第11話 手帳が来る

文字数 2,785文字

 厳冬の港には人っ子一人いなかった。
 僕たちは漁船から降りると、夕方にまた迎えに来ますと告げた船長にお礼を言って島の内部に踏み入った。女性は今月の今日までしかここには入れない。不思議な感覚だった。

 聖域とはいえ、見た目は寂れた島だ。参道脇には瓦屋根の一軒家がぽつぽつと点在していた。この大海の孤島のような島で生活する人がいる。コンビニもない。スーパーもない。自動販売機すらない。僕には現実感がわかない。こんな場所ではとても暮らせないと思うばかりだ。

 黙々と先頭を歩いていく篠田さんのすぐ後ろに佐野先輩。姉と奈緒がその後ろを歩いていく。
 どこにでもあるような普通の道だ。きちんと舗装されているし参道でもあるから、清掃も行き届いていた。ただ勿論細い道で、僕たちは隊列を組んで歩く歩兵のようだった。
 なにやら得体のしれないものに向かって行進していく末端の兵士。向かう先に何があるのかは、まるで知らされていない。

 篠田さんは少しは知っているようだが、僕たちに予備知識を与えてくれなかった。元歴史教師だと言っていたので、この島に伝わる伝説に興味を持つのは当然とも言えた。

 それでいくと、編集者の姉にとってもこの島は興味深いものだろう。ネタが増えたと内心ホクホクしているのかもしれない。ただこの島の伝説は、弱小出版社の情報誌にはそぐわないと僕は思う。

「もうすぐですよ」
 先頭を歩いている篠田さんがよく通る声で告げた。
 篠田さんは七十歳を超えてる筈だ。しかし歳を感じさせない脚力だった。とにかく歩くのが速い。こっちの息が上がる。

 その、もうすぐの手前に最後の難関が待ち構えていた。僕はそれを見上げて、あんぐりと口を開けてしまう。石段だ。

「五百段以上ありますから。気を付けて」
 島は切り立った小山のような形をしていた。頂点に神社があり、急勾配の斜面に深々と樹々が茂っている。
 森を貫くように石段があり、海に近づくにつれて斜面が緩やかになっていた。この島に砂浜はない。海岸線は全て岩礁だ。

 最初の五十段あたりで、僕はもう弱音をはきそうになった。石段は自然石を積んで作られているので不揃いなのだ。揃った階段と違い、登るためのリズムが取れない。

 ふうふう言いながらようやく最後の段を登りきると、目の前に朱塗りの鳥居がぬっと現れた。小さな鳥居だった。奥にある拝殿もさして大きくはないが、庭は綺麗に掃き清められていた。
 篠田さんが到着の時間を知らせていたのだろう。拝殿の前には一人の老人が立っていた。

「こんにちは」
 そう言って篠田さんが近づいていく。
 普通の作業着を着た老人だ。しかしその風貌には威厳がある。僕はすぐ、この神社の神主だと直感した。

「ようこそおいで下さいました」
 老人の丁寧な挨拶に、僕たちも応えて頭を下げる。
 神社のまわりには大きな杉の木が凛と聳え立っていた。幹の太さが、この神社の長い歴史を物語っている。

「神主の崎谷(さきや)と申します。早速ですがご案内いたしましょう」
 そう言うと、崎谷さんは拝殿に振り返った。

「この神社は隠神島(おんのかみしま)と申します。隠れた神様の島という字をあてていますが、元々は怨みという字をあてた怨神島(おんのかみしま)です。人間の呪詛を叶える神社です」

 崎谷さんはいきなり本題に入った。僕は拝殿を前にして、はたしてここでお参りをしていいものかと躊躇する。

「戦争の時には、たくさん参拝者がいたそうですよ」
 崎谷さんは軽い冗談のように怖いことを言うと、拝殿の階段を上って中に入った。僕らもぞろぞろと後に続く。

「以前、篠田さんにはご覧にいれましたが」
 前置きをした崎谷さんが、用意していた巻物を拝殿の床に置いた。
 神社の拝殿なので暖房などはついていない。冷たい板の間に並んで座った僕たちの前に、虫に喰われた巻物が広げられた。

 筆書(ふでがき)でなにやら書かれているが、僕にはまるで読み取れない。巻物を全て広げると崎谷さんが説明をしてくれた。

「ここには呪詛の記録が綴られています。大半の人達は呪詛の内容など話しませんが、歴代の神主に相談した人もいました。これはその記録です。今時だとカウンセリングみたいなものですね」

 知識や経験の豊富な人に相談したい気持ちは僕にも理解できた。
 今だったらネットでいくらでも検索できるけど、昔だとそうはいかないし、神主は秘密を守ってくれる知識人という位置づけだったのだろう。

 その時、佐野先輩があの手帳を取り出して床に置いた。ぎょっとした僕の視線の先で、手帳は崎谷さんの膝元に押しやられる。

「崎谷さん。私たちがここに伺った理由がこの手帳です。この中には人の業のようなものが沢山書かれています。しかもいつのまにか書き足されていくんです。誰の物かも分かりません。まるで意思があるかのように自由に動き回ります。最初は角田さんが買ったこの神社の箪笥から出てきて、最後は篠田さんから私のところにやってきました。ここの神社と何か関わりがあるのではと持参させて頂きました」

「話は篠田さんにあらかた聞いています」
 佐野先輩の言葉に応じた崎谷さんは、手に取った手帳の内表紙を見た。次に、ぱらぱらとページをくり、さらっと中身に目を通す。

「1996年の手帳ですね」
 崎谷さんも手帳の年号に気づいたらしい。
「今年は2014年なので、18年分の記録ということですか」
 18年。あらためて聞くと、ちょっと長いなと僕は思う。

「これと同じものがここにはたくさんあります。この巻物は手帳のご先祖様ということになりますね」

 ご先祖様? 同じものがたくさん?
 崎谷さんの言った言葉を、僕はまるで飲み込めなかった。
 横目で姉を見ると絶句して顔を強張らせている。隣に座った奈緒も同じような反応だし、佐野先輩も驚いて言葉を失っていた。さらにあの篠田さんまでが大きく目を見開いている。どうやら初耳だったらしいと僕は気づいた。

「誰かがここに持ち込んだってことですか?」
 佐野先輩がようやく口をひらいた。しかし崎谷さんは首を横に振る。

「違います。手帳が勝手にこの神社にきたんです。こんな山の上の神社ですから参拝者がいれば誰かが目にしますし、石段の上からも丸見えです。それにこの島では必ず船着き場に船をつける。誰かがやって来れば必ず分かるんです。なのに船が寄り付けないような嵐の日に、拝殿の中に手帳が置かれるんですよ。昔は和紙を綴じ合わせたものに筆で書かれていました。沢山ありますよ。見ますか?」

 断る理由などない。全員が頷いたところで崎谷さんは立ち上がり、拝殿の奥に向かった。

 僕は正面に祀られた綺麗な鏡に目を留める。
 冬の弱い日差しを受けてそれは何も映していないように見えた。現代の鏡とは違う。こんな丸い鏡を他の神社でも見かけたなと思いながら、僕はご神体を見つめていた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み