第10話

文字数 5,981文字

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 【首輪切断魔、やってみた!】。
 ポップなフォントで書かれたサムネイルには、タレントよろしくな印象操作で女の顔が(女の顔が!)表示されている。まったくの別人かと見間違ってしまう、晴れやかでにこやかな笑み。まるで女が首輪切断魔の初心者という趣で、わざとらしい拙い話し方と、字幕演出でそのことを強調させる。構図といい、カメラアングルといい、優男はどうも本職の動画クリエーターらしい。ぼくが工夫して投稿してきた動画なんかより、数段も上等な出来映えだった。
 ついこのあいだ開設されたばかりのアカウントにも関わらず、すでに千を越える登録者数がいて、ひとつひとつの動画の再生回数は、どれも万に近づいている。いずれ(限りなく距離の近い)、ぼくが撮影した動画なんかよりも遥かに優れたコンテンツとなるだろう。それに編集効果で多少の誇張があるとはいえ、画面に映る女は客よせパンダとしては、充分な役割を果たしている。いつか口にした言葉を、前言撤回しなければならない。だが、優男の、女を商売道具にするような行為には賛成できないな……
 ぼくはもう何度と動画を再生している。しかし、こんなものは所詮、紛い物でしかなく、ぼくだけが知っている女にはほど遠い内容なのだ。自分専用の動画ファイルを開き、保存されている動画を再生する。乗馬に跨る女、死人の表情で車窓から遠くを眺める女、イチゴ盛り沢山パフェを頬張る女、ぼくに化粧を施していく女……女、女、女。ぼくを裏切った女、ぼくを利用しただけの女、ぼくを犬としてしか見ていなかった女……女、女、女。忘れるくらい、どうってことないさ……忘れるために、納得がいくまで何度も動画再生しているに過ぎないのだ。たかだか、ビジネスパートナーじゃないか。また別の事業を考え、新しいパートナーを見つければいいだけの話さ。もう、犬の首輪を切断する意義などないのだから。
 ……それにしては、心臓のあたりで空洞ができたように感じる虚しさはなんなのだろうか……どうやら女が切断したのは、首輪ばかりではないらしい。自覚のない罪を犯しておきながら、そしらぬ顔でやり過ごそうとする。修復することのないふたつに分かれた心の断面。修繕費を請求しようにも、当の本人にはもう会えない。連絡を入れてみたところで、一方通行のひとりよがりなのだ。最悪……いや……ほぼ確実に……ぼくからの連絡は遮断されているに違いない。絶望を信じているほうが、ありもしない希望にすがるより、活路を求めやすい。もう一度だけと、その顔見たさにマンションへ訪れた際、表札から女の名前が抜けているのを見たとき、ぼくがどんな惨めな想いを抱いたことか、知る由もないだろう。わんわん倶楽部からも籍を抜く徹底ぶり。そこまでして、ぼくを拒絶するのか。そんなことだから、罰するだけの権利をぼくに握らせてしまったのだ。
 だけど、受け取り人のいない罰は、宅配所であるぼくに預けられっぱなしである。許可なく(許可を与えるのもぼくなのだが)処分するわけにもいかず、断罪すべき相手のいない罰は代わりにぼくを蝕み続けるだろう。ぼくにいったいなんの罰があるというのか……強いて言うなら、女を撮影対象に選んでしまった罰か。女だってその気になっていた。ふたりで稼いだ金もまだ渡しちゃいないし、全額、ぼくがくすねてやろうとも考えていない。
 ならば、この罰の行方はどうなるのか。無論、女に刻まれて然るべきである。肝心なのは、その罰する方法だ。ぼくは猟奇殺人者じゃない。なにも、電工ハサミ(共犯者意識の残り香)で、あの叩けば壊れてしまいそうな小動物の身体をずたずたにしてやろうというわけじゃないし、そもそも、どれだけ戦闘能力を低く見積もっても、到底、ぼくが勝てる相手ではない。
 しかし、表面がいかに頑丈でも、内側は案外もろいのではないか。一匹狼を演じてはいても、同族には友愛精神で接しようとする社会性に女の弱さを垣間見てきた。罰をねじり込むにはちょうどいい隙間かもしれない。
 女との接点はまだある。皮肉な話だが、ぼくと女で生み出した怪物、首輪切断魔が、ふたりの関係を完全に断ち切ってくれるはずである。単純だが、確実に、相手の精神へ攻撃をしかける一番いい方法は、首輪切断魔としての役割を与えないことだろう。人気順に動画が表示される動画サイトの仕組みを利用すれば、なんなく可能なことだ。ぼくが首輪切断魔として活動し、優男の手がける女よりも、再生回数を上回ればいいだけの話ではないか。落ち目とはいえ、元祖として名前が売れている事実に変わりはない。それに、ただなされるがままにマネキン人形として女装されてきたわけではない。その技術を目で奪ってきた。それにネットで検索すれば世界中の講師が女装の手助けをしてくれる。
 ぼくにも、客よせパンダとしての資格はあるのだ。女はいずれ、嫌でもぼくの存在を意識しなければならなくなる。その頃には、後悔をおぼえるに違いない。それこそが、ぼくの仕組んだ女へのささやかな罰だとも知らずに。
 復讐心に燃えるぼくはさぞ魅力的に映っていたのだろう、女装して繁華街に出れば、蜜にたかってくる蝿のように男どもが声をかけてきた。その度に、電工ハサミをちらつかせ追い払ってやるのは、なかなか気分のいいことだった。自分で手がけた女装の出来映えに満足してきたところで、繁華街を離れ、犬がいそうな地区を探してまわる。しかし、狙い目の犬がなかなか見つからない。無理はない、こうも首輪切断魔が表立っては、奥様方の警報装置だってアップデートされるに決まっている。
 とはいえ、散歩する姿を見かけなくなったわけじゃない。犬を散歩に連れ出さないでいるのは、犬の運動不足を促進する行為だからか、危険を承知で、愛犬家は愛犬とともに相変わらず、道々にいる。
 その事実を活路に、不況を感じつつも、くすぶり続ける復讐の炎に油を少量ずつ垂らし、ぼくは探し続けた。警報装置がどれだけ最新機種であっても、それを扱っているのは人間なのだ。不合理な生き物である。自分は大丈夫だろうと、見えもしないバリアに身を守られ、ついつい、買い物の誘惑に駆り立てられてしまうのだ。そのほんの少しの気の緩みにつけこんでやればいい。コンビニの店内から忙しげに、苛々と窓の外を警戒しているが、こんな可憐な姿をした女が犬に近づけば、小娘だろうと胸をなでおろし、任せっきりになってしまう。世間がもつ首輪切断魔のイメージというのは、いつか見た、大男のような厳しいものらしい。ネットニュースのタイトルだけがひとり歩きし、本文もまともに読まれず、首輪切断魔という名前だけでイメージは増幅される。似たようなネットニュースが溢れるなか、いちいち全てを目に通し、犯人の判断基準を構築している暇などないのだろう。
 あとは容易にことが運ぶと高を括るほど、ぼくは馬鹿ではない。例に習って、缶詰を用意している。封を開け、匂いを嗅がせてやれば、犬の奴はご馳走にありつけるのだと口まわりをひと舐めし、自分から首輪を切断してくださいと言わんばかりに、背筋を立てる。そのあいだに、首輪を切断してしまえばいいのだ。犬には悪いが、缶詰を手放すつもりはない。経費削減はもちろん、証拠を残すような真似はしたくないのだ。ぼくなんかに犬のボディガードを任せたばかりに、奥様はまだ店内でうろついている有様だった。犬は哀れにも、しっぽを振りながら、遠目に離れていくぼくをずっと見つめていた。
 数件ばかりの動画を撮影すると、さっそく、動画サイトへ投稿する。しかし、もはや元祖のやり方では視聴者は納得しないのか、再生回数は百を越えるのがやっとだった。次から次へと投稿されていく動画のひとつとして、埋もれていってしまう。
 一方、優男の舞台で踊り続ける女の動画はうなぎのぼりで、いまや【かりそめ】にも負けずとも劣らない勢いである。どうやら、ぼくの見立ては甘かったらしい。客よせパンダとしての魅力も女には敵わず、動画の編集能力も本職には到底及ばない。せめて、足もとへ近づけるだろうくらいには期待していただけに、落胆の色を隠せない。このまま人知れず、首輪切断魔を引退すべきなのだろうか。進退を問われ、無言をとおすことしかできない。
 ……いや、二度目の敗北を受け入れてしまえば、ぼくはただの負け犬になってしまう。勝てぬまでも、せめて爪痕を残すくらいはやってみよう。首輪切断魔に未練があるわけじゃない。このまま、女の記憶の片隅からぼくがいなくなってしまうことだけはどうしても我慢ならないのだ。
 真っ向勝負を仕掛けても、返り討ちに遭うだけなのがよくわかった。ぼくは元祖であることをアドバンテージだと考え、現状に甘んじてしまっていたのだ。ならば、第三の方法を編み出すしかあるまい。
 編み出すのに寝ずの番を過ごした翌日の日曜日は、眠たいどころか、気分が高揚してしまい、自分でも抑えがたい衝動に我を忘れかけてしまったので、自制の儀式として(景気づけの意味も含め)、早朝から世話になっている動画で続けざまに二回、射精した。やや勢いがあり過ぎてしまい、急に身体が気怠くなったので、エナジードリンクを飲みふたたび身体を奮い起こさせた。エンジンのかかったコンピューターになった気分である。
 このときのぼくはもう女装はしていない(覆面代わりの化粧は施している)。身動きの取りやすいランニング姿である。さっそく早朝の犬連れたちを見つけ、必殺必勝の第三の方法をはやく試したくて、身体がうずうずしてしまう。自制の儀式がなければ、命令する間もなく、身体は勝手に動いてしまったかもしれない。
 重要なのは、犬のサイズ、首輪の位置、距離、歩行速度、飼い主の位置だ。それらを計算し終え、障害物のないことを確かめてから、まずは助走をつける。全速力を抑え、目立たない程度に、余力を残しながらランニングをする気軽さで、犬に近づいていく。さりげなさを装いながら、飼い主に勘づかれない程度に後方を走り、首輪の位置を改めて確認すると、アクセル全開で犬のすぐ側に並び、飼い主が異変を認識するよりもはやく、暗殺者の要領で手のひらに隠している電工ハサミの切っ先を首輪へ引っかければ、あとは切断してその場から逃走するだけだ。飼い主は時間差で気がつく、犬と引き離されたことに恐怖してから、首輪切断魔の名前を叫ぶのである。
 撮影も問題なくこなせた。キャップ帽の内側へゴムバンドをふたつ縫いつけ、そこへスマホを内臓し、カメラレンズをのぞかせるため小さな丸い穴をあければ、撮影専用の改造キャップ帽へと様変わりする。スマホの手ぶれ補正も機能しているので、ちょっとした振動くらいで撮影に支障はない。額にできた瘤のような感触はあったが、なれてしまえばどうということはない。頭部とスマホのあいだに布でも挟んでやれば、少しくらいの機械熱は防げる。問題があるとすれば、ぼくの体力だろう。一回の撮影でそれなりに疲れてしまう。特に逃走時、訓練された犬が相手であれば、飼い主がけしかけてくることがあり、一種のアトラクションのような危険さがあった。無論、捲けるわけがないので、ウエストポーチから、ダミー役の缶詰を放り投げ、その場をやり過ごす必要を強いられる(迅速に行わなければ尻を噛まれるなんてこともある)。出費はかさむが、投資だと思えば安いものだ。もちろん、手袋をしているから指紋を残すようなへまはしない。
 利益を約束するように、動画の再生回数は伸び続けた。群雄割拠のなか、【かりそめ】、女と並んで、第三の首輪切断魔(元祖なのだから第一ではないのか)としてふたたび注目されるようになっていた。

 「見たことのない斬新さ!」
 「危険を承知で解放を望む姿は、まさに勇者」
 「本年度の傑作!」

 観察眼と創意工夫あればこその第三の方法は真似できる者がおらず、視聴者は、ぼくだけの専売特許として認可してくれているようだった。そして、さらに躍進させるため身につけたのが第四の方法だ。改造キャップ帽を被って、第三の方法を応用する形で撮影に望む。
 なに食わぬ顔で歩行者を装い、正面から来る犬連れがいれば、それとなく接近する。意識すれば目と目があう至近距離に近づいても尚、アクションは起こさない。互いの緊張感が高まるなか、なにごともなく通り過ぎていく他人に、飼い主は胸をなでおろす。相手がそうでも、こちらは依然として集中力を保ったままだから、狩る者と狩られる者の差は歴然だ。
 間髪を容れず、踵を軸に半回転してふり返ると、勢いを利用しながら、後ろを向き尻をふりふりしている犬の首輪へ電工ハサミの一撃をおみまいしてやるといった具合である。首輪を切断したあともやはり、踵を軸に半回転し、視界を正面に向ければ、誰にも悟られぬまま、目標を遂行できる。高速で半回転と半回転を行っているので、端からすれば、突然、一回転する変人にしか見えないことだろう。一分も経たないうちに、飼い主の悲鳴が聞こえれば成功である。
 しかし、第四の方法で撮影した動画は、それほど再生回数が伸びなかった。視聴者コメントによれば、見ているだけで船酔いに陥ってしまうというのだ。なるほど、改造キャップ帽の盲点をつかれてしまった。第三も第四も、改造キャップ帽を被っているので、撮影者自身が映らない主観仕様になっている。第四の見せ場でもある、踵で半回転する様子などは、ただ画面がぐるぐる回っているだけなのだ。それに比べ、第三の方法であれば、活動的かつ明確さがあるので、見る者を惹きつける要素が詰められている。これでは第四の方法がいかに高等技術であっても、出番はなくなってしまいそうだ。
 ところが、第四の方法をうまく駆使していたのが、女なのだ。数歩前を撮影者である優男が他人のふりをしながら歩き、女が動作に入るのを一部始終撮影する。画面のなかでは、女が華麗に舞いながら首輪を切断していた。恐らく、優男が第四の方法を見破り、女へ伝授したに違いない。再生回数はぼくなんかよりも遥かに多かった。
 まったくとんだドジを踏んでしまった。これでは敵に武器を渡すため、第四の方法を編み出しただけじゃないか。いやこれでよかったのかもしれない、ぼくが編み出した方法を、女が取り入れたのだから、遠まわしに手紙を書いて送ってきたも同じではないか。ほら、視聴者のコメントにも書かれている。元祖の真似事? などと。
 だが、あの、女のことだから、これっぱかしのことでは別段、気にもとめないだろう。むしろ、その平静さが、ぼくの復讐の炎に焚き木を足すとわかっているのではなかろうか。ならば、どこまでも燃え盛り、氷の面ごと灰にしてやらねばなるまい。
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