第8話

文字数 2,829文字

8.
Piririri,Piririri

私は端末のアラームで目を覚ました。

「『知らない天井だ……』ってわけね」

昔見た旧時代のアニメ映画のセリフをそらんじながら身を起こす。回転イスをベッド代わりにして寝ていたので背中が痛い、気がする。勿論実際私は全身義体なので痛みを感じるわけでもないのだが、それはそれとして気分的な問題だ。

後、なんだか無性におちつかない。こう、何かが足りない気がする。ああそうか。私は気づく。ユーリの姿が見えないから落ち着かないのだ。何せ、この2年間同棲し始めてから私は帰りが遅くなろうとも必ずユーリの隣で眠ってきた。どんな依頼を受けても必ずだ。それがここ2年間で初めて、一人で眠った。随分と久々だ。それは落ち着かないはずだと苦笑する。

体の調子を確認していく。2,3発弾が肩をかすめたと思っていたが、特に動くのには支障がない。勘違いだったのかもしれない。こちらは問題なし。光学迷彩のバッテリーも単分子ワイヤーもきちんと補充されている。本当に先生には迷惑をかけてばかりだ。少し気持ちが暗くなる。そんな気持ちを吹き飛ばすように頭を一つ振ると、端末からチャットアプリを呼び出す。昨日はろくに通知も読まず、今日はバイトの関係で帰れないこと、直接今日は工場に向かうことだけを送ったのだ。一応通知にも目を通しておかないとな。そう思ってチャットアプリを開き

「げ……」

思わずうめいてしまった。それなりの数の通知がたまっていた。みれば、『工場に爆弾が仕掛けられたって聞いたよ、大丈夫?』『帰ってこないけどバイトの方にいったの?』『ねえ、暗殺事件があったみたいだけど本当に大丈夫?』『もし無事なら連絡して。』かなり心配させてしまったようだ。

これに対して私が送ったのが「今夜はバイトで帰れない」なのだ。まだ既読はついていないものの、起きて返信がこれだけと気づいたらさぞやユーリは怒るだろう。何なら嫌われた可能性だってある。正直、今からでも帰るのが憂鬱だ。

それにしても。昨晩別れ際に先生から言われた言葉。『私は、君は殺し屋をやめるべきだと思っています。』その言葉が脳裏に焼き付いて離れない。勿論壁は憎い。父さんも母さんも兄貴も、壁なんてものがあるから死んだのだ。新東京都人だって憎い。あの実験施設で何度も「助けて」と叫んだのに、誰も助けてはくれなかった。そして、今ある彼らの生活が、私たちアウターヘブンの人間を切り捨てた犠牲の上に立つものであるという事実に無頓着なその姿。その傲慢さが、何よりも気に入らない。だが、私は知ってしまったのだ。新東京都人にも、温かい血が流れていることを。私と同じように、帰りを待つ家族がいる、同じ生身の人間なのだということを。

つまるところ、私は子供で、想像力が足りていなかったのだ。『壁』を、新東京都人というものを、父さんの、母さんの、兄貴の仇だとしか考えてこなかった。だがそこには、私と同じような生身の人間がいるのだということを考えようともしなかった。その結果がこれだ。主任という一人の人間を間接的にせよ殺してしまい、今こんなにも苦しんでいる。こんな自分が、先生の力になれるのだろうか。いや、それよりも私は「人」を殺せるのだろうか。わからない、わからなかった。試しに架空の警備員を脳裏に描く。潜入中発見され、速やかに口を封じなければならない場面だと想定する。その首の骨を折るべく手刀を叩き込む。脳裏に描いたその様子のままに、実際に踏み込み手刀をふるう。

だが。「はああ」と思わず私はため息をつく。体の軸はブレブレ、腰も入っていない。到底人を殺せぬその威力。明らかに迷いが動作を鈍らせている。確かに、こんな様なら先生も「殺し屋をやめるべきだ」というはずだ。思わず苦笑する。

「ひどいものですね」

いつの間にかカウンターの中に立っていた先生から声をかけられる。気づかなかった。思わず肩を跳ねさせる私。だがそんな私にこたえることなく先生は続ける。

「それで、返事は決まりましたか?」

その眼は穏やかだ。君がどんな選択をしようともかまいませんよ、とでもいうように。だが一瞬気のせいだろうか、その目がひどく冷たく見えた。だが次の瞬間にはそんな様子は微塵もなく。いつものように穏やかなままで。気のせいだったのだな、と私は頭を振ると答える。

「もう少し、考える時間を頂けないでしょうか」

そう、私はもう少し考える時間が欲しかった。正直、先生の計画はかなり深いところまで進行していることを先生の口ぶりから察している。そのタイミングでの先生の計画を遅らせかねないこの返事をするのには、正直勇気が必要だった。怒られるかもしれない。そう思って身構える。

「……そうですか」

だが先生の口調は穏やかなままで。先生は怒らなかった。先生は続ける。

「ですが、お分かりかと思いますが計画はそれなりに進んでいます。あまり時間の猶予を与えられないことはわかっていますね?」

私はうなずく。それは覚悟していたことだ。考える時間をもらえるだけでもありがたい。

「あと、当然ですが、次の計画からは外れていただきます。また、次の計画がなんなのかも教えることはできません。これも、よろしいですね?」

私は頷く。敵を殺せないような人間を計画に入れるなんてナンセンスだ。それに、万が一私が裏切ったり、私が捕まった時に備えて、計画の内容を私に教えないというのは間違いなく正しい。だがこれまでずっと先生のすべての計画にかかわってきた身としては、どことなく疎外感を覚えてしまう。だがそんな心情も先生にはお見通しだったようで、

「そんな顔をしないでください。ほら、これを上げますから。」

と新聞紙に包まれた何かと保温瓶を投げ渡される。これは?と見返す私に先生は苦笑して

「サンドウィッチとコーヒーです。ここで朝ご飯を食べていく時間はないでしょうが、朝ご飯抜きは体に悪い。工場に行く道すがら食べていきなさい」

という。「コーヒーは本物の豆を使っていますから飛び切り濃いですよ。昨日みたいにむせないように」と付け加える先生に思わず苦笑する。先生の心遣いが身に染みる。素直に頭を下げる私。気にしないでくださいと手を振る先生。

「一度きりしかない人生です。後悔はしないようよくよく考えてください。……昨日の報酬はいつもの口座に振り込んでおきますので」

そういう先生に再び頭を下げる。

「私は君の能力を大変高く評価しています。戻ってきたくなったらいつでも言いなさい。……それでは、お元気で」

そう言って手を振る先生に、私も手を振ってこたえると店を出る。今日も今日とて新東京都は忌々しいぐらいの青い空。さっそく作ってもらったサンドイッチをかじり、コーヒーをすする。ガツンと言う衝撃すら感じる深いコク。思わず涙すら浮かびそうだ。

そういえば、主任は本物のコーヒーを飲んだことがあるのだろうか。何となく空を仰ぐ。どこまでも青い空が、何故だか滲んで見えた。
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