第9話

文字数 2,019文字

 かつて、伸亮さんを身ごもった彼の母親も、静花さん同様貴代さんによって、父親である伸太朗さんと無理やり引き裂かれていました。

 血なのでしょうか、直樹さんがそうだったように、伸太朗さんもまた貴代さんに言われるがまま、別の女性との結婚を選んだのです。

 姉と妻の手前、伸亮さんを認知することは出来なかったのですが、父親の責任として、伸亮さん母子の金銭的なフォローだけはきっちりしてくれました。

 ですが、当時は未婚のシングルマザーに対する差別や偏見が酷く、伸亮さん自身もそのことで相当辛い思いをしてきました。

 彼が大学に入学して間もなく、伸太朗さんはこの世を去り、その後を追うようにして母親も病気で他界。その後は、天涯孤独の身の上となった伸亮さん。

 父親が残してくれた学費で大学を卒業後、法律事務所で働きながら司法試験の勉強を続けていたある日、木山さんからの相談で彼の前に現れた静花さんは、自身の両親を彷彿をさせました。

 まして、その相手が、かつてふたりを引き裂いた伯母、貴代さんであったとは。


「あなた、何もかも知っていて、あの女に近づいたっていうの…?」

「いいえ、出逢いは偶然でした。でも、『柴田直樹』という名前を聞いて、すぐにピンと来ましたよ。戸籍上は他人でも、遺伝子上の従兄ですからね」

「…私に復讐したつもり?」

「復讐? 結果的には、そうかも知れませんね。かつて、あなたの差し金で私と母は捨てられ、時間を経て、静花と莉帆が捨てられた」

「…私をどうしようと?」

「今度は、あなたが捨てられる番です。私の母や静花、息子の嫁ですら冷徹に切り捨てたあなたにとって、大切なのは『人』ではなく『家』です。今になって莉帆を欲しがるのも、直系の『墓守』が欲しいだけです」

「…」

「でも、残念ながら、莉帆はあなたの思い通りにはなりません。お気の毒ですが、残りの人生独りで生きて行かれることですね」

「この家や、代々のお墓はどうするのよ? 何百年も続いた家柄なのよ? この家に嫁いだ身として、私には墓守を残す責任があるのよ! ご先祖様に何と言い訳すれば…」

「それこそ、因果応報でしょう。孫の命より家柄を選んだのですからね。莉帆の言葉を借りれば、『んなこと知るか!』です」

「あなたのことを、あの子たちに話すわよ!?」

「どうぞ、ご自由に。話したところで、余計にあなたから気持ちが離れるだけでしょうけどね」

「私はどうすればいいの!? ねえ、教えて頂戴!」


 その問いには答えず、貴代さんによく似た意地悪そうな笑みを浮かべると、深々とお辞儀をして、伸亮さんも応接間を出て行きました。

 そして、妻と娘が待つ車のエンジンを掛けると、一度も後ろを振り返ることなく、この忌まわしい邸宅を後にしたのです。




 その後、貴代さんからのアプローチはなくなり、元の穏やかな生活が戻った穂高家。

 4月には中学に進学した莉帆ちゃん。学校で新しいお友達も出来、夏休みに入ってからは、部活に遊びに毎日飛び回っていて、今日も朝からお土産を渡しに、お友達のところへ出掛けて行ったそうです。

 ふと、もしあのまま直樹さんと結婚していたら、静花さんの人生は間違いなく悲惨なものになっていたと思いました。何せ、姑があの貴代さんですから、想像に難くありません。

 実際、不妊を理由に三回も結婚離婚を繰り返させたほどの人物ですから、莉帆ちゃんはあくまでストックで、長男を産まなければ離婚させられた可能性も否定出来ず、結局、貴代さん含め誰一人として、あの家で幸せになった人はいないのです。

 せめて、直樹さんや伸太朗さんが、もう少し自分の意見を言うことが出来たなら、状況は違ったのでしょうが、ふたりとも亡き今となっては、もう…。




 貴代さんの人物像は、私の母と重なります。末っ子長男の弟を溺愛していた母は、弟が交際する女性に何かと文句やケチを付けては、妨害することを繰り返しておりました。

 周囲とは談笑しながら彼女だけを睨み付けたり、彼女だけカウントしないなどといったレベルの低い嫌がらせに、見ているこっちが恥ずかしくなるほど。

 幸い、これまで弟に子供が出来たことはありませんが、もしそうなれば静花さんの出来事は他人事ではなく、姉として出来る限り母の暴挙を食い止めなければ、と思ってはいるものの。

 結局、現在も弟は独身のまま、結婚出来る見通しも立っていません。幸いにも、残念ながらにも。




 最近になって、貴代さんの代理人から伸亮さんの事務所へアプローチがあり、自分が亡き後、全財産を莉帆ちゃんへ譲渡したいと希望しているそうです。

 あの時、完膚なきまでに貴代さんとの決別を宣言した莉帆ちゃんでしたが、未成年ということで保留にしているとのこと。

 今後成長して行く過程で、彼女自身どう変化するのかは分かりません。あるいは、直系としての責任感が芽生え、あの家の墓守として跡を継ぐと言い出すかも知れませんが、それもまた莉帆ちゃんの人生です。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み