おいもとめるもの(2021-9月 イケオジ)

文字数 4,041文字

白の大地の外れの地。アズガルドから遠く離れた山岳地帯。
岩肌ばかりが目立つ荒れ果てた地を、一人の老人が歩いていた。
老人の手には杖一つ。腰には身長ほどの長刀が二振。頭には編笠が一つ。その他には首飾りや腰巻きがある程度で、これといって特別な装備は見当たらない。森林限界を超えた高地を進むには身軽すぎる装備である。だが老人は特に気にする様子もなく、カチャカチャと音を立てながらただひたすらに歩き続けていた。
空は見渡す限り青く、時折流れるそよ風が心地いい。外套はふわりとはためき、長く伸びた髪と髭が宙を踊る。至って平穏そのものであるのだが、先ほどから聞こえる遠雷が老人に幾許かの懸念をもたらしていた。
「——荒れるな」
だがいくら嵐が迫ろうとやることは変わらない。老人は少しばかり歩を早め、当てのない旅路を進み続けた。


「——そこかぁっ!!!」

老人の後方から轟音が鳴り響く。一筋と呼ぶにはあまりにも太すぎる雷が、山道に巨大なクレーターを穿った。人の頭ほどの岩石が四方八方に飛び散りった。老人が腰の得物に手をかけたかと思うと、周囲に浮かんだ石礫は瞬く間に砂粒へと転じていった。その冷たい視線の先、クレーターの中央の粉塵にゆらりと影が浮かんだかと思うと、大きな槌を持った一人の屈強な男神が現れた。
「——ようやく見つけたぞ。銀腕の戦神・ヌアザよ!」
大声で名を叫ぶ雷神にヌアザは冷ややかで疎ましげな視線を投げかけた。
「一線を退いた老兵にその口上を持ち込むな。今最強の名をを恣にしているのはトール、お前だろうが」
ヌアザはトールの方へ向き直る。その厳しい視線を意に介することなく、トールはずかずかとヌアザの元へ歩み寄る。
「それで?最強の雷神が一介の流浪人に何の用だ?随分と苦労していたようだが、当てを間違えているんじゃないのか?」
「いいや、お前で間違いない。俺が必要としているのは、お前の力だ」
「そんなものなどいくらでも変わりがいるだろうよ。癒し手であればエイルの方がよっぽど適任だ。幸運を招きたければユグドラシルのノルニルの元へ行けばいい」
「俺が欲しているのはヌアザ、お前の武そのものだ。その力をここに示してほしいのだよ」
「……戦争か。断る」
ヌアザの面持ちは固い。
「あれは虚しいものだ。何かを生むと信じられながら、その実全てを奪っていく。争いの果ての平穏は抑圧された憎しみを礎に築かれた仮初のものでしかない。奪われたものを奪い返さんと終わりなき戦いがどこまでも続く。結局のところ、本当に失いたくなかったものは絶対に戻って来ないというのにな」
ヌアザはかつての自らの行いを思い起こす。それは決して褒められることばかりではなく、終いには復讐に囚われた。完遂したところで当然大切だった妻は戻ってくることはなく、代わりに喪失や諦念といった虚っぽの感情ばかりが残された。右腕の義手はその失意の象徴として今なおヌアザを苛み続けている。
「いいか、未来永劫私を戦乱に巻き込むな。私はもう、二度とそのようなものに関わるつもりはない。そもそも、そこらの戦争であれば、小僧、お前一人でどうとでもなるだろう。まさかオリュンポスや天軍に仕掛ける愚行を犯すほど傲慢ではあるまいな?」
「まさか。今の我々にそんなことをする余裕はない」
「ならば話は終わりだ。さっさとアズガルドへ帰れ。隠遁した老人一人放っておいたところで何も問題はないだろう?」
ヌアザはトールに背を向け立ち去ろうとする。しかしトールはそれを許さない。
「何度も言わせるな。俺はヌアザ、お前に用があるのだ。父上は関係のない、個人的なようだ」
ヌアザの眉間がピクリと動く。
「ほう?あまりいい気はせんが……言ってみろ」
「ヌアザ。お前と手合わせを願いたい。俺はお前を超えなければならんのだ」
「——ほう」
その一言はあまりにも短く、あまりにも低かった。それはヌアザのかつての姿、最強の名に相応しい武功をあげ多くに畏れ敬われた戦神としての側面が、一言を発する間のみ前面に現れていた。一秒にも満たないほどに発せられたそれは、現在最強と謳われるトールを大いに怯ませるのには十分すぎた。
相手が明らかに格上である以上、わずかでも油断や隙を見せるほどトールは愚かではない。常にヌアザの挙動を警戒し、ほんのわずかな異変すらも見逃すつもりはなかった。手練れとの戦いとはそれほどまでに険しいものであり、一瞬の隙・緩み・怯みで雌雄が決するといっても過言ではない。事実、この時のヌアザがその気であったのなら、トールがあらかじめ身に纏わせておいた雷盾で無理やり気を立て直すまでのわずかな時間の間に相当な深傷を負わせていた可能性は非常に高い。
しかしヌアザは特にその場から動くことはなく、これまでとなんら変わらぬ調子で口を開いた。
「その必要性は感じんがな。なにせ小僧、お前は『最強』なのだろう?その言葉の意味がわからぬわけではあるまい」
当然トールは納得していない。額に冷や汗をかきながら説得を試みる。
「確かに俺は最強と謳われている。だがこれはヌアザ、お前が一線を退いたからに過ぎない。あくまで代わりとして譲られた称号であって、俺の力だけで勝ち取ったものではないのだ」
「だが自負はあるのだろう。己が認め、他からも目される。これのどこに問題がある?」
「当然、今のアズガルドで最強だという自負はある。だがな、俺が真に最強となるためには、かつて最強と謳われたヌアザ、お前を倒し超えなければ話にすらならんのだ」
「一体いつの話をしとるんだ小僧。一線を退いて久しい老兵が現最強に叶うはずもなかろうよ。そも、戦いを避けんと放浪する者を序列に加えようとすること自体が間違いだ。それがわかったならさっさと帰れ。残された余生くらい好きにさせてくれ」
どんな冗談だ。トールはミョルニルの柄を強く握りしめる。
いかなる理由であろうとも、ただの老人がトールを萎縮させるほどの圧をかけることなどできるはずがない。それが政治や謀略ではない純粋な武の対面であれば尚のことである。ヌアザをようやく探し出しこうして対面することで、トールは改めて超えなければならない壁の高さを強く実感していた。
しかし当の本人に戦意はまったくといっていいほど感じられない。これではようやく見出した機会も無駄となってしまう。おそらくこの機会を逃せば再びヌアザと出会うことはなくなるだろう、とトールは感じていた。実際、ヌアザも厄介な追手をかわし続ける策をすでに数十は脳内に巡らせていた。
(無理やりにでもその気にさせねばならん、か……)
黙りこくるトールにヌアザが告げる。
「小僧、もういいか。ならば行くぞ。今後、二度とお前の私情に巻き込むな」
「あぁ。ヌアザ、お前の好きにするがいい」
ヌアザは「そうか」と小さく呟き、トールに背を向ける。しかし——いややはりというべきか——歩き出そうとしたところで雷鳴が鳴り響いた。背後をみやるとトールが帯雷したミョルニルを大きく掲げている。今なお雷撃を溜め続けながら、トールはヌアザに宣言する。
「——だが、俺も好きにさせてもらおう。ヌアザよ、お前が俺と戦おうと戦わまいと、俺はこの雷をふるい続ける。幸い辺りに我らを邪魔するものはなにもない。お前に遠慮する理由もない。たとえこの山が崩れ地図から消え去ることになろうとも、結末を迎えるまで俺の雷は止まらないと思え」
「……堕ちたものだな。己の勝手を通さんがために、無辜の民に牙をむき、平穏と安寧を奪わんとするか。神とは民を守り導くものだ、小僧。お前のその行いはその前提に反する愚行だ。もはや小僧だけの問題ではない。アズガルドの神全てがそうだとみなされるぞ」
「だが神は時として民に試練を与えるものだ。過酷な試練を乗り越え勝ち取るものがあるからこそ人民は強く長く反映することができる」
二人の視線が交錯する。
「ヌアザよ。お前は自由が欲しいといった。平穏を望むと言った。ならば俺はお前に試練を与えよう。俺との戦いに勝利し、自らの力で自由と平穏を勝ち取ってみせよ!」
解放されたミョルニルの雷はトールからすればやや過激な挨拶程度のものであり、ミョルニル本来の力には遠く及ばないものであった。だがその威力は甚大であり、多少力を持った程度の神や魔物であれば文字通り消し飛ばすことができた。主神クラスの力を持っていようとも何も対策をしなければ重症では済まないかもしれない。そんな化け物じみた火力を容易く出せてしまうあたり、トールの実力は確かに最強と呼ぶにふさわしいのだろう。
対するヌアザは向かってくる暴雷に眉ひとつ潜めることなく、コツコツと手前の杖で地面を二度ほど突いた。一撃が過ぎ去った後、そこには肩の砂埃を払うヌアザ、そしてルーンが刻まれ宙に浮いた無数の岩が残っていた。正面には腰に刺していた剣が一本刺さっており、バチバチと雷を強くまとっていた。
(やはりこの程度ではものともせんか……!)
予想以上の結果に武者振るいがトールを襲う。口角は吊り上がり、ますます気分は高揚する。
「……聞かん坊が」
一方ヌアザの表情は険しくなるばかりで、額には青筋すら浮かんでいるようだった。帯電した剣を手に取り、ルーンで強化した岩を展開する。


嵐の前の静けさ。瞬き一つすら許されぬ緊張。極限までに張り詰めた空気の中、青空を流れる雲だけが時が流れていることを物語っていた。


どれだけ時間が経っただろうか。帯電したミョルニルか刀、もしくはその両方がバチリと放電した。刹那、二人はすでにその場から消えていた。瞬き一つ、二人の得物はまさにぶつかり合おうとしていた。


方や力の極致に至りし者。方や技の極致に至りし者。
対極に位置し、対極の結論に至った二柱の神。しかし今この瞬間だけは、全く同じことだけを考えていた。
((お前という障害を、今ここで打ち砕く!))


頂上決戦とも言える激闘。甚大な爪痕を残し後世に伝説として語られる戦い。

誰も結末を予想できなかった戦いが、今始まる。






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