目覚め

文字数 4,054文字

 引きこもってから十五年が経過した、ある日のこと――俺は死んだ。死因は思い当たりすぎてわからない。たぶん慢性的な運動不足と乱れきった食生活、極度の不摂生がいけなかったんだろう。でも、俺は緩慢な自殺をしていたようなものだ。中学からずっと不登校だった俺が、今さら社会復帰なんてできるはずがなかったから。

 ずっと絶望していた。もう生きていても仕方がないと思っていた。だから、俺は心臓発作を起こしたときに恐怖とともに、やっと楽になれるんだという奇妙な安息を覚えていた。これで、生きてるんだか死んでるんだかわからない毎日が終わり、苦悩や怠さから永遠に解放されると信じていた。天国へ行くのか、やっぱり地獄へ行くのか、あるいは魂ごと消えてなくなるのか――しかし、その全てはハズレだった。

「……えっ?」

 なぜなら、死んだはずの俺が目を覚ますと、そこは――見知らぬ部屋の中だったのだ。

 生前使っていた俺の部屋よりもやや狭い。部屋の片隅には学習机があって、本棚には見覚えのない教科書が並んでいた。そもそも、国語だの社会だのの教科書ではない。そこには魔法史だの、実戦魔法術Iだの、ファンタジーなタイトルが並んでいる。それに、ハンガーにかけてある服は学生服ではなくて、黒色の戦闘スーツだ。なぜ、それが戦闘服だとわかったのか、不思議だ。
 だが、俺はそれを知っているのだ。なぜだかわからないが――。

「おにーちゃん、起きてるー!?

 そこで、部屋のドアが開け放たれて、見覚えのあるようなないような少女が部屋に入ってきた。
「ほらぁ、起きないと乗っかっちゃうぞ~!」
 そう言いながら、その少女は実際に俺のお腹のあたりに勢いよく乗ってくる。
「ぐえっ! ……や、やめろよ、妹子……。……っ!?
 そう少女に抗議してから、俺はその少女が自分の妹であり、妹子である名前だとわかっていることに気がついた。
 なんでだ……? 初対面じゃないのか? でも……俺はこの子を知っている。そうだ。兄妹じゃないか。知らないはずはない。だが……現実の俺に、妹なんていないはずなのだ。
「ほらほらぁ、早く起きないと学校遅れちゃうよー?」
 そう言って、妹子は俺の上で身体を上下に揺らす。
「学校……? なんで、俺が学校に行かなきゃならないんだ……?」
 もう俺は二十九歳だ。学校なんて十五年以上行っていない。なんで、今さら、学校になんか……。
「もー、おにーちゃん、またそうやって学校ズル休みしようとする~! これ以上休んだら、本当に留年しちゃうんだよぉっ? 今日は美涼ちゃんから絶対に起こすように言われてるんだからっ!」
 美涼ちゃん……? どこかで聞いたような名前だが……思い出せない。さっきからなんなんだ、この記憶が曖昧な感覚は。
「もうっ、おにーちゃんが起きないんだったらぁ……えへへっ♪ 妹子がパジャマ脱がせちゃうんだからっ♪」
 そう言って、妹子は実際に俺のパジャマにのズボンに手をかけてきた。
「うわっ、よりにもよって下からとか! や、やめろって!」
「じゃあ、自分で着替えてよぉ! 今日は絶対に、ぜぇーったいに! 学校へ連れて行くんだからぁ!」
 妹子は俺の上で腕組みして、その決意の固さを表現する。
 そういう妹子は準備を整えてきたらしく、ちゃんと制服を着ている。ぱっちりした瞳に、やかましそうな唇。髪が左右にぴょこんと飛び出ていてピンク色の丸い髪飾りが愛らしい。見た目は小学生ぐらいだが……確か、俺と一歳しか違わないはずだ。
 ……って、なぜ俺はこの子のことをこんな細かいところまで知っているんだ!? いや、そもそもここはどこだ? 死後の世界っていうのは、こういうところなのか?
「ほら、時間ないんだから、起きてよー!」
 妹子がますます激しく俺の上で跳ねる。これではまるで乗馬マシーンみたいだ。当然、その振動はイケナイ波動となって俺の下半身に伝わってくる。
「って、わかった、わかったから、下りてくれっ! すぐに着替えるからっ! だから、部屋の外で待っててくれ!」
「もうっ、最初から素直にそう言えばいいのにぃ~っ!」
 妹に朝のソレを見せるわけにはいかないので、俺はしぶしぶ着替えることにした。死んだばかりなのに煩悩に悩まされるとは、俺は成仏できていないのだろうか。


 妹子が部屋の外に出てから、ともかくも俺は部屋の中を改めて見回してみた。
 やっぱり、本棚に並んでいるのは魔法や武術に関する教科書だらけだ。そして、机の横に無造作に立てかけてあるのは――鞘に収められた剣だった。
 どうやらここは……剣と魔法の存在する世界のようだ。そして、俺は学校に通っているという設定なのだろうか。ズル休みばかりしているらしいが……。
 ……なんだか俺はこの世界のことを知っている気がする。どこで読んだのか……。
 死ぬ前は、俺は某小説投稿サイトの読者だった。そして、途中からは自分も書くことに挑戦してみたのだが――処女作は途中でエタった。知らない人のために解説しておくと、エタるという言葉はエターナるの略。つまり、永遠になってしまう――更新しなくなってしまうという意味のネット小説用語だ。
 そこまで考えて、俺はとんでもない事実に気がついてしまった。

「もしかして……この世界って……俺が執筆途中でエタった小説の世界じゃないのか!?

 更新停止してから十年ぐらい経っていたので忘れていたが……。そうだ。間違いない。妹子という名前の妹キャラを作っていた。それに美涼っていう名前のキャラもだ。そして、剣と魔法の学校に通う不登校気味の学生って、もろに俺が考えていた主人公の設定じゃないかっ!

「ええー……まさか、こんなことがありうるのか? 死後の世界が自分の書いた小説の世界だなんて……」

 しかも、完結していない小説の世界となると、どうなるんだ? 更新停止したところまでいったら、俺の存在は果たしてどうなってしまうんだろうか?

「おにーちゃん、まだー!?
「わわっ!? わかった! わかったって! だから、ドア開けるなっ! 今、着替えるからっ!」

 妹子が今にもドアを開けそうなので、慌てて学生服代わりの黒色の戦闘服に着替えた。あとは剣を腰に装備して、鞄を持てばオーケーだ。
 時間割はわからないが、鞄にあらかじめ教科書が入っていたので、これで大丈夫なんだろう……たぶん。
 軽く身だしなみを整えて、ドアを開いた。そこは、廊下。他にもいくつかドアが並んでいる。典型的な学生寮だ。
「ほら、下で美涼ちゃん待ってるよ! 急がないと遅刻なんだからー!」
 そのまま妹子に急かされて、階段を下り、下駄箱の前へやってくる。
 そこで、202号室「永遠了」と書かれた名札の下から靴を取り出す。そう。俺が考えた主人公の名前は「永遠了(ながとおりょう)」、そして、妹の名前は「永遠妹子」。だんだんと思い出してきた。


「……おはようございます、先輩」
 そして、寮の玄関前で待っててくれたのは長い黒髪のよく似合う、落ち着いた雰囲気の和風美人だった。確か、妹子の同級生の観月美涼(みづきみすず)だ。
「先輩、体調はどうですか?」
「え、いや……まぁ……普通だが?」
「そうですか。秘められた力のために調子が悪いのはわかっていますが……さすがにこれ以上休むと進級が危ぶまれますよ?」
 秘められた力……? ああ、そうか。現実世界の俺が朝に弱かったのを自己正当化するためにそういう設定を考えていたんだった。
 そうだ。俺は秘められた力を制御するために、一般人よりもエネルギーを余計に消費してしまうんだ。しかし、その力を解放すれば、俺は強くなりすぎる。だからこそ、抑えるためにエネルギーを使っているのだ。
「……でも、今日はちゃんと登校できるんですね? よかったです……もうずっと休みでしたからね、今日もだめだと諦めていましたが……。サンドイッチを作ってきたので、一時間目の休み時間にでも食べてください。お昼は別に作ってあるので、屋上で一緒に食べましょう」
 そう言って、花柄の風呂敷に包まれたバスケットを渡してくれる。なんか俺は、ここのところずっと登校していなかったという設定らしい。
「……なんか、すまんな。ここまでしてもらって」
 美涼はこういうキャラだったかと違和感を少し覚えるも、俺は不自然にならないように会話をすることにした。
「……先輩がようやく登校できるようになったんですから、誠に喜ばしいことです。ついに……ですね」
 そう言って、美涼は俺のことを意味ありげに見つめてきた。
 なんだ、ついにって……? 変なことを言う。美涼はというと、俺のことを感慨深げに見つめ続けていた。こんな展開、たぶんなかったと思うのだが。

「ねー! 早く行かないと遅れちゃうよぉ!」

 妹子が怒りながら、すでに校門のほうへ歩き始めている。
 寮から学校へは徒歩三分。目と鼻の先だ。俺の他にも遅刻しそうになっている生徒もいるみたいで、全速力で駆けている者もいる。美涼との会話で、つい遅刻しそうだということを忘れしまっていた。

「それでは、行きましょうか。先輩。今日は記念すべき、始まりの日です」

 意味ありげなことを言いながら、美涼は歩き始めた。さっきから意味ありげなことばかり言うので、俺はふと考えてしまう。なんか、おかしい。まるで、美涼は俺の事情を知っているかのようだ。

「もうっ、はやくはやくぅ~!」

 今にも走り出そうとする妹子。でも、俺は考えながら悠然と学校へ向かうことにした。
 予鈴が鳴ったりしているが、気にしない。どうせ、ここは物語の世界内だ。現実のようになにかに追われて生きるようなことはしたくはなかった。
 まぁ、途中から十五年ほど引きこもっていたわけだから時間に追われることはない後半生だったのだが。
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登場人物紹介

糸冬了……引きこもりをこじらせて死亡。かつて途中で執筆を放り投げたネット小説の中の主人公「永遠了」として転生する。


観月美涼……本来モブキャラにすぎなかったはずが、絶大な力を有する能力者に。

勅使河原凛……本来メインヒロインだったはずなのだが、その役割を美涼に奪われそうになる。

永遠妹子……ぼくのかんがえたさいきょうの妹キャラ。了がほかのヒロインよりも力を入れて執筆していたことにより、この世界に対して疑問を抱かない。


水無瀬氷……謎の少女。ドクターペッパー中毒者。なにか重大な役割を担っているらしいが……?

阿佐宮九瑠美……生徒会長。魔法大臣阿佐宮九曜を父に持つエリート。

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