ずっと、シュウが呼んでいたのは

文字数 2,159文字

 放課後を迎えると、シュウに声を掛けられた。北校舎を繋ぐ渡り廊下に向かえば、東側の窓が開いており、ぬるい風が入り込んでくる。少し前に比べると、暑さが和らいできた。
「今日は、色んな子と思い出話をしていたね」
「つい最近まで、過去の記憶がなくても支障はないと思っていたけど、くだらないエピソードでも笑い合えるのは大切なことかもしれない」
 シュウは穏やかな口調で話す。由衣ちゃんのことも思い出しただろうから、私が好きなんて見当違いなことを言わなくなる。今、私の口から零れたのは、きっと、安堵の息。
「これ、返す」
「結子ちゃんの生年月日」
 スマートフォンを差し出したら、シュウが意味不明なことを言った。私は眉根を寄せて、シュウを見上げる。
「スマホのパスワードだよ。入力してみて」
 色々な意味で、何故? 三秒くらい固まった後、シュウの言う通りに従う。
 バッテリーが心配だったけど、ずっと電源を切っていたので、僅かに残っていた。自分の生年月日を和暦で入力すると、何の問題もなくホーム画面が表示される。
 記憶喪失だったシュウからスマートフォンを預かって、今日まで私の元にあった。これが何を意味するか分からない程、私は鈍感ではない。
「由衣ちゃんの画像は、ずっと前に削除した。嘘だと思うなら、確認していいよ」
 私は首を振って、シュウにスマートフォンを返す。シュウはスマートフォンを尻ポケットに仕舞うと、愛しいものを見るような目になった。
「記憶喪失になってもならなくても、結子ちゃんが好きなことに変わりなかった」
 やはり、そういうことなんだ。一体、いつから?
「由衣ちゃんと連絡先を交換した時は、まだ好きだったよね?」
「うん。あの時は由衣ちゃんと久し振りに会えて、凄く嬉しかった。本当はすぐにメッセージを送りたかったけど、ガツガツしたら引かれると思って、一日置いたんだよね」
「何回も言ったけど、考え過ぎ。やり取りが出来たってことは、迷惑じゃなかった証拠だよ」
「でも、由衣ちゃんが興味あったのは、アオだけだった。近況を尋ねると淡白な返ししか来なかったし、向こうから送ってきたことは一度もなかった」
「シュウと同じように気を遣って、長文や送信の回数を控えたんじゃないの?」
「その可能性もあるけど、脈がないと悟る自分がいた」
 思い返せば、由衣ちゃんのことを次第に話さなくなったし、メッセージの交換も消極的な印象があった。でも、再び由衣ちゃんと会ったら、諦めた筈の恋が復活するかもしれない。釈然としない気持ちでいると、シュウが私に問い掛ける。
「オレが記憶を取り戻したキッカケって、何か分かる?」
 私は首を振る。一番知りたかったことで、寝不足の原因でもあった。
「オレが結子ちゃんを意識しはじめたのは、甲斐くんと会ってからだよ」
 ここで、苦い思い出を作った奴の名前が出るとは。甲斐に罪はないけど、つい顔をしかめてしまう。
「ハキハキして、責任感があって、優しい女の子。結子ちゃんは自慢出来る友達だって思っていた。でも、甲斐くんと会った時に見せた恋する表情に、胸が締め付けられたんだ。あれ以来、今まで見逃していた仕草や表情にときめいて、素敵な男の子だって言われる度に舞い上がっていた」
 シュウはまっすぐ私を捉えながら、凪いだ海のような口調で言葉を紡ぐ。想像していたよりも前から、シュウは私を好きだったようだ。シュウの言葉や態度に偽りはないと分かっていても、現実のものとして未だ受け止められないでいる。
「こんなことを言えばモテる男気取りかって突っ込まれそうだけど、結子ちゃんは恋する目でオレを見てこないから居心地が良かった。でも、友達のままでは物足りなくなっちゃった。男として認めて欲しいよ」
 訴え掛けるような目に、私は文句を言いたくなる。どうして、由衣ちゃんを諦めたって、早く言わなかったの。
「結子ちゃんはどんな奴が好きか、ずっと考えていた。過去に見た気がして、昨日、やっと思い出せた」
「私、甲斐がドストライクって訳じゃないよ」
「それは、いいことを聞いた」
 シュウは無邪気に笑った後、改めて見つめてくる。薄暗い廊下にいるのに、シュウが眩しく見えた。
「これからも、名前で呼んでいい?」
「好きにすればいいよ」
「分かった、結子ちゃん」
 これまで、シュウに名前を呼ばれると息苦しさがあったのに、今は混じりっけなしの恥ずかしさに襲われる。そのうち慣れるだろうかと、熱くなった頬を両手で押さえた。
「結子ちゃん、好きだよ」
 更に、追い打ちを掛けてきた。むむっと唸りながらも、沁みるように胸がジンワリしていることを感じ取る。この好きは、ダイレクトに私へ宛てたもの。
「今は、これだけを言う。ありがとう」
「オレの気持ち、迷惑じゃないんだね」
「シュウは素敵な男の子だもん。好きと言われて、悪い気はしないよ」
 とはいえ、今すぐ恋愛モードに舵を切るのは難しい。自分の気持ちを見つめ直すのも大切だけど、それより今は優先することがある。
「この後、完全復活祝いにお茶をしよう」
「いいね、結子ちゃんはどこに行きたい?」
「主役が選びなさいよ」
「じゃあ、駅ビルのコーヒーショップ」
「そうと決まったら、レッツゴー」
 私達は荷物を取りに、教室へ戻る。久し振りに、秋晴れの空みたいな心でシュウと笑い合えた。
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登場人物紹介

比奈結子(ひな・ゆいこ)

ハキハキした性格の女子高生。

中学時代に失恋して以来、ナカナカ恋ができないでいる。

邦倉修士(くにくら・しゅうじ)

結子と同じクラスで、周りから仲良しコンビとして認定されている。

チャラいイケメンに見られがちだが、実は草食系男子。

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