第5話
文字数 2,357文字
もう一つの懸念、『未婚で出産した場合の、会社の扱い』がどうなるのかについて、あくまで一般論として、総務の都築さんに尋ねたところ、『労働基準法では問題ないものの、会社としては前例がないので、何とも言えない』とのこと。
当時は、既婚女性が仕事を続けるのも難しかった時代。妊娠・出産ともなれば、退職するのが当然という風潮の中、未婚でとなると、周囲からの好奇の目に晒され、頭の固い上層部から圧力が掛かるかも知れません。
最大の強みは、静花さんが宅建の資格を持っていること。不動産事業部にとっては必要不可欠ですから、おいそれと退職させることはないでしょうが、それでも安心は出来ません。
何か良い手立てはないか、皆であれこれ考えていたのですが、その解決策は、あっけなく舞い込んで来たのです。
話し合いが上手くいった御礼に、私たち女性6人で、木山さんと穂高さんをお食事にお誘いしたときのこと。
御礼というのは口実で、法律に詳しい穂高さんのお知恵をお借り出来ればというのが本音でした。
静花さんの今後の会社での処遇がどうなるかで、盛り上がる私たちに、
「要は、結婚っていう大義名分があれば、問題ないわけですよね?」
「それはそうなんですけどね」
「だったら、僕と結婚しませんか?」
あまりの突拍子もない穂高さんの発言に、誰もが一瞬『ふ~ん』とスルーしかけた後、彼を二度見したほどです。
ぶっ飛んだ発言に、親友の木山さんも、
「おい、穂高。いくらなんでも、そういう冗談は…」
「冗談なんかじゃないよ。うちも母子家庭だったから、シングルマザーの苦労は身をもって経験してる」
今でこそ、随分と子供の権利が守られるようになりましたが、当時は『婚外子』であることが、子供の人生を左右するほどのハンディキャップだったご時世です。
穂高さんの申し出は、かつて彼自身が経験し、今後静花さん母子が直面するであろう問題をクリアするには、有効かつ手っ取り早い手段ではありますが、穂高さん、静花さん、そして生まれてくる子供の人生と戸籍に関わる重大なことです。
今後、お互いの状況や心境の変化がないとも限らず、何より、お腹の子供が穂高さんの実子ではないことだけは事実。無関係な彼を、今回の出来事に巻き込む道理などありません。
すると穂高さんは、そんな静花さんの思いを察するように、
「僕の母はすでに他界していて、他に親戚もいない天涯孤独の身です。もう一つ打ち明ければ、幼い頃の病気が原因で、僕には子供が出来ません」
「そうなんですか…?」
「確かに、生まれる子供は僕のDNAを受け継いではいませんが、入籍すれば、特に怪しまれることなく、戸籍上は実子として受理されますし、婚姻後200日以内に出産した場合は、後から親子関係不存在確認調停の申し立てをすれば、戸籍の訂正をすることも出来ます」
確かにその方法なら、子供は夫婦の嫡出子として戸籍に記載されますし、もし今後、穂高さんと子供が親子であることに不都合が生じたとき、戸籍を訂正することも可能です。
法律事務所で働いていると、そんな相談案件がたくさんあるのでしょうか、穂高さんの知識と発想には誰もが感服するばかり。
が、静花さんだけは背徳感が払拭しきれない様子。
「でも、やっぱりこんなことに協力してもらうなんて、人としてどうかと…」
「こう考えたらどうですか? 僕はあなたを心から応援したいと思って、それが『プロポーズ』という形だった。世の中には、子連れ再婚するステップファミリーだってたくさんいるでしょう? その子が、生まれる前か後かの違いだけです」
「おっしゃることは正論ですけど、会って間もないうえに、お互いのこともよく知らないで結婚なんて…」
「お見合い結婚だったら、それが普通ですよね? でも、もしどうしてもあなたが僕を受け入れられないなら、それは尊重します」
「そんな!」
「子供が生まれるまで、まだ時間がありますから、じっくり考えてみて下さい」
穂高さんの言葉には、一つ一つに説得力があり、第三者である私たちは勿論、当事者であり、元来真面目の塊のような静花さんの心も、少しずつ動かされ始めていたのも事実。
「一つ、伺っても良いですか?」
「はい?」
「穂高さんは、私と結婚して、どんなメリットがあるんでしょう?」
「守るべき家族が出来ること、ですかね」
何の躊躇もなく、そう答えた穂高さん。その言葉に、嘘偽りがなかったことは、その後の彼らを見てきた私たちが、何よりの証人です。
1か月後、入籍したふたりのために、友人たちの合同主催で手作りのお祝いパーティーをし、その半年後に誕生した元気な女の子、それが莉帆ちゃんです。
その後、穂高さんも無事司法試験に合格し、静花さんも会社に復帰。親族のフォローがない共働きでの子育ては大変でしたが、問題が持ち上がるたび協力して乗り越えたふたり。
莉帆ちゃんの成長と共に、徐々に問題も少なくなり、静花さんは実力が評価され、一般職から初の女性主任に昇格、穂高さんは務めていた事務所を独立し、個人で法律事務所を立ちあげました。
穂高法律事務所には、多くの会社や個人から顧問の引き合いがあり、私の夫の会社も、穂高先生に顧問弁護士をして頂いており、その当時、色々な出来事に翻弄されたのですが、それはまた、別のお話。
当初は、生まれてくる子供のための『偽装結婚』というスタンスで始まった結婚生活でしたが、穂高さんの言葉通り、少しずつ着実に愛情と絆を強めていったこのファミリー。
確かに、莉帆ちゃんと穂高さんには、遺伝子上の父娘関係はありませんが、戸籍上はれっきとした親子であり、真実を知るのは限られた人間だけ。その事実は黙されたまま、この先も莉帆ちゃん本人に告げないのが、私たちの暗黙の了解でした。
当時は、既婚女性が仕事を続けるのも難しかった時代。妊娠・出産ともなれば、退職するのが当然という風潮の中、未婚でとなると、周囲からの好奇の目に晒され、頭の固い上層部から圧力が掛かるかも知れません。
最大の強みは、静花さんが宅建の資格を持っていること。不動産事業部にとっては必要不可欠ですから、おいそれと退職させることはないでしょうが、それでも安心は出来ません。
何か良い手立てはないか、皆であれこれ考えていたのですが、その解決策は、あっけなく舞い込んで来たのです。
話し合いが上手くいった御礼に、私たち女性6人で、木山さんと穂高さんをお食事にお誘いしたときのこと。
御礼というのは口実で、法律に詳しい穂高さんのお知恵をお借り出来ればというのが本音でした。
静花さんの今後の会社での処遇がどうなるかで、盛り上がる私たちに、
「要は、結婚っていう大義名分があれば、問題ないわけですよね?」
「それはそうなんですけどね」
「だったら、僕と結婚しませんか?」
あまりの突拍子もない穂高さんの発言に、誰もが一瞬『ふ~ん』とスルーしかけた後、彼を二度見したほどです。
ぶっ飛んだ発言に、親友の木山さんも、
「おい、穂高。いくらなんでも、そういう冗談は…」
「冗談なんかじゃないよ。うちも母子家庭だったから、シングルマザーの苦労は身をもって経験してる」
今でこそ、随分と子供の権利が守られるようになりましたが、当時は『婚外子』であることが、子供の人生を左右するほどのハンディキャップだったご時世です。
穂高さんの申し出は、かつて彼自身が経験し、今後静花さん母子が直面するであろう問題をクリアするには、有効かつ手っ取り早い手段ではありますが、穂高さん、静花さん、そして生まれてくる子供の人生と戸籍に関わる重大なことです。
今後、お互いの状況や心境の変化がないとも限らず、何より、お腹の子供が穂高さんの実子ではないことだけは事実。無関係な彼を、今回の出来事に巻き込む道理などありません。
すると穂高さんは、そんな静花さんの思いを察するように、
「僕の母はすでに他界していて、他に親戚もいない天涯孤独の身です。もう一つ打ち明ければ、幼い頃の病気が原因で、僕には子供が出来ません」
「そうなんですか…?」
「確かに、生まれる子供は僕のDNAを受け継いではいませんが、入籍すれば、特に怪しまれることなく、戸籍上は実子として受理されますし、婚姻後200日以内に出産した場合は、後から親子関係不存在確認調停の申し立てをすれば、戸籍の訂正をすることも出来ます」
確かにその方法なら、子供は夫婦の嫡出子として戸籍に記載されますし、もし今後、穂高さんと子供が親子であることに不都合が生じたとき、戸籍を訂正することも可能です。
法律事務所で働いていると、そんな相談案件がたくさんあるのでしょうか、穂高さんの知識と発想には誰もが感服するばかり。
が、静花さんだけは背徳感が払拭しきれない様子。
「でも、やっぱりこんなことに協力してもらうなんて、人としてどうかと…」
「こう考えたらどうですか? 僕はあなたを心から応援したいと思って、それが『プロポーズ』という形だった。世の中には、子連れ再婚するステップファミリーだってたくさんいるでしょう? その子が、生まれる前か後かの違いだけです」
「おっしゃることは正論ですけど、会って間もないうえに、お互いのこともよく知らないで結婚なんて…」
「お見合い結婚だったら、それが普通ですよね? でも、もしどうしてもあなたが僕を受け入れられないなら、それは尊重します」
「そんな!」
「子供が生まれるまで、まだ時間がありますから、じっくり考えてみて下さい」
穂高さんの言葉には、一つ一つに説得力があり、第三者である私たちは勿論、当事者であり、元来真面目の塊のような静花さんの心も、少しずつ動かされ始めていたのも事実。
「一つ、伺っても良いですか?」
「はい?」
「穂高さんは、私と結婚して、どんなメリットがあるんでしょう?」
「守るべき家族が出来ること、ですかね」
何の躊躇もなく、そう答えた穂高さん。その言葉に、嘘偽りがなかったことは、その後の彼らを見てきた私たちが、何よりの証人です。
1か月後、入籍したふたりのために、友人たちの合同主催で手作りのお祝いパーティーをし、その半年後に誕生した元気な女の子、それが莉帆ちゃんです。
その後、穂高さんも無事司法試験に合格し、静花さんも会社に復帰。親族のフォローがない共働きでの子育ては大変でしたが、問題が持ち上がるたび協力して乗り越えたふたり。
莉帆ちゃんの成長と共に、徐々に問題も少なくなり、静花さんは実力が評価され、一般職から初の女性主任に昇格、穂高さんは務めていた事務所を独立し、個人で法律事務所を立ちあげました。
穂高法律事務所には、多くの会社や個人から顧問の引き合いがあり、私の夫の会社も、穂高先生に顧問弁護士をして頂いており、その当時、色々な出来事に翻弄されたのですが、それはまた、別のお話。
当初は、生まれてくる子供のための『偽装結婚』というスタンスで始まった結婚生活でしたが、穂高さんの言葉通り、少しずつ着実に愛情と絆を強めていったこのファミリー。
確かに、莉帆ちゃんと穂高さんには、遺伝子上の父娘関係はありませんが、戸籍上はれっきとした親子であり、真実を知るのは限られた人間だけ。その事実は黙されたまま、この先も莉帆ちゃん本人に告げないのが、私たちの暗黙の了解でした。