第8話
文字数 2,034文字
それは、かつて貴代さんが寄越した代理人と交わした、未署名のものも含めた同意書を写したもので、莉帆ちゃんの携帯からは、あの時録音した音声が流れたのです。
『…では、堕胎費用と手切れ金の100万円は、お受け取りになられないということで、今後一切、直樹さんとは関わりを持たないことに同意頂ければ、こちらに署名捺印をお願い致します。……はい、結構です。それでは、確かにその旨、柴田貴代様にお伝えいたしますので』
決定的なまでのその音源にも、貴代さんは表情を崩すことなく、淡々とした口調で莉帆ちゃんに言いました。
「そんなことはどうでも宜しい。この家の血を受け継ぐ人間は、もうあなたしかいないの。あなたには、この家を継いで代々の墓を守る責任があるのよ。分かったら、素直にこちらの言うことに従いなさい」
「いきなり、血とか家とか言われても、意味わかんないし」
「いい? 直樹があなたの実の父親なのよ。そして私は、実のおばあちゃんなの」
「で、私は実のおばあちゃんに、100万円で殺されそうになったわけだ」
さすがは実の孫娘だけあり、あの貴代さん相手に一歩も怯まない莉帆ちゃん。毅然と立ち向かうその小さな背中は、大切な家族を守ろうとする強い気持ちで溢れて見えました。
「あなたは、血を分けた実の父親や祖母より、血も繋がらないそんな男を父親だというの!?」
すると、莉帆ちゃんは貴代さんの目の前に歩み寄り、子供とは思えないような威圧感で答えました。
「生まれてから、一回だって会いにも来なかった父親と、殺せって命令したばーさんを『家族』って呼べるほど、心広くないから、私」
「そんなくだらない昔のことを! それにまあ、何て口の利き方!」
「あんたの遺伝じゃね? あの時殺されてたら、私は今ここにいない。あんたが殺そうとした私を、パパとママが守って産んで育ててくれたから、今私はここにいる。その歳になって、んなことも分かんないの?」
「その時と今とでは、事情が違うの! あなただって、大人になれば分かるわ! 家を守るためには仕方ないことだってあるし、家を継ぐ者がいなければ、この家は絶えてしまうのよ!」
「んなこと知るか! あんたには家が大事でも、私にとっては家族のほうが大事なんだよ! 私を殺そうとしたことは別にしても、ママを傷つけたことだけは絶対に許さないし、パパを悪く言うことも許さない! 自分は何も努力もしてないくせに、都合の良いときだけ血が繋がってるとか言うんじゃねーよ!」
「何も分かってないくせに、偉そうに言わないで! 努力なら、私だってしたわよ! 子供が出来るように、子供を産まない嫁とは離縁させて、新しい嫁を貰って、それでも駄目ならまた…!」
「あんたって、ホント、可愛そうな人だね」
「何ですって!? 子供のくせに…!」
「幼稚園で習わなかった? 人間には『心』があるから、嫌なことをすれば、相手から嫌われるんだよ。直樹さんて人は、そんな母親のこと好きだったのかな? ホントにそれで幸せだったのかな?」
思わず絶句し、ペタリとソファーに座り込んだ貴代さんに、莉帆ちゃんは小さな子供に諭すような口調で言いました。
「知り合いのおばちゃんが言ってました。私とパパには血の繋がりはないけど、一緒の時間を積み重ねて来たから、今の家族があるって。んで、その人生を後悔してないって」
「でも、私たちは本当の肉親で…!」
「だからって、何でも許されるわけじゃないことくらい、小学生でも知ってますよ?」
突き放すように放った言葉に、貴代さんは堰を切ったように泣き出し、帰り支度を始めた莉帆ちゃんは、最後に貴代さんに向かって、
「もう二度と会うこともないと思うけど、生きてるうちに会えて、良かったです。私の家族はパパとママしかいないけど、遺伝子上、あなたもいたんだって、記憶のどこかに置いておきます」
そう言うと、静花さんを促し、ふたりは応接間を出て行きました。
一方、もう少し話があるからと部屋に残った伸亮さんは、ふたりが駐車場に停めてある車に乗り込んだのを窓から確認すると、声を押し殺して泣いている貴代さんに話しかけました。
「すみませんね、生意気な盛りですから」
「あなたに、言われる筋合いはありません…!」
「失礼しました。ただ、莉帆は実の娘でこそありませんが、まったく血が繋がっていないわけでもないので」
「…何を言ってるの、あなた?」
「あなたは、あの頃とまったく変わっていないようですね。と言っても、私のことなどご存知ないでしょうが」
「…あなた、誰なの?」
「私も、莉帆と同じ境遇です。私の父は夏木伸太朗、母とは身分が違うと言って、あなたが無理やり別れさせた、あなたの弟だった人です」
「あなた、あのときの女の…」
「ええ、息子です。あなたの孫娘である莉帆は、すなわち私にとって従姪(従兄の娘)にあたる関係です」
再び言葉を失い、身動きすら出来ずに伸亮さんに見入る貴代さん。運命は、時としてとんでもない悪戯をするものです。
『…では、堕胎費用と手切れ金の100万円は、お受け取りになられないということで、今後一切、直樹さんとは関わりを持たないことに同意頂ければ、こちらに署名捺印をお願い致します。……はい、結構です。それでは、確かにその旨、柴田貴代様にお伝えいたしますので』
決定的なまでのその音源にも、貴代さんは表情を崩すことなく、淡々とした口調で莉帆ちゃんに言いました。
「そんなことはどうでも宜しい。この家の血を受け継ぐ人間は、もうあなたしかいないの。あなたには、この家を継いで代々の墓を守る責任があるのよ。分かったら、素直にこちらの言うことに従いなさい」
「いきなり、血とか家とか言われても、意味わかんないし」
「いい? 直樹があなたの実の父親なのよ。そして私は、実のおばあちゃんなの」
「で、私は実のおばあちゃんに、100万円で殺されそうになったわけだ」
さすがは実の孫娘だけあり、あの貴代さん相手に一歩も怯まない莉帆ちゃん。毅然と立ち向かうその小さな背中は、大切な家族を守ろうとする強い気持ちで溢れて見えました。
「あなたは、血を分けた実の父親や祖母より、血も繋がらないそんな男を父親だというの!?」
すると、莉帆ちゃんは貴代さんの目の前に歩み寄り、子供とは思えないような威圧感で答えました。
「生まれてから、一回だって会いにも来なかった父親と、殺せって命令したばーさんを『家族』って呼べるほど、心広くないから、私」
「そんなくだらない昔のことを! それにまあ、何て口の利き方!」
「あんたの遺伝じゃね? あの時殺されてたら、私は今ここにいない。あんたが殺そうとした私を、パパとママが守って産んで育ててくれたから、今私はここにいる。その歳になって、んなことも分かんないの?」
「その時と今とでは、事情が違うの! あなただって、大人になれば分かるわ! 家を守るためには仕方ないことだってあるし、家を継ぐ者がいなければ、この家は絶えてしまうのよ!」
「んなこと知るか! あんたには家が大事でも、私にとっては家族のほうが大事なんだよ! 私を殺そうとしたことは別にしても、ママを傷つけたことだけは絶対に許さないし、パパを悪く言うことも許さない! 自分は何も努力もしてないくせに、都合の良いときだけ血が繋がってるとか言うんじゃねーよ!」
「何も分かってないくせに、偉そうに言わないで! 努力なら、私だってしたわよ! 子供が出来るように、子供を産まない嫁とは離縁させて、新しい嫁を貰って、それでも駄目ならまた…!」
「あんたって、ホント、可愛そうな人だね」
「何ですって!? 子供のくせに…!」
「幼稚園で習わなかった? 人間には『心』があるから、嫌なことをすれば、相手から嫌われるんだよ。直樹さんて人は、そんな母親のこと好きだったのかな? ホントにそれで幸せだったのかな?」
思わず絶句し、ペタリとソファーに座り込んだ貴代さんに、莉帆ちゃんは小さな子供に諭すような口調で言いました。
「知り合いのおばちゃんが言ってました。私とパパには血の繋がりはないけど、一緒の時間を積み重ねて来たから、今の家族があるって。んで、その人生を後悔してないって」
「でも、私たちは本当の肉親で…!」
「だからって、何でも許されるわけじゃないことくらい、小学生でも知ってますよ?」
突き放すように放った言葉に、貴代さんは堰を切ったように泣き出し、帰り支度を始めた莉帆ちゃんは、最後に貴代さんに向かって、
「もう二度と会うこともないと思うけど、生きてるうちに会えて、良かったです。私の家族はパパとママしかいないけど、遺伝子上、あなたもいたんだって、記憶のどこかに置いておきます」
そう言うと、静花さんを促し、ふたりは応接間を出て行きました。
一方、もう少し話があるからと部屋に残った伸亮さんは、ふたりが駐車場に停めてある車に乗り込んだのを窓から確認すると、声を押し殺して泣いている貴代さんに話しかけました。
「すみませんね、生意気な盛りですから」
「あなたに、言われる筋合いはありません…!」
「失礼しました。ただ、莉帆は実の娘でこそありませんが、まったく血が繋がっていないわけでもないので」
「…何を言ってるの、あなた?」
「あなたは、あの頃とまったく変わっていないようですね。と言っても、私のことなどご存知ないでしょうが」
「…あなた、誰なの?」
「私も、莉帆と同じ境遇です。私の父は夏木伸太朗、母とは身分が違うと言って、あなたが無理やり別れさせた、あなたの弟だった人です」
「あなた、あのときの女の…」
「ええ、息子です。あなたの孫娘である莉帆は、すなわち私にとって従姪(従兄の娘)にあたる関係です」
再び言葉を失い、身動きすら出来ずに伸亮さんに見入る貴代さん。運命は、時としてとんでもない悪戯をするものです。