第20話 鳴滝塾 千歳の死

文字数 1,582文字

 江戸参府が終わり、長崎に戻ると、

シーボルトは、念願の私塾を「鳴滝」という土地に開いた。

 その私塾は、「鳴滝塾」と名付けられた。

吉雄塾や楢林塾に寄宿している医師志望の若者たちが、

シーボルトの指導を受けようと続々と入門して来た。

シーボルトが私塾を開いた事はあっという間に、

日本中へ知れ渡り、江戸や京都に遊学していた

若者たちも我先にと、長崎へやって来た。

シーボルトは時間の許す限り、

講義や実験を行い、若者たちを指導している。

宿なしの塾生たちのため、

「鳴滝塾」の2階部分の部屋を提供しているが、

誰もが平等に、宿泊出来るようにと長居を禁じた。

長期間滞在する塾生は、親戚縁者を頼るか、自費で部屋を間借りしている。

塾の実質的な運営者、吉雄権之助が、

経理から管理に至るまですべてを取り仕切っている。

塾頭は、シーボルトの門人の美馬順三が務め、

塾生の良き相談相手となっていた。

当初は、シーボルトの塾として開校したはずが、

今では、吉雄塾の別館化状態だ。

シーボルトは所詮、客寄せにすぎない、

吉雄権之助に利用されていると陰口をたたく者も少なくない。

慶賀は、吉雄のことを有能な経営者だと認めている。

シーボルトは、講義や実験に関しては、

様々なアイデアを出したりするが、

塾の運営状況については関与していないからだ。

研究分野においては、ビュルゲルが、

シーボルトの良き相棒となり支えているが、

私塾においては、シーボルトの講義の時、

通訳をかって出たり、

シーボルトの代理講師をこなす吉雄が、

シーボルトを支えていると言える。

吉雄は自分の塾からも、塾生を「鳴滝塾」へ呼び寄せて、

講義や実験に参加させたり、時には運営を手伝わせているという。

吉雄と共に、塾の開講に奮闘した

中山作三郎や茂伝之介は、

経済援助や外向的援助は惜しまないが、

塾の運営にまでは介入しない。

そのおかげで、吉雄は自由に、塾を運営出来るのだ。

 「鳴滝塾」には、

医師志望の若者たちだけでなく、

奉行所の地役人や貿易商人たちの間でも話題になった。

一部の貿易商人たちが、出島より比較的検問が緩めの「鳴滝塾」に、

塾生を装い集まり密貿易を行うため、

隠れ家として利用しているとの黒い噂が広まった。

 純粋に、医学を習得するために

集まった塾生たちにとっては迷惑だけでしかない。

しかも、シーボルトの私塾という事で、

シーボルトにも、疑惑の目が向けられている。

ミゼリコルディアの病院で

静養していた千歳が急死したとの訃報を受けたのは

それから2ヶ月後の事だ。

患者の中に、隠れキリシタンがいてお縄になった時、

その場に居合わせた千歳たちも容疑をかけられ、

お縄になりそうになったという。

寸前のところで、疑いは晴れたが、

その時、軟禁されたことによる心労がたたり、千歳は衰弱した。

滝は看護助手となり、患者の世話をしながら、姉の最期を看取った。

「とにかく、おそろしかった。

何の前触れもなく、患者らが捕らえられて、

私たちは病室に軟禁されたの。

食事は、1日1回、ご飯とお味噌汁だけで、

厠へ行く時も監視されて気が狂いそうだった。

姉さんは心労が重なり、

しまいには、体調をくずしてそのまま死んでしまった。

せっかく、手術が成功したのに‥‥ 。 くやしい」

 滝が、慶賀の家にやって来ると涙ながらに語った。

 滝は思ったより元気そうだ。

むしろ、「引田屋」にいる時よりも、はつらつとしている。

「大変だったな。千歳の事はまことに残念だった。

どうやら、その病院は、目付に目をつけられているみたいだな」

 慶賀は、隠れキリシタンが処刑されたという

悲惨な話を耳にする度、同じ人間同士なのに、

宗教が異なるというだけで、

どうして、そんな残酷な事が行えるのかと憤った。

出島で、キリスト教の信者である

商館員と接しているが、特に、脅威は感じない。

彼らは毎朝、欠かさず、礼拝を行う。

むしろ、日本人よりも、信仰心が強い気がする。


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