第3話 善きおばさんとカナの町
文字数 3,953文字
ごとごと、ごとごと、愛心は荷馬車に揺られていた。空は快晴、周囲はなだらかな平野で、愛心が目を覚ました森は遠くで濃い緑色の線になっている。
荷馬車の車輪は金属で補強されただけの木製でゴムなどは使われていない。道も舗装されていない。荷馬車が轍や小石に乗り上げる度、荷台に並べられた籠から玉ねぎが転がり落ちた。愛心は手を伸ばして地面に落ちる前に玉ねぎを受け止め、また籠に戻す。
「今日はちょっと欲張ったから助かるよ。あと少しで町につくからね」
荷馬車の手綱を握る親切なおばさんが後ろを振り向き愛心に声をかけた。おばさんの服装は、昔ファンタジー映画で見た登場人物に似ている。
「これくらい、助けてもらったお礼です」
「大げさだねえ。ただ荷台に乗せただけじゃないか。わははは」
親切なおばさんは白い歯を見せて豪快に笑った。
親切なおばさんの背中は広く、くたびれた感じの木綿のワンピースの上から緑色のエプロンのようなものを身に着け、腰の革製のベルトで止めている。頭には大きなスカーフを巻いており肌をほとんど露出していない。
(少なくとも二十八世紀の格好じゃないよね。むしろ中世ヨーロッパ? ファンタジーの世界? まあ、異世界ってそんなものなのかな)
夜の森にいた愛心がどうして荷馬車に乗っているのかといえば、話は単純だ。朝になり、目を覚ました愛心は助けを求めて森の中をさ迷った。愛心の履いていたローファーは森の中を歩くのには向いていなかったが、なんとか太陽が真上に来る頃には森から抜け出すことができた。しかし、森の外にはただ平野が広がっているだけ。人も家も電柱も、何もなかった。かろうじて道のようなものがあったので道沿いに一時間ほどあるいたが何も見えてこない。朝から水以外口にしていなかった愛心が地面にへたり込んでいたら、そこに通りかかったおばさんが助けてくれたのだ。
「そうだ、籠のよこに肩掛けの袋があるんだ。ぼろいけどまだ使えるはずだよ」
親切なおばさんが、今度は振り向かずに愛心に言った。愛心には、なぜかおばさんが言っているかわかったし、おばさんも愛心の言葉を理解しているようだった。しかし口の動きを見ているとどうも日本語を発音しているようには見えない。そもそも叔母さんは日本人には見えなかった。白い肌に彫りの深い顔立ちなのでヨーロッパとかアメリカの人系の人なのだろう。
「これですか?」
愛心は転がり落ちた玉ねぎを一つ広い、ついでに親切なおばさんに言われた肩掛け袋を手に取った。それは麻かなにかでできた袋で、ボタンで留める蓋がついたショルダーバックだった。中には何か軽くて大きなものが入っている。親切なおばさんはちらりと後ろを振り向くと、その青い目を細めた。
「そうそう、それ。中にパンが入っているからお食べな」
「いいんですか?」
「もちろんさ」
愛心はボタンを外し、ショルダーバッグの中から堅いパンを取り出す。パンは黒っぽく、表面はカリカリに焼けていたがわずかに香る小麦の匂いに忘れかけていた空腹感がぐわっと愛心の胃を刺激した。
「!! いただきます」
愛心はパンにかじりついた。パンは中まで固く、酸味と苦みが入り混じった味がした。それでもお腹が空っぽだった愛心には何にも勝るごちそうだった。愛心はパンを咀嚼しながら改めて荷馬車を操る親切なおばさんの背中をじっと見た。
(本当に助かった)
見ず知らずの人間で明らかに不思議な恰好をしている愛心を助けてくれたおばさんに、愛心は心から感謝した。
愛心はパンを食べ終わる頃、またおばさんが後ろを振り向いた。
「その袋、空っぽになったろ? あんたにあげるよ。その大切そうな本をしまっておきな」
親切なおばさんが言う通り、パンが入っていたショルダーバッグは愛心が森で枕代わりにしていた書物を入れるのにちょうどいい大きさだった。
「いいんでしょうか
「もちろんさ」
「あの、どうしてここまで親切にしてくださるんですか」
好奇心に負けて、愛心は親切なおばさんに尋ねてみた。おばさんお服装や年季の入った荷馬車、それを引く毛並みの疲れた馬、どれを見ても裕福そうにはみえない。
「あたしも昔旦那に助けられたのさ。その時の恩返しみたいなものだよ」
愛心は親切なおばさんの十代の頃と彼女を助ける青年を想像した。人助けから始まるロマンスはどこにでもあるが、どこでも美しいものだった。
「素敵な出会いですね。旦那さんは今日は家ですか?」
「何年も前に死んじまったよ」
「えっ……」
「おっと、変な気を使わなくてもいいからね。もう十年くらい前の話さ。お腹を空かせていた見ず知らずの子供の為に王様の湖から魚を盗んで、見つかって首がポン、だよ。あの人はいい人過ぎたんだよねえ」
懐かしそうに、親切なおぼさんは空を見上げた。その顔は朗らかで、愛心には何と言葉をかけたらいいかわからなかった。
ガタンと馬車が道のくぼみに落ち込み大きく揺れた。
愛心は時々姿勢を変えながら、籠から落ちる玉ねぎを拾い続けた。通算百個目の玉ねぎを拾った時、親切なおばさんが「町が見えてきたよ」と愛心に言った。
顔を上げて道の先に目をやると、中世ヨーロッパのような街並みが遠くに見えた。
「あれってテーマパークじゃないですよね」
「なんだいそれりゃ? あんたは時々変な言葉を話すね。あれはカナの町だよ。ここらじゃ一番大きくて、近くには大きな湖もあるのさ」
愛心は荷台の上でうなだれた。最初におばさんに助けられた時、愛心は試しに今が西暦何年か、日本やタイムスリップを知っているかと質問をしてみたが答えはすべて「ノー」だった
荷馬車は町の中に入る。街並の中は少し埃っぽく、道は外と変わらず未舗装で、所々に水たまりがあった。水が少し黄色っぽいのは土の色かそれとも馬や人間に由来するものなのか、愛心には判断がつかなかった。
町は全体的にヨーロッパっぽかったが、行き交う人の肌は白や黒、黄色が入り混じっていた。通りに面した建物の中には、何かの看板がかかっているものもあった。看板の文字はアルファベットのようだったが単語の意味はわからなかった。
荷馬車は町の大広場で停車する。そこは体育館くらいの広さがあり、親切なおばさんのように荷馬車に野菜や荷物を載せた人がちらほらといた。中にはテントのような物を立てている人もいる。
「じゃあ、私はこれから夕市の準備をするけど、あんたはどうするんだい。確か、どうやってここまできたのか記憶がないんだっけ」
親切な叔母さんははじめに愛心が言ったことを覚えていたらしい。
「そうなんです。家に帰りたいんですけどそれがわからなくて。何か、物知りの人をしりませんか? この世界について色々と知っている人」
それは愛心が荷馬車に揺られながら考えていたことだ。宇宙に浮かぶ明らかに人工物っぽいもの、森の中に埋まっていたアメリカ製の何かから推測するに、この世界が愛心のいた世界と地続きなことは確かなようだ。どういう理由で中世ヨーロッパの様な世界になったのかは分からないが、愛心のいた時代につながる知識を持った人がどこかにいるかもしれない。それが愛心の希望だった。
「それならちょうど小広場に知識神の神官様が来ているよ」
「知識神、ですか?」
「そう学問とか知恵の恵みを与えてくれる神様だよ。その神官様が一週間ほど前からかね、広場に立って知識を買ってるんだ」
知識を買うという不思議な言葉に愛心が首を傾げると、親切なおばさんが説明をしてくれた。
「その神官様の知らない知識を教えると、お金をくれるんだ。珍しい話をすると銀貨がもらえるって聞いたよ」
「なんだか面白い人ですね」
「そりゃあ、神官なんてみんな一寸変わった人間さ。この世界にいるのかどうか分からない神様を信じているんだからね。いくら頼んだって神様はタマネギを増やしてはくれないからね」
「あ、何となくわかります」
そう言って愛心と親切な叔母さんは朗らかに笑い合った。中世っぽい世界観から、ガチガチの宗教に支配されているのかと思ったがそうでもないらしい。愛心は安心した。
「それじゃあ、私は行くから気をつけてね。町の小広場はこの先を真っすぐいった所だから」
「はい、ありがとうございました。すみません、何もお礼をできなくて」
「なあに、別に構わないよ。困ったときはお互い様。もし誰か困った人を見かけたら、今度はあなたがその人を助けておより。たとえその子がけったいな服装で素足を出し過ぎていてもね」
「やっぱり、この格好は変ですか?」
「そうねえ、変な男に目を付けられる前に変えた方がいいかもね。私がスカートを二着もっていたら分けてあげたのだけど」
「いえ、そこまでは。服装も気を付けます。色々と、本当にありがとうございました」
愛心がペコリと頭を下げると親切なおばさんは「じゃあね」と言って町の雑踏の中に消えていった。
(私の格好ってそんなに品がないのかな)
愛心は膝上の高さの制服のスカートを見て、それから周囲の女性の格好と見比べた。確かに周りの女性の格好は足首までの長さがある厚ぼったいスカートばかり。膝下をむき出している愛心は少し浮いているようだたし、すれ違う男性がちらちらと愛心の脚を見ているのも分かった。
「なんとかしないとなー」
愛心は気持ちスカートの丈を長めにすると、知識神の神官がいるという広場に向かった。
荷馬車の車輪は金属で補強されただけの木製でゴムなどは使われていない。道も舗装されていない。荷馬車が轍や小石に乗り上げる度、荷台に並べられた籠から玉ねぎが転がり落ちた。愛心は手を伸ばして地面に落ちる前に玉ねぎを受け止め、また籠に戻す。
「今日はちょっと欲張ったから助かるよ。あと少しで町につくからね」
荷馬車の手綱を握る親切なおばさんが後ろを振り向き愛心に声をかけた。おばさんの服装は、昔ファンタジー映画で見た登場人物に似ている。
「これくらい、助けてもらったお礼です」
「大げさだねえ。ただ荷台に乗せただけじゃないか。わははは」
親切なおばさんは白い歯を見せて豪快に笑った。
親切なおばさんの背中は広く、くたびれた感じの木綿のワンピースの上から緑色のエプロンのようなものを身に着け、腰の革製のベルトで止めている。頭には大きなスカーフを巻いており肌をほとんど露出していない。
(少なくとも二十八世紀の格好じゃないよね。むしろ中世ヨーロッパ? ファンタジーの世界? まあ、異世界ってそんなものなのかな)
夜の森にいた愛心がどうして荷馬車に乗っているのかといえば、話は単純だ。朝になり、目を覚ました愛心は助けを求めて森の中をさ迷った。愛心の履いていたローファーは森の中を歩くのには向いていなかったが、なんとか太陽が真上に来る頃には森から抜け出すことができた。しかし、森の外にはただ平野が広がっているだけ。人も家も電柱も、何もなかった。かろうじて道のようなものがあったので道沿いに一時間ほどあるいたが何も見えてこない。朝から水以外口にしていなかった愛心が地面にへたり込んでいたら、そこに通りかかったおばさんが助けてくれたのだ。
「そうだ、籠のよこに肩掛けの袋があるんだ。ぼろいけどまだ使えるはずだよ」
親切なおばさんが、今度は振り向かずに愛心に言った。愛心には、なぜかおばさんが言っているかわかったし、おばさんも愛心の言葉を理解しているようだった。しかし口の動きを見ているとどうも日本語を発音しているようには見えない。そもそも叔母さんは日本人には見えなかった。白い肌に彫りの深い顔立ちなのでヨーロッパとかアメリカの人系の人なのだろう。
「これですか?」
愛心は転がり落ちた玉ねぎを一つ広い、ついでに親切なおばさんに言われた肩掛け袋を手に取った。それは麻かなにかでできた袋で、ボタンで留める蓋がついたショルダーバックだった。中には何か軽くて大きなものが入っている。親切なおばさんはちらりと後ろを振り向くと、その青い目を細めた。
「そうそう、それ。中にパンが入っているからお食べな」
「いいんですか?」
「もちろんさ」
愛心はボタンを外し、ショルダーバッグの中から堅いパンを取り出す。パンは黒っぽく、表面はカリカリに焼けていたがわずかに香る小麦の匂いに忘れかけていた空腹感がぐわっと愛心の胃を刺激した。
「!! いただきます」
愛心はパンにかじりついた。パンは中まで固く、酸味と苦みが入り混じった味がした。それでもお腹が空っぽだった愛心には何にも勝るごちそうだった。愛心はパンを咀嚼しながら改めて荷馬車を操る親切なおばさんの背中をじっと見た。
(本当に助かった)
見ず知らずの人間で明らかに不思議な恰好をしている愛心を助けてくれたおばさんに、愛心は心から感謝した。
愛心はパンを食べ終わる頃、またおばさんが後ろを振り向いた。
「その袋、空っぽになったろ? あんたにあげるよ。その大切そうな本をしまっておきな」
親切なおばさんが言う通り、パンが入っていたショルダーバッグは愛心が森で枕代わりにしていた書物を入れるのにちょうどいい大きさだった。
「いいんでしょうか
「もちろんさ」
「あの、どうしてここまで親切にしてくださるんですか」
好奇心に負けて、愛心は親切なおばさんに尋ねてみた。おばさんお服装や年季の入った荷馬車、それを引く毛並みの疲れた馬、どれを見ても裕福そうにはみえない。
「あたしも昔旦那に助けられたのさ。その時の恩返しみたいなものだよ」
愛心は親切なおばさんの十代の頃と彼女を助ける青年を想像した。人助けから始まるロマンスはどこにでもあるが、どこでも美しいものだった。
「素敵な出会いですね。旦那さんは今日は家ですか?」
「何年も前に死んじまったよ」
「えっ……」
「おっと、変な気を使わなくてもいいからね。もう十年くらい前の話さ。お腹を空かせていた見ず知らずの子供の為に王様の湖から魚を盗んで、見つかって首がポン、だよ。あの人はいい人過ぎたんだよねえ」
懐かしそうに、親切なおぼさんは空を見上げた。その顔は朗らかで、愛心には何と言葉をかけたらいいかわからなかった。
ガタンと馬車が道のくぼみに落ち込み大きく揺れた。
愛心は時々姿勢を変えながら、籠から落ちる玉ねぎを拾い続けた。通算百個目の玉ねぎを拾った時、親切なおばさんが「町が見えてきたよ」と愛心に言った。
顔を上げて道の先に目をやると、中世ヨーロッパのような街並みが遠くに見えた。
「あれってテーマパークじゃないですよね」
「なんだいそれりゃ? あんたは時々変な言葉を話すね。あれはカナの町だよ。ここらじゃ一番大きくて、近くには大きな湖もあるのさ」
愛心は荷台の上でうなだれた。最初におばさんに助けられた時、愛心は試しに今が西暦何年か、日本やタイムスリップを知っているかと質問をしてみたが答えはすべて「ノー」だった
荷馬車は町の中に入る。街並の中は少し埃っぽく、道は外と変わらず未舗装で、所々に水たまりがあった。水が少し黄色っぽいのは土の色かそれとも馬や人間に由来するものなのか、愛心には判断がつかなかった。
町は全体的にヨーロッパっぽかったが、行き交う人の肌は白や黒、黄色が入り混じっていた。通りに面した建物の中には、何かの看板がかかっているものもあった。看板の文字はアルファベットのようだったが単語の意味はわからなかった。
荷馬車は町の大広場で停車する。そこは体育館くらいの広さがあり、親切なおばさんのように荷馬車に野菜や荷物を載せた人がちらほらといた。中にはテントのような物を立てている人もいる。
「じゃあ、私はこれから夕市の準備をするけど、あんたはどうするんだい。確か、どうやってここまできたのか記憶がないんだっけ」
親切な叔母さんははじめに愛心が言ったことを覚えていたらしい。
「そうなんです。家に帰りたいんですけどそれがわからなくて。何か、物知りの人をしりませんか? この世界について色々と知っている人」
それは愛心が荷馬車に揺られながら考えていたことだ。宇宙に浮かぶ明らかに人工物っぽいもの、森の中に埋まっていたアメリカ製の何かから推測するに、この世界が愛心のいた世界と地続きなことは確かなようだ。どういう理由で中世ヨーロッパの様な世界になったのかは分からないが、愛心のいた時代につながる知識を持った人がどこかにいるかもしれない。それが愛心の希望だった。
「それならちょうど小広場に知識神の神官様が来ているよ」
「知識神、ですか?」
「そう学問とか知恵の恵みを与えてくれる神様だよ。その神官様が一週間ほど前からかね、広場に立って知識を買ってるんだ」
知識を買うという不思議な言葉に愛心が首を傾げると、親切なおばさんが説明をしてくれた。
「その神官様の知らない知識を教えると、お金をくれるんだ。珍しい話をすると銀貨がもらえるって聞いたよ」
「なんだか面白い人ですね」
「そりゃあ、神官なんてみんな一寸変わった人間さ。この世界にいるのかどうか分からない神様を信じているんだからね。いくら頼んだって神様はタマネギを増やしてはくれないからね」
「あ、何となくわかります」
そう言って愛心と親切な叔母さんは朗らかに笑い合った。中世っぽい世界観から、ガチガチの宗教に支配されているのかと思ったがそうでもないらしい。愛心は安心した。
「それじゃあ、私は行くから気をつけてね。町の小広場はこの先を真っすぐいった所だから」
「はい、ありがとうございました。すみません、何もお礼をできなくて」
「なあに、別に構わないよ。困ったときはお互い様。もし誰か困った人を見かけたら、今度はあなたがその人を助けておより。たとえその子がけったいな服装で素足を出し過ぎていてもね」
「やっぱり、この格好は変ですか?」
「そうねえ、変な男に目を付けられる前に変えた方がいいかもね。私がスカートを二着もっていたら分けてあげたのだけど」
「いえ、そこまでは。服装も気を付けます。色々と、本当にありがとうございました」
愛心がペコリと頭を下げると親切なおばさんは「じゃあね」と言って町の雑踏の中に消えていった。
(私の格好ってそんなに品がないのかな)
愛心は膝上の高さの制服のスカートを見て、それから周囲の女性の格好と見比べた。確かに周りの女性の格好は足首までの長さがある厚ぼったいスカートばかり。膝下をむき出している愛心は少し浮いているようだたし、すれ違う男性がちらちらと愛心の脚を見ているのも分かった。
「なんとかしないとなー」
愛心は気持ちスカートの丈を長めにすると、知識神の神官がいるという広場に向かった。