第5話

文字数 4,776文字

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 毎週土日に四、五件、多ければ八か九。井戸端会議の話題としてあげらてしまえば対策をこうじられる危険性だってあり得る、数百メートルおきに場所を変え、犬を探すことにしていた。住宅街は犬連れを発見しやすいが、基本的に立ち止まることのない散歩中心で、首輪に接近するだけの隙間時間が存在しない。夜間を狙って庭に侵入するプランも考えたが、犬小屋を建てて放し飼いしている一軒家は、都内で見つけるのは宝探しをするようなものなので却下される。
 狙い目はなんといっても、スーパーマーケットやコンビニなどの商店である。ひとの目をはばからず、リールで結ばれた飼い主を待つ犬に接近することは容易い。犬と戯れる、そこに詰問される理由がないからだ。これが対人間であれば一瞬の緊張が走り、居合抜きの間合いで互いの出方を探らなければならなくなる。
 ひとつの町にある商店には限りがあり、そこへ何度も立ちよっていては、物好きの店主に顔をおぼえられる恐れがあったので、日ごとに目的地を変更する。都内にこんな場所があるのだなと、ちょっとしたピクニック気分も味わえていた(女も同行しているのだ!)。しかし、動画サイトへ投稿してみても、やり遂げた充足感に相応するだけの再生回数が伸びない。数十とか多くても百ちょっとだとか、その結果を女はどう受け止めているのか、ひと言も話さないのだから、まあ、はじめのうちはこんなものだと自分で自分を慰めるしかなかった。それっぽっちの再生回数くらいでは視聴者からのコメントも皆無で(いや、ひとつくらいはあったか。確か、意味不明くそ動画とか)、この先のモチベーションをいかに保つべきか試されそうでもあった。
 そこで、原因を探ってみれば、なんてことはない、動画に面白みが欠けているだけのことなのだ。少し情熱が空回りして、主観的な内容になってしまっていた。
 女はともかく、撮影係も混じって犬を囲んでいるのはどこか不自然だと思い、R町のときの方法で、遠くに離れて撮影し、女のプライバシーを守るために、動画サイトへ投稿する際は編集ソフトで顔にモザイクをかけていた。どうもそれが一因であるらしい。
 まったく、初歩的なミスを犯してしまった。被写体として選んだ女が、モザイク面になってしまい、その得体の知れない怪物が、ただ犬とじゃれている姿が見どころの動画で終わってしまっている。肝心の、犬の首輪を切断するという場面も、遠くからでは判別できない。視聴者は意味もわからずに、いつの間にか犬から首輪が外れ、飼い主がパニックになっている様子を見つめるしかない。この問題を解決するには、やはり、接近して撮影する必要があるのだ。
 しかし、犬がリールで結ばれている箇所というのが、コンビニやスーパーマーケットなど、飼い主に用事があるときと限定されており、防犯カメラ対策として、遠くから撮影せざるを得ない。無理に切断しているところを撮影しようとすれば、歩道側へ女の手品を披露しなければならず、ひと目についてしまうのは必至だろう。種明かしをしていては、手品にならないのだ。むざむざ、女を晒し者にして、ぼくだけ安全地帯に逃れているというのでは、信頼関係など築けず、この商売は長続きしないのじゃないか。ぼくがスマホごと透過できれば、壁面のなかへ溶け込み、防犯カメラに気兼ねなく、堂々と女を撮影してやれるのだが……女の部屋へだって……撮影の一環なのだ、やましい気持ちはない。
 そこで覚悟を決め、接近してからの撮影を試みる。これには武者震いしてしまった。犬とじゃれている彼女を撮影している彼氏、青春を謳歌している能天気な男女というふうに見えなくもないが、それでも誰かに注視されているかと思うと、意識はどうしても散漫してしまい、スマホに映る女を捉えきれないでいる。防犯カメラに対し、ふたりして背を向けているとはいえ、並んだ対象物の隙間にある物的証拠が映らないとも限らないから、肩と肩が触れる位置で並ばねばならず、ぼくは緊張のあまり、その横顔もちらちら見ていなければならなかった。それに比べ、女は堂々として風景に溶け込み、手早く、首輪の縁に電工ハサミの切っ先を引っ掛け、涼しい顔をしてグリップを握り、犬に警戒もさせないまま、切断してしまうのだ。ぼくと会う前までこの危険な作業を、たったひとりでこなしてきたのかと思うと、孤独な精神の底深さをのぞいてしまった気がする。
 それにしても、密着しすぎる男女というのは、ときに妬みの対象にもなってしまうらしい。ひとの目を引くのが、撮影をこなしていくにつれわかりだすと、女の提案で、ぼくが女装すればいいのだということになってしまった。ぼくとしては下準備のために、女の部屋が集合場所となることは望ましかったし(透過願望はもう必要ない)、土曜日の夜であれば、毎度、遠回りして部屋へ来るのは時間がもったいないというので、宿泊もさせてくれたのだから、有頂天にもなろう。
 もちろん、ぼくが寝室へ通されることはなく、リビングのソファで寝かされるわけだが、女の前で撮影を誓った日の場所だなと思えば、なんだか悶々とする気持ちもあり、掛け布団にくるまって、下ズボンのなかへ手を入れるなんてことも数回はあった。理性に訴えかけることで感触を楽しむだけに留まれていたが、二度か三度、つい我慢できず、大事に至ってしまったことがあり、寝泊まりのために持参していた予備のパンツに履き替えるため、トイレへ駆け込んだときは、高揚感と罪悪感に苛まれもしたが、拭き取ったティッシュを便器に流してしまえば、すっきり忘れることができた。深夜0時過ぎのマンションに水洗の音はよく流れて聞こえ、その音のなかにぼくの情欲も混じっているのだと思えば、なんとなく恥ずかしくはあった。そんな翌日は、化粧されていない女の顔に見られるのが気まずく、必要以上に愛想をふるまってしまう。
 女装するため、生まれてはじめてドレッサーの前に座らされたときは、妙な感情を抱いたものだ。新しい扉を開いた先になにが待っているのか、自分でも予想できない胸騒ぎ。化粧の下地からはじまり、ファンデーション、フェイスパウダーと続き、目の部分は特に念入りに、赤いアイシャドウをされると女とお揃いで、肌も白く加工されているから、吸血鬼にでもなった気分になり、赤をさらに際立たせるように、赤い口紅が塗られ、ネットショップで取り寄せた女物のカツラ(ロング、ショート、髪の色も様々)を被れば、まるで姉妹のような姿で、自分に自分で見惚れてしまう。
 「きれいだよ」
 女に耳もとで囁かれたときは、誰に対して頬を赤く染めたのか、判別できないほどだった。
 街中に出て、ふたりして歩けば、たまに通行人の男どもが邪な視線を送ってよこすのだから、ぼくの女装は満更でもないらしい。それとも女のひとり勝ちなのか。借りた衣服は、ぼくにもフィットし(我が痩せ細った肉体!)、スカート姿で(すね毛も全剃りされる)、ポシェットを肩にかけ、女と並んで犬の側へしゃがみこめば、もう誰の視線にも邪魔されない完全な風景の一部になっていた。
 問題点としてあげるとすれば、ぼくが犬に懐かれない体質であるらしいことだ。心の余裕ができてくると犬の頭でも撫でてやろうという気になったのだが、急に険しい顔つきで、人間相手なら威嚇として充分すぎる唸り声を出されてしまう。犬の嗅覚が敏感なのか、変装を見抜く達人なのか、どれだけ精巧に女装し、化粧を身にふりまいたとしても、結果は変わらない。なに、撮影係に専念すれば取るに足らないことなのだ。
 そうやって、順調に撮影もこなし、動画サイトへ投稿することひと月。結果は再生回数に表れてくれた。
 百程度だった再生回数はようやく千を越え、万に届こうとする勢いであった。撮影手順にひと工夫いれたことが最たる勝因だろう。接近して撮影するといっても、女が首輪を切断する様子を全体的に捉えるのではなく、犬と首輪の切断だけに焦点をあわせるのだ。マニキュアを薄く塗った肌の白い指先は視聴者(特に男ども)に想像力を働かせ、不釣りあいな蟹の手にも似た電工ハサミがセットでつけば、結末に待つ怖いもの見たさに、視線が釘づけになるに違いない。首輪が切断されたあと、動画を締め括るのは、メイクアップしたぼくの顔だ。これには三重の効果が見込まれる。視聴者に首輪を切断した本人だと錯覚を起こさせる効果、女に火の粉を被らせない保険としての効果、そして、客よせパンダとしての効果は期待以上に望める。伏線を張っているおかげで、この美女は誰だとコメント欄を騒がせてくれた。もともとは存在しない顔なのだから、どれだけ露出しようが日常に支障はきたさない。
 首輪を切断する犬の種類も豊富だ。ポメラニアン、パグ、プードル、ゴールデンレトリバー、チワワ、柴犬、などなど。首輪の切断される様子が主な内容だが、ただ単に、いろんな犬種によって和やかになりたい視聴者だっているだろう。ぼくたちの伝えたい意図からは遠ざかるが、再生回数が増えてくれれば、それだけ注目もされやすくなる。広告費をかけずに宣伝してくれているわけだ。
 動画のタイトルはこうだ【首輪切断魔、現ル! その一】。首輪切断はそのままの意味だが、わざわざ不安を煽るように魔をつけたのは、一種のパロディ演出である。各回ごとに、その二、三、と投稿回数に応じて増やしていく。いかにもコミカルな感じにしたのは運営側の監視の目を掻い潜りやすくする狙いから。そもそも、コメント投稿主体のSNSとは違い、動画サイトの監視体制は甘いらしく、動画の内容に不適切な内容がなければ、削除される恐れがない。それもそうだ、犬の首輪を切断しているだけの映像なのだから、自作自演だと判断されてもおかしくはない。グロテスクを売りにした動画というのは、探せば探すほど出てくる。年老いた犬の死に際、飼い主がやさしい声をかけながら、スマホで撮影している様子の動画などは目を覆いたくなった。こんな演出をすれば泣くだろうという計算尽くの、視聴者を馬鹿にした内容だ。驚いたことに、再生回数は十万を越えている。そんな動画がずらり並んでいるのだ。もしかすると、同一人物が複数のアカウントから投稿しているのではないかと疑いたくもなる。
 それに比べれば、ぼくたちの動画なんて、たいしたものじゃない(癒し要素もあるのだから!)。徐々に、コメント欄もにぎわってくれる。

 「犬の首輪を切断してるだけの動画って、なんなの笑」
 「これは我々への啓蒙だ」
 「最後に出てくる女の子、可愛すぎない♡♡♡」
 「魔女?」
 「首輪切断魔ってネーミング……」


 そうしていくうちに、ネット記事のエンタメ枠で取り上げられたりもした。


 ▽首輪切断魔、現る??
 記事執筆者:夢喰い獏の夢 エンタメサイト読み読む編集者

 記事内容:誰もが馴染みの動画サイトで、妙な動画が話題を読んでいるのはご存知だろうか。犬の首輪を切断するだけという内容で、これといった特色はないのだが、動画の最後に出てくる美女が可愛すぎると人気を博しているのだ。それだけに留まらず、動画が投稿されるたびに、犬種の違う犬が出演しており、首輪の種類もまちまちなのである。いったい誰の犬の首輪を切断しているのだろうかと疑問を浮かべる視聴者も少なくはない。動画の美女がすべての犬の飼い主なのであれば、資産家の令嬢に違いないと、一種の神秘性も匂わせている。その反面、他人の犬では? という声も聞こえ、そうだとすれば、大変な犯罪であることは否めない。しかし、そうすると、いったい何が目的なのか。視聴者を増やしたいがための、愉快犯的投稿者なのか、その正体はわからない。あなたの、わんちゃんもご用心!?
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