第15話

文字数 4,152文字

       15

 午後八時にビルの入口がみえる電柱に寄りかかった。結局三回この電柱に寄りかかることになった。きのうの夕方が一回目。その日の夜が二回目。そして今日が三回目。きのうの二回はいわば事前調査で、三回目の今日がいよいよ本調査のつもりだった。
 日曜日の今日はスーツ姿が少なかった。人通りもまだ少ない。開店直後のクラブに乗り込むにはまだ少し早い気がした。
 いきなり肩を叩かれた。飛び上がった。振り向くと初老の男が立っていた。
 くたびれたスーツでノーネクタイの男は、私をまじまじとみていた。
「あのビルに用があるのかい?」
 小太り体型。額がだいぶ後退している。まばらな無精ひげ。男の特徴だ。
「きのうの夜もここにいてあのビルをみていたよね」
「さあ」
「きのうの夜は三十分もここにいたよね。なんの用なんだい?」
「答えなくてはいけませんか」
「あのビルの何階に用があるんだい?」
「それも答えなくてはいけませんか」
「みたところ、カタギの人のようだが」
「あなたもカタギにしかみえませんが」
「おもしろいことをいう。ひとつ忠告をしよう。あそこの四階には近づかないほうがいい」
「なぜですか?」
「あそこには怖いお兄さんたちがぞろぞろいるからな」
「そうなんですか。せっかくの忠告ですが、私には関係ない。では私はこれで」
 軽く頭を下げて男から離れた。駅に足を向けた。どうやら追ってくる気配はない。
 駅に着いてから引き返した。用心しながら歩いた。またあの男に会わないとも限らない。
 あの男が電柱に寄りかかっているのがみえた。例のビルの入口をみている。私は違うビルに身を隠しているのでみつかってはいないはずだ。
 男が動いた。電柱から離れ、駅とは反対側に歩きはじめた。追った。
 男は振り向きもせず、しばらく歩いて居酒屋に入った。五分待った。
 店内に入った。混んでいた。煙草の煙が充満していた。ゆっくりと見回した。男はすみのふたり掛けのテーブルで背を向け、ひとりでビールを飲んでいた。
 男の前に立った。男はゆっくりと顔を上げ、私をみた。それほど驚いた顔ではなかった。
「ここいいですか?」
 前の席に座った。
「嫌といってももう座っているじゃないか」
 男はそういうとニヤリと笑った。前歯が一本欠けていた。注文を聞きにきた店員に私も同じものをといった。
「つけてきたのか?」
「ええ」
「人が悪いな」
「あなたも私の行動をみていた」
「おあいこだな」
「そうですね」
「だけど、気がつかなかった。私も老いたな」
「刑事さんですね?」
「もと刑事だ。よくわかったな」
「においでわかりました」
「においか……眼つきといわれなくてよかったよ」
「本庁ですか?」
「ここの所轄だ」
「ソタイですか?」
「ああ、そうだ。質問が多いな」
「申し遅れました。私はこういう者です」
 名刺を出して渡した。
「ほう……探偵さんか」
「意外でしたか?」
「ああ」
「なににみえました?」
「あそこのホステスに入れ込んだストーカーだと思ったよ」
「ははは。それはひどい」
 生ビールのジョッキがきた。男は私の名刺を素早くスーツの胸ポケットにしまった。
「名前を教えてください」
「亀山だ。あいにくだが名刺はない。年金生活なんでね」
 ビールをひとくち飲んだ。亀山のつまみは枝豆だった。私は店員を呼び、枝豆を頼んだ。
「私からいろいろと聞き出すためにここにきたんだろう」
「そうです」
「まずはあんたの話を聞こうか」
 亀山が枝豆をひとつ口に入れた。
「多田美保という女性が失踪しました。今年の四月九日からです。失踪原因は不明です。彼女の年齢は二十八歳で会社員。小岩に住んでいます。彼女の親友で山田紀子という女性が自死しています。今年の三月十一日です。遺書はなく、なぜ死を選んだのか、そのわけはわかっていません。多田美保は山田紀子の死を調べています」
「ちょっと待ってくれ。あんたはなにを調べているんだ?」
「多田美保の失踪です」
「依頼人は?」
 枝豆がきた。話が中断した。店員がいなくなると亀山が話を続けた。
「差し支えなければ教えてくれ」
「婚約者です」
「自死した女性のほうは?」
「多田美保の失踪を調べている過程で知ったんです」
「わかった。多田美保はなんで山田紀子の死を調べているんだ?」
「推測ですが、山田紀子を助けられなかったことへの自責の念でしょうか」
「理解するには情報が足りないが、まあいい。それで?」
「山田紀子の死亡原因はわかっていませんが、ただひとつ考えられることがあります。ストーカー被害です。その相手はわかっていなかったんですが、最近ひとりの男が浮上してきました。木島博之という男です」
「なに?」
「ご存知ですか?」
「知ってる。名うてのワルだ」
「山田紀子は、二月のはじめごろ、小岩の駅前で偶然会って声をかけられたそうです。そのあと彼女はストーカーに怯えることになります。木島博之の名前は、彼女たちの共通の友人が山田紀子から聞いています。私もその友人から聞きました。さらに木島博之の姉がクラブをやっていることもその友人から聞きました」
「木島敏美。姉の名前だ」
「クラブの名前はそこから?」
「そうだ。しかし、その友人は木島に姉がいることをよく知っていたな」
「その友人は実家が中華料理店をやっていて、その店に木島が仲間を引き連れて食事にきたらしいです。そのとき、ほかの客に姉のクラブを宣伝していたのを偶然聞いたといってました」
「なるほど。それであんたは失踪と自死に、木島博之が関係していると睨んでいるんだな」
「そうです。多田美保も山田紀子も木島博之と姉のことは知っています。ですから嫌な予感がするんです。ただし確証はありません」
「それであそこを見張っていたのか?」
「そうです。きのうは下調べです。今日は直接クラブに乗り込むつもりでした」
「勢いに任せるのはいいがボラれるのがオチだ。やめとけ。それに行ってもそれほど参考にはならん」
「わかりました」
 亀山がビールをグビリと飲み、枝豆をひとつ口に入れた。
「次は私だな……木島博之は、暴行、傷害、恐喝などでマエがある。ひとことでいうと狂犬だ。いつも六人ほどの不良仲間がいて、ヤツはそのリーダー格だ。だが暴力団員ではない。その下でウロチョロするようなヤツだ。家族は姉だけだ。両親はすでに亡くなっている。父親が残した小岩の自動車整備工場に住んでいる」
「あ!」
「うん? どうした?」
「いや、なんでもないです。続けてください」
「自動車整備工場だが、父親が亡くなってからは廃業状態だ。いまではヤツらのたまり場となっている。ヤツの仕事はもっぱら取り立て屋だ。あのビルの一階に消費者金融の会社があっただろう?」
「ああ、ありましたね」
「あの会社は、指定暴力団、東南会の下部組織、鬼火組のフロント企業だ。クラブは組がやっている。そして木島敏美は組の若頭の愛人だ」
「なるほど」
「その敏美だが、負けん気が強く、姉御肌のところがあるらしい。不良仲間からは姉さんと呼ばれている。私はこの敏美が連中を操っているとみている。それから、木島博之と仲間はヤクの売人の疑いもある」
「よくわかりました。情報ありがとうございます。それで、亀山さんはなぜあそこを見張っていたんですか?」
「半年ほど前だが、むかし組んでいた男の行方がわからなくなった。男の名前は伊丹というんだが、親御さんが私のところに相談にきてわかった。親御さんは息子がなぜ失踪したのか、まったくわからないという。私はそれとなくむかし一緒だった同僚に聞いてみた。みんな首を捻っていた。だが、口さがない連中は、あいつは逃げたという。伊丹は三十半ばでまだ若いが使える男だった。野心家でもあった。暴走列車のように走り出すと止まらない男だった。でもギャンブル好きだった。借金もあったと思う。捜査で強引なところと合わせて監察に眼をつけられていたようだ。だが、私には彼が自分の意思で行方をくらませたとは思えなかった。なぜ私があそこを見張っていたかというと、同僚のひとりの言葉だった。そいつは伊丹が休日のとき、あのビルの近くや自動車整備工場の近くをうろついているのをみたそうだ。もちろん独断だ。これは私の想像だが、伊丹は、なにかとヤクがらみで噂のある木島博之を追っていたんじゃないかと思う」
「伊丹さんは熱血漢なんですね」
「よくいえばな」
「でもあなたは嫌いではない」
「まあな」
「あなたと伊丹さんは似た者同士じゃないんですか?」
「それはないなあ……まあ、いい。それでだ、これでお互いに情報を出した。そこで提案だ。これからはお互いに情報を共有しないか。隠しごとはなしだ。いいか?」
「ええ、いいですよ」
 私の携帯が鳴った。寺田幸子からの電話だった。亀山に断って店の外に出た。
「影浦さん、大変なことがわかりました」
 寺田幸子は興奮していた。
「どうしました?」
「紀子と美保のことを知っている友達全員にふたりのことをそれとなく聞いてみたんです。そうしたら、そのなかのひとりが美保をみたというんです。クラブがあるビルの前で。二、三人の若い男と一緒に自動車に乗るところを。でも、その子がいうには、なんだか乗せられているような感じだったんですって」
「それはいつ?」
「四月九日ですって」
「本当?」
「その日はその子の誕生日で彼氏と外出したんで間違いないそうです」
 それが本当なら多田美保からの連絡が途絶えた日だ。
「時間はわかる?」
「夕方らしいです」
「わかった。貴重な情報です。どうもありがとう」
 電話を切って店に戻った。
「どうした。深刻な顔をして」
 亀山が私の顔をジロジロとみた。
「いや、まあ……」
「隠しごとはなしだ。なにがあった?」
 亀山の顔は、取調室で事情聴取をしている刑事そのものだった。いわないわけにはいかなかった。私はいま聞いた内容を亀山に話した。
「おそらく、自動車整備工場に連れ込まれたな」
「やはりそう思いますか?」
「あんたもそう思うだろう?」
「ええ」
 亀山の顔は赤くなっていた。アルコールのせいだけではない。興奮している証拠だった。
「亀山さん」
「なんだ」
「電話番号を教えてください」
「わかった」
 亀山がいった番号を手帳に控えた。
「ビールもう一杯どうです? 私の奢りです」
 亀山がニヤリと笑った。
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