第5話 権利の話と、人がひとりでいるのは良くないので

文字数 2,221文字

 「……夕となり、また朝となった。第六日である。ここまでが第一章です」

 愛心はわざと音を立てて聖書を閉じた。それを合図に老人が目を開ける。

 「ふむ、どうもワシらが知っている神とは違う神がこの世界を闇と光から創り出したわけだ。ワシらが良く聞く神話の、さらに昔の話のようじゃの。実に興味深い」
 「そうなんですか?」
 「ふむ、ワシの知識ではこの世界は黒い海から始まった。その点は似ているの。黒き海を渡って二十四柱の神がこの世界に辿り着き、動物を作り、猿から人を作った、そう神話は伝えておる。じゃがワシは思うんじゃ。二十四柱の神はどこから来たのかとね。その本には世界は唯一の神が作ったとあるわけじゃな。二十四柱の前に一柱の神がいた、面白い話じゃ」
 「どこがおもしろいんですか? 私読んでいて気分が悪くなります。この神様はすごく傲慢ですよ。最後の方で『人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』って言ってる。人間がすべての生き物を支配するなんて傲慢すぎる。そんなの、神様じゃない」
 「ふむ」

 老人は少しだけ考えて面白そうに笑った。

 「もし、それが唯一絶対のはじまりの神の言葉なら、それは面白い」
 「どこが? 人間も動物も同じ生き物で優劣なんて無いはず。支配したり、されたり、そんなのはおかしい。そんな事を言う神様も、」
 「本当の神様ではないと?」
 
 言いたい事を老人に言われ、愛心はむすっとした。

 「確かにそれは傲慢かも知れんの。だが一方で、ワシには優しい言葉に聞こえたぞ」
 「どこがですか」
 「このカーナの町の近くには大きな湖があってな、そこではたくさんの魚がいるらしいのじゃ。だが、町の人間は誰一人、その魚を捕ることができない。町の人間だけではない。領主の伯爵すらもじゃ。なぜだと思う?」

 それは先ほど親切なおばさんからも聞いた話だった。

 「王様の湖だったからですよね?」
 「その通り」

 老人は自分の記録用の本をめくり、余白の目立つページを開いた。

 「ふむ、今から二百年以上昔に、その湖は国王の直轄地になったんじゃ。当時の王家の誰かがあの湖の魚に助言を貰って命を拾ったらしくての。それ以来魚を獲ることは一切禁じられているそうじゃ。まあわしもここにきて初めて聞いた話じゃがな」

 老人は本の記述を確かめるように言った。どうやらこの町で買った知識の一つらしい。

 「以来、あの湖では漁は禁止されておる。十年程前、この辺りを飢饉が襲ったときもだれもあの湖で魚を捕れなかった。こっそりと魚を獲った青年がいたらしいが、すぐに首を刎ねられたそうじゃ」
 「それは、ひどい話ですね」
 「なぜそう思うのかね? その青年は盗みを働いたんじゃぞ? しかも国王の物をじゃ。死刑になったのがその青年だけだったのは、むしろ国王の優しさの表れじゃな」
 「そんなのおかしいですよ。だって、生きる為に仕方なく魚を獲ったんでしょ?」
 「ワシも納得いかん部分はあるがの、しかし法は法じゃ」
 「……でもやっぱりおかしい」
 「だが根拠がない」

 確かに老人の言うことも正しい、そう愛心は思った。

 「しかしじゃよ、もしおぬしの持っているその本が始まりの神の記録なら、ワシらは魚を盗んだ男の命を救えたかもしれん。唯一の神は人に『海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』といったのじゃろ? なら魚を治める権利は国王だけでなく私たちにもあるのではないのかな」
 「それは、ただの屁理屈じゃないですか」
 「そうかもしれんがね、それを言ったのが二十四柱の前の始まりの神だとしたら、面白い議論ができたかもしれん」
 「……」

 愛心は黙ってしまった。老人の議論についていけなかったし、あまり興味をわかなかったのだ。
 太陽は次第に傾き始め、夕方の匂いが少しだけした。

 「ところで、娘っ子よ、おぬしは迷い人じゃったか。これからどうするのじゃ」
 「わかりません。とりあえず、食べ物と寝るところを探します」

 そういって愛心は先ほど受け取った銀貨を見た。

 「これで何日過ごせますか?」
 「ふむ、食べるだけなら一週間。宿を借りれば二、三日といったところじゃの」

 それを聞いた愛心の表情が曇る。それを見た老人は嬉しそうに笑った。

 「では、ワシとこないかね? 毎日その本の内容を読み聞かせてくれたら、寝るところと食べ物はワシが出そう。なんなら知識神の見習い神官にしてやってもいいぞ」

 老人の興味は明らかに愛心ではなく、愛心の持つ本に注がれていた。愛心は戸惑ったが、老人の申し出を受け入れる以外の選択肢は思いつかなかった。

 「わかりました。お願いします」
 「よしよし、今日は良い日じゃ。向こう数年分の新しい知識を得たわけじゃからな。ワシはヤン・ロースと言う。娘っ子の名は?」
 「天野愛心です」
 「アマノアコ? 不思議な響きじゃな。両親は何と呼んでいるのじゃ」
 「……アコと、呼ばれていました」
 「そうか、ではアコよ。これからよろしく頼むぞ」

 こうして愛心はアコとなり知識神の神官であるヤン老人と一緒に旅をすることになった。これが愛心の異世界での第二日であり、アコとしての第一日であった。
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