第2話 天を仰ぎ見よ、そこに宇宙船があるから

文字数 3,956文字

 そこは暗い森の中だった。
 どうやら地面に仰向けに倒れているらしい。背中やお尻がヒンヤリと冷たかった。
 だんだんと意識がはっきりし、瞼の筋肉を動かせるようになる。
 目を開けると明るい夜空と愛心に覆いかぶさるような木々が見えた。星の数は妙に多い。
 次に右手の感覚が戻った。何か柔らかい物が手の上に乗っている。頭を少し動かしてみると愛心の右手は黒い表紙をした辞書の様な本をしっかりと握りしめていた。

 「……重い」

 愛心は本から手を離すと、軽になった右手を何度か振って血行を蘇らせる。そのまま数十秒か、あるいは数十分、時間間隔が戻らないままぼーっと空を見上げていた。やがて制服越しに地面の湿気が身体にしみ込んで来た。寒くはなかったが不快だ。制服のベスト越しの土の冷たさが下着まで届いた時、愛心は意を決してその場に立ち上がった。

 「ここ、どこ?」

 辺りを見渡してみるが、やはり森の中。愛心は森の中にある小さな草地に倒れていたようだ。草地の中央に灰色の岩があったので、愛心は取りあえずそこに腰かけてみる。岩は冷たくなく、むしろ堅いような柔らかいような不思議な手触りで腰かけるのにちょうどよかった。
 愛心は次第にはっきりとしてきた頭で自分の身に起きた事を振り返っていた。

 「ええと、何があったんだけ。買い物に行って、圭一先輩と話して、脚本の話をして、あ、車……」

 愛心は目の前に迫った黒いバンを思い出した。誰かの悲鳴が聞こえ、圭一先輩が叫んで、突っ込んで来た車にぶつかった。痛みは無かったが自分の身体が撥ねる飛ばされたことは覚えている。体が宙を舞って、そこから先の記憶は無い。

 「ここ、病院じゃないよね」

 周囲には街頭や道のようなものはない。ただ鬱蒼とした暗い森に囲まれている。愛心はできるだけ合理的に状況を整理しようと声を出した。

 「まず車にぶつかった。それは確か。身体は大丈夫。手も足も動くし、捻挫も骨折もしていない」

 愛心は自分の身体を見下ろして確認するが、制服の背中が湿った以外に変わりはなさそうだった。ポケットを確認するとハンカチが一枚入っていた。スマホや財布は圭一先輩に預けた鞄に入れたままだ。

 「ここは森の中だよね? 灯も、家も、人影もない。電車や車の音は……聞こえてこない。これはつまり、黒いバンにぶつけられて、誰かに拉致されて、森の中に捨てられた?」

 ありえない、愛心は即座に自分の考えを否定した。あの場には圭一先輩以外にも大勢の人がいたし、それこそ駅前交番だって近くにあった。そんな大観衆の中、愛心をさらって山に放置などできないはずだし、そもそもあのバンは当たり屋の様には見えなかった。

 「とすると、あれ、私死んだ? ここがあの世? もっと明るくって白っぽいイメージだったけど、森の中なのか」

 試しに自分の胸に手を当ててみる。制服越しに確かな心臓の鼓動と自分の体温が感じられた。ついでに左手を右手でつねってみる。ピリッとした痛みと、つねられた部分が少しだけ赤くなった。

 「なんか、生きてるっぽい?」

 愛心はますます状況が分からなくなり、途方に暮れて空を見上げた。木々の間から見える夜空は圧巻だ。何百、何千という星が瞬いている。都会では絶対に見れない光景だ。心を奪われた愛心は、ぽかんと口を開いていて空に見惚れていた。

 「すごいなあ、これだけ星が見えれば星座だって簡単にみつかりそう」

 愛心は小さい頃の記憶を頼りに知っている星座、例えば白鳥座とかこぐま座といった有名なものを探そうとした。しかし記憶にある星の配列はどこにも見当たらない。それどころか見たこともない、そして明らかに知らないはずのない星がいくつも空に浮かんでいた。
 一つ目は真っ赤な星。ひよこ豆くらいの大きさで、遠くにある月といった感じであったが薄っすらと尾を引いているように見えた。もう一つは妙に明るく細長い物体。空気の層を通しているからか輪郭はぼやけていたが、おでんの様に細長い棒に円盤やブロック状のものが突き刺さっており、明らかに人工物に見えた。

 「あれは人工衛星? それとも私の知らない宇宙ステーション? 昔見たアメリカ映画に出て来た宇宙船に似てるけどまさかねえ……」

 愛心は高い所に上れば他にも何かがみえるのではないかと考え、座っていた岩の上で立ちあがり、少し視界を変えて空を見上げ、そして見つけた。

 「嘘……」

 空には月が二つあった。両方とも愛心が慣れ親しんだ月よりも小振りだったが、他の天体よりも明らかに大きい。一つは真っ白で五百円くらいの大きさ、もう一つはやや青みがかった十円玉くらいの大きさの白い月だった。
 知らない星空に知らない衛星。そこから導き出せる合理的な解答を愛心は一つしか知らなかった。

 「もしかしてこれが異世界転生?」

 愛心は必死にそれ以外の答えを探そうとしたが、頭が痛くなってきたので異世界転生で納得することにした。

 「私は車に撥ねられて、異世界に飛ばされた。無茶苦茶だけどそう考えるしかないよね。参ったなあ」

 愛心はもう一度岩に腰を下ろしため息をついた。ここが別の世界だとしても、それが分かったところで大した助けにはならない。自分がどこにいるのか分からないし、そのうちお腹もすく。せめて水くらい見つけたい。とはいえ夜に森の中で動き回るのは危険だ。愛心のいる場所はやや開けているから月明かりで明るいが、森の奥に入れば足元も見えなくなるだろう。

 「お姉ちゃん、心配してるだろうな」

 愛心は唯一の肉親である二番目の姉の事を思った。姉にとっても愛心はこの世界に残されたただ一人の家族。姉は自分が東京に出て命拾いしたことに後ろめたさを感じていた。愛心まで交通事故で失ったのなら、姉にとってそれ以上辛いことはないだろう。
 愛心の家族の運命の脚本を書いたモノがいるとすれば、ずいぶんとサディスティックに違いない。

 「狭山先輩ともせっかく二人っきりになれたのに。やっぱり神様なんて嫌いだ」

 どうしてこうなったのか分からない。しかし、結果を見れば愛心が運命に愛されていないことは明白に思えた。
 愛心は気を紛らわせるように手で座っている岩を撫でた。その岩はつるつるとさらさらの中間くらいの手触りで、岩の様に表面がボロボロすることは無く、どこか柔らかいのにしっかりと硬いそんな不思議な手触りだった。思いのほか撫で心地がいいので愛心は届く範囲で色々と手を伸ばしてみる。すると、ある場所で直線的な段差にぶつかった。

 「後ろの方、何かある?」

 愛心は岩を降りて、段差があった部分に顔を近づけてみた。そこには長方形で平べったい金属の板のような物が貼り付けられており、文字が書かれていた。二つの月がある世界にも関わらず、書かれていたのは馴染みのあるアルファベットだった。

 「ジーエフエイチ? 何かの略称?」

 全体を見てみると、パーツナンバーやシリアルナンバーといった単語が書かれている。どうやら製品の情報を記載したネームプレートのようだった。

 「品名は、読めない。マニファクチャラーって製造者って意味だよね、アップルパイ社で住所は……通り、ソルトレイク、コロラド、アメリカ、地球、エフエス……。ここってアメリカなの? マニファクチュアリングデイト、これは製造年月日か。エイプリル、十二、二千七百一?」

 書かれていることを文字通りに読めば、これは愛心の生きていた時代よりも遥かに未来である二十八世紀にアメリカで製造されたものらしい。住所の欄にわざわざ地球と書かれていること考慮すると、ここは地球ではないどこかの惑星のようだ。

 「なんか、意味わかんないけど、異世界よりも未来の世界の方がマシか。未来ならタイムマシンで元の時代に戻る方法もあるかもしれないし」

 愛心はしばらく岩の周囲の地面を調べてみたが時に変わった物は見当たらなかった。森の中を調べようかとも思ったが、愛心のいる草地の周り以外は月々の光は木々に遮られ、森の中は数メートル先も見えない暗さだった。

 「ここから移動するのは朝になってからか。朝、来るんだよね……」

 考えてもしかたがない、愛心は岩、実際は大昔にこの星にやってきた宇宙船に搭載されていた航空機の一部、の上で丸くなる。岩は平らではなかったが、女子高生一人が丸くなれば眠れるくらいの広さはあった。何より、地面と違って湿っていないし、金属や岩の様に冷たくもない。つまり寝床にはちょうどよかったのだ。
 愛心は岩の上で目を閉じた。しかし、頭の座りが悪くすぐに目を開ける。いくら手触りが良くても頭を直接奥には少し硬すぎるのだ。愛心は自分の手を枕にしてみて、やたがすぐに腕がしびれそうになったので諦める。落ち葉でも集めてクッションを作ろうか、でも泥が着いたら嫌だしな、そんな事を考えていると分厚くて岩よりも柔らかく、落ち葉よりも多分清潔そうなものが愛心の目に留まった。起き上がった時に手にしていた聖書だ。

 「無いよりはマシか」

 愛心は聖書を拾うと乾いた方を上にして枕にしてみた。千枚以上の薄い紙でできたその本は、ちょうど良い感じで愛心の頭を受け止める。これなら、何とか眠れそうだ。

 「意外と役に立つのね」

 だからといって、愛心に神様に感謝する気持ちが沸きようはなかった。

 (目が覚めたら元の世界に戻っていたらいいな。できればお姉ちゃんの部屋か、圭一先輩の腕枕で)

 どうせ叶わないと諦めながら、愛心はゆっくりと眠りの世界に落ちて行った。
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