第10話 木曜日/夜、金曜日/夜、土曜日 (1) 

文字数 3,373文字

 木曜日、夜。

 仏間から持ってきた燭台にライターで火をつける。
 滝が窓を開けると、カイトが外へと散歩に出かけた。
 送電が止まり、地上からほとんどの明かりが消えた夜空は藍色で、空には月に劣らず鋭く光る星が数個見えた。
 あれが軌道から外れ、土曜日に地球へぶつかる小惑星なのだろう。
 海沿いの道路に目を転じれば車がならんでいる。時おりクラクションが鳴り、男性の怒鳴り声が静寂を破る。
 滝はひとしきり、声のする方角に目を凝らしたが、数人がもみ合うようなくぐもった音がするばかりだった。月光に照らされる波間には浮き沈みするものがある。もうこれ以上は、見ない方がいいだろう。
 滝は小さくため息をつくとカイトが通れるくらいだけ窓を閉めて机に座った。
 窓際の机で神前が書き残した小説を読んでいた。滝の後ろには、永遠の眠りについた神前がいる。
 オレンジ色の光をたよりに古いノートの文字を追う。鉛筆書きで二人の少年を主人公にした物語が広がっていた。
 ジョバンニとカムパネルラ。言わずと知れた「銀河鉄道の夜」の二人だ。神前が奇妙な二次創作めいた話を書いていたことに、滝は虚を突かれた思いだった。
 神前の得意なジャンルは、ミステリーやSFだった。童話やファンタジー作品は書いたことがないはずだ。少なくとも、滝は目にしたことがなかった。残り時間がわずかだと、自分自身でもうすうす感じていたであろう神前は、なぜ「銀河鉄道の夜」のパスティーシュのようなものを最後の最後に書いていたのか。
 暗に神前と滝を、登場人物の二人に投影しているのだろうか。
 境遇はまるで正反対なのに、見た目がよく似た二人という設定。
 しかし、ジョバンニとカムパネルラは、どちらが滝でどちらが神前といったふうではなく、それぞれのプロフィールをばらして再構築してあった。
 ジョバンニは、滝であり神前だった。カムパネルラもまた、滝であり神前だった。
「どうして」
 病気からくる痛みや体調の悪さから、新しくキャラクターを作ることができなかったのかもしれない。
 大した理由もなく、二人の少年から想起されたのがカムパネルラとジョバンニだったのかもしれない。
 滝は読み進めた。神前が残した最後の物語を。
 親友の少年たちのカタクリへの祈りはかなわず、不意に幸運が舞い降り始め生活も態度も一変していくジョバンニと、それを見つめるカムパネルラ。
 たぶん、父親との会話でカムパネルラは自分の親切ごかしたそれまでの『施し』を恥じているだろうと、滝は感じた。
 それは神前も同じだったかも知れない。
 滝は羽振りが良かった頃の神前のふるまいを責めた。
 自分を笑い者にしたと。
 一応のテーブルマナーは知識としてはあったが、緊張しすぎてカトラリーをぎこちなくしか扱えなかったことや、ワインのことなど何も分からずにただ冷や汗をかいたこと。
 別荘に招待されたとき、滝は服装は気を配れたが靴にまで気が回らず、別荘の玄関で恥ずかしい思いをしたこと。夕食のバーベキューのとき、神前の友人たちの会話にまるでついていけなかったこと。
 挙げればきりがない。今も思い出すたびに、目の奥が怒りと恥ずかしさで熱くなる。
 滝は神前たちと出かけた後は連絡を絶つことを繰り返した。もう誘わないでほしいという気持ちを暗に伝えようとして。それでも神前は滝のバイト先へ幾度となく顔を見せた。バイト入れ替わりの一件で店長からの心証もよくなかったはずだが、惜しげもなく本を買っていく神前はいつしかお得意様となっていたのだ。
「おれも、本当は文学部へ進学したかったんだけどさ、家の商売を手伝わなきゃいけないから反対された」
 経済学部の学生だった神前は、文学部に通う滝を羨ましがっていた。
 父親が社長を勤める建設業と不動産業を継ぐはずだった神前は、大学三年の春に中退することになる。
 神前の実家の事業が破綻したのだった。



 金曜日、夜。

 雨は強い風も加わり、嵐になりました。ひどい天気は三日間続きました。
 ちょうどお祭りが開かれるはずだった三日間でした。ケンタウルのお祭りは中止になりました。
 町中の道も大雨で川のようになったので、水が引くと山から運ばれた木や木の葉や泥が残りました。
 お祭りのために飾られた花もカンテラも、雨や風で落ちてしまいました。仮ごしらえの屋台は吹き飛び、準備していた花車も大半は雨に濡れて、せっかく作った花も人形も崩れてしまいました。
 家の片づけをしていたカムパネルラのお父さんへ町の役場の人がやってきました。知らせを聞いたとたん、お父さんの顔は青ざめました。昨夜ジョバンニの家が増水した川に流されたというのです。
 知らせを受けて、カムパネルラとお父さんはジョバンニの家があったところへ急いで駆けていきました。家から出て丘を登り、それから下り、川沿いの小道の先にジョバンニの家があったのですが……。
 そこには家の土台がわずかに残っているだけでした。生ぬるい風に泥の匂いが漂います。川は三日間の大雨でいまだ増水しています。荒々しく流れる川岸に小さな影がありました。
「ジョバンニ!」
 カムパネルラが声をかけても振り向きません。ジョバンニは泥で汚れた服を着たまま、川を見つめていました。むきだしのすねとひじには、何かにぶつけたのか青あざができていました。
「母さんが……」
 言われてカムパネルラは周りを見渡しました。被害を聞きつけたのか、町の人たちが集まりだしています。カムパネルラのお父さんは、ジョバンニのお父さんと話をしていました。ジョバンニのお父さんも、泥だらけでうなだれています。
「ちゃんと逃げたんだよ、でも、持ってくるのを忘れたぼくの絵を取りに戻って。ぼくのせいだ、ぼくが……」
 ジョバンニはそのまま泣き崩れました。カムパネルラはうずくまるジョバンニを慰めることも忘れ、立ち尽くしました。
 ぼくのせいだ、というのは、カタクリの花のことをさしているように思えたのです。
 顔をあげると、同級生たちが野次馬に混じっているのが見えました。誰一人としてジョバンニのところへやってくる者はいませんでした。

 ジョバンニのお母さんは見つからないまま、お葬式があげられました。それから幾日かして、ジョバンニのお父さんは持ち出せたわずかなお金を手に、イーハトーヴの町から出ていきました。北の海でまた一旗揚げるのだと言い残して。
 ジョバンニは残りました。お母さんをひとりだけにしておけないと言ったのだそうです。
 お葬式が終わったあたりから、春先のカタクリの花のことを噂する人たちがちらほらと現れました。
 ――カタクリの花に一年の息災を願わなかったから、大嵐が来たのだ。
 疑いの目は、ジョバンニとカムパネルラに向けられました。
 ふだんであれば、実りの秋です。けれど大嵐に見舞われたイーハトーヴでは、沼畑のオリザは倒れ、赤く色づき始めていた林檎は枝から落ち、畑の野菜は水につかりました。このままでは、冬は越せないのではないかと、みな不安に思います。
 こんなことは、ここ何十年もなかった。すくなくとも、御庭へ使いとして子どもをやるようにしてから一度もなかったと、老人たちは眉をひそめて話します。
 今年の使いは……となったとき、様々な幸運が突然舞い込んできたジョバンニをより疑る人が多くなってきました。
 絵の展覧会で賞を取ったこと、ずっと音信不通だった父親が高価な毛皮をもって帰ってきたこと、病の床に伏していた母親が回復したこと。
 人々の噂は広がり、ジョバンニの周りにはかつての取り巻きは一人もいなくなりました。


 滝は、そこまで読み上げるとノートから顔をあげた。続きを読むか読むまいか、滝の鼓動は大きくなって耳鳴りまでした。
「どうしたの? つづきは?」
 女の子の大きな瞳と目が合い、滝の肩はびくりと揺れた。金曜日の夜、すでに九時近くになっていた。居間のカーテンを開けて海を見ると、岬の向こうの空が明るくなっていた。それは火事なのか、それともずっと遠くの場所に星が落ちたのか。
「ジョバンニとカムパネルラはどうなるの?」
 滝はノートに視線を戻した。のたうつ文字列、「ジョバンニの周りにはかつての取り巻きは一人もいなくなりました」の次の行に書かれた字が滝に決断を迫る。

 ――続きは、滝が書け――

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