第4話

文字数 8,636文字

4.
ゲートの周りにも飲食店や居酒屋というものは存在する。これらは主に、ゲートを通って出稼ぎに来る、雑居区の人間をターゲットとして建てられたものだ。そこでは雑居区では中々味わえない培養肉や人造パンを使った料理が比較的安価で味わうことができることから、特に昼間に人気を博すエリアだ。

だが、終業後にこれらの飲食店に立ち寄ることは推奨されていない。なぜならつい合成酒を飲みすぎて店を出るのが夜遅くなった場合、パトロール中の新東警の警官に身ぐるみはがされるのが関の山だからだ。勿論、新都警の人間とはいえ新東京都の住人にこのようなことをすればただでは済まない。一族そろって雑居区送りにとどまれば極めて温情的な措置といわれるほどだ。

だが、雑居区から来た人間に対しては殺したりしない限り、一定の役得が認められていた。
それを知っているからこそ、雑居区から来た人間はみな終業時刻となるや足早にゲートを目指し、あるいはゲートを抜けた後の雑居区側の居酒屋で合成酒を流し込む。

私もその人の波の中に潜みながらも、目当ての建物が見えてきたあたりでひっそりと抜け出した。まだ再開発の進んでいない、ねじくれた裏路地の先に、その店BAR Electric Sheepはあった。半地下式の入り口を目指し階段を下りていき、closedの札のかかった木製の扉の前に立つ。そして息を吸うと続けてドアを三回、時間をおいて二回、また時間をおいて五回ノックした。「待っていたよ、ちょっと待ちたまえ」との声とともに、四方八方から探査ビームが飛んでくるのを肌で感じる。三か月ぶりにここに来るとはいえ、前よりも探査が念入りになっていることに苦笑いする。正直ゲートでの検査など比ではないぐらいだ。

ここより探査が厳重なのは、それこそうわさに聞くペンダゴンか、防衛省情報本部ぐらいのもんだろう。これはいよいよかの先生もパラノイアに取りつかれたか、それともいよいよやばい部分に手を突っ込んだかの二択だが、まあ先生の性格からして間違いなく後者だろう。何せドアまでもが新調されているのだ。しかも見た目は木製だがその実旧時代の戦車砲の直撃に無傷で耐えきるだけの強度に、無限生成式の暗号鍵までついている。このドアを破るのはユーリでも難しいんじゃないか。そんな要塞さえ連想させるほどの警備にもはや笑うしかない。

そんなことを考えているうちに、探査が完了したらしい。「入りなさい」の言葉とともに扉が開く。さぞや重いだろうに、その重さを全く感じさせぬように開くドア。ここにも金がかかってんだな、と苦笑しつつ中に入る。そこは薄暗くはあるが小洒落たバーだった。磨き上げられたバーカウンターに、つるされている曇りなく磨かれた無数のグラスたち。壁には今となっては珍しい本物の酒、それどころか旧時代においてさえ名の知られた酒のボトルがずらりと置かれている。そして会話を邪魔せぬほどの音量で、これまた今では珍しいレコードが流れている。チョイスはピアノソナタ月光 第三楽章。相変わらずいい趣味だと思う。

だが先生の姿がない。いつもなら、確かにここにいるはずなのだが。そう思いぐるりと見渡し―見つけた。別段隠れていたわけではなかった。彼は、先生ははじめからそこにいた。ただあまりに風景と同化していて、見つけられなかっただけだ。先生は、カウンターの中でグラスを磨いていた。いつものようにその銀髪をオールバックになでつけて。50は超えているだろうに、いまだに若々しさを感じさせるイギリス紳士然とした顔に微笑みを浮かべている。

「狭い視野に囚われがちなのが君の悪い癖だと教えたはずですよ、百合君」

その言葉の調子は優しいが、実際その通りだ。昔から先生にはそのことでよく叱られていた。素直に頭を下げる。先生は穏やかな笑みを浮かべながら続ける。

「それに今朝のゲート前での騒ぎの時の君の反応。あれもよくないですね。感情にのまれがちなのも減点対象です。」

その言葉にはっとする。あの時私の背中をこずいたおじさんは、もしかして。私の視線に答えるように先生はうなずく。

「そうです、私の変装です。」

そして続ける。

「それにしても驚きましたよ。私の教え子がかくも無謀な挑戦を行うとは。……君はせっかく得た命を、復讐の機会をあたら無駄にする趣味でもあるのですか?あるというのなら悪いですが君は客でもなければ教え子でもありません。出ていきなさい」

その言葉は厳しい。その見透かすような視線から感じるのは、少なからずの苛立ちの感情と、それ以上に強い悲しみの感情。私はただ頭を下げるしかない。それを見て若干表情を和らげる先生。

「いいでしょう。覚えておきなさい、百合君。私も君も、自分一人の命ではありません。私たちにはあの研究所で無残に殺されていった子供たちの仇をとる必要があるのです。……それに、君には素敵な彼女がいるのでしょう?あまり彼女が悲しむような真似はしないように」

そういって先生は微笑む。私はただ恥じ入るばかりだ。そうだ、先生の言うとおりだ。かつて雑居区で国防軍に「志願した」として強制的に拉致された私たち。私を守ろうとして軍の兵士に立ち塞がった父さんも母さんも兄貴も、皆撃ち殺された。まるでゴミみたいに。いや、新東京都人から構成される国防軍からすれば、私たちアウターヘブンの人間なんて文字通りゴミだったのだろう。大切な人を目の前で撃ち殺され、呆然とする私。乱雑に縛られたあと、同じように血まみれで呆然とする同年代の少年少女達と共にトラックで軍の秘密研究所に運ばれた。

そこで、私たちは、体のほとんどを機械に置き換えることで、どんな環境でも、どんな訓練された兵士よりも強く戦える兵士、全身義体化兵士を作り出すためのモルモットとして扱われた。数多くの子供たちが訓練で、実験で死んでいった。周りの大人たちはただそれを興味深そうに見ているばかり。だけど先生だけは違った。先生は不思議な人だった。子供たちばかりに犠牲を強いるのは間違っていると、自身も研究者でありながら自身も全身義体化実験に参加した。私たちがここに連れてこられた経緯を知り、涙を流して土下座した。知らなかったのだ、と。それで君たちの恨みが晴らせるのなら、どうか僕を殺してくれと絶叫する先生の姿はよく覚えている。

他にも、他の大人たちが私たちをただの替えのきく部品として扱っていたのに対し、先生だけは人間として、子供として扱ってくれた。たくさんの面白いお話をしてくれた。他の大人には内緒で、お菓子をくれたりした。私たちの仲間が死んでしまったときは、一緒に泣いてくれた。謝ってくれた。

実験が進むにつれ、生き残っているのは先生と、私と、あと何人かだけになった時。ある日先生は私たちが雑魚寝する部屋にやってきて言った。他の大人たちは君たちを使いつぶす気だ。もうこうなったら逃げ出すしかない。すべての準備は私が整える。合図の爆発が起きたら私の指示した場所に集まるんだ。そこからみんなでここから脱出する。

正直、先生を含め、研究所の人間は憎い。だが、先生は、先生だけはこんな糞みたいな場所でも私達を人間として扱ってくれた。そんな先生を疑う理由なんてなかった。私たちは当然のようにうなずき、合図の爆発を待った。そして合図の爆発とともに先生の指定した場所に生き、運良く逃げ出すことができた。燃え盛る研究所を背景に、先生が泣きながら言っていたことを私は今でもよく覚えている。

「こんな、子供たちに未来を与えられない社会のどこに正義があるというのです!僕は、私はこんな社会が、こんな社会を生んだあの『壁』が憎い。こんなことをいう資格が僕にないことを知っています。ですが、許されるのならどうか僕があの壁を壊す手伝いをしてくれませんか!」

私たちはうなずいた。確かに先生に思うところはある。だが間違いなく、先生に救われたのもまた事実なのだ。ならば恩を返すのは当たり前ではないか。あの誓いから10年がたった。生き残った子の少なからずが死に、私も今はフリーの殺し屋、先生は新東京都の裏社会をコントロールする仲介屋の一人なんて座に収まってはいるけれど、あの日の誓いを忘れたことなどない。

それだけに先生の言葉が身に染みる。く、と嗚咽が漏れそうになる。

「すみません、先生」

だが泣いてなどやるものか。これでも私は、ここに依頼を受けるフリーの殺し屋としてきているのだ。ここで子供のように泣いたりしたら、いよいよ先生は私を見損なうかもしれない。それだけは嫌だった。私は必死に嗚咽をかみ殺す。その様子を見て

「うん、自分の感情をコントロールしようとするのはよろしい。」

と、満足げに微笑む先生。それとともに目の前に置かれる料理の皿と見知らぬ液体の入ったグラスが置かれる。

「先生、これは?」

思わず尋ねる私。

「水牛のカプレーゼと、ヘネシーV.Sという旧時代でも有名なお酒です。勿論本物ですよ。まあ、今は食べなさい。どうせ、何も食べていないんでしょう?」

そこから漂う香りは疑うまでもなく本物で。人口蛋白などには到底まねできぬ複雑な味のテクスチャを楽しむ。お酒も格別だった。合成酒やトリップドラッグなどでは味わえぬ、心地の良い酩酊。深みのあるコクに脳裏に突き刺さるような酒精の香り。本物だといわれずとも本能的に体が察するような味。どうやってこんな逸品を手に入れたのか。裏のルートでもなかなか手の入るものでもないだろうに。もしかして私が来るからわざわざ用意してくれたのか。気にせずに食べなさいというように手で示す先生。素直に頭を下げる。

私が心地よい満腹感に支配されたころ。アンティークのパイプを磨いていた先生がぽつりと言った。

「では仕事の話ですが、成果を聞きましょうか。」

先生の手にはいつの間にか握られていた手帳とペン(なんと珍しいことに電子媒体じゃない紙の手帳だ!)。その横顔は鋭い。仲介屋としての先生の顔だ。私も頭を振って酔いを飛ばすと、姿勢を正して言った。

「はい、先生。先生の依頼にあった通り、新東京都内において近年勢力拡大中のマフィア、チームSEALSとドラゴンズ・スパインの幹部の暗殺に成功しています。現場にはお互いのチームの証を残してきました。」

そこで一度口を湿らせ、続ける。

「これらの証についてですが、メンバーから奪取した本物であるため、これが我々の誘導だとばれることはないでしょう。幹部暗殺後は、ほとぼりを覚ますため、指示通り足取りをくらませておりました」

先生は手帳を見ながら満足げに頷くといった。

「うんうん、大いに結構。私の方でも両幹部の殺害の成功と両マフィアの混乱は確認していますよ。彼らはすっかり敵対マフィアの手によるものと誤解しています。今では連日のように大騒ぎです。」

そこで先ほどまで磨いていたパイプに刻みタバコを詰める先生。マッチで火をつけプカリとふかすと続ける。

「壁の中にはマフィアなるならず者はいないことになっているので、今のところ報道管制が敷かれていますが、そろそろ無理が見え始めるぐらいには状況は大荒れです。これで新都警はしばらくそちらの対応に追われるでしょう。よくやってくれましたね、百合」

「ありがとうございます」

素直に頭を下げる。端末を操作している先生。先生は言う。

「報酬はいつもの口座に。今回はこちらの都合でお休みいただいた分、報酬には色を付けてあります。」

その言葉に端末から裏の口座にアクセスすると、通常の暗殺の1.7倍近くの報酬が振り込まれている。正直、生きていくには工場の賃金でも生きていくことはできるのだ。思わずもらいすぎではないかと見返すが、「正当な働きには、正当な報酬を、ということですよ」と先生は取り合わない。

「それで次の依頼なのですが」とぺらぺらと手帳をめくる先生。「今の所、三件来てますね」という。

「まず一件目。AE開発公社からの依頼です。依頼は子会社であるAEI・ソフトウェアの社長令嬢の誘拐、拷問並び殺害。どうやらAEIの分離独立を阻止したいようですね」

私は軽くうなずく。こういう時、絶対にメモをとってはいけない。かつて先生に教わったことだ。脳裏に情報を刻み込んでいく。

「二件目はツマッド重工業から。対立するジニック社の広報担当官を暗殺してほしいのだとか。最近ジニック社はかなりツマッドのネガティブキャンペーンをやっていますからね。ツマッドも頭に来たのでしょう。」

ツマッド重工業。聞いたことのある名だ。こういう時、関連情報も合わせて依頼の裏を考えることと教わったものだ。ツマッド、ツマッド。ツマッドといえば最近売り出したばかりの新型重機ZUDHの売り上げが悪いと聞く。それ関連だろうか。調べておく必要があるな、と脳内のメモ帳に記しておく。

「そして三件目ですが、ああ、これは珍しい。PMC連合からです。虚偽の依頼達成報告の疑いのある傭兵を一人、粛清してほしいのだとか。」

傭兵一人の殺害。たやすいことだ、と内心考える。身辺には気を使っているだろうから正面からの暗殺は難しそうだ。なら、私も傭兵に偽装してともに何らかの依頼を受けて信頼を稼いだ後、後ろから撃つのが手っ取り早いだろう。うん、これにしよう。後腐れがなさそうなのが何よりいい。そう返事しようとして

「あと、これは仲介屋としてではありませんが、私個人としての依頼が一件あります。」

その言葉に返事をのみこんだ。私はすかさず言う。

「先生の依頼を受けます」

だが先生は首を振って言う。

「だめですよ百合。依頼の内容も聞かずに任務を決めては。もし私があなたをはめようとしていたらどうするんです?」

そうはいっても私は先生に救われたのだ。それに先生の言う依頼なら、きっと壁崩壊につながる何かだ。それを受けない理由なんてない。そんな思いを込めて先生の目をじっと見つめる。

先生はあきらめたようにため息を一つ吐くとつづける。

「この話はまた今度にしましょう。依頼内容としては政治家を一人、消してほしいのです。」

その言葉とともに先生の端末から一人の男の横顔がホログラムで立体表示される。どこかで見たことのある顔だ。先生は続ける。

「彼の名前は青島伸二。38歳。来季の新都知事選の出馬をもくろむ新進気鋭の政治家です。」

その名前を聞いて思い出す。そうだ、今朝ラジオでしゃべっていた男が確かそんな名前だった。

「ちょっと最近彼のおしゃべりの度合いが度を超してきましてね。ちょっと彼を黙らせてほしいのですよ」

先生は続ける。もともと彼は、アウターヘブンの人間に対し差別的な言動で人気を博してきた政治家だった。だが昨今ますますその言説は先鋭化しているのだと先生は言う。

かつて『壁』は旧時代の混乱時、相次ぐ富裕層に対する貧民層からのテロを防ぐ防壁として作られた。だが今日において『壁』は防壁であるにとどまらず「聖域」である必要があるのだと彼は主張するのだという。なんでも、壁の内側の人間は選ばれし民であり、そこに多少優秀とはいえ、汚れたアウターヘブンの人間を出稼ぎとしてでも受け入れることは壁の理念を汚すことだ、と。

それは、壁の中に入ることができた、富めるもの、才能のあるものは、政府からの潤沢な資金援助を基に、恵まれた環境の中でさらなる上を目指すことができ、壁の外の人間であっても、才能を示せば壁の中で働いたり住むことができるとする、建前ではあっても今の新都議会政府の姿勢とは全く相反するものだ。

だが困ったことに最近青山の理論が急速に人気を得つつあるのだという。これはマフィアを用いた警察の目を引き付ける工作が、思わぬ方向に転がった結果だという。「不安定な治安に対する市民の不安に付け込まれたのです」と先生は言う。「今の困った現状は、きっと自分たちより劣った存在のせいに違いない」と信じたい市民の深層心理と、青山の言説はあまりにマッチしすぎたのだ。こうした議論の拡大を受け、議会ではゲートの一時的な閉鎖と、マフィア予備軍の排除という名目で、アウターヘブンにおける掃討戦が取りざたされるようになったという。

「それは困るのですよ」と先生は言う。確かに、来たる壁破壊のため警察の目をよそに引き付ける必要があり、その上でマフィアの活用は必要不可欠であった。だがそれで救われるべきアウターヘブンの住民が苦境に立たされるのは本末転倒であると。
だからこそ、青島を消す。それも新都警の手による暗殺と見せかけて。先生の手のものにより命令書の偽造は完了しているという。これで青島が消えれば、間違いなく一大スキャンダルだ。市民もアウターヘブンへのバッシングの余裕などとうに失うだろう。副次的効果として、さらに新都警も動きにくくなるはずだ、と先生は言った。

なるほど、と私は深々と頷く。実に良い手だと思う。さすがは先生だ。

「それで、手はずは?」

私は尋ねる。

「明日昼正午、ミレニアムタワー前広場にて青島の決起集会が開かれます。そこで広場を見下ろせる田辺ビジネスホテル503号室から彼を狙撃してほしい。ワタナベの名前で部屋は押さえてあります。」

おや、と私は少し驚く。やけに先生にしては準備周到だなと。普段はもっとやり方に関してはこちらに一任して、結果さえ出せればやり方は問わないという感じだったのだが。よっぽどこの青島という男は消さなければいけない人間らしい。私も気を引き締めなおす。ただ少し、気がかりなこともある。それを確認する。

「なるほど、わかりました。ただ正午となりますと私の就業時刻と重なります。抜け出せということでしょうか。そうするとログが残ってしまいますが……。」

だが先生は手を振ってそれを否定する。先生は言う。

「ああいや、言い忘れてました。途中で抜ける必要はありません。明日10時ごろ、君の工場に爆弾が仕掛けられたという匿名の通報がいく手はずになっています。すぐに明日の操業は中断されることでしょう。それから向かえば十分間に合うはずです。」

「なるほど」

私はうなずく。それにしても工場に対する手回しといい、今回は実に念入りだ。やはり、これは絶対に失敗できない任務なのだ。そう確信する。そう、たとえ刺し違えてでも―そこまで考えた時、先生が私の考えを読んだように口を開いた。

「たとえ刺し違えてでも、などと考えているのなら怒りますよ、百合君。」
私はハッとして先生の顔を見る。

「君の、君たちの悪い癖です。安易に命を投げ出そうとする。私は別に、あなたたちを使い捨ての駒にしたくて助けたわけではありません」

そう言って頭を振る先生。「すみません」と頭を下げる。

「まあいいでしょう。……武器はいつもの手はずで用意してあります」

そういう先生。私は黙って頭を下げる。いつもそうだ。こと先生と『壁』に関することになると、つい気持ちが先走ってしまう。私の悪い癖だと自覚はしているのだが。

そうやってやや落ち込んでいた私を見かねたらしい。先生はカウンターの下から紙袋を取り出すと「そんなに落ち込まないでください。プレゼントですよ」と苦笑しつつ手渡してきた。

泣いている子供にお菓子を上げるわけでもあるまいに、と私も苦笑いを浮かべつつ紙袋を受け取る。紙袋はずっしりと重い。わずかに機械油の匂いもする。何が入っているのだろうと覗き込むと、そこには新品の一対の義足が入っていた。しかもロゴを見れば、本物の足さながらの滑らかな駆動を売りにした超高級ブランド。正直、私の工場勤務のお給料では到底手の出ない逸品だ。裏の口座に手を付けるにしても、それなりに覚悟の居る値段はするはずだ。それを私に?思わず先生の顔を見る。

「どうやらサプライズの価値はあったようですね」と満足げな先生。「君の恋人、ユーリ君のためですよ」と先生は続ける。確かにユーリの話はしたことがある。だが義足を探していた話などしていないはずだ。何よりそんな話をする機会もなかった。無数の?が私の脳裏を乱舞する。

「今朝方、君に出会ったとき、手先に義足の潤滑油が付着しているのを目撃しまして。ああ、これは話にあったユーリ君の義足が壊れたに違いないと思ったんです。そしてアウターヘブンにいい義足屋は少ない。なら教え子の恋人のためです、いっそ骨を折るかと思った次第で」

とニコニコと笑う先生。満足してもらえたのならいいのですが、などといいながらパイプを磨いている先生。深々と頭を下げる。

「でもいいのですか、こんな高級品を」

思わず尋ねる私。いいのですよ、と笑う先生。仲介屋なんてやっていると、顔が利きましてね。先行試作型の義足のテストなんてのも頼まれたりするんです、と先生。まさにそれがそうですね、と続ける先生に、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。そうはいってもサイズまでぴったりのものを用意するにはそれなり以上の苦労があったに違いない。再び頭を深く下げる。「テストヘッドとしての側面が強いので、違和感や故障があっても分解などはせずに、私のもとにもってきてくださいね」という先生にユーリにはくぎを刺しておかないとな、と内心苦笑する。

「いけません、長く話過ぎました」という先生。確かに時計を見るとかなり遅い。もうすぐゲートが閉まる時間だ。「よい報告を期待していますよ」という先生に深々と頭を下げると店を出る。脳裏に喜ぶユーリの姿を思い描きながら。
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