7-9 道化

文字数 2,365文字

「は……ははは、はははは!素晴らしい!実に素晴らしいものを見せてもらった!」
 
 場の雰囲気をぶち破って(けい)の高らかな笑いが響いた。場違いな程にはしゃぐ珪に(はるか)は厳しい視線で言い放つ。
 
「お前の計画は失敗だ、観念するんだな」
 
「失敗?とんでもない、大成功だとも!今、康乃(やすの)様は言いましたよね!その葵を里に迎えると!」
 
「ええ」
 
 康乃が睨んでいることも意に介さず、珪は上機嫌で続けた。
 
「今こそ、里は(ぬえ)の元で一つになるべきなんです!(あおい)を鵺として祀り、鵺の下では里の者は皆平等!そして眞瀬木(ませき)は鵺の主人として里に君臨するんです!」
 
「珪!お前はまだそんなことを……!」
 
「兄さん!正気に戻ってよ!」
 
「僕は正気さ!大真面目だとも!」
 
 墨砥(ぼくと)瑠深(るみ)が大声で嗜めても、珪は常軌を逸した高笑いを続けていた。
 
「鵺に、魅入られてしまったか……」
 
 無念を感じて項垂れる墨砥の肩を叩いて、それまで事の成り行きを見守っていた八雲(やくも)が一歩前に進む。
 
「珪」
 
「なんです、おじ様?」
 
 その寡黙な瞳に後悔の色を滲ませて八雲は静かに告げた。
 
灰砥(かいと)兄さんを殺したのは俺だ」
 
「──!!」
 
 その言葉に、珪は途端に顔を曇らせた。
 八雲の告白は続く。
 
「灰砥兄さんも、ちょうど今のお前の様に鵺に魅入られていた。粛清は避けられなかった。だが、お前が灰砥兄さんを慕っていたのは充分知っている」
 
「──」
 
「心のよりどころを突然失ったお前は、こうでもしなくては自我が保てなかったんだろう。許せとは言わん、腹いせに俺を殺せ」
 
「八雲おじさん!?」
 
「お前は、その負い目で珪に加担したのか……」
 
 そのとんでもない申し出に、瑠深は大きく動揺し、墨砥は諦めの入った表情で項垂れた。
 
 そして珪は八雲に対し、とても冷たい目で言い捨てる。
 
「──知ってますよ、そんなことは」
 
「!?」
 
「八雲おじ様が贖罪で僕の言いなりになっていることもね、もちろん知ってましたよ。都合が良かったので利用させてもらいました」
 
「そうか……」
 
 八雲は全てを諦めた。珪の心に巣食ったものは、己の命に変えても取り除くことができないことを悟った。
 
「でも、そうですね。せっかくの申し出ですからお受けしますよ。犀髪の結(さいはつのむすび)ではいらぬ調整をされて僕は少々むかついているのでね」
 
「……」
 それでも、差し出せるものはこれしか思いつかない。
 
「兄さん!やめて!」
 
「珪!」
 
 瑠深も墨砥もこの事態に絶望した。眞瀬木という家の業をこれほど後悔したことはない。
 
「サヨナラ、八雲おじ様──」
 
 無抵抗の八雲に向けて、珪は愉快そうに右手を振り上げる。
 
 だが、次の瞬間、その手は白く光る糸で縛り上げられた。
 
「!」
 
「やめろ……」
 
梢賢(しょうけん)ッ!?」
 
 姉に比べたら極弱い梢賢の糸は、それでも珪の右手を縛って動きを止めていた。梢賢は心の底から叫ぶ。
 
「もうやめてくれ!珪兄ちゃん!」
 
 だが珪は梢賢を見下して蔑んだ。
 
「離したまえ。どっちつかずの愚図が」
 
「そうや……結局オレは(すみれ)さんにも、ハル坊達にもいい顔して、その間をふらふらしとった。そのせいで菫さんは死んでもうた……」
 
「よくわかってるじゃないか。全てはお前が優柔不断だったからだよ」
 
「ふざけるな!梢賢くんは──」
 
 激昂しかけた永を制して梢賢は懺悔するように言った。
 
「ええんやハル坊。コウモリ野郎でも愚図でも、オレは何でもええ。ただ、里の皆を信じたかった。色んな人の機嫌とって皆が仲良くしてくれるなら、オレは裏切り者でも良かった」
 
「梢賢……」
 
 その気持ちは、瑠深が理解していた。
 藤生(ふじき)と眞瀬木の間で常に道化を演じて里の円滑な運営を図る雨都(うと)は、珪のように見下す者が多い。しかし中には瑠深のように好ましく思う者も確かにいる。雨都は、里での潤滑油のような存在だ。
 
「なあ、珪兄ちゃん!?もうやめよ、皆に謝ろ!オレも里の皆に謝る!雨辺(うべ)を調子づかせたのは確かにオレやから!珪兄ちゃんも謝ってくれ!そうしたら康乃様かて許してくれる!」
 
 梢賢の言い分は甘いことこの上ない。康乃もおいそれと同意する訳にはいかなかった。珪ももちろん切り捨てる。
 
「バカか、お前は!?謝ったら許すなんてのは子どもだけなんだよ!謝っても許されないことを、この里では誰もがしてるんだ!」
 
 雨辺の離反。
 藤生の嫁一家の自殺。
 眞瀬木灰砥の粛清。
 ──そして、雨都(うと)(かえで)の殉死。
 
「ああ、本当や……」
 
 梢賢は里で行われた多くの闇の深さを、今、思い知った。
 
「楓婆が言っとった「里はもう終わる」ってのは本当やった。けど!楓婆は終わらしたくないから、あないに頑張った!楓婆が首の皮一枚で繋げたモンをオレかて終わらせたくなかったんや!」
 
「梢賢……」
 
 梢賢は希望の子だと、雨都の誰もが産まれた時から思っていた。姉の優杞(ゆうこ)は正直言ってこのちゃらんぽらんな弟には荷が重すぎると思っていた。
 けれど、誰よりもそう思っていたのは本人だったのだろう。背負わされた期待とも宿命とも戦って、折れずにこうして珪に対峙している弟を優杞は誇りに思う。
 
「黙れ!他所者が大きなお世話だ!里のことは我々が考える!雨都も、雨辺も──藤生も!鵺人に成り果てた者には任せられない!!」
 
 梢賢の真っ直ぐで真摯な思いに怯んだ珪は、それを打ち消すべく頭ごなしに否定した。もはや珪に誠実な思いは届かない。
 
「先にその減らず口から閉じてやる……」
 
 梢賢の出した糸が時間とともに緩んでいく。自由を取り戻した珪の右手は梢賢へと狙いを定めた。
 
「梢賢くん!」
 
「──くっ!」
 
 蕾生を支えなければならない永は咄嗟には動けない。蕾生も疲れ果ててしまっていて同様だった。
 
「梢賢!」
 
 鈴心は恐怖のあまり悲鳴をあげる。梢賢は己の非力さに呆れて目を閉じた。
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