第13話 シーボルト

文字数 2,138文字

「オレがいない時は、おまえが、オレの代わりを務めて皆を動かすんだ」

「わしで良いのですか? 」

 種美が自信なさそうに念を押した。

「おめぇしか、オレの代わりを務められる奴はいねぇだろ? 

この際だから、門人頭の実力を見せてみろ」

 慶賀がはっぱをかけた。

 翌日。慶賀は、庭園の中にあるシーボルトの住まいを訪問した。

 シーボルトは、長崎市内近郊から取り寄せた

様々な種類の植物を研究材料として庭に増設した植物園で栽培している。

 通常、商館長や商館医は、カピタン部屋に滞在するが、

シーボルトはいつでも、研究が出来るようにと、

大胆にも、庭園の一角に住まいを構えた。

慶賀は今まで何度も、庭園の横を通りかかっていたが、

住まいとして使用されている建物の中に入るのは初めてだ。

シーボルトの助手のホフマンが玄関先で、慶賀を待ちうけていた。

ホフマンは、シーボルトより10歳年下だが、縁あって、助手をしている。

同郷のよしみで抜擢されたという。

 ホフマンは主に、

シーボルトの市外活動の調整や客人の接待を担当している。

声楽家志望だった事もあって美声の持ち主だ。

「慶賀だな? さあ、中ヘどうぞ。先生がさっきからお待ちだ」
 
 ホフマンが上から目線で言った。

そんなに親しくない年下の男性から、

突然、呼び捨てで呼ばれたため、慶賀は違和感を覚えた。

この助手は、主人から、悪影響を受けていると真っ先に思った。

応接間へ通されると、シーボルトが、ソファーに座っているのが見えた。

慶賀が姿を見つけると、即座に立ち上がり近寄って来た。

「ようこそ」

 シーボルトは慣れた風に、

慶賀の腰に手を回すと、自分の隣りに座るよう誘導した。

しかし、慶賀はあえて、向かい側のひとり掛けソファーに腰を下ろした。

「どうぞ、召し上がれ」

 ひとり掛けソファーに腰を降ろすと同時に、

カステラとコーヒーが運ばれてきた。

シーボルトは気を取り直した様子で、カステラを慶賀に勧めた。

 慶賀は無心で、カステラを口いっぱいにほおばった。

あまりのおいしさに、思わず、顔がほころんだ。

これは、ポルトガル人から直接指導された

菓子職人の味だとすぐわかった。

昔、荒木如元という名の唐絵目利役の自宅に招かれた事があった。

その時、西洋菓子が3度の飯より好きな

荒木如元からいろいろと、西洋菓子について教えてもらい、

西洋菓子をごちそうになった覚えがある。

 荒木如元は、親戚の石崎融思と犬猿の仲らしい。

油絵に夢中になり、本職をないがしろにしたとして、

石崎たちから、解任請求を受けた。

現在は、息子夫婦と同居して、静かに余生を送っているらしい。

荒木家は、典型的な蘭癖の屋敷で、

外観は日本家屋だが、内装の装飾品は、舶来品で占めていた。

「君と一度、話がしたいと思っていた」

 シーボルトが背筋をピンと伸ばすと告げた。

「先生のことは、これまで、何度も、お見かけしておりますが、

いつも、忙しそうですね。今日は、お招きありがとうございます」

 慶賀はお世辞たっぷりにあいさつした。

たとえ、生まれ育ったのが異国であろうと、

長く、出島に滞在していると、自然と、日本人のようなお世辞や

愛想笑いが身につくものだが、シーボルトはそうでもないように見えた。

「今日、君を呼んだのは、専属絵師に任命するためだ」

 シーボルトが単刀直入に言った。

青い瞳は一辺の曇りもない。

慶賀は思わず、コーヒーを吹き出しそうになった。

「川原慶賀。君にはぜひ、我々の計画に力を貸してもらいたい。

君の絵の才能は確かだ。

正確な写実や研究熱心な姿勢は、我々の望みと合致する。

報酬は、相場より多く払うことを保証する。どうだい? 」

 シーボルトが上目遣いで言った。

最近の出島の画料は、町絵師として稼ぐよりはるかに低額である。

それと言うのも、「出島出入りの絵師」は公的扱いなため、

国に貢献する意味もあって、決して高いとは言えず、

特に、勘定奉行が交代してから、値上げ交渉が難しくなった。

 慶賀は日頃から、

出島出入りは、時間と手間がかかるわりには

稼げないと不満に思っていた。

慶賀ひとりだけなら、まだ、がまん出来るが、

今では、数人の門人を抱えている。

彼らに給金を支払うためには、

稼ぎの良い仕事をこなさなければならない。

 そうは言っても、「出島出入りの絵師」は、

なりたくてもなれるものではなく名誉な職でもある。

何より、町絵師として、

仕事をする上でも良い宣伝になるし信用も得られる。

だから、やめるにやめられない。

「あんた、知らないのかい? 

勘定奉行が、出島の画料を厳しく取リ決めたから

画料の値を勝手に変えることは出来ないってことをさ」

 慶賀が言った。

「すでに、奉行所には話を通してある。

君が承諾すれば、明日からでも働いてもらいたい。

写実をしてもらいたいものがたくさんあるからね」
 
 シーボルトが、慶賀の倍の熱量で訴えた。

 慶賀は、熱心に訴えるシーボルトの姿を見るや、

少し誤解していたことに気づいた。

シーボルトは、今までの商館医とはまるで異なる。

出島出入り絵師の実情を理解しているようにも見受けた。

何より、自分を必要としてくれている。

シーボルトが、慶賀と専属契約を結ぶため、

「出島出入り絵師」の給金を上げるように

奉行所に直訴したと聞いて感動した。慶賀はその場で快諾した。




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