第26話 シーボルトのひみつ行動

文字数 1,957文字

 シーボルトは必ず、江戸参府の際には護身用の

ピストルや鍵付きのトランクを携帯する。

トランクの中身は誰も知らない。

シーボルトはトランクを

自分以外の人間に決して持たせたり触らせたりはしない。

シーボルトには、好奇心旺盛な面と用心深い面という2面性がある。

「葛飾先生。シーボルトとは何で、知り合ったのだい? 」

 以前、前の謁見が長引き、葛飾北斎を待たせた事があった。

偶然、その場に居合わせた慶賀は何気なく聞いたことがある。

江戸随一の絵師が、画料が高いという理由だけで、

ご禁制に触れそうなやばい仕事を受けるとはどうも思えない。

慶賀は、他にも理由があるはずだと見ていた。

「おまえさんも絵師かい? 」

 葛飾北斎がうまい具合に、慶賀に話をそらした。

「出島出入りの絵師、川原慶賀といいます」

 慶賀は、自己紹介がまだだった事に気づいて、あわてて、あいさつした。

「ほう。出島出入りの絵師か。ふつうの絵師と違うのかい? 」

 葛飾北斎が訊ねた。

「そう、違いはないですよ。絵師は絵師です」

 慶賀が否定すると、葛飾北斎が舌打ちをした。

「絵師と言っても、ピンからキリまである。

シーボルトがどうして、

おまえさんみてぇに中途半端な絵師に任せているのか、

おいらには理解出来ねぇや」
 
 別の日。阿栄がめずらしく、ひとりで長崎屋を訪れた。

そして、仕上がった絵を届けついでに、慶賀の元に立ち寄った。

ちょうどその時、慶賀は、地図の写実に取り掛かっていた。

明日には、地図を貸し出した高橋作左衛門が取りに来る。

オランダ商館の一行が将軍に礼拝するため、

城に参上した時、

幕府の要人、最上徳内との謁見の機会があり、

その謁見の際、蝦夷地や樺太について

興味深い話を聞いたシーボルトは、

蝦夷地と樺太の地図をどうしても手に入れたいと

あちこちに手を回して持っている者を探していた。

高橋作左衛門は、

江戸浅草の天文台下に勤務する上級役人だ。

主に、地図製作と翻訳に携わっている。

吉雄権之助の縁者にあたる吉雄忠次郎の紹介で、

昨夜おそく、シーボルトの元へ訪れた。

高橋作左衛門は、

シーボルトが持っているナポレオン一世の

伝オランダ属の地図との交換を条件に提示してきた。

シーボルトは交換出来ないと1度ことわったが、

高橋作左衛門が、「自分は危険を冒してまで会いに来た故、

この交渉は譲れない」と食い下がった。

最後には、シーボルトも根負けして、

慶賀が互いの地図を写実して

模写した地図を交換する事を押し通した。

慶賀は、3枚の地図を至急写実しなければならなくなり徹夜するはめになった。

江戸参府の道中、シーボルトは様々な人たちと交流したが、

江戸はその中でも特別だ。

幕府の要人、諸大名、名高い蘭学者との謁見の機会が多い。

「おやじさんに、シーボルトとの出会いについて聞くとは

野暮なことしたものだね」
 
 阿栄に、葛飾北斎とのことを話すと笑われた。

「じいさまとシーボルトとの間にはどうも、接点が見つからねえ」
 
 慶賀が肩をすくめた。

「慶賀さん。あたしらは、シーボルトが有名だから相手しているわけではないよ」

 阿栄が言った。

「え? 違うのかい? 」

 慶賀が訊ねた。

「最初、話を受けたのは、誰でもないこのあたしさ。

ちょっとした好奇心もあって、1度だけのつもりだったのよ。

画料も相場より高いしね。
 
そのうち、おやじさんが、

シーボルトの注文する内容に興味を持ったわけさ。

おやじさんをあんなに夢中にさせたのだから、シーボルトも大したものだ」

 阿栄が苦笑いして答えた。

「阿栄。何か、心配事でもあるのかい? 浮かない顔をしてどうしたんだい? 」

 慶賀が、阿栄の様子がいつもと違うことに気づいて心配した。

「どうやら、シーボルトは厄介な事に、首を突っ込んでしまったようだよ。

今までのオランダさんとは、ひと味違うと感じでいたけどさ。

あそこまでとはねえ‥‥ 」

 阿栄がため息交じりに言った。
 
「厄介な事とはあの事かい? 」

 慶賀は声をひそめた。

「とうとう、おそれていた事が起きそうな気がする。

故に、あたしらはこたび限りで、シーボルトから手を引くよ。

幸い、画号を偽っている故、簡単には、足はつかないだろうよ。

手を引くなら今さ。あんたもさ、用心しなよ」

 阿栄は目で誰かがいると合図した。

慶賀もさっきから、障子越しに人の気配を感じていた。

「そこに、誰かいるのか? 」

 慶賀は絵筆を置くと、障子の方へ声を掛けた。

阿栄が障子を開けると、

シーボルトの門人の二宮敬作が、障子の前に正座していた。

「先生がお呼びです」

 敬作が何食わぬ顔で告げた。

「わかった。ちょうど、仕上がったところだ」

 慶賀はなるべく、冷静を装ったが、内心、ドキドキしていた。

今の話を二宮敬作に聞かれたかもしれない。

阿栄もやばいと思ったらしく、逃げるようにして、「長崎屋」を出て行った。


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