第20話

文字数 1,311文字

       20

 いつでもいいとはいったが、まさか今日の夜にくることになるとは思わなかった。宇津木三郎は、できるだけ早く行きます、といった。だがきたのは午後七時すぎだった。おかげで私はコーヒーで腹がくちくなる羽目になった。
 宇津木三郎はいくぶん緊張気味でソファーに座っていた。私はデスクの椅子に座ってぬるくなったコーヒーを飲んでいた。
 雨の音がしている。やんでいた雨がまた降ってきたようだ。
「憂鬱な雨だ」
「ええ」
「忙しそうだな」
「ええ、まあ」
「コーヒーはどうだ?」
「結構です」
 これで断られたのは何回目だろう、とそんなことを考えた。
「影浦さん、調査した内容を早く聞かせてください。事実をありのままに」
 急かされた。
「わかった」
 それから時間をかけて私が調査した内容を時系列にかなり詳しく話をした。多田美保が亡くなったくだりでは、宇津木三郎は眼を閉じて天を仰いだが、取り乱すことはなかった。
「彼女が連中から辱めを受けなかったことが、せめてもの救いです。おかしいでしょうか。こんなことをいうと」
「いや、それが君の偽らざる心境だろう」
 宇津木三郎は深くうなずいた。
「いろいろとありがとうございました。これで少しだけ胸のつかえが取れた気がします」
「それはよかった」
「ところで、信頼できる仲間ってどんな人たちなんです?」
 自動車整備工場でのバトルは、信頼できる仲間が手伝ったことにして、中身もかなりはしょった。
「君は知らなくていい」
 宇津木三郎は一瞬不満げな表情をみせた。
「あなたや信頼できる仲間のことは報道されていませんね」
「いろいろあってね」
「わかりました。そこはあまり詮索しないほうがいいということですね」
「そういうことだ」
「影浦さん」
 そういいながら宇津木三郎がソファーから立ち上がった。
「あなたにお礼をしなくては、といろいろと考えたんですが、思いつかなくて、結局これにしました」
 というと宇津木三郎は足元に置いてあった紙袋から木箱を取り出し、デスクの上に置いた。
「これは?」
「ウイスキーです」
 木箱に入っているということは、高級ウイスキーだろう。安ウイスキーで慣れている口に合うかどうか。
「ありがとう。遠慮なくいただくよ」
「では、そろそろ失礼します」
「ちょっと待ってくれ」
 多田美保からの伝言があった。
「つらいかも知れないが、君は前を向いて歩かなければいけない。そして幸せな家庭を築くんだ。それが彼女の想いだと思う」
 これでいいだろうか。私は心のなかで多田美保に問いかけた。
「……彼女は本当にそう想っているんでしょうか?」
「そう想っているさ」
 多田美保自身の言葉だから間違いない。
「ありがとうございます」
「彼女のことは忘れろとはいわないが、とにかく前を向いてほしい」
「そうですね……来月また出張なんです。いまは仕事しかありません。来週小田原に行きます」
「そうか。よろしく伝えてほしい。私も落ち着いたら一度行くよ」
「わかりました。では」
 宇津木三郎は一礼をして事務所を出ていった。
 寝酒はこのウイスキーをいただく。深酒になろうとも、悪酔いになることはないだろう。

                             了
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