第10話 純愛

文字数 2,056文字

「慶賀さん。たくさん食べてね」

 糸萩が笑顔で言った。

 慶賀は、糸萩は機嫌が良いし、

おむすびやお新香もとてもおいしいし、言う事なしだと思った。

「おまえさん、新入りかい? 」
 
 慶賀が、新入り遊女に話しかけた。

「はい。千歳と申します」

 新入りの遊女が遠慮気に、自己紹介した。

「出島は慣れたかい? 」

 慶賀が訊ねた。

「はあ」

 千歳が小声で答えた。

 口数の少ない遊女だと慶賀は思った。

遊女と言えば、我が強くて

おしゃべりなものだと思っていたため

千歳が、慶賀の目には新鮮に映った。

特に、唐人屋敷や出島出入りの遊女は、

他の遊女と比べると、気が強くておしゃべりだ。

一方、千歳は、家柄の良さがにじみ出ていた。

「慶賀さん。

千歳は、そこらへんの遊女とは育ちが違うから

出島に出されたのよ。オランダさん相手なら、上手くやるのではないかってね」

 糸萩が、麦茶を茶碗に注ぐと言った。

糸萩の話では、千歳は今まで何度も脱走をしていて、

かたくなに、遊客の相手をすることを拒んでいるという。

先日は、とうとう、遊客を怒らせて帰してしまったらしい。

「オランダさんは、あたいたちを

いっぱしのおなごと同じに扱ってくれるからね」

 藤野という名のもうひとりの遊女が言った。

出島入りした遊女たちは、

商館員たちが優しい事にまず驚くらしい。

それというのも、オランダ人は

こどものころから、女性を大切に扱うようしつけられているという。

「千歳。遊技場にお行き。ご指名だよ」
 
 糸萩が、千歳の背中を軽くたたくとはっぱをかけた。

千歳は重い腰を上げると、浮かない表情で部屋を出て行った。

「あの暗さ、どうにかならないかね‥‥ 」
 
 藤野が、千歳の姿が見えなくなると言った。

慶賀は、昼飯を急いで食べると千歳を追いかけた。

何気なく、遊技場の中をのぞくと、

遊技場では、数人の商館員たちがビリヤードをしていた。

千歳は、そのうちのひとりに肩を抱かれたり、

顔を寄せられたりされる度、顔をそむけて腰を引かせていた。

慶賀は、遊技場に入るとゲームに加わった。

オランダ通詞の中にも、プロ級の腕を持つ者もいるが慶賀もなかなかの腕前だ。

「俺が勝ったら、そのレディーを少し、お貸し願いたい」
 
 慶賀は何を思ったか、千歳と一緒にいた商館員たちに対決を挑んだ。

3対1のワンゲームだ。

先行は商館員。3人とも、初心者らしく外してくれた。

慶賀は簡単に勝負に勝って、上手いこと、千歳を救い出した。

それから、勢いに任せで、千歳を菜園に連れ出した。

菜園では、野菜の栽培がされている。

「どうして、あんな事をしたんですか? 」

 千歳は、収穫したナスを駕籠に入れると訊ねた。

「暇つぶしさ。あんたもつまらなそうだったろ」

 慶賀は、千歳にナスを手渡すと照れ隠しに言った。

「私、そろそろ戻らないと‥‥ 」

 突然、千歳が立ち上がった。

「もう少しここにいるといいよ」

 慶賀はとっさに、千歳の腕をつかんだ。

 千歳が驚いた顔で、慶賀を見つめた。

その時、慶賀は、千歳はよく見ると、美人だと思った。

おまけに、手足もうなじもまるで、白魚のように真っ白だ。

なぜ、千歳みたいな娘が、遊女なのかと不思議に思った。

何も言わなければ、町娘か、武家の娘かと思われるだろう。

千歳はまだ、何も描かれていない真っ白な紙のようだ。

慶賀は、自分以外の誰にも、千歳に色をつけさせたくないと急に思った。

女性を絵に描きたいと思ったことは久しくなかった。

千歳も、慶賀に関心を持ったらしく、何度か会う内に、どちらからともなく、

身の上話をするようになり、徐々に、2人の距離は縮まっていった。

千歳はもとは、樺島町の町医者の娘だったが、

町医師の父がお縄になり、家がお取りつぶしになったため、

親戚中たらい回しにされたあげく、丸山の引田屋に身売りされたという。

下の妹や弟を養うための苦渋の決断ではあったが、

いざとなると、からだが拒絶してしまうらしい、

慶賀は、千歳の遊客になる事を一大決心した。

慶賀と一夜を過ごす時だけ、千歳は、町医者の娘に戻ることが出来た。

慶賀はしばらくの間、

千歳のからだには手を触れず、千歳を被写体に美人画を描いた。

千歳は次第に、慶賀を兄と慕い信頼を寄せるようになった。

慶賀も、千歳を遊女ではなく、ひとりの女として接した。

ところが、2人の純愛は長くは続かなかった。

慶賀が謹慎が解かれて、通常の生活に戻った途端に忙しくなり、

千歳に会う暇が日ごとになくなったからだ。

その間に、千歳がなんと、他の遊客の子を身ごもってしまったのだ。

千歳は、慶賀に打ち明ける事が出来ず、ひとりで苦しみ悩んだようだ。

「千歳。大丈夫か」

 やっとのことで、時間を作り慶賀が駆けつけた時には、

千歳はすでに、初子を堕ろした後で、心身共に衰弱していた。

「慶賀さん。どうして、今の今まで、会いに来てくれなかったの? 」

 千歳が、慶賀にやつあたりをした。

しまいには、こどものように大泣きした。

慶賀は、千歳を抱き寄せると布団の上に横になった。

千歳の安心しきった寝顔を見た時、

慶賀は、千歳を愛おしく思う自分に気づいた。


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