第3話 金曜日/日没、火曜日/昼

文字数 3,844文字

 金曜日、日没。

 居間にろうそくが頼りない明かりを投げかける。
 滝は女の子が風呂に入っているあいだに、母の箪笥から着られそうなものを探した。母親は小柄な体型だった。小さめのTシャツやハーフパンツを選んだが、風呂上がりの女の子には、それでも大きかった。
 滝は女の子にバスタオルを羽織らせ居間の座卓に案内すると、素麺を配膳した。ピーマンと庭から採った茄子の素揚げも付けた。
「食べられるかな」
 滝が言い終わらないうちに、女の子は素麺に箸をつけた。多めの麺を箸でつかむとガラス椀のめんつゆにひたし、一気にすすりこむ。
「あわてないで、ゆっくり……」
 滝が止めにはいるほどの、がっつきぶりだった。と、女の子の手が止まる。
「おいしい。おいしいよ」
 言ったとたんに、少女の目から大粒の涙がこぼれた。
「パパ、ママ、ゆめちゃん……っ」
 少女は箸を握ったままの手で、目をおおった。
「みんな、みんな……んじゃ……ったっ」
 もしかしたら、ここ何食か食べられなかったのかも知れない。食べるものがなくなって、家族で海に入ったのかも知れない。とびきりの晴れ着で。ロープで手をつないで。
 滝は少女の背中をそっとなでた。しばらくの嗚咽のあと、少女はまた素麺を食べ始めた。
 しゃくりあげながら、それでも食べた。ピーマンも茄子も。
「おなか、いっぱい?」
 滝の問いかけに少女はうなずくと、差し出されたティッシュで鼻をかんだ。
 よかった、と滝はうなずくとお湯でといたコンデスミルクの入ったマグカップをさし出した。
 六日目まで食糧が続いたのは、先の震災を教訓に滝の母が備蓄していたからだ。「そんなにため込まなくても」と言ったものだが、役に立った。それに神前の食が細かったため、あまり減らなかったのだ。
「じゃあ、お話を読むね。あ、楽にして」
 滝はノートを広げた。いつの間にかカイトが居間に来ていた。
「ねこちゃん」
 そばにやってきたカイトに少女は手を差し伸べ柔らかくほほえむ。カイトは少女の指先に鼻をくっつけた。その様子に滝も笑った。
「聞いてください。『ふたつの星とカタクリの花』」
 滝はゆっくりと読み始めた。


 火曜日、昼。

 二人は外へ出ていた。滝は家庭菜園からジャガイモを掘っていた。
「ちくしょっ、やられたっ」
 ガレージのほうから神前の声がした。滝は掘り出したジャガイモを入れたバケツをさげて神前のところへ行った。
「タキ、車のガソリンが抜かれた!」
 見れば、年季の入ったセダンの給油口の扉が開きっぱなしになっている。
「ああ……車で逃げられるわけないのにな」
 何かせずにはいられないのだ。滝は海のほうへと首を巡らせた。海面に白い波がたっている。驚くことに、水平線をゆっくりと進む船があった。あれには誰が乗っているのだろう。
「隕石がぶつかったら、地球が壊れる音が宇宙に響くんだろうな」
「宇宙空間で音は響かねえだろ」
 神前が律義に答える。たしかにそうだと思いかえし、滝はしばし目を閉じて砕け散る青い惑星を想像した。
 全てが終わるなら、それでいいかも知れない。
「やっぱ昨日、行けるとこまで行くべきだったんじゃねえのか」
 昨日、ガソリンスタンドには車や携行缶をもった人が多く群がっているのを見たが、すでにガソリンも灯油もないらしく怒号が飛び交っていた。「給油なしでここから東京までなんて行けるわけない」と出版社へ抗議にいくと息巻く神前をなんとか説得して帰宅した。
「ここんちは大丈夫なのか? ガスとか水とか」
 神前は急に不安になったのか、そわそわと歩き回った。
「ガスはプロパンガスでちょうど取り替えが来たばかりだったし、水が止まったら裏の小川から汲めばいい。食糧は」
 しゃがんでジャガイモをよりわけていた滝の鼻をタバコの香りがかすめて、あわてて顔をあげた。
「神前! タバコ、ダメだろ」
 神前は、ふうっとわざとらしいほど長く煙を吐いた。
「土曜日には死ぬんだし、タバコくらい吸うさ」
 にやりと笑うと、タバコの箱を滝へ向けて顎をしゃくった。
「おれは止めたんだ」
 滝の答えに神前は鼻を鳴らしてコートのポケットにタバコをしまった。
 滝は収穫したジャガイモを台所へと運び、流しで泥を落とす。
「まだ水道は使えるんだな。電気は……」
 後からついてきた神前が台所の照明のスイッチを触る。四角いシーリングライトが煤けた天井を明るく照らした。
「電気もいつまでもつかな。ネットはもうダウンだろ」
「電話、まだたまに使えるぞ。家族に連絡しなくていのか」
 ジャガイモをタワシでこすりながら滝は神前に尋ねた。
「連絡先が、わかんねえ。生保受けて入院するとき、スマホを手離したから。だいいち、離散して以来一度も会ってない。土曜日にあの世で現地集合だぜ」
 生保、生活保護の略語だ。滝は出会ったころの神前の羽振りのよさを覚えている。有名な私立大学の学生で、乗っている車はスポーツタイプの外車だった。唇を歪めて笑う神前から滝は目をそらした。
「やってらんねえな。なんか本を貸せよ」
 神前は居間を横切り、滝の私室へ勝手に入っていった。
「ち、ちょっと待った」
 濡れた手を首にまいたタオルで拭いて神前の後を追う。
「何だよ、小説はこれっぽっちかよ。書籍化先生の本棚は資料ばっかりだな」
 神前は滝の本棚に並ぶ文庫の背表紙を指でなぞった。
「小説は図書館から借りるようにしてたんだ。資料の本だって大半は古本だ」
「しけてんな」
 神前はつまらなさげに言うと、詩集を本棚から引き出した。
「……あのさ、昨日も説明したけど、あの作品は、おまえが入院前に好きにしていいってたやつなんだぞ」
 神前は振りかえると、強い視線を滝に向けた。滝は入院する神前からネットの小説投稿サイトには未発表の書きかけのデータを譲られたのだ。
「もう続きを書く気がしないからって俺に言ったじゃないか」
「あ、あのときは告知されて気が動転して。いずれ書こうと思ってたんだ。まさか、タキが続きを書いて公募にまで出すなんて」
「……俺のおかげで完結したんじゃないか?」
 滝の強めの語気に神前が鼻白む。
「俺は神前が書いたミステリーの冒頭一万字から事件を解決したんだ。おまえ、誰が犯人かもトリックをどうするかも決めてかなかったろう? キャラたちの思わせ振りな言動や、少ない手がかりから俺は謎解きをした。殺人事件の犯人を割り出して完成させた。何にも考えていなかった神前に代わって」
 作品を完成させるまでの日々を滝は思い返した。病院のベッドのわきで、静まり返った夜の受付ロビーで。一人きりの家でカイトのぬくみを膝に感じながら、何時間もパソコンのモニターを見つめて書いては消し、書いては消して何度も朝を迎えた。
 神前が何かを飲み込むように、顎をくっと引いた。
「それだって、おれのキャラがたっていたからだろう? タキが書いていたようなぼんやりした造形じゃなかったからな」
 滝は知らぬまにこぶしを握っていた。滝の表情の変化から神前は優位を取り戻したように胸をそらした。
「おれは、何度も公募に入選した。タキは? いつも選外だったろうが」
「だな。神前が入選したのは未完結でも応募できるやつばかり。せっかく受賞してどれだけ人気が出ても、どれも完結しなかったよな。とうぜん本にもならなかった。書籍化を射止めたのは、俺の力量だ」
「俺のほうがブックマークがはるかに多かった。評価だって、レビューだって、感想だって」
 神前は隈が浮いた目を歪めて滝に詰め寄った。
「知ってるさ。人気者だったな、神前は。病気して更新が止まっても、読まれているのだって知ってる」
 滝は自分が持ち合わせない華やかさを神前が持っていることも周知している。それでも、地道に取り組む滝が、書籍化の栄誉を手にしたのだった。
「だったら勝負だ。世界が終わる前に小説を書こうぜ。どっちの腕がうえか決着つけようじゃないか」
 神前は最後まで言い終えると、息があがったように喉が鳴った。
「誰がジャッジするんだ。読者もいないのに」
 滝は神前の提案に半ばあきれた。神前は肩で息をしながら机の前に座り込んだ。
「いるさ、ここに二人も」
「お互いのを読んでも優劣が決まるわけないだろ」
「どちらかが、降参すればいいだけの話だ」
 神前はあくまで引く気がないらしい。
「何か書くものよこせ。シャーペンとノートか何か」
 いずれ停電することを見越してか、神前は滝に向かって手つき出した。
 滝はため息をつくと、部屋のすみに積み上げている雑誌類の中から、使い残しのノートを見つけて神前へ手渡した。
「今日はこっちの部屋を貸せ。机も資料もあってはかどりそうだ。病人に、少しは優しくしろ」
 こんなときにだけ、病気を楯にする。
「おれは書かない」
「逃げる気か。自分の実力は偽物だっていうようなもんだろうが」
 執拗に食い下がる神前に、滝は返事をせず襖をあけて部屋から中廊下へと出た。
「タキ、賞金貰ったんだろ。半分よこせよ」
「もう無い」
「は?」
「全部使った」
 呆れた顔で滝を見る神前を一人置き、襖を締めると向かい側の母親の居室だった引戸を開けた。
 日当たりの悪い六畳間には、箪笥と鏡台があるきりだった。閉め切りだった部屋は湿気とカビ臭がこもっていた。窓をいっぱいに開くと、潮風が匂う。
「タキ、おまえも書けよ! 絶対に書けよ!」
 あくまで腕くらべをするらしい。滝は母の鏡台の引出しに手をかけた。引出しの中には、薬の袋があった。袋には薬がまだ相当残っている。
 睡眠導入剤が。
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