十七にょろ にょろにょろ狂騒曲

文字数 2,489文字

「なんか急に寒くなったよねー」
 混ぜ混ぜ。
「もうすぐ冬がやって来る、って感じだよねー」
 塗り塗り。
「クリスマス、雪降っちゃうかもー」
 混ぜ混ぜ。
「ねーねー、お正月、どこ行こうかー」
 塗り塗り。
「ねー、私の話、聞いてるー?」
「……聞いてる」
「おコタでぬくぬく、のんびりもいいよねー」
 混ぜ混ぜ塗り塗り、混ぜ塗り塗り。
「もうっ、ちょっとー!」
「……あのなあ」
 筆を持った手を止めて恭子へと目をやる。イーゼルに立てかけられた彼女のパネルは無着色のままだ。
「まだ十一月が終ってないだろ。気が早すぎるんだよ」
「夏休みや冬休みはあらかじめ計画を立てて行動しなさいって、小学校の先生に言われなかったー? もうー、ダメダメだよー!」
「ダメダメ……」
「クリスマスー! クリスマスー!」
 指揮棒のように筆を振るいながら小声でクリスマスソングを口ずさんでいる恭子。二人して美術室の片隅に小さくなっているとはいえ、思いきり悪目立ちしているのは間違いないだろう。先ほどから周囲に漂っている不穏な空気も決して気のせいではあるま……あれ? 普段クラスメートたちから白い眼で見られているのって、俺のみならず恭子の言動も原因だったりして。ハハッ……まさかね? 決して抱いてはいけない疑問を可及的速やかに封じ込める。ふう。
「……それより先に期末だろ。来週だぞ?」
「テストはなんとかなるしー。それに私、卒業したらお仕事しちゃうしー」
「それで赤点取って冬休みも補習か。言っておくけど今は物理、真面目にやってるからな、俺」
「だいじょぶだいじょぶ、リボンちゃんが勉強見てくれてるしー」
 確かに夏休みからこっち基礎学習に励んでいると聞き及んではいるが。口をつぼめた恭子が謎の空気音を立て始める。本人は口笛でも吹いているつもりなんだろうな。それはともかく、オフクロからの情報だと……。
「中間で平均点に届かなかった科目、まだあるんだろ?」
「んー、数学Ⅱと数学Bとライティングと、あと地学Ⅰが、もう少しー、って感じかもー」
「つまり他は届いてるのか。現代文、古典、英語Ⅱ、地歴は日本史Bだよな? 前回の期末に鑑みれば、この短期間でかなりの進歩と言えるな。なんなら俺も見てやろうか?」
「え、えー? ……ま、まあ、それは置いといてー、それにしてもキミ、色混ぜるの上手いよねー、なんでそんな色になるのー?」
 まったく、自分に都合が悪そうな話題とみるや露骨に話を逸らしやがって。恭子のパレットに目を落とす。あらゆる色が無秩序な配列で絞り出されていた。計画性が無いのはどっちだよ。おまけに色を混ぜては頭を捻るばかりで、実際に塗ろうとすらしていない。
「……あのなあ、口以外に手も動かせよ」
「私のなんて、こーんな色になっちゃうしー」
「……」
「それに、絵もちっとも上手くならないしー。芸術科目で美術選んだの、失敗だったかもー」
「恭子」
「ん……」
 口調を改めて彼女を見つめる。たゆたう光を浮かべた瞳が真っ直ぐ見返してきた。
「お仕事するって、職種とかちゃんと考えてるのか?」
「んー……一応」
「高卒だとそれも限られるぞ」
「うん……」
「ここ数年は就職もかなりマシになったらしいけど、今年のアレで俺ら世代はどうなるかわかんねーし」
「サラリーマン大ショックでしょ? お父さんたち、お小遣い減らされて大ショックだよね」
「違……いや、違わねーけど……はぁ」
 ため息をつきながら改めて恭子の絵に目を向ける。木製のパネルに張られている画用紙がボコボコに波打っていた。どんだけテキトーにやってんだよ、これじゃ水張りの意味がねーだろ……はあっ……やっぱ、コイツのこと、放っておくわけにはいかないよな……。
「なあ……余計なお世話かもしれないが、専門学校とか考えてみろよ。こんな御時世だから進学する方が良いとは一概に言い切れないけど、選べる選択肢は多いに越したことはないし、社会に必要とされる技能を身につけるのも一つの手だぞ」
「でも、これ以上おじいちゃんやおばあちゃんに迷惑、かけられないし……」
「……」
「き、きっと、なんとかなるよー、あははははー……」
「……順子さん、まだ良くならないのか」
「……今もお仕事休んでるみたいだけど、家のなかとかメチャクチャみたい。会いに来ちゃだめって、お母さんからも返事が来てる」
「メチャクチャって、あの順子さんが……そっか……」
「うん……」
 母親を慕う恭子の気持ちとは裏腹に、二人の距離は遠のくばかりだった。胸の奥がチクリと痛む。それなのに。
「りんごなの~! バナナなの~! 美味しそうなの~!」
「オーッホホホホー。ねえ、にょろ。ちょっと耳を貸しなさぁい」
「あいあいさー、なの~!」
「もごぉもごぉ。ごにょぉごにょぉ」
「わわっ、それ良いの~! ユーレイのメンモク、ヤクジョなの~!」
 全ての元凶である当人たちはこの調子ときたもんだ。記憶の無いにょろはともかく、オフクロのヤツまで何をやってるんだか。いそいそと空中を移動する二匹の姿を目で追いかける。俺と恭子の瞳にしか映らない、にょろにょろとした、その姿。……そうは言っても、無間地獄で苦しんだという二人をこれ以上責める気にもなれない。それに今さら成仏なんてされたら、恭子も俺も、きっと……。
「きゃー!」
 そんな思いに耽っていると、突然の悲鳴が美術室中に響き渡った。
「せ、先生ー! りんごがりんごが、ちゅちゅ、宙にー!」
「バナナがブドウがキウイがミカンがー!」
 さらに驚愕と不信に彩られた叫び声が連鎖するように巻き起こる。
「怪奇、美術室の呪い~。目覚めたポルターガイストなの~!」
「愚民どもぅ。驚けぇ、慄けぇ、ひれ伏せぇ!」
「あははー、面白ーい、にょろちゃん、リボンちゃーん」
「なんですかこの騒ぎはいったい! 落ち着き、落ち着き、落ち、あわわ……」
 果物を抱えたまま宙を飛び回るにょろとにょろ2。混乱の極みに達して右往左往している生徒たち。準備室から飛び出すなりパニック状態に陥った美術教師。それらの光景を見て大喜びしている恭子お嬢さま。
「地獄だ……」
 前言撤回。てめえら、さっさと成仏しやがれ。
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登場人物紹介

主人公「なるほど」

恭子「なるほどー」

にょろ「なるほど~」

にょろ2「なぁるほどぅ」

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