第11話

文字数 5,532文字

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 平成になってから減少の傾向にあり、昨今ではまったく見なくなった野良犬が、突如として大量発生したことで、人間社会に悪影響を及ぼしはじめているらしい。赤信号も構わず車道を歩き、ハンドル操作の誤った運転手たちに甚大な被害を被っている犬。空腹のあまり、奥様方がぶら下げる買い物袋へ噛みつき、人様の餌を横取りするような犬。女子高生に可愛がられるふりをしながら猥褻罪に該当しそうな行為に及んでいる犬。電車内へ悠々と乗車し、席を陣取る犬。それはまだましな例で、酷いになると、少年の小指を一本食いちぎり、動物保護センターから追われる身になりながらも、決して捕まらず、そのまま行方をくらませたのまでいるそうだ。これらの野良犬事件は連日、ニュースになり、ネットだけにとどまらず報道番組でも放映されていた。
 昨日、動物保護センターが発表したところによると、都内で発見された野良犬の数は七十三匹、捕獲できたのは五十五匹。捕獲された犬は、マイクロチップから個人情報を読み取られ、飼い主のもとへ無事、帰されているとのことだ。ただ、人間に害をあたえた犬や、捕獲に来た職員へ立ち向かってくる犬などは殺処分の対象とされ……
 それに猛反発したのが、過激派動物愛護団体である。犬の救済を信条とする連中で、殺処分を罪とし、いかなる手段も辞さず食い止めようとすることで知られている。ときに、ゲリラ戦法で、捕獲された犬を収監している車を襲撃したり、ときに、動物保護センターへ直接、乗り込み、牢屋を破壊しては、犬たちをふたたび野へ帰すといった行為を活発に行っていた。
 テロリズムと大差ない活動だけに、SNSや動画サイトへ投稿される内容は削除の対象になっているそうだ。首輪切断魔たちのなかでも話題としてあげられていた。連中が運営するホームページに活動報告が随時、更新されているので、気になる者はネットで検索すれば閲覧できる。スローガンとして、生類憐みの令を現代に蘇らせる、と掲げており、愛犬家などはその活動を高く評価していた。なかには著名な人物の名前も見られ、案外、そういった連中が活動資金を援助するスポンサーとして手を貸しているのかもしれない。
 このような報告が相次ぐなか、都知事は、野良犬の発見情報をSNSで発信することや、動物保護センターへ通報してもらいたいとの協力を、都民へあおいでいる。また、野生化が進んでいる野良犬は人間に襲いかかる危険性があるので、不用意に接近するのを避けるようにとも注意を呼びかけている。
 専門家によると、野良犬が世間を騒がせている背景にあるのは……言われなくても、その背景にあるのは、首輪切断魔だ。すでに知るひとぞ知る首輪切断魔である。専門家とやらもようやく重たい腰を椅子から持ちあげたといったところか。だからといって、弁論会を開くだけでは首輪切断魔を止めることはできない。
 皮肉なことに、ネットニュースや、報道番組、専門家のおかげで、首輪切断魔が世間に知られるきっかけはさらに広がり、賛同する者たちが増えている。SNSや動画サイトで首輪切断魔を見ない日はない。首輪切断魔予備軍が工具店に殺到するも、都の申請により、電工ハサミやそれに類似する工具の販売は電気工事士の免許を所持する者のみに限定するとされた。ネット販売も同様だ。そうすると今度は、転売屋や、悪質な売買サイトで横流しされ、それもまた社会問題になっているのだから、まったく、いたちごっこもいいところだろう。
 首輪切断魔の横行や、野良犬の被害を防ぐために、飼い主へ犬の散歩を控えるようにと呼びかける声もあったが、不思議なことに、犬連れはいっこう減少しない。それどころか例年以上に犬の購入者が増えているらしい。野良犬から身を守る、いわばボディガードとしての役目を期待していると、ある奥様がインタビューで応えていた。野良犬から身を守るために飼い犬がいて、飼い犬がいるから首輪切断魔がいて、首輪切断魔がいるから野良犬がいて、それもやはり……
 野良犬が増え続けている事態に、動物保護センターは急遽、職員の大量募集をかけている。野良犬がもたらす被害を憂慮しているのが、待遇の良さからうかがいしれる。犬一匹捕獲、報酬一万。通常、国家試験に合格しなければ職員としての資格は得られないが、人員不足のため、臨時で一般人も募集対象となっていた。
 合格者の選別基準は曖昧らしい。街中にはそれとわかる格好をした職員が所々で見られるようになった。首輪切断魔界隈のSNSで共有されているところによると、副業程度のサラリーマンやお遊び感覚の学生などがいる一方で、アウトサイダー臭をぷんぷん匂わせているのまでおり、猛犬の如き勢いで追いかけられたと報告されている。首輪切断魔のひとりが、ちからまかせに捕獲されている様子が動画サイトへあげられていたのを見たときは、戦慄をおぼずにはいられなかった。暴力の嵐は通常なら削除の対象になるだろうが、正義の裁きとあっては、認可されるようだ。捕獲された者のそのあとは、どのメディアにも報じられていない……
 どうやら、首輪切断魔一強の時代にも影が落ちてきているらしい。それを裏づけているのは、首輪切断魔たちが動画サイトから自分の投稿した内容を削除し、無関係ですと言わんばかりの態度を表していることにある。そういった連中はもともと、便乗商法で群がってきただけなのだろう。個人を特定される危険もかえりみず、いまだに投稿を続けている者たちこそ、真の首輪切断魔と賞賛されるべきなのではなかろうか。

 ……
 今朝から、胸糞の悪くなるニュースが報じられていた。
 都によると、捕獲した元首輪切断魔は数日間における服役中に国民としての再教育(内容は明らかではない)を施されたうえで、釈放されることがわかった。その際、 いつ外されるかは明言されていない、錠のかかった首輪の装着を義務づけられる。鍵を所有しているのは都なので、これに逆らえるわけもなく、釈放された者たちは従うしかない。この動きは、全国に波及されていく予定とのことだ。人権侵害だと主張する者たちもいたが、どれだけSNSで声をあげようが、すべて削除されているみたいだ。
 ある日、見かけた元首輪切断魔は、まるで糸で吊るされた人形のような面持ちになっており、周囲の白い視線、ときに、聞こえよがしの罵倒を受けても、動ずることがない、というよりは、言われるがままの態で、ほんとうに、かつて解放を叫んでいた者なのだろうかと疑いたくもなった。所詮、信念などといくら叫ぼうが、教育の前には無力だということなのか。
 コンビニやスーパーマーケットなどの商店は、職員に張り込まれていて、そうとは知らない首輪切断魔たちは次々に捕まってしまった。遅ればせながら、首輪切断魔界隈のSNSでも職員の動向が共有されだすと、被害は留まりはじめる。だが、それは同時に、もはや首輪切断魔としての活動が不可能であることを思い知らされることとなり、さらに脱落者を生むきっかけになっていた。
 そんななかでも、第三の方法を駆使するぼくのまわりにはまだ、職員の姿は見られない。都内のランナー人口は多い。標的となるぼくはそのなかに紛れ、常に動き回っているのだ。特定された誰かではない、そのひとり、ひとりを張り込むことなど無理であろう。それに、動画サイトの三強に元祖として君臨してはいるものの、その正体は女装した無数の実在しない架空の顔なのだから。
 ……今日も順調に二匹、切断し終えている。以前ならさらに数匹、デザート代りに狙っていたのだが、物騒な世の中になってきたこともあり、慎重に行動するにこしたことはない。あと一匹だけ標的にし、切り上げよう。週に二回ランニングを繰り返すだけでも、それなりに体力がついてきた。おかげで、体力回復に勤しむ手間も短く済むようになった。
 さて、そろそろ走りはじめるかと、腰をあげる。百メートルほど走ったところで、別のランナーと出くわすが、珍しい光景ではない。そのうち、傍の道へ去っていくだろう。ランナーはぼくの後方から、ずっと同じ方角へ走ってくる。偶然か。さらに、角からもうひとり。どういうわけか、そいつも後ろにつくと歩調をあわせながら走ってくるではないか。ただ、ランナーとしての礼儀というか、鉢あわせた者に対しては暗黙の了解で、その顔をわざわざ目視するような無粋なことはしない。そのまま、三人前後に並走する。
 そんなことをしているあいだにも、もう何人も犬連れを追い越してしまう。ああ、狙い目の中型犬が……屈伸運動するにはちょうどいい小型犬が……一匹、また一匹と、意味もなく、走り去る間際、ぼくはよだれを垂らす想いで横目に見ることしかできないのだ。
 それにしても妙だな。見知らぬランナーに、いつのまにかペースメーカーにされてしまうというのは、決まったコースを走るからこそ成り立つ信頼関係のはずだ。不特定に走るだけのぼくを延々と追跡してくる得体の知れなさは、足音だけの怪物を想像させた。
 後ろのふたりはどこを目指しているのだろう。まさか、このまま、ずっとぼくについてこようというわけじゃあるまいし……それとも、新手のストーキングか。女装につられた犬といったところか。
 だとすれば、このまま持久戦にもつれ込めば、分が悪いのはぼくのほうではないか。多少、体力に自信がついてきたとはいえ、最近、やむを得ぬ理由でランナーの仲間入りをしたにすぎない男なのだ。相手は、ストーキングにランニングを利用しようとするくらいなのだから、ぼく以上の自信を身につけているに違いない。このまま加速して、ふりはらうことは不可能に思えた。意表をついて、ふり返ってやれば、相手がしどろもどろし、そのあいだに逃げ出せるのではないかと考えもしたが、相手が逆上し、ふたりしてぼくを押さえつけようものなら、なにをされるかわかったもんじゃない。
 日中とはいえ、ひとどおりのまばらな場所だ。物陰につれこむことくらいなんでもないだろう……などと、ひとり作戦会議をしていると、知らぬまに団地の駐車場へと足を踏み入れ、その団地というのも、ひとが住んでいるのか住んでいないのか、気配の感じられない不気味なところだったので、ここで捕まれば、声をあげたところで助けはきそうにないと、急に背中が冷たくなってしまう。そもそも、ぼくだって不利な立場にいるのだから、助けを呼べるはずもないのだが……
 五十メートル先までいけば、駐車場から抜け出るための階段がある。そこまでいっきにダッシュしてしまえばいい。地面を蹴り、瞬間速度なんキロかの勢いで駆け出していた。だが、運の悪いことに、車止めを区切るために敷かれている黒と黄色の縞模様のロープに足先が引っかかり、小石だらけの地面めがけて転がってしまった。膝小僧が擦り剥き、赤く血が滲む。
 その一連の動作がかえって、ストーカーたちを興奮させてしまったのか、両腕で上体を起こしているぼくに手も貸さず、どう味わってやろうかと品定めする視線で見おろしてきている。ふたりの股間のあたりをのぞいてみたが、勃起の予兆はなさそうだ。ぼくが立ち上がるまで、待つあたり、獲物を痛ぶりながら楽しむ悪趣味の持ち主らしい。
 ならば、先手必勝。立ち上がりざま、手のひらに隠された電工ハサミをストーカーのひとりに向けてやる。だが、相手は怯むどころか、なにがおもしろいのか、くすくす声に出して笑いさえした。
 「ほうら、やっぱり首輪切断魔だ」
 不意にぼくの後頭部へ金属の感触が襲いかかった。衝撃で一瞬、視界が上下に揺さぶられ、腰が折れてしまう。もう少し、反応が遅ければ、ふたたび地面に転がっていたところだろう。それでも、意識はまだ正常だ。こちらが身動きせずにいると、相手はノックアウトしたものと勘違いしてくれているのか、追撃もしてこないので、中腰のまま、電工ハサミを逆手に持ち、相手のアキレス腱のあたりを狙って、ふりかぶった。ストーカーのひとりは、ぎにゅあと、化け猫みたいな声を漏らし、その場に崩れる。思ったよりも、深く切ったらしい。どす黒くすら見える赤色の血が肌を伝って、地面に散らばっている小石の隙間に流れこんでいた。
 呆気にとられていたもうひとりが我に返り、小声でなにか喚くと、握っていた警棒をふりあげている。動作が大きかった。ふりおろされる位置を見計らって、事前に側へ跳びのき回避する。警棒はただ宙を叩いていた。相手が次の動作に入る前に、ぼくは中腰になった状態で、露出された腕めがけて、電工ハサミを滑らせると、開いた両の刃が肌に接触したのを確かめた。相手が怯えた顔つきになり、判断を躊躇っているうちに、ぼくはグリップを握っていた。包丁で肉を切断するときみたいな柔らかさが指先に伝わってくる。ただ、相手の肉ごとというわけではなく、皮を厚めに、切断したに過ぎなかった。崩れているほうとは違い、フレッシュなトマト色の血が流れ出している。それでも、刃物が傷つけた痛みというのは、痛み以上に、痛みを想像させる効果を発揮するらしく、相手は大袈裟に、痛いを連呼しながら、身悶えしていた。
 気になることを問い質したかったが、ふたりしてこれだけ喚かれていては、いずれ周辺の住民に異変を察知されてしまうだろう。ぼくはふたりのことなど知らないといった様子で、ふたたび走りだす。
 ……ストーカーたちは、ぼくが首輪切断魔であることを知っている様子だった。もしかすると、動物愛護センターの職員だったのではないか。だとすれば、なぜ、ぼくの正体と居場所がわかったのか。
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