第14話

文字数 3,343文字

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 昼食にはまだ早い。天気がよければ散歩でもしたいが、梅雨入りしたような天気はそんな気分にさせない。しかたがないので事務所に戻ることにした。
 どこかのテナントが出したダンボール箱が通路の半分を占拠している階段を上がって二階に着いた。廊下の電球が消えかかっている。
いまどき白熱電球でもないだろうと思いながら、事務所のドアの前まできたとき、背中がザワザワとした。
 連中のだれかがなかにいることはわかった。吉とでるか凶と出るか、凶はいわずと知れたクレープだ。
 ソファーにワッフルが座っていた。手には、普段は使わないでしまってあるとっておきのコーヒーカップを持っていた。吉だった。
「いま出勤?」
「まさか。いま人と会ってきた」
 寺田幸子に会う前に事務所に寄ってすぐに出たが、そのとき事務所の鍵をかけ忘れたのか、と一瞬思ったが、どっちにしろこの連中には関係なかった。
「今日はどうしたんだ?」
「あれからどうなったかと思ってね」
 今日のワッフルはワインレッドのパンツスーツで決めていた。
「例の失踪の件だな」
「そうよ。話をする前にコーヒーでも飲んだら。勝手に淹れさせてもらったわよ」
「そうさせてもらうよ」
 私は自分用のマグカップになみなみとコーヒーを注ぎ、マグカップを持って用心しながらデスクに移動した。
「それで?」
 ワッフルが足を組み替えた。しかし、なんでこんな美形が死神なんだ。お上はなにを考えているのか。
「なに?」
「いや、そのなんだ、ようするにだ、中学と高校で同級生だった多田美保の親友が最近自死していて、彼女はそのことについて調べている、とこの前話したと思うが、その線でいま調査をしている」
「親友の名前は?」
「山田紀子」
「亡くなったのはいつ?」
「今年の三月十一日」
「自死したわけは?」
「それはわからない。ただ、考えられるのはストーカー被害だ。どうやらストーカーに怯えていたようだ。相手はいまのところわかっていない」
「それはいつごろなの?」
「二月の中旬ごろらしい」
「多田美保が調べていたのは親友の死亡原因なんでしょう?」
「そうだ。彼女は親友の自死がストーカーによるものだと見当をつけている」
「あなたもそうなんでしょう?」
「まあ、そうだ。多田美保は探偵顔負けの行動力だ」
「だけど多田美保はなぜそこまで親友の死にこだわるの?」
「もっともな疑問だ。私も最初はそう思った。でも、彼女のことを調べていくうちに、彼女の性格ならさもありなんと思えるようになった」
「たしか、正義感が強くて、思い込みが激しくて、媚びなくて、きまじめで、潔癖だが寛容で、行動力があって少し頑固。そうよね」
「そうだ。よく覚えているな」
「記憶力はいいの」
「それだけではないと思う。多田美保を突き動かしているのは、山田紀子への贖罪の気持ちじゃないかと思っている」
「どういうこと?」
「これは私の推測だが、多田美保は山田紀子からなんらかのサインを受け取っていたが仕事が忙しくて応えられなかったのでは、と思っている」
「ストーカーの相談に乗ってほしいというサインね?」
「そうだと思う」
「ふーん、なるほどね。それで調査のほうはどうなの?」
「山田紀子の背中を多田美保が追いかけ、多田美保の背中を私が追いかけている。私が話を聞いたのは、多田美保の同僚、松木優香。多田美保と山田紀子の高校の同級生、鈴木友美。山田紀子の恋人、竹内勇人。山田紀子の同僚、真鍋明日香。山田紀子の元カレ、阿部弘治。そして多田美保と山田紀子の中学の同級生、寺田幸子。この寺田幸子だが、おもしろい話が聞けた。寺田幸子と山田紀子は二月の最後の土曜日に会って話をしている。ストーカーの相談だ。そのとき、山田紀子はストーカーの相手はもしかしたら木島博之かも知れないといったというんだ。この木島博之というのは中学で一緒だった不良だ。なんでも、小岩の駅前で偶然会って声をかけられたそうだ」
「それはいつ?」
「二月のはじめごろらしい」
「多田美保もそのことは知ったんでしょう?」
「ああ。四月に入ってすぐの土曜日に彼女は寺田幸子と会って木島博之のことを聞いている。木島博之を入れたこの四人は中学で同じクラスだから当然多田美保は木島博之のことは知っている。それともうひとつ。寺田幸子からの情報だが、木島博之には姉がいる。この姉は小岩でクラブをやっているらしい」
「ちょっと待って。小岩でクラブ?」
「ああ、そうだ」
「そのクラブの名前はトシミっていわない?」
「え? なんで知っているんだ?」
「やはりそうなのね」
「どういうことだ?」
「実は、その話をしに寄ったのよ。二時間ほど前だけど、小岩の駅前からあとをつけられたのよ。相手は若い男。二十代前半ね。中途半端な不良少年という感じね」
「知っている男か?」
「知らない男」
「それで?」
「途中でまいてやったわ。それで逆にあとをつけたのよ。そいつはどこに行ったと思う?」
「クラブトシミ」
「ビンゴ」
「その店はどこにあるんだ?」
「小岩駅の南口を出てすぐの雑居ビルの四階」
「従業員かな。でも時間が早いから違うか。客ってこともないしな」
「裏口から入って行ったからいずれにしても関係者ね」
「そのあとそいつは?」
「そこはすぐに出て十五分以上歩いて自動車整備工場の裏口に入って行った」
「そこで働いているのか?」
「そんな感じではなかったわね。小さな工場なんだけど、稼働しているようにはみえなかった」
「というと?」
「入口にシャッターが下りていたし、なかは暗かったしね。どうも廃業しているような感じだった」
「そのあとは?」
「いつまでも付き合っていられないから引き上げたわ……ねえ、多田美保と山田紀子は木島博之の姉のことは聞いているんでしょう?」
「ああ、寺田幸子から聞いている」
「私をつけた男と出会ったのは駅を出たときなんだけど、そのとき私をみてものすごく驚いた顔をしたのよ」
「そのあとあんたをつけた」
「そう。多田美保は私に似ているんでしょう。ということよ。わかった?」
 ワッフルは、空になったコーヒーカップをソファーの前の小さなテーブルの上に置き、意味ありげに笑った。
「あなたも私と同じ考えなんでしょう?」
「ああ」
「じゃあすでに全体の構図がみえているんじゃない」
「残念だが」
「それで、次はどう動くの?」
「そうだな……そのクラブをさぐってみるか」
「ひとつ約束してくれない」
「なんだ?」
「いざというときにはひとりで動かないで必ず私に連絡して。手伝うから。いい? わかった?」
「ああ、わかった」
「約束よ」
 ワッフルの約束を反故にするほど愚かではないし、その勇気もない。
 私がうなずいたのをみたワッフルは、颯爽と事務所を出て行った。いつものようにさわやかな果実のような香りが残っていた。
 遅めの昼食を近くのラーメン店ですませ、事務所に戻って時間をつぶした。
 とりあえずクラブをみておこうと思い、開店するにはだいぶ早いが事務所を出た。

 クラブはすぐにわかった。ワッフルがいったように雑居ビルの四階にあった。四階建ての古いビルの一階は消費者金融の会社で、二階と三階はガールズバーとパブが入っていた。
 エレベーターで四階に行った。クラブがワンフロアを占めていた。店の看板も廊下も暗く、人けがなかった。
 エレベーターが動く音がした。エレベーターが四階で止まり、ドアが開いた。若い男が出てきた。中途半端な不良少年とワッフルがいった。この男かも知れない。私がいるのでギョッとした顔をした。
「なに?」
 男がいった。警戒している声だった。
「なんでもありません。何時から開くのかなと思って」
 笑い顔をみせながらそういった。
「八時だよ。夜の八時」
「そうですよね。出直します」
 男の視線を背中に感じながら、慌てる素振りをみせずにエレベーターに乗った。冷や汗ものだった。
まわりは飲食店ばかりで身を隠すコンビニはなかった。せめて喫茶店があればいいのだが、それもなかった。唯一あるのはビルの入口がみえる位置にある電柱だった。
 電柱に寄りかかって三十分ほどいた。途中携帯を取り出して電話をかけているふりもした。三十分は長かった。四階で会った若い男は出てこなかった。ビルに入って行く者もいなかった。出直すことにした。
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