逃亡前記

文字数 4,362文字

夜の村に怒号が響く。駆け巡るかつての仲間の足音が鳴り響く。彼らの目的はただ一つ。私、エルティナの捕縛だ。このまま建物の陰に隠れてやり過ごし頃合いをみて逃げ出せればいいのだが、何せ相手は師団員、そう上手くはいくまい。
「いたぞ、こっちだ!」
「追え、逃すな!」
そう思ったそばから見つかってしまった。思わず舌打ちをして走り出す。すでに4,5人の師団員が集まっており、一人は民家の上で矢を番え攻撃の構えを取っている。しかし気にしている余裕はない。少しでも早く巻かないとさらに追っ手が増えて逃げられなくなる。囲まれてしまえばもうおしまいだ。今はとにかく走るしかない。追っ手の攻撃をいなしてはいるものの、かつて私が守ろうとした仲間に手をあげることに私はまだためらいがある。天軍を信じられず逃げ出したとはいえ、まだ完全に心の整理がついているわけではないのだ。



かつての私は天軍に所属することに何の疑問も抱かなかった。私の力は対象の罪を赦し魂を浄化させるという特殊なものだ。この力は天軍が管理する力であり、そのために天軍に所属するのは自然な流れだった。それに、私自身が世の平和のために活動できるのは少しだけ誇らしかった。私は天軍第四師団で行動することとなった。
だからと言って他の師団員たちと馴れ合うつもりはさらさらなかった。私の力を羨むもの、拝むもの、やっかむもの……本当に鬱陶しかった。もちろんそんな天使ばかりではなかった。対等に接するもの、先達として助言するもの、同志として肩を並べようとするもの……彼らが心地よくなかったといえば嘘になる。それでも、私は一人を貫こうとした。万が一暴発した時に仲間を傷つけるのだけは避けたかった。
そして、私は戦場ではいつも一人になった。一人で先陣を切ることもあれば、隊列から外れて脇の敵を掃討することもあった。上官に何度も止められたが知ったことじゃない。上官は何もわかっちゃいない。私は作戦のためにすべきと思ったことをするだけ。……それに、私は仲間が傷つかねばそれでよいのだから。



ある日、私はガブリエル様の下へ招集がかけられた。案の定私の単独行動についてだった。ガブリエル様は静かに淡々と小言を言った。
「——本来上官命令を無視した単独行動は軍規違反です。何度も警告しましたよね?」
私は無言のまま聞き流す。そんなことは百も承知だ。ここでわざわざ言われずとも、今までに何度も何度も聞かされてきた。そんな様子を見たガブリエル様は軽くため息をついた。
「……とにかく、此度の謹慎でもう少し反省しなさい。あなたの考えはわからなくもないですが、それでも守るべき秩序はあるのです」
ガブリエル様の部屋を辞し廊下を歩いていると、ミカエル様と出くわした。ミカエル様は私に気づくと、少し顔をしかめながら話しかけてきた。
「お前がエルティナか。噂は聞いているぞ。全く、昔からお前みたいなやつはいるにはいたが、ここまでのはそういなかったぞ?秩序をもたらすものが秩序を乱してどうする。一時の感情で動いてばかりいるといずれ痛い目をみるぞ?」
貴方がそれをいうのか、と言いそうになったがすんでのところでおし黙る。ここは大人しく聞き流すのが得策だろう。
「おいエルティナ、ちゃんと聞いてるのか?これだから——」
「ミカエル、そこまでになさい」
後ろから静かな声が聞こえてきた。振り返るとそこにはルシファー様がいた。白い羽をはためかせながらゆったりと歩いてくる。
「ルシファーか、珍しいな。どうしてここに?」
「少々調べたいことがあったのでね。先ほどまで書庫にいたのだよ。そうしたらミカエルの声が聞こえてきたのでね」
ルシファー様が落ち着いた口調で話す。その声音は私のざわついた心を落ち着かせ、剣呑な雰囲気を和らげた。
「もう少し加減してやってもいいと思うのだがね?厳しすぎるのも考えものだぞ?」
「しかしルシファー、こればかりは言っておかねばならんのだ」
「だが既にガブリエルに同じことを言われているのだろう?それで勘弁してやったらどうかな?」
「しかし——」
「それに、気の赴くままに行動するのはお前もだろう?またガブリエルが苦悩していたぞ?もう少し労ってやってはどうだ?」
ミカエル様は苦虫をかみつぶしたような顔をした。そしてしばらくぐぬぬと悩んだ挙句、
「……まぁいい。いいか、二度と勝手なことをするなよ?」
と言った。ルシファー様はやれやれといった様子でこちらをみている。
「まぁミカエルのこともわからんではないがな。実際単独行動は危険も伴うことは承知していよう。もう少し仲間を信頼し助け合ってみてはどうかな?」
「……わかりました。善処いたします」
私の返答にルシファー様は苦笑した。
「もし悩みがあるのなら私が話を聞こう。いつでも私の下へ訪ねてくるといい」
その言葉に感謝を告げ、私は本部を後にした。本部を離脱後、私は所属する隊の元へと急いだ。この時の私は、晴れやかとはいかないまでも随分と楽な心持ちだったと思う。いつもであれば変わりばえのない叱責に辟易していたところだろうが、ルシファー様と出会えたことが大きかったのだろう。今の戦線が一息つけば少し時間の余裕ができるだろう。その時にでももう一度ルシファー様の元に行き相談するのも悪くないかもしれない。そうすれば、やや隊からも孤立した現状もなんとかなるかもしれない。やはり「明けの明星」という二つ名は伊達ではなかったようだ。




しかし、事態は急変する。

前線に戻った私は大きな違和感を感じていた。随分と魔族どもが活性化している。休む間も無く戦闘が続き、倒せど倒せど湧いてくる。しかも時々こちらの動きを明らかに知っていたかのような攻撃を仕掛けてくる。おかげで膠着状態が長く続いていた。今もわずかな混乱を突かれて囲まれそうになっており、一時撤退するにも魔族の群れを突破しなければならない。そんなとき、伝令を担う隊員が絶句した。
「な……ま、まさかそんなことが……」
「どうした、なにがあった!」
隊長が交戦しながら大声で叫ぶが、当の隊員は力なくその場で崩れ落ちてしまった。私は敵を吹き飛ばしながら大声で叫んだ。
「なにがあったの!早く、言いなさい!気が、散るでしょ!」
隊員はびくり体を震わせ、一気にまくしたてた。
「き、救援要請です!現在天軍本部が襲撃されています!前線を離脱可能な隊は直ちに急行せよと!」
それはその場の誰もが衝撃を受ける報だった。まさか前線のどこかが抜かれたのか。それとも付近の勢力が攻め立ててきたのか。いずれにせよかなりまずい事態だ。隊長が叫ぶ。
「本部の団員はどうした!あそこには精鋭が多数残っているはずだ!それに今はルシファー様もいる!あのお方がやられたとでもいうのか!」
伝令の隊員は体をガタガタ震わせている。もう戦闘では足手まといにしかならないだろう。
「そ、それが……」
「何!早く言って!」
痺れを切らした私がまた怒鳴る。今回ばかりは体調も他の団員も私を諌める様子はない。隊員は恐怖に苛まれながら、到底信じがたい事実を告げた。



「し、首謀者は……だ、だ、堕天なさった、ル、ルシファー様、なのです……」



思わずその場の全員の手が止まる。それを見計らうかのように魔族の波が押し寄せる。私は得物を振り回し、振り向きざまの一撃で敵を掃討した。頭の中は衝撃と混乱で満ちているが、同時に納得もある。なるほど、この魔族の攻勢は私たちを救援に向かわせないためか。そして所々こちらの動きがわかっていたのも、天軍を束ねるルシファー様、いやルシファーが情報を流していたとすれば当然だ。しかしこれが事実だとすると、いよいよ本部はかなりまずい状況になる。一刻も早く救援に向かわねばなるまいが、状況がそれを許してくれない。
「エルティナ!お前だけでも行け!」
隊長が叫んだ。
「この中で一番突破力があるのはお前だ!お前一人ならこの包囲網を突破できるんだろう!状況が状況だ、助けは一人でも多いほうがいい!」
確かに私一人なら突破できる。本部に着くまでにさほど時間はかからないだろう。だが、ここはどうなる。良くて半壊、全滅も十分ありうる状況だ。
「何を迷っている!さっさと行け!こういう時だけ足止まってんじゃねぇぞ馬鹿野郎!一番重要なことくらいわかるだろ!」
「——っ!」
私は砲弾を連発して血路を開き、必死で駆け抜けた。後ろは振り返らなかった。振り返ったら、もう駆け抜けられそうになかった。



結果は惨憺たるものだった。本部は半壊、ルシファーを筆頭に多くの天使が堕天した。天軍は大きく力を失い、ミカエル様・ガブリエル様達は対応に追われていた。前線も大きく後退を余儀なくされた。
ルシファーらが堕天した理由は未だ公表されていない。いつもなら早くに天位議会から公表されるはずだ。まだ調査中なのか?流石にあれほど多くの天使が堕天したのだ、ある程度は掴んでいてもおかしくなさそうだが……それとも、何か議会について不都合なことがあるのだろうか?
一度疑ったらもう止まらない。わずかな瑕疵さえも疑念に生じてしまう。もし本当に天位議会が正義に反することを行なっているのだとしたら、私は天軍にいるのは正しいのだろうか?私の光弾を向ける先は、本当に正しかったのだろうか?


しばらくの間私は必死に悩んだ。できれば天軍を信じたかった。今まで仲間として戦ってきたのだ。理解こそされなくとも、今まで築き上げできたものは確かにあった。できることなら不意にしたくなかった。だからこそ必死に考え、信じられる要素を増やそうとした。
それでも、どうしても私は天位議会を心から信じられなかった。いまだに議会が堕天の理由を語らないことも後押ししていた。もうこれは何かを隠そうとしているとしか思えない。


だから私は、天軍を抜けることを決意した。


前線に再び派遣されて数日後、敵の攻勢が落ち着き隊内の空気が少し緩んだ隙に私は軍から逃げ出した。道無き道を進んで逃げること数日、夜に小さな村に潜伏したところで追っ手に追いつかれた。怒号が響く中建物の陰に隠れてやり過ごそうとするが見つかってしまう。追っ手の攻撃をいなしつつ走る続けるが、なかなか攻勢は緩まない。私は逃げおおせるため、ためらいを振り切ることにした。村の端の建物の陰に隠れ、追っ手が道を曲がったところで足元の地面に強めの砲弾を放った。辺りが粉塵で覆われ、追っ手がひるんだ隙に暗い森へ逃げ込んだ。

身を隠せる場所を見つけて潜み、考える。私は天軍を抜け、あまつさえかつての仲間に矛先を向けた。何があろうと、もう二度と天軍に戻ることはできないだろう。だが後悔はない。私は私の信じる道を進むだけだ。

たとえそれが、天界に弓引くことになろうとも。
たとえそれが、永遠の孤独の道であろうとも。
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