第6話

文字数 2,349文字

 そうして、莉帆ちゃんが間もなく小学校を卒業という、一月のその日。鍵を忘れ、我が家に避難していたその頃、いつものように、会社を出た静花さんの前に、突然現れた60代後半の女性。

 歳月が彼女の容姿に年齢を重ねてはいたものの、瞬時に、静花さんの封印した記憶を呼び覚ましました。

 もう二度と会わないという誓約書まで交わさせたにも関わらず、今目の前にいるその人は、かつて結婚を前提に交際していた柴田直樹さんの母、貴代さんでした。

 相変わらず、人を蔑むような冷たい目で、静花さんを睨み付ける貴代さん。13年ぶりの再会で、開口一番口にしたのは、


「話があるの。私と一緒にいらっしゃい」

「私とは、二度と会わない約束では?」

「約束を破ったのは、そっちが先でしょう?」


 同じ空気を吸うのも嫌でしたが、莉帆ちゃんの存在を匂わせるその言葉に、無視するわけにも行かないと考え、ひとまず近くの喫茶店で話を聞くことに。

 そこで聞かされたのは、昨年の秋、直樹さんが不慮の事故で他界したとのこと。享年40歳、予想だにしなかった出来事に、静花さんとしても、すぐには言葉が見つかりません。




 貴代さんによれば、ふたりが別れた半年後に、直樹さんはお見合いで結婚したそうですが、3年しても子供に恵まれず、貴代さんの指示で二人は離婚。

 その後、すぐに別の女性と再婚したものの、子供に恵まれず、再び離婚。それでも懲りずに、貴代さんに勧められるまま再再婚したのですが、やはり子供は出来なかったといいます。

 かつて、静花さんとの間に子供を儲けていましたので、不妊の原因は嫁にあると思っていたのですが、年齢的なこともあり、念のため病院で調べたところ『無精子症』であることが判明したのです。

 静花さんと別れた直後、直樹さんはおたふく風邪を発症し、40度を超える熱が続いたことが原因と思われ、そうなると自然妊娠は難しくなりますが、最新の治療法なら可能性が残されており、善は急げで早速予約を取り付けたのですが。

 そんな折、直樹さんの不慮の事故によって、子供の誕生どころか、跡継ぎさえ失った貴代さんは、ふと、静花さんのお腹にいた子供が頭を過りました。

 妊娠に関しては、静花さんに一任するということで、その後どうしたのかまでは知らされておらず、弁護士に尋ねても『関わらない約束』ということで、取り合ってもらえませんでした。

 そこで、貴代さんは探偵を使い、静花さんと子供の消息を調査したところ、直樹さんと別れた直後に別の男性と結婚し、女の子を出産していたことを知りました。

 子供は夫婦の実子となっていましたが、時系列から直樹さんの子供と確信し、直樹さん亡き今、この世でただ一人、柴田家の血を継ぐ莉帆ちゃんを奪還しようと、静花さんの前に現れたのです。


「あの子は直樹の子供なんですから、こちらが引き取ると言ってるの。我が家にとって大切な跡継ぎだし、その方が、子供も幸せでしょう?」


 あの時のことを忘れたとでも言うのでしょうか。一人息子を失ったことには同情しても、あまりの身勝手な発言に、静花さんは身体が震えるのを感じました。

 今更、貴代さんが何と言おうと、自分たちの身分は法律で守られており、夫で父親である伸亮さんが法律の専門家であることは、静花さんにとって何より心強い存在です。

 問題は、何も知らない莉帆ちゃんがその事実を知ったとき、どう思い、どう受け止めるのか。年齢的にも難しい時期に差し掛かっているだけに、最も危惧する部分でした。


「さっき、自宅のほうへ伺ったけど、誰もいなかったから、わざわざこうして会社まで足を運んだのよ」

「うちへ行ったんですか!?」

「ええ。直接本人に言った方が話が早いし、何なら、そのまま連れ帰ってもいいと思って」

「ふざけないで!! そんなことしたら、誘拐ですから!!」

「大袈裟ね~。祖母が孫を連れ帰るだけでしょう? それにしてもあなた、うまいことやったわね~。直樹に捨てられて、すぐに違う男に乗り換えるなんて、育ちが悪い人はすることが大胆ね~。あの子がそれを知ったら、どう思うかしら?」


 自分だけなら何を言われても我慢しますが、愛する我が子に降り懸かるとなれば話は別、静花さんは怒りでいっぱいでした。

 終始、自分のことを主張するばかりの貴代さんからは、愛しい孫として莉帆ちゃんを要求しているとは到底思えません。


「とにかく一度、直樹の子と話をしたいから、うちに連れて来なさい。いいわね?」

「お断りします。それに、直樹さんの娘ではなく、私と夫の娘です」

「私に盾突くつもり? なら結構、今後は直接、直樹の娘と話をしますから」


 そう言うと、貴代さんは席を立ち、そのまま店を出て行ってしまいました。

 残された静花さんは、貴代さんに対する怒りから、しばらく放心状態でいたのですが、不意に彼女が莉帆ちゃんを連れ去るのではという恐怖に駆られ、慌てて電話をしたものの繋がらず。

 パニック状態で帰宅する途中、ようやく莉帆ちゃんの留守電に気付き、我が家へ飛び込んで来た次第です。




 昨日は鍵を忘れたことが幸いし、貴代さんが莉帆ちゃんに接触した形跡はなく、莉帆ちゃんはいつも通りに登校していますが、登下校中に貴代さんからのアプローチがあるかも知れないことを考え、今日は送り迎えすることにしたそうです。

 ただ、いつまでもこうした状態を続けるわけにも行かず、


「ショックかも知れないけど、莉帆にはきちんと伝えておいたほうが良いという結論になったの」

「そっか」

「出来れば、もっと違う形で話せれば良かったんだけどね」


 むしろ、話さずに済んだらどれほど良かったか。

 誰もが、その秘密をお墓まで持って行くと決めていただけに、今頃になって現れた貴代さんが、心底恨めしく感じられました。



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