第8話 神域の島

文字数 2,583文字

 その老人は、自分のことを篠田(しのだ)と名乗った。

 僕と姉と篠田さんは、以前僕が行ったことのある小さなバーに入った。
 そこは古いビルの三階にある穴場的な場所。
 古いマンションのエレベーターを出ると、目の前にバーの入口。薄暗い店内には一枚板の重厚なカウンター。五人も座れば埋まってしまうようなカウンターだ。
 背後にはテーブル席が三つ。最奥にはVIPルームのような個室があるようだが、ほとんど一人で来る僕は入ったことがない。

 カウンターの目の前には、天井まである大きな棚に様々な洋酒の瓶が並べられている。中段より上には古いレコードがぎゅうぎゅう詰めに押し込まれ、客のリクエストに応じて店内に流されていた。

 店の名前は古い洋楽のタイトルからとったと聞いた。白人も黒人も差別なく、お互いに尊重しあって生きていこう。そんなメッセージを含んだ曲だったような気がする。

 カウンター席は全て空いていた。 篠田さんの左隣に僕が、右隣に姉が座る。目の前にレコードをかけるための小さなブースがあり、ちょうど店のマスターが一枚のレコードに針を落としたところだった。
  珍しく邦楽だ。透明感のある女性ボーカリストの声が、薄暗い店内に染み込んでいく。

 口火を切ったのは、もちろん姉だった。
「角田(つのだ)と申します。中央区の出版社で編集をしながらコラムを書いています」
 姉はそう言って名刺を差し出した。応じた篠田さんも骨董店の名刺を取り出す。姉に手渡すと今度は僕に顔を向けた。

「弟です。角田紘一と言います。西区の総合商社で経理をしています」
 僕が会社の名刺を差し出すと、篠田さんは微笑んで名刺交換してくれた。

「突然、お引止めして申し訳ありませんでした。あなた達の会話が耳に入った時に、おかしなことをいうものだなと、つい見てしまって」

 それはそうだろう。僕は醜態をさらしてしまったことを後悔し、恥ずかしくなって俯いた。

「それであなたを見て、以前うちの店に来て下さったお客様と気づいたんです」
「すごい記憶力ですね」
 驚いた姉の声に、篠田さんは笑みを増す。

「私は昔、教師をしてましてね。人の顔を覚えるのは得意だと思います。それに客の少ない店ですからね。お客様の顔はよく覚えていますよ」

 ああ、やはりと僕は思った。老人の第一印象は当たっていたのだ。教師。それも文系だろう。理系って感じじゃない。そんなことを思いながら、僕は姉と篠田さんの会話を見守ることにした。

「あなたが、あの古い箪笥の問い合わせをされた時、私は出所は分からないと言いましたよね」
「はい。そう聞きました」
「申し訳ありません。あれは嘘なんです」
「え?」

 驚いた顔で、姉が篠田さんの顔をまじまじと見つめた。

「ああいった古道具は、いわくつきの物も混ざってましてね」
 篠田さんの種明かしに、姉の顔が硬く変わる。

「いわゆる事故物件から出たもの。差し押さえ物件から出たもの。家族の遺品を処分したもの。借金返済で手放したもの。なので、問い合わせが来ても出所は分からないといつも答えているんです」
「……」
「安心して下さい。少なくともあの箪笥は、ちゃんとした所の物です」
 姉の顔があまりに強張っていたからだろう。困ったような顔で篠田さんは付け加えた。

「どこから出たものなんですか?」
「神社です」
「神社?」
「はい。東区の沖合にある島の神社です。由緒正しい神社ですが、かなり古くなってましてね。改修工事の時に出た品です。本来なら処分するところでしょうが、大掛かりな工事になってしまったので、少しでも資金が欲しかったのでしょう」

 小さな箪笥だが作りもよく金具もしっかりしている。ヒノキに黒光りする塗料が塗られ、全ての引き出しは二重底だったと僕は姉に聞かされていた。確か、20万円はしたと聞いた。

 長年、出版社で働いているとはいえ、庶民の僕らにしてみたら20万は大金だ。そんな大枚をはたいて買ったものの中に、あんな手帳が入っていたなんて。姉にしてみれば、とんだ災難だろう。

「あの島の神社は、少し変わってましてね」

 その後の篠田さんの話は、僕たちにはとても奇妙なものに感じられた。

「島が、女人禁制なんです」
「え?」
「祀られている神様が女性なんですよ。なので女性が島に入ると嫉妬されて呪われると言い伝えられている。島の住人は神社に携わる人ばかりで、全て男性です。定期便もありませんし、生活に必要なものは漁船で運び入れてます。まさに孤島なんです」
「……」

 姉の顔が見るからに不機嫌になった。今時そんな女性蔑視が通用していいのか。時代錯誤にもほどがある。僕には、姉の感情が手に取るように分かった。篠田さんは困ったような顔で言葉を付け足した。

「ただ。ひとつだけ例外があります」
「例外?」
「二月だけ。毎年二月だけは、その島に女性も入れるんです」
「なぜ……」
「そこの神様が島を出て他所の大きな神社に詣でるらしいのですよ。神様がお留守になるので、その間だけは女性が入っても構わないのだそうです」

 なんだそれは。
 その奇怪な話は、現代に生きる僕には理解不能なことだった。
 神様が旅行する? 他所の神社に詣でる? 意味が分からない。
 しかし、姉の反応は違った。

「そういえば、奈良の大仏殿が作られた時に、宇佐神宮の神様が出向いて、自分の神社を留守にしたと聞いたことがあります」

 姉の言葉は、地域の言い伝えを元にコラムを書いている記者らしいものだった。篠田さんも嬉しそうに頷いている。

 僕は、あの手帳をはじめて見た時、これをパクって小説でも書いたら? と姉に言ったような気がする。姉はなんと返しただろうか。それって盗作じゃんと一喝されたような?

「二月ですか」

 姉のつぶやきに、篠田さんが小声で応じた。

「ご興味があるようでしたら連絡下さい。海が荒れて船が出せない日も多いですけど。箪笥のことは島の宮司さんが詳しいので、あなたの不安も減るでしょう。それと」

 そこまで言うと、篠田さんは姉に質問をした。

「手帳に喰われるって、どういうことですか?」

 それは僕が口走ってしまったことだった。篠田さんが僕らに興味をもった切っ掛けだ。

 その後の僕らは、手帳にまつわる不可解な出来事を語る羽目になった。
 まるでオカルトとしか言いようのない、奇妙な事象の数々を。

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