第12話

文字数 5,717文字

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 SNSや動画サイトの日本法人に、首輪切断魔の位置情報を提供するよう、一ヶ月前から申し出ていたと、今朝、日本政府が発表した。
 これには、首輪切断魔だけではなく、一般人も含め、後出しじゃんけんではないかというコメントがSNSに多く投稿されていたが、一時間後にすべて削除されている。投稿数が多かったため時間を要した模様。
 政府の弁解によると、首輪切断魔たちを秘密裏に捕獲するのを目的にしていたということだが、一週間前に位置情報の取得が認められたあと、三十名近い首輪切断魔を捕獲し、飼い犬が襲われるのを未然に防いだ結果を以って、今回ようやく、公に発表するに至ったと記者会見で説明している様子が掲載されていた。
 首輪切断魔としての活動内容を投稿しているSNS及び動画サイトなどのアカウントの位置情報も取得可能と脅し文句を付け加え、直ちに削除するようにとのお達しまであった。過去に投稿していた者についてはアカウントの削除と出頭命令に従えば、罰則を受けたうえで、社会活動を認めるとされている。アカウントを維持し続ける者は監視対象となり、いつ捕獲されても反論は認められない。
 それから、風が止む唐突さで、SNSへ投稿しようなどと思う首輪切断魔はいなくなった。
 【かりそめ】や、女も、例外ではなく、アカウントが動画サイトから消えていた。ぼくだって、明日の我が身がどうなるかわからないのだ。せっかく築き上げてきた収入源を、自ら削除しなければならないなんて……女との思い出だって……迫られる二択をいつまでも決断できずにいる。スマホの電源を消したり、点けたりして、一時間も経過したとき、ようやく「はい」を選択し、アカウントを削除した。もう、これで、もうほんとうに、ぼくと女のつながりはなくなった。

 ……
 裁判所へ出頭したのち、首輪切断魔としての罪を認め、罰則金十万を支払えば、仮釈放扱いするとのことだった。もちろん、このあいだに、首輪切断魔としての活動を行おうものなら、首輪をすると脅し文句も言い渡される。公にされないことがせめてもの救いだった。
 なにごともなかったかのように、いつもの日常が戻ってくる。いまでは、首輪切断魔だった者たちの成れの果てが街なかの風景として違和感のないものになっていた。首輪をされた者たちは、皆一様に、虚ろな瞳をまっすぐ向け、歩かされているように、どこかへ向かっている。
 その横を通り過ぎていく人々のなかには、悪びれる様子もなく、スマホのシャッター音を鳴らし、写真を撮っている者さえいた。SNSを見てみれば、そういった写真がさらし首として多く投稿されている。
 休憩時間中に食堂でSNSを見ながら、スマホの画面をスクロールしていく。首輪切断魔かつショートヘアの女がそう何人もいるはずがない。希望的観測に従いながら視線は画面内をくまなく探しまわる。それにアカウントが削除されていることは確認しているのだ。いるはずがない。それなのに、いた。いや、後ろ姿だけ。だけど、見間違うはずのない、天使の輪を浮かべたボブヘアー。後ろ首に見える首輪。二本指を広げたり、狭めたりして、ズームアップとズームアウトを繰り返す。固定された一枚絵をどれだけ見たって、確たる証拠は発見されない。どうせ、別人だろう。仮にそうだとしても、なにかの手違いに違いないのだ。それに、不本意だが、優男だってついている。身代わりくらいの役目は果たしてくれるだろう。
 「先輩、なに見てるんですか?」
 隣の席に後輩の女性社員が座る。急いで、画面をスクロールして、別の画像に切り替える。後輩はぼくの同意も構わず、隣の席に座った。
 「だから、その先輩ってやめろよ。会社だぞ」
 「だって、先輩は先輩なんですから」
 いままでまともに声すらかけてこなかったのに、最近、やたらと目の前に現れる。首輪切断魔として活動していたおかげでそれなりに身体も鍛えられたし、男の魅力というやつが上がったのだろうか……
 「首輪切断魔っていただろ。捕まった連中って、首輪されてるの知ってるか」
 「ああ、見せしめですよね、あれって。いいざまじゃないですか。興味なかったんですけど、暇つぶしに動画、見てみたことあるんですけど、ただ犬の首輪を切断するだけの内容なんですよね。正直、サイコって感じでした」
 ぼくは聞くふりをしながら、うどんをすすり、できるだけ頷くような真似はしなかった。
 「ひとさまに迷惑かけて小銭稼ごうだなんて厚かましいと思いません。あたしたちなんか、会社で嫌な目にあっても、我慢までしてお金稼いでるっていうのにね」
 「案外、ひょいひょいやってるんだと思ってたけど」
 「表向きなだけですよ。笑顔で頷いときゃ、甘い顔するんですから」
 たくましいのか、ずる賢いのか、ぼくには到底、真似できる芸当ではなさそうだ。それは……あの女だって、そうかもしれない。
 「動画のコメント欄も読んだんですけど、自由だとか解放だとか、新手の? 宗教かなって思っちゃいました。なんか、首輪を切断するのが隠れたメッセージみたいで。そんなに言いたいことあったら、はっきり言えばいいのに」
 両手をお椀の縁にかけ、口もとへもっていく。ずぞぞと音を立てながら、スープを飲み干した。
 「みんながきみみたいに器用ならいいんだけどね」
 満腹感に油断した。言ってから、しまったと思った。後輩は口を半開きにし、きょとんとしている。笑っていない目だけが真実を語っているようで、そのあどけなさがアカデミー女優賞ものに見えてしまう。
 「あれ、なんかまずいこと言いました? 知り合いが首輪切断魔だとか」
 「そんなわけないだろ」
 ですよねえと、言いながら、女は気まずさを隠すための笑顔を浮かべていた。
 「そうだ、今晩あいていますか? 仕事終わりに一杯連れていってくださいよ。先輩だけですよ、あたしのこと誘ってくれないの」
 別に嬉しくもない。
 「悪いね。今晩はちょっと外せない用事があるんだよ」
 言いながら、席を立ち、食堂を出た。 無論、そんな用事はない。

 ……
 少しばかりの残業があり、夜も一歩手前の時間帯に退社する。いつかと似たような夜に、さみさしを紛らわせたくて、あてもなく繁華街を歩く。
 夜が深くなるにつれ、ひとの波は静かに、確実に、巨大になってきている。そばを通り過ぎる女性たちが何度も後方をふり返りながら、ひそひそ声できゃあきゃあ言っている。とびっきりの美男子でもいたのだろうか。
 その後ろ姿に、見覚えがあった。胸騒ぎがし、あとを追う。信号待ちのおかげで、いっきに距離が縮まる。横断歩道の途中で、後ろから、そいつの肩をつかんだ。ふり返った顔は、やはり、優男だった。優男は一瞬、びっくりした顔で出迎え、ぼくを思い出すのに、数秒を必要とした。
 「あなた、元祖さん、ですよね。奇遇だな……っていうか、なに?」
 優男はぼくの手を払い除け、締まりのない口もとで挑発的に言ってきた。
 「お前、こんなところでなにしてんだよ。彼女はどうしたんだ」
 「なんだ、まだ未練あんの。ほらあそこにいるよ」
 優男の指さした方向に、ボブヘアがあった。女だ。後ろ姿が遠のいていく。信号が点滅しはじめた。優男が女のあとをついていくので、ぼくも釣られて動き出していた。横に並び、言いたいことがあるはずなのに湧いてこない。そんなぼくを見透かしているのか、優男はたまに横目でちらちら見てくる。
 「健気だよ、あんた。尊敬しちゃうな。捨てられた女にまだすがれるなんて、おれだったら惨めで我慢できないな、きっと。そんな経験したことないからわかんないけどさ」
 まるで、他人事だ。その横面を殴ってやろうと思ったが、握りこぶしだけつくり、ぐっと堪える。
 「彼女だけなんで首輪されてるんだよ。お前、側にいたんだろ」
 「いや、おれ、実行犯じゃないし。動画サイトのアカウントだって、あの女に作らせたからさ。収益はもちろん折半してたけど。無理矢理、撮影させらてましたって言ったら、簡単に許せてもらえたよ。まあ、職員の皆さん、野良犬と首輪切断魔のことで頭いっぱいだったんだろうね」
 優男の胸ポケットに入っているスマホに違和感を感じた。カメラレンズの先がなにかを捉えて離さないでいる気がした。とっさに、手が動き、スマホを奪っていた。画面は動画モードになっている。ずっと、女の後ろから撮影していたのか。
 「あ、ちょっと、返せよ」
 すぐ取り返される。
 「それで今度は、見せしめのための動画を撮影しているっていうのか」
 「ご名答。まいったな……ほんとのこと言うと、経歴買われて、協力するなら罪に問わないとか言われてさ。首輪された人間の生態ってさ、まだ謎が多いみたいだから。まあ、そんなのほったらかしにしておくわけにもいかんだろうし」
 ふたたび固められる握りこぶし。さっきよりも強く。
 「彼女、アカウントは削除したはずだろ。それなのになんで、捕獲されたんだ。首輪までされて……」
 「おお、怖い怖い、もうそんなことまで調べてんの……まあ、そりゃ、あんたのほうが推測つくんじゃないの。むかしのこと、ちょっとくらいは聞いてるよ」
 ……出会ったときの女は、動画だ、首輪切断魔だ、なんて関係なかった。もっと純粋な気持ちで首輪を切断していたはずだ。
 「まさか、たったひとりで……また。犬なんか、もう、ほっとけばいいんだ……そうだ、住むところは? 平然と彼女を売ったんだろ、いっしょにいられるはずがない」
 「人聞き悪い言い方だな。双方の合意のもと、ビジネスがやりやすい方針をとったまでさ。首輪切断魔としての役割を果たせないんじゃ、あの娘に価値なんてないからね。さよならって言ったら、あんたと違って、簡単に離れてくれたよ。まあ、知りあいの不動産に頼んで、賃貸の紹介くらいはしてやったけど」
 握りこぶしが強くなっていくのがわかる。
 「あんたもそうなんだろうけど、ああいう内向的なのって、自分が間違ってるとか思わないじゃない。そのときだけ要領よく、はい、はい、やっておけばいいのにさ」
 「お前も首輪切断魔の活動に感銘を受けたんじゃなかったのか。だから、彼女だって心を開いて、お前みたいなのに首輪切断魔であることを告白したんじゃないのか」
 「あ、やっぱり根にもってんじゃん。もう時効だろうから言っちゃうけどさ。動画のネタ探してるときに、首輪切断魔のこと見つけたから、その話題を適当にしていたらさ、あたしなんだ、なんて、うぶな感じに言ってくるもんだから、こりゃいい銭稼ぎの種になると思ってね。紳士な猫被りをしていただけだよ。安心しろって、おれの好みじゃなかったから。あんたが考えているようなエッチなことはしてないよ」
 そんなこと考えたこともないのに、なぜかほっとしている。
 「あ、フェラぐらいはしてもらったけど」
 人間ほど厄介な動物もいないだろう。言葉に救われ、言葉に怒る。なんでもかんでも反応して、自滅していく。
 ひとなんてまともに殴ったこともないのに、ちからいっぱいに拳をふりあげ、優男の頬へ打ち込んでいた。たいしたちからじゃなかったのだろう、ほんのちょっとだけ意表をつかれたみたいに、痛ってぇと漏らしながら、立ったまま自分の頬をさすっている。急に起きた喧嘩沙汰に、周囲の通行人たちが好奇心旺盛にざわついた。野次馬につきあっている暇はない。ぼくは早歩きに、先をいく女へ近づくと、眼前に立ち、その進行を止めた。止め、心臓の鼓動が高鳴る。動画でもう何千回と見てきた顔のはずなのに、いま、目の前にいる女の瞳や輪郭は、過去の記憶をふたたび美しく彩り、思い出話にしてくれていた。
 「どいてください」
 だけど、たったひと言、それだけで、書き綴られてきた日記の文字が端から消えていく。
 「わからないのか、ぼくだよ」
 それでもなお、書き続けるしかない。
 「あなたは誰ですか。どいてください」
 まるで人形と話しているみたいな感触のない会話。目の前の人間はほんとうに、女なのだろうか。死人だけがもつ生者への挑発的な視線を感じない。きっと、首輪をされている所為なのかもしれない。鞄から電工ハサミを取り出す。世の中が首輪切断魔を拒絶してきても、いつだって共犯者意識だけが、心の拠り所だった。これさえ持っていれば、まだ、女を忘れずにいることができた。
 「おい、あれ……」
 「え、首輪切断魔?」
 「捕まったんじゃなかったの」
 ふたりだけの景色を汚す、ベタ塗りの声。
 「そのひと、首輪切断魔だから、気をつけてください! なにされるかわかりませんよ!」
 遠くから優男が叫んでいる。悲鳴と奇心好が交差しながら、ひとの波がはけていく。優男がスマホを構え、ぼくと女に焦点をあわせている。他にもたくさんのスマホがぼくたちを囲んでいる。シャッター音のオーケストラが奏でられ、ぼくと女は観客席を魅了する舞台俳優になっていた。
 女の首輪に電工ハサミの切っ先を引っ掛ける。首筋が傷つかないように、慎重に、やさしく。
 「なにしてるんですか、やめてください」
 聞き飽きてしまう機械的な声。女は、首輪にかけたぼくの手を引き離そうとしてくるが、あまりに弱々しく、びくともしない。か弱い女、という役割を演じているかのようで、かつてぼくを恐れさせた首輪切断魔としての強さが感じられない。なぜだか、瞳からひと筋、涙が頬を伝っていった。ぼくが……なった女は、こんなありきたりの反応なんてしない。まだはっきりしない感情と、もう伝えることのできない無念さが絡みあっている。ぼくは、女のことが……なんだ、言ってみろ。だから……これが、ほんとうに最後かもしれないんだ。そうさ、ぼくは、女のことが……
 「警察よびま……」
 グリップを握り、
 首輪が切断されるまで、
 ぼくは女から目を離さない。
 ……もう離さない。
 首輪の切断される音が、
 群衆の騒音のなかで、
 静かに、
 ぼくだけに聞こえた。
 「好きだ」
 届くはずのない言葉を口にする。
 自己満足だとわかっていても、
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