四大天使のバレンタイン(2021-2 バレンタイン)

文字数 4,278文字

「まったく、何を浮かれてるんだか……」
執務室のガブリエルはため息をつく。
「そもそもバレンタインとは聖ヴァレンティヌスに由来する記念日、そして女神ユーノーの祝日とされていたもの。チョコを送る習慣など後に販促として作られたキャンペーンに過ぎません。だというのに、あちらでもこちらでもやれチョコだのやれ告白だのとう浮かれてしまって……全く、天軍の師団員としての自覚が足らないんじゃないかしら?こういう時を狙って攻められたらどうするつもりなのかしら?」
「うんうん、その気持ちはよくわかるし、言いたいこともわかるよ」
たまたまガブリエルを訪ねていたラファエルが答える。
「でもね、ガブリエル」
そしてガブリエルの机を見てニコニコしながら続ける。
「そんな様子で言われても、たいして説得力ないと思うよ?」
ガブリエルの机の上には数多の書類とともにチョコがいくつも乗っていた。それだけではない。棚の奥のようなすぐには目につかないところにもチョコやケーキがいくつも隠されているのだ。その中にはラファエルが渡したチョコも含まれている。
「これは……近頃街のあちこちで売られていたものを買い集めただけです。えぇ、私が食べるためですとも。誰かに送ったりするわけではないのですから、バレンタインの企業戦略にのせられているわけではありません。これだけ甘いものがあれば買い込むのも道理でしょう」
「ふーん?」
確かにバレンタインでの売り込み方とは外れてはいる。だがこれだけ買い占めているのであれば売り手側も本望であろう。
「……なんですかその顔は」
ガブリエルの顔は僅かに赤い。
「ううん、なんでもないよ」
ラファエルは相変わらずニコニコしながらガブリエルを眺めている。ガブリエルは軽くため息をつき書類に目を通し始めた。その際に箱に並んでいたチョコを一つ口に運んだのをラファエルは見逃さなかった。
「あ、それ美味しそう!一ついいかな?」
「いけません。数量制限があってなかなか手に入らなかったものなんですよ?これを一つ買うために私が一体どれだけ苦労したのか、ちゃんとわかってます?」
「一つくらいダメかな?そこにまだいくつもあるじゃん」
「何を言ってるのかしら?ここにある分しかないのよ?」
「いいじゃんいいじゃん、また買えるんでしょ?」
「だったらあなたが買ってこればいいじゃない」
「えーでも大変なんでしょ?あ、隙あり!」
「あ、ダメ!やめなさいラファエル!」
「——おいお前たち、何をそんなに騒いでる?」
執務室にミカエルが部屋に入ってきた。やや困惑した顔をしていたが、ラファエルが口に運ぼうとしたチョコとガブリエルの様子から大方察したようである。
「全く、仮にも四大天使ともあろう者が……もう少し天軍を率いる者としての自覚を持たんか」
「ノックもせずに入ったくせに随分な言いようね、ミカエル?」
「騒いで気づかなかったのはそっちだろう。勝手に私のせいにするんじゃない」
「あら、それは失礼したわね。それで?一体何の用かしら?」
どことなく冷たい物言いをするガブリエルだが、ミカエルは意に解する様子はない。
「用があるのはお前ではなくラファエルの方なんだがな」
「え、ボク?なんかまずいことしちゃったっけ?」
名指しされたラファエルは困り顔である。どうやら本人に心当たりはないようである。
「そう考えるということはある程度の自覚はあるということだな?もう少し考えて行動してくれると助かるんだがな」
「あはは……ごめんね、もうちょっと気をつけるようにするよ」
「はぁ……全く、笑い事じゃないんだぞ?いつもヘミエル達が苦労しているのはお前も知ってるだろう」
ミカエルはため息をつく。
「それよりさミカエル。今ガブリエルからいくつかチョコをもらおうとしてたんだけどね、一緒にどうかな?」
「む、だが今は——」
「ラファエル、私のもので勝手に交渉しないで。ミカエルもラファエルに用事があるんじゃなかったの?まさかさっきの愚痴を伝えにきただけではないのでしょう?」
ガブリエルは机の上の開封されたチョコをラファエルの手の届かないところに移動させる。ガブリエルがちょっと目を離そうとすれば目敏く手を伸ばしてくるんだから油断も何もあったもんじゃない。ラファエルは「ちぇ〜」と不満顔だ。
「そうだったな。ラファエル、お前の部屋の周りがだいぶ騒がしいと報告を受けてるんだが、何かやっているのか?」
ラファエルは目をパチクリさせ、少し考えた後に納得したように頷いた。
「あぁ、それなら大丈夫だよ。第六師団のみんなが報告に来てくれてるだけだからさ。今はヘミエルとカプシーヌが相手してるよ」
「報告って……騒がしくなるくらいに集まってるからには何かあったんじゃないのかしら?本当に大丈夫なの?」
ガブリエルが訝しむのも当然である。普段であればあちこちに散らばっている師団員が文書の形で送られることが主であり、団員本人が直接来ることは稀である。せいぜい数人が担当地区の情報を取りまとめて持ってくるくらいである。だというのに騒がしくなるほどに師団員が押し寄せてきているということは、取りまとめる暇のないくらい事態が逼迫しているか、あちこちで同時に問題が起きているか……だというのにラファエル自身は全くそんな素振りを見せていない。さっきからずっとニコニコしたままだ。
「大丈夫だって。もし本当に何か大変なことになってたら二人のどちらかから連絡が来るはずだよ」
「だがそれは大勢が集まっている理由にはならんだろう?何か隠してないだろうな?」
「んー本当に大したことじゃないんだけどなぁ」
「大したことじゃないのなら言えば良いんじゃないかしら?下手に言わないことで誤解を招くよりはいいでしょう?」
珍しくミカエルとガブリエルの意見が一致している。ラファエルは「むー」と唸った後観念したように話し始めた。
「ほら、今日ってバレンタインじゃん?」
「?」
「えぇまぁそうだけど……」
思わぬ言葉にミカエルとガブリエルは困惑する。バレンタインが第六師団の集結にどう関係しているのだろうか?
「バレンタインってよく好きな相手にチョコを送るっていうけど、仲が良かったり一緒に仕事したりする人にも送ることもあるんだって。ほら、ミカエルやガブリエルにも朝持っていったでしょ?」
二人は朝方のことを思い出す。今日の職務の準備をしていたところに突然ラファエルが押しかけてきて一箱ずつチョコを置いていったのだ。その動きたるや突風の如く、二人はただただ「早朝だというのに元気だな……」と呆気に取られていた。ちなみにウリエルはというとあらかじめ用意していたチョコをラファエルと交換していた。
「それでね、第六師団のみんなにもあげたいなって思ったんだ。いつもみんな頑張ってくれてるからね。でも、さすがにあちこちに散らばっているみんなに会いに行って渡すのはちょっと難しいなって思ったんだ」
それはそうだろう。しかも第六師団は偵察や情報収集が主な役割、中には潜入調査をしているものもいるだろう。そうなるとそもそもラファエルと直接会うことすらできなくなる。
「だからね、本当に申し訳ないんだけど今日ここに来たみんなにだけ渡すことにしたんだ。それで、そのことをそれとなく流してみたんだ。そうすればちょっとでもたくさん来てくれるかなって」
そういうラファエルは満面の笑みである。
「……はぁ」ガブリエルは眉間に手を当てて深いため息をついた。
「この小悪魔め……」ミカエルはすっかり呆れ果てている。
天軍第六師団は志願者数が非常に多い。これはラファエルの存在によるところが大きい。そのラファエルが自分たちにチョコをくれるというのだ。多少の無理なら通して駆けつける団員は多いだろう。流石に潜入中だったり張り込みをしたりで全く手の離せない団員は来ていないだろう(と信じたい)が……一応名目としては報告ということなのだがどうせほとんどは碌な情報など持ち合わせていないだろう。さっさと追い返すべきか、とミカエルは考えたが、万が一重大な情報があると考えるとそう無下にすることもできない。
「そういうことならラファエル、あなたがいないのはダメなんじゃないかしら?団員はあなたに会いにきたようなものでしょう?」
ガブリエルが尋ねると、ラファエルはやや困ったような顔をした。
「うん、ボクもそう思って最初は一緒にいたんだけどね。そしたらヘミエルに追い出されちゃったんだよ。今のままじゃ仕事にならない、ひとまず報告は全部聞いてまとめておくからしばらくどこかに行ってろってね。でもさすがに人数が多くて一人じゃ捌き切れないからカプシーヌも手伝ってるみたい。『ボクも手伝うよ?』と言ってはみたんだけど、それじゃ意味がないって言われちゃったし」
今度こそガブリエルとミカエルは黙り込んだ。詰まるところ、こういうことなのだろう。ラファエルのチョコが貰えると聞いて多くの師団員達が集まった。彼らの目的はラファエルに会いチョコを貰うことなので、ラファエルが部屋にいることでどんどん師団員達が溜まっていった。最初はヘミエルとカプシーヌで用の済んだ者から追い出していたのかもしれないが限界があり、ひとまず建前である報告を全て受けた後にラファエルに一斉に配ってもらうことにしようと考えた。ラファエルがその場にいなければ一ヶ所に団員が集まりすぎることも無くなるだろうし、団員も最後にチョコが貰えるのであればさほど文句も出ないだろう。しかし相変わらずヘミエルとカプシーヌは苦労しているようである。後で二人をきちんと労おうとミカエルは決意した。
「……ラファエル、後で始末書を提出するように」
「え〜ミカエルなんで〜?ボク何も悪いことしてないよ?」
「そういうところだぞラファエル。そして都合の悪い時だけ全力で子供になるんじゃない」
「それと、ちゃんとカプシーヌとヘミエルに感謝すること。その様子だと準備から手伝ってもらってるんでしょう?」
ガブリエルに指摘されたラファエルはしぶしぶ「はーい」と返事をした。全く、これだからラファエルは憎めない。

ラファエルとミカエルが立ち去った後、ガブリエルは窓の外を見た。第四師団の面々が訓練に勤しんでいたのが目に止まった。普段から多大なる貢献をしてくれている同志たちだ、ラファエルのように何かを送って労ってやるのも悪くないのかもしれない。そう考えたガブリエルは、部屋の中のチョコをいくつか見繕うことにした。そして自分のイメージを損なわないようにするにはどうすれば良いか、必死に思案するのであった。

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