第7話 それは大洪水の予言ですよね?
文字数 2,532文字
ヤンが宿泊している宿は、食堂から一区画ほど離れたところにあり、二人は夕暮れの薄暗い町を並んで歩いていた。この町には街灯は無く、家々の明かりだけが頼りだった。舗装されていない道は乱れていて、所々に窪みがあり、雨水か、何か別の液体が溜まっていた。
ヤンはほろ酔いらしく、上機嫌で鼻歌を歌いながら歩いていたが、時々足を地面の凹凸にとられ転びそうになる。その度に愛心がヤンの身体を支えた。宿まで後少しというところで、ヤンがまた大きくよろめき、愛心がそれを支えた。ヤンはその衝撃で何かを思い出したようで、愛心の方に顔を向けた。
「アコよ、言い忘れておったが、ワシは明日の朝、次の町に向けて出発するからのおぬしもそのつもりでおれ」
「わかりましたけど、そんなに酔っていて大丈夫なんですか?」
「なあに、明日には酔いもさめるさ。なんと言ってもこの旅はワシの使命じゃからの」
使命、という言葉が愛心の胸に引っかかった。この老人は単に好奇心から知識を集めているのかと思っていたが、別の目的があるのかもしれない。しばらくはヤンが愛心の雇い主か保護者的な存在になるのだから、その正体を知っておきたかった。
「あの、ヤンさんはどうして知識を集めているんですか? さきほど何年もあちらこちらを旅しているって言ってましたよね。もしかしてお仕事ですか?」
「ん、それは知識神のお告げがあったからじゃよ」
「神様のお告げ、ですか?」
「そうとも。お告げはの、知識神様からだけではない。二十四柱の神々全てから与えられたのじゃ。どれせっかくじゃから話をしてやろう」
ヤンはワインの飲み過ぎで赤らんだ顔のまま、足を止め空を見上げ空の一点を指差した。そこには空に浮かぶ細長い棒状の部分に円盤や四角いブロックが組合わさった巨大な人工物があった。
「あそこに黒き海を渡りし舟が見えるじゃろ? 二十四柱の神々はあの舟でこの世界までやってきて、そこでまず植物を創り大地を緑にし、それから動物を創ったと言われておる。この地に植物と動物が満ちた後、戯れに猿から人間を創ったそうじゃ。おぬしの読んでくれた話と少し似ておるよの」
「猿から、人ですか」
どうやらこの世界では進化論的な考え方が残っているらしかった。だがヤンは愛心の言葉を疑問と受け取った。
「ふむ、信じられんか? 猿と人、見た目は似ているのじゃぞ? だがまあ、何か奇跡的な何か、それこそ神々の力で猿が知恵を持ち言葉を話すようになったと考えた方がしっくりくるかもの。案外、それがおぬしの言っていた木の実なのかもの。とにかくじゃ、世界は二十四柱の神々によって創られた。そして神々は人を創った後、空の上から見守るだけじゃったが、時々、神託を与えるんじゃ。まあ数百年に一度じゃがな。その神託をワシが仕えていた神殿の大司祭が受けて、その大司祭の命でワシは世界を回って知識を集めているというわけじゃよ」
「そのお告げ、どんな内容だったんですか」
愛心は好奇心から尋ねてみた。そしてこの好奇心故にそれから長い年月を苦しむことになった。
「ふむ、確かの、最初のページに記録しておる」
そう言うと、酔ったヤンは道ばたで立ち止まり、自分の背負い鞄から大型の本、集めた知識を書き記す為のもの、を取り出し最初のページを開いた。既に当たりは夜が始まっており、字を読む事はほとんどできなかったが、ヤンは内容を記憶しているらしくスラスラと読み上げ始めた。
「「聞け、滅びの時は近い。これより五年後、空より赤き星来りて東の大海に落つ。星は大波を呼び、その高さは山よりも高かく、その幅は世界と同じ。地上に生きる全ての人と動物は逃れる事はできない。大波は大地を半年間覆う。滅びに備えよ」とおっしゃったそう」
「ずいぶんと、具体的なんですね。隕石が海に落ち、大津波が起こるということなんですね。赤き星って、あれですか」
愛心が空を見上げると、宇宙船らしい人工物から離れて、ひよこ豆くらいの赤い星が見えた。
「そうらしいの。だがアレが落ちたところで洪水が大地を覆うは大げさじゃ。だんだん大きくはなっているが、ほれ」
そう言ってヤンは道に転がっていたこぶし大の石を手に取り、道の隅にあった水たまりに向かって投げた。石はばしゃっと音をたて水を当たりに跳ね飛ばす。
「あの赤い星、相当遠くにあるから実際はもっと大きいのじゃろうけどどんなに大きくても世界を飲み込むほどではあるまいて。神々の神託は往々にして大げさなんじゃ。まあ神託のおかげでワシは神殿から予算を貰って世界各地で知識を集める旅ができているのじゃがの」
どうやらヤンは、神託を深刻には捉えていないようだった。しかし愛心には神々、つまり宇宙船にいる人が地上に発した警告の深刻さが想像できた。愛心は東日本で起こった災害の津波の映像を見た事があった。あれは、大きな地震が原因だったが、今空に浮かんでいる赤い星は愛心が見た事のあるどんな星よりも大きかった。あれが彗星だとすれば、地球に落ちた時の被害はどれほどのものだろう。少なくともヤンが思っている様な水たまりに石を投げ込むのとは桁違いになるはずだった。
愛心はヤンとこの世界に警告しなければならないと感じた。だがその方法が思いつかない。取りあえず、もっと情報が必要だ、愛心はそう考えヤンに尋ねた。
「ヤンさん、それで、その滅びのときはいつ来るんですか?」
「確か、二年前に神託があり、五年後と言っていたそうじゃから、三年後じゃの」
「三年……」
愛心は残された時間の短さに驚いた。愛心の思う通りであれば、その神託は宇宙船にいる人々が地上で暮らす人々に送った警告だ。愛心が迷い込んだこの世界では滅亡の運命が待ち構えていたのだ。愛心は時と場所を超えこの世界に立っている。もしそれが、神様の奇跡だとするのならなんと意地が悪いことか。
(だから神様は嫌いだ)
愛心は空に向かって小さく悪態をついた。
ヤンはほろ酔いらしく、上機嫌で鼻歌を歌いながら歩いていたが、時々足を地面の凹凸にとられ転びそうになる。その度に愛心がヤンの身体を支えた。宿まで後少しというところで、ヤンがまた大きくよろめき、愛心がそれを支えた。ヤンはその衝撃で何かを思い出したようで、愛心の方に顔を向けた。
「アコよ、言い忘れておったが、ワシは明日の朝、次の町に向けて出発するからのおぬしもそのつもりでおれ」
「わかりましたけど、そんなに酔っていて大丈夫なんですか?」
「なあに、明日には酔いもさめるさ。なんと言ってもこの旅はワシの使命じゃからの」
使命、という言葉が愛心の胸に引っかかった。この老人は単に好奇心から知識を集めているのかと思っていたが、別の目的があるのかもしれない。しばらくはヤンが愛心の雇い主か保護者的な存在になるのだから、その正体を知っておきたかった。
「あの、ヤンさんはどうして知識を集めているんですか? さきほど何年もあちらこちらを旅しているって言ってましたよね。もしかしてお仕事ですか?」
「ん、それは知識神のお告げがあったからじゃよ」
「神様のお告げ、ですか?」
「そうとも。お告げはの、知識神様からだけではない。二十四柱の神々全てから与えられたのじゃ。どれせっかくじゃから話をしてやろう」
ヤンはワインの飲み過ぎで赤らんだ顔のまま、足を止め空を見上げ空の一点を指差した。そこには空に浮かぶ細長い棒状の部分に円盤や四角いブロックが組合わさった巨大な人工物があった。
「あそこに黒き海を渡りし舟が見えるじゃろ? 二十四柱の神々はあの舟でこの世界までやってきて、そこでまず植物を創り大地を緑にし、それから動物を創ったと言われておる。この地に植物と動物が満ちた後、戯れに猿から人間を創ったそうじゃ。おぬしの読んでくれた話と少し似ておるよの」
「猿から、人ですか」
どうやらこの世界では進化論的な考え方が残っているらしかった。だがヤンは愛心の言葉を疑問と受け取った。
「ふむ、信じられんか? 猿と人、見た目は似ているのじゃぞ? だがまあ、何か奇跡的な何か、それこそ神々の力で猿が知恵を持ち言葉を話すようになったと考えた方がしっくりくるかもの。案外、それがおぬしの言っていた木の実なのかもの。とにかくじゃ、世界は二十四柱の神々によって創られた。そして神々は人を創った後、空の上から見守るだけじゃったが、時々、神託を与えるんじゃ。まあ数百年に一度じゃがな。その神託をワシが仕えていた神殿の大司祭が受けて、その大司祭の命でワシは世界を回って知識を集めているというわけじゃよ」
「そのお告げ、どんな内容だったんですか」
愛心は好奇心から尋ねてみた。そしてこの好奇心故にそれから長い年月を苦しむことになった。
「ふむ、確かの、最初のページに記録しておる」
そう言うと、酔ったヤンは道ばたで立ち止まり、自分の背負い鞄から大型の本、集めた知識を書き記す為のもの、を取り出し最初のページを開いた。既に当たりは夜が始まっており、字を読む事はほとんどできなかったが、ヤンは内容を記憶しているらしくスラスラと読み上げ始めた。
「「聞け、滅びの時は近い。これより五年後、空より赤き星来りて東の大海に落つ。星は大波を呼び、その高さは山よりも高かく、その幅は世界と同じ。地上に生きる全ての人と動物は逃れる事はできない。大波は大地を半年間覆う。滅びに備えよ」とおっしゃったそう」
「ずいぶんと、具体的なんですね。隕石が海に落ち、大津波が起こるということなんですね。赤き星って、あれですか」
愛心が空を見上げると、宇宙船らしい人工物から離れて、ひよこ豆くらいの赤い星が見えた。
「そうらしいの。だがアレが落ちたところで洪水が大地を覆うは大げさじゃ。だんだん大きくはなっているが、ほれ」
そう言ってヤンは道に転がっていたこぶし大の石を手に取り、道の隅にあった水たまりに向かって投げた。石はばしゃっと音をたて水を当たりに跳ね飛ばす。
「あの赤い星、相当遠くにあるから実際はもっと大きいのじゃろうけどどんなに大きくても世界を飲み込むほどではあるまいて。神々の神託は往々にして大げさなんじゃ。まあ神託のおかげでワシは神殿から予算を貰って世界各地で知識を集める旅ができているのじゃがの」
どうやらヤンは、神託を深刻には捉えていないようだった。しかし愛心には神々、つまり宇宙船にいる人が地上に発した警告の深刻さが想像できた。愛心は東日本で起こった災害の津波の映像を見た事があった。あれは、大きな地震が原因だったが、今空に浮かんでいる赤い星は愛心が見た事のあるどんな星よりも大きかった。あれが彗星だとすれば、地球に落ちた時の被害はどれほどのものだろう。少なくともヤンが思っている様な水たまりに石を投げ込むのとは桁違いになるはずだった。
愛心はヤンとこの世界に警告しなければならないと感じた。だがその方法が思いつかない。取りあえず、もっと情報が必要だ、愛心はそう考えヤンに尋ねた。
「ヤンさん、それで、その滅びのときはいつ来るんですか?」
「確か、二年前に神託があり、五年後と言っていたそうじゃから、三年後じゃの」
「三年……」
愛心は残された時間の短さに驚いた。愛心の思う通りであれば、その神託は宇宙船にいる人々が地上で暮らす人々に送った警告だ。愛心が迷い込んだこの世界では滅亡の運命が待ち構えていたのだ。愛心は時と場所を超えこの世界に立っている。もしそれが、神様の奇跡だとするのならなんと意地が悪いことか。
(だから神様は嫌いだ)
愛心は空に向かって小さく悪態をついた。