第3話

文字数 2,058文字

3.
私が工場についたころには既に、操業が始まっていた。がっしょん、がっしょんという音とともに作業台の上を流れていく無数の義足。富裕層向けのオーダーメイドの義足には性能として劣るものの、量産品としての特性を生かし、軍にも納品されているようなかなり高性能な義足たちだ。このうちの一本でもユーリのために持って帰ってやることができたらなあ。そんなことをぼんやりと考える。だがそれは不可能だ。高性能なAIに一括管理された監視カメラが作業員の一挙手一投足に目を光らせている。よしんばそれを欺いてもサブマシンガンを抱えた武装警備員が見回っている。勿論生の目玉を使っているから義眼をハックすることなどもできない。まあ、私ではリアルタイムで義眼をハックするのは手持ちの機材では無理なのだが。多分私の機材を用いてリアルタイムでハックできるのは、私の知る限りユーリか、あの先生ぐらいではないだろうか。

そんなことをぼんやり考えていたのがいけないのかもしれない。見回っていた現場主任に「糸杉さん、ちょっと!」と呼び止められた。

「何でしょう」と近づいていく私。

「シフトを変更したいっていうから変更したのに、その初日から遅刻されるのはさすがに困るよ」

といら立ちも露わに言う主任。確かにもっともな言い分だ。裏家業を再開させるにあたり、前までのシフトでは都合が悪いからといってかなり無理を言ってシフトを変えてもらったのがついこの前なのだ。確かにそんなことをされた日には主任としても困るだろう。素直に頭を下げておく。ただ、反「壁」テロリストの制圧に巻き込まれましてと正直に理由は言っておく。この人はただ頭を下げるより納得できる理由を出した方がいいタイプの人だ。そんなに長い付き合いでもないが、そうしたことを学べるぐらいの付き合いはある。

案の定頭をガシガシと掻くと、「それは、災難だったね……。怪我はないかい?」と心配そうな顔をして聞いてくる。新東京都人としては、話の分かるたぐいだ。「ありません。」と答えると安心したようにため息をついている。ただ

「上には事情を掛け合ってみるが、いくら君が熟練工とはいえ上は例のシフト変更をかなり嫌がっている。正直来季の契約継続は保障できない」

とくぎを刺してくるのも忘れない。正直、ここは割とお給金がよかっただけに残念だ。本業に到底稼ぎは及ばないとはいえ、ユーリに見せられる数少ない収入源の一つだったのだ。首になったらどうやってユーリにごまかそう。

そんなことを考えていると実に申し訳なさそうな顔と、高揚の入り混じったような奇妙な顔で、ある提案をしてきた。

「ところで、前の話は考えてくれたかい?君とぜひ親密な関係になりたいというお方を紹介することができる、という話だけど」

と。ああ、お偉いさんの愛人になれという話か、と内心苦笑する。正直、私がお偉いさんに抱かれたところでご相伴に預かれるわけでもあるまいに、熱心なことだと思う。案外、勧誘に成功したら昇進でも約束されているのかもしれない。まあ、返事は決まっているのだが。「申し訳ありませんが、私には恋人がいますので。」そう返すと苦笑いを浮かべる主任。「まあ、そうだよねえ」と。口ぶりからして私のルックスに似合うような美男子を思い浮かべているようだが、わざわざ誤解を訂正してやる義理もなし。「上にはうまく行っとくから」と手を振る主任に頭を下げ、配置場所につく。正直なれた工程。手短に、かつ精密に部品をくみ上げていく。

どれぐらいの時間がたっただろう。案外時間がたつのは早いもので、あっという間に終業時間になった気がした。帰り際、皆が携帯式端末を主任の立つ脇の端末にかざしていく。そうすると、本日分の給料が端末に振り込まれる仕組みだ。私も皆と同じようにかざす。ピロンという音とともに振り込まれる本日の給料。確認してみると、思っていたより多い。遅刻分が、なかったことにされている。思わず主任の顔を見る。

「君には随分失礼なことを言ったからね。それに、君の働きには助けられているし」

と苦笑する主任。ばれたら少なくない処分を食らうだろうに、気にしたそぶりはない。
深々と頭を下げる。「まあ、遅刻はほどほどに」と手を振って取り合わない主任。

「私、別に主任となら親密になってもいいですよ」

と思わず軽口をたたく。勿論ジョークだ。何より彼のような身分にあるものが、私たちのようなアウターヘブンのものと親しくなることは推奨されていない。最悪、新都警に睨まれかねない。主任もジョークということがわかっているのだろう、苦笑すると

「やめておこう。カミさんと娘に嫌われたくない」

という。やっぱり彼は本質的に善良な人なのだ。私はもう一度頭を下げると、ゲートに向かって歩き出す。その前に、もう一か所よるべき場所を脳裏に浮かべながら。

その道すがら、どんどん心は冷え切っていき。いつしか、主任と話していたような平和な「糸杉さん」としての心から、殺し屋としての冷静な「百合」としての心に切り替わっていることに気づいた。

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