獲得形質を補強するxx+RNAがマッチングしないから別人に……」
「それに、素敵な女の子とは男の子の身体で「特別」したい」

 鏡の中で邪まな笑みを浮かべるセリ。
 ボクは生物学的差異としてmタイプの知識は持っているけれど、「特別」の領域では異性を知らないので、セリの言動はもちろん理解できない。

「えっ、えっ、えっ? そ、それって、え、なんでっ?!」
「気持ち悪い?」
「あ、いや、そうじゃないけど、想像できないし」

 ただボクの動揺を見て楽しんでいるだけなのか、それとも本気で考えているのか。
 ほんの一瞬だけ、セリの表情が抜け落ちたように見えた。

「どうせ「死に帰り」したアタシはアタシじゃない」

 え………




***




 AP016の水平軌道面を基準にした便宜上の南東、第一セッションの採掘場よりおよそ十キロ地点が第二。同じく南東へおよそ八キロ地点が第三セッションと続く。
 採掘場は三箇所ともほぼ同じ条件で、第二セッションも何事もなく終了。
 交代を済ませると第一セッションと同様にトラントサンクに戻った。
 ボクは軽い仮眠のあと、機嫌を直したニレ達と食事をして最後のセッションに備える。
 どうやらセリは他の誰かにもモーションを掛けていたらしい。二回目のインターバルではほとんど姿を見せることなく、次に顔を合わせた時は随分と緩んだ表情をしていた。

 シエロはニレとずっと一緒だったので、恐らく相手は彼以外のmタイプ。
 本ミッションで異性ペアは三組だから二人に絞られる。
 トラントサンクのキャビンは艦尾側の部屋が使われてなかったはずで———
 いやいや、ボクは無用な誤解を避けるべく、興味がない振りをした。

「ふふっ、プランBよ。あ、もしかして妬いてる?」

 ほんのりと頰を染めたままのセリは、舐めるような視線をボクに返す。
 全く隠す気がないのはどうなんだろうか。

「なんのはなし? ふたりで」
「あの、お二人とも顔が赤い……… ですけど」

 レストルームのベンチに並んで座るニレとシエロが揃って首を傾げている。
 二人ともヘルメット型情報モジュールを膝に載せ、手には同じ銘柄のパックゼリー。
 糖分が高くてとびきり甘い、ボクが苦手なやつだ。

 えっと、キミ達、オトナの話だから………






 第三セッションも交代時間が近づき、ボクは気が抜け掛けていた矢先のこと。
 開きっぱなしの情報窓の中のセリが不意に口を開く。

『ねえ、ヘリオス3から調査指示が来てる、どう思う?』

 投影視界に開いた無数の情報窓の中からヘリオス3の指示を掘り出して確認する。
 急を要さない情報窓を閉じないのはボクの悪い癖だ。
 時々確認が遅れてミルによく怒られる。

「えっ、あ、本当だ。西に三キロほどのすぐ近く……… 廃採掘場?」
『間違いかもしれないけど、念のため調べろって。アタシ達の方が近いわ』

 セリは同じシフトで護衛に就いているニレ達のことを言っているのだ。
 ふと、背面ラックのキルケーを見ると、びりびりと細かく震えている。
 今構えているランスガンをキルケーに持ち替えると、今度はぶるんと大きく身を捩った。
 キルケーは何かを感じているかもしれない。

「ここで最後だし、次に交代したら行ってみよう」
「そうね」

 珍しく色のない返事をするセリ。
 すると、新たな情報窓が立ち上がる。ボク達の交代要員からだ。

『ヘリオス3の指示はこちらも確認した。少し早いがトラントサンクを出る』
「了解した、待ってる。よろしく」
 
 十分も掛からず到着した交代要員に後を任せて、ボク達は指示された場所へと向かう。
 ヴァリオギアの腰部と脚部に二基ずつ装備された超重力制御装置(Gトロニック)力天使(ヴァーチュ)の翼を起動させ、行き来以外の目的では初の大跳躍を敢行する。

 旧人類の文化記録の中でボクのお気に入りのカテゴリー、舞踊芸術。
 セリは同カテゴリーに属する「ballet」のように華麗にAP016の虚空を舞う。
 神経接続を介して搭乗者自身を模倣する拡義体こと「ヒト型の戦闘機」ヴァリオギア。その主要構造材「可変アロイ」は身体的特徴も併せて模倣するため、シルエットはセリそのもの。
 ついセリの跳躍姿勢に見惚れていると、抗議するかのようにキルケーが身を捩りだした。

 もしかしてこの子、ミルと通じてる?
 そう思った瞬間、ボクの背筋に言いようのない悪寒が走った。
 下方の大地から針のように鋭く伸びる〈彼ら〉の遠隔攻撃手段、攻性プローブだ。
 ボクは超重力制御装置の推進重力を瞬時に反転、ヴァリオギアの姿勢を強引に捻って回避する。

「なっ、なにっ!?」

 さらに二撃三撃と続く異形の脅威にボクはキルケー——— ランスガンの時空歪曲防壁(Dフラクチャー)を作動させ、AP016の大地に落下しながら薙ぎ払った。
 セリも同様に時空歪曲防壁を使って〈彼ら〉の猛攻を凌いでいる。

『先にこっちに向かっていたようね、地中に潜ってっ』

 セリはそう言い様に超重力圧縮弾(グラヴィトン)を攻性プローブの出先に向かって三連射。
 ごそっと三つ、半球状にくり抜かれる大地。
 堪らず地中から這い出てきたのは三体の巨大な〈彼ら〉こと時空災厄だ。
 どうやら〈彼ら〉は地中では上手く時空歪曲防壁が張れないらしい。姿を現したと同時に周囲の空間が蜃気楼のように揺らぎ始める。

〈彼ら〉こと時空災厄(アウターコンティニューム)討伐ミッションにおける解体。
 それは絡み合った蛇のように枝分かれしたチューブ状の胴体を超重力圧縮弾を以って切断、一定サイズまでバラバラにする作業を指す。
 だけど、解体の途中で逃げ果せる〈彼ら〉の断片は、筒状のブツ切り状態では行動に不都合が生じるため、自らを縦に分割して再び元の蛇のような状態に戻す習性がある。
 サイズを除けば今回の〈彼ら〉もほぼ初期状態に戻しているところを見ると、十数年以上前に取り逃がした個体と見て間違いないだろう。
 時空歪曲防壁によって正確なサイズは測定できないけれど、ヴァリオギアの画像解析によれば一本あたり全長は百メートル未満、径は八メートル前後のよう。

 ボクは大地にヴァリオギアを着地させ、再び跳躍。〈彼ら〉の真上から超重力圧縮弾を放つ。
 時空歪曲防壁の最も揺らぎが薄い部分、超重力収束点を狙うものの、それだけでは胴体の真芯に着弾できず、表皮を幾らか削り取るだけだ。
〈彼ら〉は地中から這い出た地点を軸にして、三体の巨体を無秩序に振り回し始める。
 接近するボク達を牽制するかのように次々と放たれる超速の魔針、攻性プローブ。
 ランスガンでそれらを払い退けながら、〈彼ら〉の遠巻きにヴァリオギアを駆けさせる。
 普段相手にする数百、数千メートル級の個体より質量が小さ過ぎる上に動作も早い。
 通常戦闘域からの攻撃ではかえって収束点に当て難いのだ。
 
 やりにくい、やはり連携しないとダメか。

 そう考えてセリに声を掛けようと情報窓に視線を移すと、先まであった位置に見当たらない。
 また埋めてしまったかと思ったものの、どうやら彼女の方から閉じられていたのだ。
 投影視界に映るセリのヴァリオギアは、何故か棒立ちのままピクリとも動かない。

「は? セリっ、何をやって………」

 通信を試みようにも意図的に遮断されて通じない。
 荒れ狂う時空災厄、そのうち〈彼ら〉の一体が禍々しい先端をセリに向け始める。
 それでも彼女の機体は微動だにする気配がない。

「馬鹿っ! 早く回避をっ………」

 ボクは届かない声を上げる。
 セリのヴァリオギアとの距離はまだ八十メートルほど開いている。
 突進を開始する〈彼ら〉の一体。
 間に合わない、と思った刹那———

「頼んだっ、キルケーっ!」

 ボクはセリのヴァリオギア目掛けてランスガンを投擲した。
 銃槍のストックを先に向けて一直線に飛翔するキルケー。
 大気が無いのでもちろん音は聞こえないけれど、ごんっと鈍い音が聞こえた気がした。
 彼女の機体はキルケーに薙ぎ倒され、突進する〈彼ら〉の一体は見事に空を切る。
 ボクはヴァリオギアを跳躍させて、もう一本のランスガンで超重力圧縮弾を牽制射。
 突進した〈彼ら〉の一体を飛び越えると、セリの機体の傍らに着地した。
 再びランスガンを牽制射するも、時空歪曲防壁に阻まれて〈彼ら〉には届かない。
 先ずはセリを——— と彼女の機体に空いたヴァリオギアの腕を伸ばすと、セリはボクの機体の腕を取り無言で立ち上がった。

 セリは何事も無かったかのようにランスガンを構え直すと、ほぼ垂直に跳躍する。
 後を追う攻性プローブを全て払い除けて〈彼ら〉を飛び越え、反対側に着地。
 再び跳躍して〈彼ら〉の真上で収束点をランスガン先端に捉える。
 落下の勢いに任せて一気に時空歪曲防壁を切り裂いた。

『リト、頼んだわ』
「言われなくてもっ」

 唐突に開く情報窓、それに返すボク。
 ゆらゆらと揺らぐ像が縦一文字に裂かれた部分だけ揺らぎを失っている。
 即座にボクが放った超重力圧縮弾は今度こそ〈彼ら〉の細長い胴体、その真芯に命中。
 一定の空間範囲を超重力によってごっそり圧壊、最初の分割に成功した。
 それは一瞬の出来事、驚くほどスムーズ。セリの長いキャリアは疑いようがない。

 時空災厄こと〈彼ら〉は一度分割されると己れの状態把握のため一時停止する。
 決して長くない隙を見逃さず、間髪入れずに二体目に二発目を撃ち込み、セリも三体目と次々に圧縮弾を命中させていく。
 ボク達が圧縮弾斉射によって一片が二十メートル以下までバラバラにされた〈彼ら〉。
 ボク達の狩りは終わった。


 キルケーは超重力圧縮弾の銃身が曲がりそうな勢いでバタンバタンと暴れている。
 どうやら、ボクが投擲したことに対する抗議のようだ。
 本当に半知性体なのかな、この子………

「ボクが悪かったよ、キルケー。そんなに怒らないで」
『話には聞いていたけど、リトの荒っぽいってこういうことなのね』

 ボクがキルケーを拾い上げると、セリは抑揚のない調子で口を開いた。
 キルケーと同じく、ボクも怒らない訳にはいかない。

「説明して、セリ。あれは何の真似?」

 セリは沈黙した。
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