第4話 金曜日/夜、水曜日/朝
文字数 1,897文字
金曜日、夜。
「イーハトーヴのとある町に二人の男の子が住んでいました。一人はカムパネルラ、もう一人はジョバンニという名前でした。ふたりは背格好がとても似ていてました。幼いころから一緒に遊び、同じ教室で学びました。二人は友だちでした」
滝は冒頭を読み上げてから、首を傾げている女の子に尋ねてみた。
「銀河鉄道の夜って童話、知ってる?」
女の子は首を横に振った。なら、それでいいと滝は思った。神前が書き残した物語は、【銀河鉄道の夜】を下敷きにしたものだった。残された時間の短さから、新しいキャラクターを造形する手間を省いたのかもしれない。
「じゃあ、続きを読むね」
滝はろうそくのオレンジ色の明かりにを頼りに、物語を読み進めた。
「町には大切な決まりごとがありました。春に森へいって、紫のカタクリの花の中にひとつだけ咲く、白いカタクリの花に一年の無事を祈ることでした」
水曜日、朝。
「タキ、どれくらい書いた? おれは半分近く書けたぜ」
夜遅くまで神前が陣取る滝の部屋から灯りが漏れていた。結局、滝は昨夜は襖一枚隔てた居間で休んだ。カイトが二人の部屋を往き来していた。
あくびをする滝に神前が尋ねた。
「教えろ。どれくらい書いたんだよ?」
滝は答えず、じゃがいも玉ねぎの味噌汁を箸でかき混ぜた。
「もう疲れたんだ。四六時中、アイデアとか展開とか、プロットとか。世界は終わるんだ。今さら、もう書く気がしない。だからおれは書かない」
「はあ? おまえのブンガクに対する情熱はそのていどか、タキ。俺は」
神前が身を乗り出したとき、玄関が開く音がした。
「ごめんください」
男性の声だ。神前は腰をおろして首をすくめた。
「田舎、ブッソウ。勝手に玄関開ける」
おまえもそうだったろう、と言いたいところだが、滝は朝食を中断して玄関へ向かった。
「打越 さん」
ポロシャツ姿の打越は滝に声をかけられても、上がり間口に座って背を向けていた。滝の家から坂を下ったところに数年前に家を建て、奥さんと小さな二人の男の子と四人で住んでいる。四十近くの打越の髪にはずいぶんと白いものが混じっていた。
「どうしましたか、亮くんと要くんに……」
滝の声に首だけ振り向いた打越は、老人のように見えた。数日間寝ていないかのような血走った目の周りは隈でどす黒くなっていた。
「水を一杯もらえますか」
居間から首をつきだして様子をうかがっていた神前が、素早く台所から水をくんできた。
打越は水で満たされたコップを、一気に飲み干した。飲み終わり、立ち上がり振り返った打越を見て神前が小さく叫んだ。
「タキっ」
神前が滝の後ろに隠れた。コップを受け取ろうと手を差し出したまま、滝も固まった。
打越の白いポロシャツには血が飛び散っていた。滝は打越の手を見て息を飲んだ。打越の手や指は傷だらけだった。
「滝さん、息子たちの勉強をみてくれてありがとう。今夜わたしの家が燃えても、そのままにしておいてください。風向きには気をつけます」
渡されたコップを両手で胸に抱き、滝は目を見開いた。
「うちは終わりますから」
「お、終わりますって」
神前はもごもごと滝の後ろでつぶやいている。
「滝さんのところが羨ましい。お母さん、先月亡くなってよかったですね。あとは猫だけでしょう?」
いつの間にか、カイトが滝の足元にいるのに気づいた。いびつな笑みを打越は浮かべてカイトと滝を見た。神前が滝の肩にぶつかって前に踏み出そうとするのを、滝は止めた。
「こちらこそ、お世話になりました」
「タキ!」
神前を羽交い締めにしたままで、滝は打越に頭をいちど下げた。
「おれ、父親が小さいときに死んでしまったから、打越さんが亮くんたちとキャッチボールしたり海で遊んだりしてるの見るのが好きでした。打越さんみたいな父親に憧れました。奥さんにも、母が体調悪いときに何度もおかずのお裾分けしてもらったり気にかけてもらってました。ありがとうございました。……みなさんによろしくお伝えください」
滝がもう一度頭を下げた。打越の顔がくしゃくしゃになったかと思うと、箍(たが)がはずれたように笑い出した。
「な、なんだよ」
神前が腰を抜かして、しりもちをついた。
打越は、笑い声をあげたまま玄関の敷居をまたいだ。坂下へと続く道をよろめきながら去っていく打越の笑い声はいつしか泣き声に変わっていった。
遠ざかる声は小さくなり、海鳴りに消されていった。
玄関から四角く切り取られた澄みわたる秋の空が見えた。水平線と空は青く混じりあう。
二人と一匹はしばらく玄関にたたずんでいた。居間の柱時計が八回、鐘を鳴らした。
夜。炎が星空を焦がした。
「イーハトーヴのとある町に二人の男の子が住んでいました。一人はカムパネルラ、もう一人はジョバンニという名前でした。ふたりは背格好がとても似ていてました。幼いころから一緒に遊び、同じ教室で学びました。二人は友だちでした」
滝は冒頭を読み上げてから、首を傾げている女の子に尋ねてみた。
「銀河鉄道の夜って童話、知ってる?」
女の子は首を横に振った。なら、それでいいと滝は思った。神前が書き残した物語は、【銀河鉄道の夜】を下敷きにしたものだった。残された時間の短さから、新しいキャラクターを造形する手間を省いたのかもしれない。
「じゃあ、続きを読むね」
滝はろうそくのオレンジ色の明かりにを頼りに、物語を読み進めた。
「町には大切な決まりごとがありました。春に森へいって、紫のカタクリの花の中にひとつだけ咲く、白いカタクリの花に一年の無事を祈ることでした」
水曜日、朝。
「タキ、どれくらい書いた? おれは半分近く書けたぜ」
夜遅くまで神前が陣取る滝の部屋から灯りが漏れていた。結局、滝は昨夜は襖一枚隔てた居間で休んだ。カイトが二人の部屋を往き来していた。
あくびをする滝に神前が尋ねた。
「教えろ。どれくらい書いたんだよ?」
滝は答えず、じゃがいも玉ねぎの味噌汁を箸でかき混ぜた。
「もう疲れたんだ。四六時中、アイデアとか展開とか、プロットとか。世界は終わるんだ。今さら、もう書く気がしない。だからおれは書かない」
「はあ? おまえのブンガクに対する情熱はそのていどか、タキ。俺は」
神前が身を乗り出したとき、玄関が開く音がした。
「ごめんください」
男性の声だ。神前は腰をおろして首をすくめた。
「田舎、ブッソウ。勝手に玄関開ける」
おまえもそうだったろう、と言いたいところだが、滝は朝食を中断して玄関へ向かった。
「
ポロシャツ姿の打越は滝に声をかけられても、上がり間口に座って背を向けていた。滝の家から坂を下ったところに数年前に家を建て、奥さんと小さな二人の男の子と四人で住んでいる。四十近くの打越の髪にはずいぶんと白いものが混じっていた。
「どうしましたか、亮くんと要くんに……」
滝の声に首だけ振り向いた打越は、老人のように見えた。数日間寝ていないかのような血走った目の周りは隈でどす黒くなっていた。
「水を一杯もらえますか」
居間から首をつきだして様子をうかがっていた神前が、素早く台所から水をくんできた。
打越は水で満たされたコップを、一気に飲み干した。飲み終わり、立ち上がり振り返った打越を見て神前が小さく叫んだ。
「タキっ」
神前が滝の後ろに隠れた。コップを受け取ろうと手を差し出したまま、滝も固まった。
打越の白いポロシャツには血が飛び散っていた。滝は打越の手を見て息を飲んだ。打越の手や指は傷だらけだった。
「滝さん、息子たちの勉強をみてくれてありがとう。今夜わたしの家が燃えても、そのままにしておいてください。風向きには気をつけます」
渡されたコップを両手で胸に抱き、滝は目を見開いた。
「うちは終わりますから」
「お、終わりますって」
神前はもごもごと滝の後ろでつぶやいている。
「滝さんのところが羨ましい。お母さん、先月亡くなってよかったですね。あとは猫だけでしょう?」
いつの間にか、カイトが滝の足元にいるのに気づいた。いびつな笑みを打越は浮かべてカイトと滝を見た。神前が滝の肩にぶつかって前に踏み出そうとするのを、滝は止めた。
「こちらこそ、お世話になりました」
「タキ!」
神前を羽交い締めにしたままで、滝は打越に頭をいちど下げた。
「おれ、父親が小さいときに死んでしまったから、打越さんが亮くんたちとキャッチボールしたり海で遊んだりしてるの見るのが好きでした。打越さんみたいな父親に憧れました。奥さんにも、母が体調悪いときに何度もおかずのお裾分けしてもらったり気にかけてもらってました。ありがとうございました。……みなさんによろしくお伝えください」
滝がもう一度頭を下げた。打越の顔がくしゃくしゃになったかと思うと、箍(たが)がはずれたように笑い出した。
「な、なんだよ」
神前が腰を抜かして、しりもちをついた。
打越は、笑い声をあげたまま玄関の敷居をまたいだ。坂下へと続く道をよろめきながら去っていく打越の笑い声はいつしか泣き声に変わっていった。
遠ざかる声は小さくなり、海鳴りに消されていった。
玄関から四角く切り取られた澄みわたる秋の空が見えた。水平線と空は青く混じりあう。
二人と一匹はしばらく玄関にたたずんでいた。居間の柱時計が八回、鐘を鳴らした。
夜。炎が星空を焦がした。