第5話

文字数 3,225文字

       5

 ゆるやかな坂道を歩くこと八分。多田美保の両親の自宅に着いた。
「海と小田原城は駅の反対側です」
 多田美保の両親の家に向かう道すがら、宇津木三郎はそう説明した。
 挨拶もそこそこにリビングに通された。中央に革張りのコーナーソファーがあり、座った正面にテレビと、ソファーを背にしてピアノがあった。ピアノの上に葉書サイズの写真立てが複数あった。写っている幼い少女は、満面の笑みもあり、はにかんだような笑顔もあった。
 コーナーソファーの端に私が座り、私と父親の間に宇津木が座った。私が父親に名刺を渡し、あたり障りのない天気の話を振ったとき、母親が客用の湯呑みと普段使いの湯呑み持って戻り、テーブルの上に置いた。
「昼食がまだでしたら出前をお取りしますけど」
 母親が聞いた。
「すませてきました。お気遣いなく」
 私がそう答えた。
「僕もすませてきました」
 宇津木も倣った。
「そうですか」
 そういうと母親は父親の横に座った。
「きのうの三郎君の電話で、あなたに美保の調査を依頼したことを聞きました」
 私の名刺をみながら六十代前半の父親がそういった。横の五十代後半の母親がうなずいた。ふたりとも眼の下にクマが出ていた。
「たしかに宇津木さんから調査の依頼を受けました。ただ、それにはおふたりの承諾が絶対条件になります。もし必要がないということであれば、私は即座に手を引きます。どうです? 承諾していただけますか?」
 父親と母親が同時にうなずき、よろしくお願いしますといった。
私はそれを聞いて手帳を広げた。
「では、いくつか質問させていただきます。おつらいでしょうがご協力ください。なお、どんな些細なことでもヒントになることがあります。ありのままをお答えください」
 両親が同時に頭を下げた。
「行方がわからなくなってから、お嬢さんから連絡などはありますか?」
「ありません」
 父親が答えた。
「行方がわからなくなったことについて、なにか心あたりはありますか?」
「ありません」
 両親が同時にそう答えた。
「わかりました。それでは事実確認です。お嬢さんは食品メーカーにお勤めですね?」
「そうです」
 父親が答えた。
「所属は経理部ですね?」
「そうです」
「四月十三日に会社から無断欠勤の連絡があって、そこではじめて知ったんですね?」
「そうです。そのときに四月十一日から無断欠勤していることを知りました」
「次の日にお嬢さんのマンションにおふたりで様子をみにいらっしゃったんですね?」
「そうです。管理人に鍵を開けてもらって部屋に入りました」
「部屋の様子はどうでした?」
「実は、最悪のことを考えていました」
「つまり、なかで亡くなっている……」
「そうです。でも幸いにそんなことはありませんでした」
「荒らされた形跡はどうです?」
「それもありませんでした。なあ?」
 父親が母親に同意を求めた。母親は、はいといってうなずいた。
「なくなっているものなどはどうです?」
「はっきりとはわかりませんが、財布やマンションの鍵はなかったです」
「スマートフォンも?」
「そうです。それもありませんでした」
「そのあと、宇津木さんに連絡を取ったんですね」
「はい」
「行方不明者届ですが、おふたりと宇津木さんで四月十七日に小岩署に提出されたとか?」
「そうです。三郎君が付き添ってくれました」
「それから警察から連絡はありますか?」
「ないです」
「最近不審な電話など、ありませんでしたか?」
「不審な電話ですか?……特にないですね」
「行方がわからなくなる前も?」
「はい……ないですね」
「なんらかのトラブルを抱えていたとお聞きになったことはありますか?」
「トラブルですか?……いや、ないですね。お前はどうだ?」
 父親が母親に聞いた。母親はかぶりを振った。
「最近ではなく、たとえば、半年前とか、あるいは一年前ではどうです?」
「いや、聞いたことはありません」
「会社でのトラブルも?」
「ないですね。もっとも、娘は仕事のことはあまり話しませんのでよくわかりません」
「なるほど。では、おふたりとのトラブルは? 深刻という意味です。お気に障ったのであれば謝ります」
「大丈夫です。それもありません」
「失礼しました。質問を変えます。お嬢さんと最近お会いになったのはいつです?」
「今年のお正月です。大晦日にきて、二日には帰って行きました」
 母親が答えた。
「慌ただしいですね」
「四日から仕事はじめだとかで」
「なるほど。こちらにいたときの様子はどうでした?」
「変わった様子はなかったですね。いつもどおりでした。ねえ?」
 母親が父親に同意を求めた。父親は、うんといってうなずいた。
「そのときに、相談ごととか悩みごとなどを話しませんでした?」
「いいえ、いつもどおりでした。一緒にテレビをみたり、料理を作ったりして……」
 母親が声を詰まらせた。父親が下を向いている。宇津木三郎も泣きそうな顔をしている。
「すみません」
 母親が消え入りそうな声で謝った。
「お正月から四月十一日までの間で、連絡を取ったことはありますか? たとえば電話とか、メールとか」
「はい。あります。電話をしました」
 母親が答えた。
「ほう。電話ですか?」
「はい」
「それはいつです?」
「たしか……三月の二十日すぎの土曜日でした。夏にこっちにこられるか聞きました。帰れそうだといいました……それがあの娘と最後の会話に……」
 母親が声を殺して泣いた。父親が、縁起でもないことをいうな、と叱った。
「ごめんなさい」
 母親が謝った。
「大丈夫ですよ。彼女は必ず帰ってきます」
 宇津木三郎が自分にいい聞かせるようにいった。父親が力強くうなずいた。
「その電話のとき、なにか気がついたことはなかったですか?」
「気がついたことですか?……」
 母親が首を傾げた。
「特には……」
 そのとき、父親が、ああ、と声を出した。なにかを思い出したようだ。
「ほら、友達が亡くなったとか、お前があとで話してくれただろう」
「……ああ、あのこと」
「詳しく教えてください」
「少し元気がないようでしたので、わけを聞いたんです。そうしたら、友達が亡くなったことでショックを受けているんだと、そう話してくれました」
「その友達とは?」
「中学と高校で同級だった山田紀子さんです」
「親友だった?」
「そうですね。うちにも何回か遊びにきました。小岩の家ですけど」
「同級生ということはまだ若いですよね。病死ですかね?」
「それが……」
「なんです?」
「あの娘がいうには、みずから命を絶ったらしいんです」
「ほう」
「それで、なぜ亡くなったのか、そのわけを調べているんだと、そんなことを話していました」
「僕に話したのはそのことですね」
 宇津木三郎は痴話喧嘩のもとになった原因がわかったようだ。
「三郎君にも話していたのかい?」
 父親が聞いた。
「はい。友達のことで調べることがあると僕にいいました。でも詳しい内容はいいませんでした」
「お嬢さんはなかなか行動的なんですな」
「そうかも知れませんね」
 父親が答えた。
「では、最後にお聞きします。お嬢さんの同僚の松木優香さんをご存知ですか?」
「はい。知っています。以前、ここにも一度遊びにきたことがあります。彼女は心配してときどき連絡をくれます」
 母親が答えた。
 とりあえず聞きたいことは聞いた。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございました。大変参考になりました」
 そのあと、電話番号を聞いて手帳を閉じた。
「娘はみつかるんでしょうか?」
 父親の絞り出すような声がした。一瞬で場が凍りついた。宇津木三郎がなにかをいおうとした。
「最善を尽くします」
 宇津木三郎よりもさきに私が口を開いた。絶対みつけます、と安請け合いはできないし、ましてや気休めの言葉もいえない。中学生や高校生の家出とわけが違う。
「よろしくお願いします」
 父親が静かな声でそういうと、頭を下げた。母親が父親をみてほっとしたような表情をみせたあと、やはり頭を下げた。
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