第9話

文字数 15,488文字


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 シミュレーション当日、天幕付きのテント内にて作戦の説明が行われる。シミュレーションに参加する者を見下ろす形で壇上に幹部が立つ。幹部の中でも更に上位の人間には椅子が用意され、起立する教官達をさしおき、おっさんはすました顔で椅子に腰かけている。
 壇上や幹部席に鬼教官の姿はなく、宮前が跪く列の最後尾にいる。昨日のミーティングで聞いた通り、鬼教官もシミュレーションに加わるらしい。
 宮前は左右を見渡す。訓練生、自衛隊、アメリカ軍、それぞれ十人を一列としたら……、列の数をざっと数え計算する。およそ百三十人。うち三十人足らずがアース訓練生として、残り百人を自衛隊とアメリカ軍で分け合う形だ。訓練生の方が圧倒的に少ない。これでは誰のための、なんのためのテストか分からない。
 ──本当に、こんなんでシミュレーションするのかよ。
 三列向こうに見覚えのある顔を見つける。懇親会で知り合いになった自衛隊員だ。確かサガミといった。同じ列の二人挟んだ後ろにもう一人、オサダがいる。きっとマエハラもどこかにいるんだろう。
 気さくに話をしてくれた時と打って変わり、眼光鋭く前を見つめる横顔は別人かと思うくらい精悍だ。
 ガイラックとかいうアメリカ軍幹部が壇上で挨拶をする。
「今回の共同訓練はアメリカ軍、自衛隊、アースの連携を深め、突発的な状況変化にも瞬時に対応できる信頼関係を築こうと企画した」と合同作戦の意義を強調し、扇動するように力強く拳を振り上げる。
「戦闘下であっても冷静かつ迅速な行動をとれるよう、全力を尽くしてほしい」と声を大にする。
 別の幹部がシミュレーションの概要を端的に説明する。
 市街地にて食料配布所に並ぶ市民を、自衛隊員数名とアース訓練生が監視誘導中、敵の襲撃を受け、銃で反撃。アメリカ軍と自衛隊が駆けつけ応戦。アース訓練生はそのまま建物を包囲し、アメリカ軍と自衛隊が敵の占拠地に侵入し制圧する、という内容だ。
 ──要するに、味方が駆け付けるまで敵と銃撃戦を繰り広げればいいってことだよな。
 黒のヘルメットを被った警備隊が盾で身を守りながら強盗殺人犯が立てこもるマンションを取り囲み、主人公の刑事がマンションに突入し犯人を捕まえるまで下でじっと待つ、……刑事ドラマのシーンだ。
 昨夜、ミーティングがこじれた割には簡単な任務で拍子抜けする。驚かすなよと安堵する一方、五ヶ月間も訓練してきてその程度の役割しか与えられないのかと不満だった。
 キャンプでは敵基地を制圧し、敵役の教官達に勝利した。同じくらい難しい任務を与えられても、やってみたい。あの達成感を、不可思議な感覚を、この大舞台で体験したい。やり遂げる自信はあった。

 アメリカ軍、自衛隊、アース訓練生三者で作戦会議が行われ、役割分担が再確認された。
 号令が飛び、アメリカ軍、自衛隊がテントを駆け足で出て行く。懇親会で話をしたサガミとオサダも緊迫した様子で銃を携帯し、テントの向こうへ消える。宮前達アース訓練生もトラックに乗り込み、目的地へ出発した。

 トラックは砂の大地を走り続ける。
 ──どこまで行くんだ?
 幌と荷台を結ぶロープの隙間から外を垣間見る。無数のタイヤ痕がくっきり残るでこぼこ道が果てしなく続き、岩があちらこちらに突き出、窪地に短い草が生える。強い日射しに地面が白く光り、成長不良のしなびた草が頭を垂れ、乾いた風に砂埃が空へ舞う。目を閉じると白い残像が瞼の裏に焼きついた。
 リュック(背嚢)に入った水筒から伸びたチューブをくわえ水を一口飲み、周りを窺う。誰もが押し黙り、静かな表情で、銃を保持する。祐一も集中しているようだ、銃を脇に抱え、黙する横顔に迷いや弱気は感じられない。高木は精神統一をしているのだろう、目を閉じ、背筋を伸ばし、両手を重ね、銃を持つ。
 ──……俺、大丈夫かな……。
 自分だけ浮ついている気がした。肝心の鬼教官は別のトラックだ。
 ヘルメットや胸、腕や足に取り付けたセンサーが急に気になり、一つ一つを指で確かめる。敵役の銃口から発するレーザーにこのセンサーが反応すれば『重傷』や『死亡』の判定が出る仕組みだ。『重傷』や『死亡』になってもすぐにその場から離れられずシミュレーションが終わるまで倒れたふりをしなければならない。
 宮前は首を伸ばし、運転席と助手席の間から見える前方の景色を確かめる。
 はるか向こうにマッチ棒くらいの小さな建物が乱立する。あれが市街地、シミュレーションの舞台となる場所だろう。太陽の熱で空気中の水分が蒸発しているのか、蜃気楼のように揺らめいている。
 鼓動が強く胸を打ち、全身がのぼせたように熱くなる。銃を持つ手が汗ばみ、ズボンにこすりつける。
 ──……まずい。今頃になって緊張してきた。
 宮前は乾いてひりひりする喉に水を流し込む。
 トラックは停まった。

 幌から頭を出した途端、熱線を浴びる。たいまつで炙られるような熱風にべたつく肌がさらさらに乾いていく。堅い軍靴の底を通し伝わる砂の熱さに驚き、足を交互に浮かせる。
 陽光は岩影すらかき消すほど強く、空は抜けるように青い。大地は白くひび割れ、熱風にあおられ舞い上がった砂が金粉のようにきらめいていた。
 角膜に薄く張りつく粉を何度も瞬きし、指ですくい取る。痛くはないが異物感が残る。靴やベストにも白い粒子が付着し、銃も薄化粧をしたように白い。頬に触れたら指にさらさらした砂が付いた。口の中は唾液一滴出ず、無理に飲み込むと喉の粘膜がひりつく。
 環境の激変ぶりに、宮前は困惑した。
 鼻腔を通り、喉の粘膜に張りつく砂埃を水と一緒に飲み下した。
 砂塵を巻き上げトラックが次々に到着する。
 鬼教官が降り立ち、
「ぐずぐずするな。行くぞ」
 と腕を大きく振る。
 この時ほど鬼教官の存在を心強く感じたことはない。宮前は鬼教官の後ろに続いた。
 金網一枚で隔てたゲートをくぐり市街地に足を踏み入れ、ようやく理解した。ここは日本ではない、アメリカでもない、──中東なのだと。
 舗装されていない道の両側、赤や黄色、茶色、色とりどりのパラソルをつけた屋台が所狭しと立ち並び、イスラムの衣装を身に付けた人々が行き交う。
 地べたに敷いた布の上に服を並べる店もあれば、肉の塊を吊るし生きたヤギをつないでいる店、チーズを売る店、荷車を台にし野菜や果物を売る店、歯ブラシやコップなどの日用品を売る店もある。魚を売っている店もあるが、目が濁り、尾っぽや背びれが擦りきれ、茶色い水につけられた魚を買いたいとは思えなかった。
 衛生状態はともかく、軽食ができる場所もあり、多種多様な商品が揃い、活気づいている。価格も日本円にしたらタダみたいに安い。
 もっと荒れ果てた風景をイメージしていたから、──驚いた。
 市場のすぐ奥に建つ建物はどれもコンクリートでできており、低層階の集合住宅や窓を鉄格子で覆った家もある。強い日射しと乾燥のせいか、土壁が白くなっている。
 長袖のシャツにダボダボのズボンを足首で締めた格好の男、布を頭から被りゆったりした丈の長い民族衣装を着た男、ワイシャツにズボンの男、どの男達も皆サンダル履きで、浅黒い肌、はっきりした目鼻立ち、濃い眉、髭を生やしている。
 黒い布で全身を包み目の部分まで網目状の透かしで隠す女性や目は出している女性がいる一方、シャツとパンツといったラフな格好に色鮮やかなスカーフで顔の周りを包む女性がいる。
 談笑する者、練り歩く者、店先で茶を飲む者……、中東地域の日常生活といった感じだ。
 視線を感じる。一人ではなく複数、好意的というより敵意に近い。
 ヘルメットを目深に被り目の端で確認する。行き交う人々が警戒するような、探るような目でこちらを見ている。
 ヘルメットを被り、戦闘服に防弾チョッキを着け、銃を携帯している。警戒しないで下さい、という方が無理か。
 けれど、人々はすぐに興味を失ったように市場を物色する。
 雑然として埃っぽいうえ、悪臭がする。目に入るのは市場に立ち並ぶ店と通行人ばかり。
 隊列の動きに従い人波を避け歩く。食料配布所が見えた。白い布地のテントに机を四つ並べ、NGOのロゴ入りトレーナーを着た日本人やアメリカ人がビスケットや乾パン、毛布、衣服、石鹸などが詰まった段ボール箱を次々と開封している。テントの端には誰もが自由に汲める給水ポリタンクが設置されていた。
 訓練生に与えられた役割は、この食料配布所に並ぶ人達を混乱なく誘導及び監視することだ。武器を所持していないか身体検査も行う。平和維持活動に相当する任務だ。
 スタッフやボランティアと挨拶を交わし、それぞれ所定の位置につく。配布が始まる一時間以上前だというのに長い列ができ、市街地ゲートの外まで続いている。
 中東地域にあるI国のS県という設定だ。日射しは強く、湿気は少ない。空気が乾燥しているため日陰に入ると過ごしやすく、汗をかいても体がべたつくことはない。その代り水分補給をこまめに行わないと脱水状態に気づかず熱中症になる。
 唇がかさついている。
 宮前は吸い口(チューブ)をくわえ喉を潤す。
 なにかあればすぐ対応できるように銃口を下に向け、威圧感を与えないよう笑顔を浮かべる。
 列に並んだ子ども達が手を振り笑顔で挨拶をしてくる。女性や顎髭をたくわえた高齢者もいる。共通しているのは市場では商品を買えない貧困層の人達だ。内戦で働き手や家族を失った人、店も学校も職場も破壊され紛争地から逃れてきた人……。裸足の子もいれば、裾が破れかぎ裂きみたいになったボロを着た子どももいる。この炎天下に並ぶ人達に悲愴感はなく、どこか安堵した表情さえ浮かべている。歯を見せ笑う子ども達が印象的だった。
 食料や日用品の配布が始まり、列が動き出す。
 六、七歳くらいの少年に「アリガトウ」とたどたどしい日本語でお礼を言われた時は温かく切ないものが胸にこみ上げた。
 ──……人の役に立つって、いいな。
 初めて思った。
 後列が騒がしくなり、銃を持つ手に力を込める。人だかりができている。
 宮前は走って近寄り、「What happened to you(どうされましたか)?」と尋ねる。
 明らかに妊婦と分かるお腹の大きな女性が汗をびっしょりかき倒れている。五歳くらいの子どもが女性にとりすがり泣きじゃくっている。女達は心配そうに女性を取り囲み、子どもに話しかけている。状況からして急病人だった。
 男達が身振り手振りで説明してくれても現地の言葉はさっぱり分からない。
「熱中症かな?」
 炎天下で何時間も列に並んでいるのだ、倒れてもおかしくない。医者じゃないが緊急を要するように思える。
 宮前は無線で「E一六です。急病人が出ました。至急、担架をお願いします」と伝え、泣きじゃくる子どもを安心させようと片言の英語で話しかける。
 日陰に運んどいた方がいいな、と女性を抱き起こそうと屈んだ時、腕をつかまれた。
 鬼教官だった。厳しい表情だ。
 何かが間違えている、宮前自身に気づかせようとしているのだ。
 ──……ああ、そうだった。
 中東地域では配偶者でもない男性が女性の体に触れるのは固く禁じられている。緊急事態だからと承諾もなく触れればたちまち配偶者である男性ばかりか、親類縁者にまで恨みを買いかねない。その場は治まってもこの夫婦に禍根を残すことになる。
 男性が狭量なのでも男尊女卑だからでもなく、そういう文化であり宗教上の慣習なのだ。
 宮前は近くにいる女達に声をかける。
「すみません、この女性を日陰がある場所まで運んでくれませんか?」
 日本語で言ってしまい、しまったと思ったが、身振り手振りで通じたらしい、女性が三、四人進み出、女性の脇を両方から支え抱き起こしてくれた。
 パラソルが作る小さな日陰に女性を寝かせ、女達は手に持った鞄や服の裾で女性に風を送る。
 担架が到着し、医療スタッフが女性を抱え起こす。
「待て、身体検査は行ったのか?」
 鬼教官が制止する。身体検査のポイントの後方で倒れたのを考えると……。
「……まだ、だと思います」
「なら、行かせるな。母親は私がチェックする。E一六は子どもをチェックしろ」
 鬼教官は「Excuse me(失礼します)」とスタッフに支えられている女性を調べ始める。
 ──……病人を疑うなんて恥ずかしくないのかな……。
 さっきまで好意的だった群衆の視線が敵意に満ちる。あからさまに眉をひそめる女性もいた。……決まりとはいえ、気が進まない。
「ごめん、ちょっと調べさせて」
 英語で優しく話しかけても、子どもは目にいっぱい涙をため群衆の陰に隠れる。女性達が非難めいた視線を向ける。現地の言葉で吐き捨てるおばあさんもいた。
 ──……なんか俺、一気に悪者になっちゃったな。
 女性のスカートにしがみつく子どもの背中に金属探知機を近づけ、上下左右に動かす、──反応なし。
 後は体を触って不審物を持っていないかチェックしないと……。女性の陰に隠れ震えている子どもの腕や肩を触り、その間も子どもは身をよじり逃げようとする。つんのめりそうになるほど手を伸ばし子どもの腰に指先が届いたのを最後に、子どもは向こう百メートルくらいまで走って行ってしまった。
 まだ内腿をチェックしていない……。手招きし、優しく呼びかけたが子どもはこちらに来ようとしない。目にいっぱい涙をため、じっと見ている。追いかけたらそのまま逃げて行きそうな様子だ。
 ──……まあ、いいか。
 金属探知機に反応はなかったし、危険物を持っているふうでもない。……子どもだし……。
「母親は異状なし。子どもはどうだ?」
「……はい、異状ありませんでした……」
 子どもを追い回してまでチェックする気にはどうしてもなれず、嘘をついてしまった。
 女性を乗せた担架をスタッフ二名が担ぎ救護所に向かう。後ろから子どもが脇を走り抜け、担架を追う。靴のかかとが大きく破れパカパカと開く。
 ──……大丈夫かな……。早く、治るといいな……。
 持ち場に戻り監視を続けている間も母親の容態と子どもが気になった。

 食料の配布は続いていた。後になるほど、並んでいる人達の表情が険しくなっていく。雰囲気もぴりぴりしている。
 日射しを遮るものが無い炎天下、おそらく何時間も歩いてようやくたどり着き、長時間順番を待っている。体中に疲労の色が濃く滲み出ている。最後尾は見えない。
 配布用の食料が尽きたらどうなるんだろう、と心配になった。交代の時間まで一時間以上ある。
 照りつける太陽、熱風、舞い上がる砂埃……、宮前自身、体力が少しずつ削られていくのを感じた。
 突如、爆発音がした。反射的に銃を構える。住民達が悲鳴を上げ逃げ出す。列に並んでいた人々も散り散りになる。
 押しのけ、突き飛ばし逃げる人達をかき分け、爆発音がした方向を見定める。
 黒い煙が大量に噴き上がり、上空に巨大な雲が出現する。
 ──……まさか。
 無線機が耳元で雑音を立て指令が出る。
「救護所で爆発あり。E二、E一六、被害状況を確認して下さい」
「了解。E二、確認に向かいます」
 E二は鬼教官、そしてE一六は自分だった。
「E一六、聞こえていますか」
「は、はいっ、E一六確認に向かいます」
「行くぞッ」
 走り出す鬼教官を宮前は追いかけた。

 逃げ惑う人々をかき分け、立ち昇る黒煙を目指し走る。黒煙は空高く広がり、陽光を遮断し、道や建物を覆っていく。
 爆発の大きさは? 救護所の被害は? 
 倒れた身重の母親と取りすがり泣きじゃくる子どもが脳裏をよぎる。救護所で手当てを受けていたはずだ。行かせなければよかった、せめてあと少し搬送を遅らせていれば……。どうか無事でいてほしいと願う反面、もしかしてあの親子が……と疑った。
 そんなはずはない。目にいっぱい涙を溜めていた、体を震わせ怯えていた、あれが演技だなんて思えない。しかし、ボディ・チェックをせず嘘の報告をしたせいで起こった惨事だとしたら……。
 ドンッと背中を叩かれた気がした。己のしでかした裏切りにも近い失敗に足取りが乱れる。
 ──……どう、しよう……。
 首の後ろにピリピリとした痺れを感じながら逃げる人波に親子の姿を探した。
 建物の群れを抜け、焦げた臭いが鼻を衝く。赤十字マークがついた白いテントを黒い煙が呑み込もうとしていた。
 テントの前で人が倒れている。女じゃない、男だ。背中一面真っ赤で、うつ伏せの状態だ。顔は見えない。
 砂埃舞う風に紛れ、何か聞こえてくる。くすぶる火種のような、すきま風のような……。小さすぎて聞き取れない。爆発の余韻かもしれない。
 宮前は銃を構え、近づく。男はまだ生きている。微かに指を動かし、かすれた息を漏らす。
「E一六、確認を行え」
 鬼教官がテントの垂れ幕をめくり、背を向けたまま硬い声で命令する。
「はっ、はいっ」
 ──……確認、しなきゃ。
 テントの中から獣の唸り声のような音を聞いた。
 頭が沸騰し、全身が熱くなる。無数の蟲が湧き出し脊髄を這いあがるような悪寒に襲われ、立ち尽くす。
「E一六、早く確認を行え」
 鬼教官が苛立っている。
「…………」
 震える手をぎゅっと握り、鬼教官の背後からテントの中を窺う。
「そこから見えるのかっ? 入れっ」
 仕方なく、視線を足元に落とし、鬼教官がめくった垂れ幕をくぐり、そろそろと中へ入る。
 異様な臭いに息を止めた。鉄さびのような、肉が焦げたような臭いが充満し、湿り気を帯びた空気がねっとりとまといつく。砂地に赤い点が雨垂れのように散り……。深く下げたヘルメットの向こうに広がる光景が恐ろしく、頭のてっぺんがざわつく。
 ──……見たくない。
 鬼教官の銃が目に入り、黒光りするそれに、早くしろ、と急かされている気がした。
 ──…………かくにん、……はやく……。
 顔をゆっくり上げ、目深に被ったヘルメットの下で瞼を押し上げる。目をゆっくり上へ動かし、左へ、右へ動かす。ベッドの上や下で人が血を流し倒れていた。
 テントを一際赤く、黒く染める一点に目がいく。地面から湧き出るようにできた血だまりに肉の塊が沈んでいた。手首や足が転がり、どこの部分か分からない細かな部分が散らばる。テントの壁に皮膚片が貼りつき、長さからして腕の部分か、天井には赤い飛沫が散っていた。血だまりに沈む肉塊を中心にあらゆるものが放射線状に散っていた。
 何かがこちらを見ている。裂けた額から血が溢れ、首を伝い、胸を濡らす。顔の判別も難しいほど流れる血を拭いもせず、白目が際立つ黒い瞳でひたとこちらを見つめ、激しく震える手を、赤く濡れた指を伸ばす。唇がわずかに開き、獣の寝息のような、すきま風のような不気味な音を漏らす。
 体が、動かない。声も出なかった。血まみれで救いを求める人間が得体の知れぬモノに見えた。
 人がいない場所を、赤くない、白が残る場所を探す。天井を、柱を、テントの片隅を……。目の端に青い物が映り、赤とは違うそれに吸い寄せられる。
 靴、だった。
 色あせ、水色に近くなった青、かかとが大きく破れ口を開けていた。
 ──……ま、さか……。
 もう片方の靴を、いや、靴の持ち主を探す。小さな足が目に入り、鼓動がはねあがる。足の裏は褐色できれいなまま、足首から上がなかった。周りに細々としたものが散らばり、血だまりに浮かぶ肉の塊に行きつく。
 顎がひしゃげ、鼻はなく、額は肉ごと削がれ白い骨が見える。腰から下がもぎとられ、肩と思わしき部分から出た細い突起がベッドの足へと伸びていた。
 ベッドの上には顔が半分ただれ、全身に血を浴びた、腹の大きな女性、──子どもの母親が横たわり、長いまつ毛の下は固く閉じ、開く気配はない。
 ぼこりと大きなお腹が動いた。ぼこぼこと腹を突き上げ、ぐにゃりと横へ動く。胎動だ。腹の中で赤子が動いている。
 ──………………。
 ザァーーッと音を立てて血の気が引いていった。首ががくんと後ろへ倒れ、地面と天井がひっくり返る。天井の赤い斑点がぼやけ、白い幕が膨張する。天幕を支える柱の一本が太く、大きくなり、擦ったような傷の形状がはっきりと見て取れた。
 カチカチと歯が鳴り、瞼が痙攣する。涙が溢れ、視界が滲んだ。
 肉の塊は、子どもだ。母親の傍で泣きじゃくり、母親の後を泣いて追いかけた、あの子どもの亡骸だ。
 猛烈な吐き気が襲い、口の中が強い酸を含んだ物でいっぱいになる。ぐらりと後ろに傾き、重力に引っぱられる勢いでテントの外へ転がり出る。倒れるまま上半身をよじり、歯を押し開き溢れ出んとする物をぶちまけた。
 半分以上溶けた胃の内容物を吐いては咳き込み、咳き込んでは吐く。体を曲げ、激しく咳き込む度に胸が激しく痛み、脇腹の筋肉が引きつる。涙が盛り上がり、鼻水を垂らし、咳き込んだ。
 濡れた頬を手で拭い、鼻をつまみ、口の中を手で擦る。硫酸を飲んだようにヒリヒリした。刺激臭がする胃の内容物を唾と一緒に吐きだし、チューブから水を吸い、喉を焼くどろどろした酸ごと吐いた。
「E一六、確認しろっ」
 鬼教官が垂れ幕をめくり怒鳴る。
 宮前は銃を引き寄せ、震える腕で銃を抱きしめる。全身が震え、寒くて、気を失いそうだった。熱を帯びた銃身に体を押しつけ、固く目を閉じ、ガチガチと鳴る歯を食いしばる。
 舌打ちがし、重症者、死亡者、生存者、爆発の状況を無線で司令部へ報告する鬼教官の声が聞こえた。
 遠くで爆発音がした。一回、二回、立て続けに三度……。パニックになったのか、遠く離れているはずなのに絶叫と悲鳴がはっきりと聞こえる。無線から指令が出る。
「南市場三〇一通りにて敵襲。応戦せよ」
「了解。E二、応戦に向かいます」
 鬼教官が応答し、「E一六、敵襲だ。行くぞ」と命令する。
 地面が波打ち、ぐらぐらと揺れる。手にも、足にも力が入らず、立ち上がれない。
 ──……むり、だ。……うごけない……。
 銃を更に強く抱きしめ、小刻みに何度も首を横に振った、││行きたくない、と。
 遠ざかる足音を、銃を額に押し当て聞いた。

 市場と無線で言っていた。建物が密集する方角から爆竹が爆ぜるような音がする。銃撃戦が始まったようだ。ここからは建物に遮られ市場の様子は分からない。大きな爆発音がした。
 ──…………。
 応戦に行くべきなのに、体が動かない。頭の中もぽっかりと穴があいたようで、なにも考えられない。
 地べたに足を投げ出し、はるか遠くの空を眺める。目が覚めるほど鮮やかな青が、目に焼きついた赤を洗い流してくれるようだった。
 隣で倒れている男がかすれた息を漏らす。指は動いていない。死にかけているようだった。
 『救助』という言葉が浮かんだ。……体は動かない。
 呻き声と水たまりを這いずるような音が聞こえ、垂れ幕の隙間を見てしまった。赤く染まった腰が地面を這っていた。テントを出てくる気配はない。白衣を着ていた。他の負傷者を助けようとしているのかもしれない。
 感情も使命感も湧かない、空っぽだった。
 悪臭ほど地表近くに溜まるのか、血を煮詰めた臭いとすえた臭いが混ざり、頭痛をひき起こす。
 血肉と吐しゃ物の成分が空気中に散乱し、鼻を通り気道から肺へ、肺から体の各細胞へ沈殿する。いずれ組織が壊死し、内臓が脱落する。骨も、肉も、皮膚も腐って溶けて、白い砂に覆われる。そして何も残らない。
 ……気のせい、と片付けるには、あまりにもはっきりとした感覚だった。
 真っ青な空と焼けた砂が体を衝き動かす。
 震える手で銃を地面に突き立て、奥歯を噛みしめ脚を引き寄せる。銃を杖代わりに立ち上がり、足をすり、一歩、また一歩と進む。
 崩れ落ちそうだった。地面がやけに近く、膝が今にも崩れそうだった。
 宮前は朦朧とした意識でひたすら足を前に出した、──一刻も早く、ここを離れたくて。

 祐一は四人一組で市街地をパトロールしていた。不審物はないか、不審人物はいないか、事件はないか、警戒する。五百メートル離れた別の通りでは高木のチームがパトロールをしているはずだ。
 市場は雑然としているものの活気があり平和そのものだ。一本裏道に入ると人通りがまばらで、静寂に満ちていた。
 アパートの壁に無数の弾痕が残り、隣家の屋根は大きな穴があき、土くれが狭い道を塞ぐ。
 壁が破壊され吹きさらしになった建物、踏み潰されたようにぐしゃぐしゃになった民家、塀の一部だけが残った土地……。大きさからして収納箱か食器棚か、壊れた木製の箱やガラスが割れた扉、針金や木片……、家屋の残骸なのか、廃棄物なのか区別がつかない物が散乱し、通行人は気に留めることなく通り過ぎる。
 道端に生ごみがむき出しのまま放置され、缶や割れたガラス瓶が転がり、くしゃくしゃのビニール袋が風に飛ばされる。
 溝から溢れる茶色い水は泡立ち、異臭を撒き散らす。元は水飲み場として使われていたようだ、道路の隅に取り付けられた蛇口は腐食し、その蛇口の下まで異臭を放つ茶色い水が流れ、水たまりを作る。瓦解した建物の敷地や空き地はごみ捨て場と勘違いしているのか、生活ごみはもちろん、大量の魚の死骸や排泄物が捨てられている。鱗が剥げ、目が白くなった魚の山に無数の蝿が羽音を唸らせ群がり、湧いた蛆が真珠のようだった。
 瞼を塞ぎ、鼻に詰まり、喉に絡みつく。生まれてこの方嗅いだことのない臭いだ。耳、爪の間、体中の穴という穴から侵入し、皮膚にしみつき、毛穴をふさぎ、毛髪の一本一本にまで絡みつくような、重く、ねっとりとした臭い。呼吸をするごとに内臓が腐り、精神を侵しそうな異様な臭いに頭が締めつけられる。できるだけ吸い込まないよう、ごく浅い呼吸を繰り返す。
「救護所で爆発あり」と無線が入る。
 パトロールを中断し住民を保護することになった。銃を構え表通りへ戻る途中、立て続けに三度の爆発音がした。地面が振動し、建物の上空を覆う煙が目に入る。近い。
「南市場三〇一通りにて敵襲。応戦せよ」
 司令部からの指示で南市場へ走る。
 パニックになり逃げだす人の流れを逆行し表通りに出た時、立ち並ぶ店に黒いトラックが突っ込んでいた。テントごと店をなぎ倒し、へしゃげたパラソルや折れた木の柱をタイヤの下に巻き込み、停止する。
 トラックから黒い煙が大量に噴き出し、黒雲となって民家の屋根や窓を隠し空へ昇る。
 肩から血を流す女性が子どもを抱きかかえ泣き叫ぶ。子どもは目を閉じ、動かない。背中がぐっしょりと赤く濡れていた。片腕を失くし絶叫する男性、路上に突っ伏す老人……、負傷し動けなくなった人達をパニックを起こし逃げ惑う人々が踏みつけ、弾き飛ばす。火はない。
 黒煙が倒れた人達を呑みこみ、こちらに押し寄せてくる。
 視界が遮られる、と思った瞬間、祐一はバラバラになった屋台を踏み越え積み上げられたポリタンクの向こうへ飛び込んだ。
 腕をかざし、市場を覆う黒煙を窺う。黒い塊が一つ、空から降る、煙幕の中へ消えたと思った瞬間、爆発音がした。同時にピーという警告音が鳴る。黒い煙の向こうに目を凝らす、赤いランプが灯っている。『死亡』を示すランプだ。逃げ遅れた仲間が死んだ。また一つ、空から黒い塊が降る。道路を挟んだ反対側、建物の三階屋上から少年が手榴弾(模型)を投げている。仲間を死なせた黒い爆弾は少年が投げた物だ。
 カッと頭に血がのぼり、少年めがけて発砲した。
 少年はおどけたように遮蔽物に隠れる。二階窓から覆面姿の男達が撃ってくる。距離にして五十メートル、目も鼻も目の下のホクロもはっきりと見える。高木のチームも駆けつけ、銃撃戦になる。
 祐一は必死で応戦した。手を休めたら撃たれる、倒さなければ殺られる。祐一は目の前で動く覆面姿の男達に向かってひたすら引き金を引く。男達より少年が怖い。銃撃戦を交わしている間も屋上から手榴弾を投げては、銃撃してくる。少年は三人、年齢は十かそこら。あどけない顔、はっきりした眉、大きな目に笑みを湛え、遊びに興じるようにはやしたてる。細い腕に長い銃を抱え、ためらいなく撃ってくる。小石を投げるように二つ、三つと手榴弾を投げる。
 一つが祐一の手前で落ち、爆発した。ポリタンクの山が崩れる。祐一は姿勢を低くし銃を撃ちながら移動する。
 少年がよたよたと歩き、屋上の外壁に被さり、動かなくなる。
 ──……死んだ? いや、油断させるつもりかもしれない。
 標的を変えた途端、体を起こし撃ってくるつもりだ。
 祐一は少年の背中を三発続けて撃った。

 ──……応援はいつ来るんだ。
 気が遠くなるほどの時間が経った、……なのに応援は来ない。
 何人味方が倒れたか分からない。敵は何人倒れた、何人いる?
 手榴弾(模型)が三発、二階窓を目がけ撃ちこまれる。高木のチームがグレネードランチャーを使っていた。敵が三人、窓から身を躍らせ、テントを突き破り落下する。砂埃がひいても動かない。
 ──……死んだ?
 と思ったら、ほっとした。嬉しかった。敵も人間、弾が当たれば死ぬんだ。当たり前のことが無性に嬉しかった。
 祐一は二階窓に向かって連射した。
 エンジン音がし、やっと来た! と振り返る。
 目に映る物が理解できなかった。装甲車じゃない、戦車でもない、黒いトラックの荷台に黒いバッテリをうず高く積み、猛スピードで突っ込んでくる、──敵だった。散乱したがれきを踏み潰し、石を跳ね飛ばし、真っ直ぐに向かってくる。黒い車体が加速し、膨れあがり、目前に迫る。
 照りつける太陽も、青い空も、白い砂も、黒いトラックも灰色一色に変わり、車のエンジン音も銃撃音も消える。タイヤの回転がゆっくりとスローモーションに変わり、……全身の力が抜けた。
「タイヤだ、タイヤを撃て」
 体が反応した、黒いタイヤを連射する。破裂音がつんざく。色彩が戻る。車は止まらない。無我夢中で連射する。トラックは軌道を逸れ、反対側の建物に激突し、停まった。ドアが開き、人が出てくる。
「休むなっ、撃て、撃ち続けろ」
 祐一は開いたドアの下を狙い撃つ。下半身が見え、緩慢な動作で腰を下ろし、動かなくなる。倒れたらしい。弾切れを予告するランプが点灯し、「弾倉交換します」、隣に飛び込んできたウェイン教官と射撃を交代する。教官は続けざまに敵を二人倒した。
 ──何人いるんだ。
 殺しても殺しても現れる。巣穴から湧き出す蟻だ。
 大きなエンジン音が近づいてくる。一台じゃない、相当な数だ。目で確認する。今度こそ味方の装甲車だった。自衛隊、アメリカ軍が銃撃しながら突撃してくる。祐一は手を休めず、教官も無言で撃ち続ける。
 突撃する自衛隊員が一人倒れる。死んでいない、起き上がろうとしている。左胸の表示板は『負傷』を示す黄色いランプが点いている。建物の陰になり敵からは見えにくい、しかし敵と味方が交戦している真下だ、救けようがない。
「擁護射撃を頼む。行って来る」
 教官は言うが早いか発砲しながら飛び出した。
 任された責任の重さに怯む間もなく撃ち続ける。当たっているのかどうか分からない。祐一だけでなく味方も同じ方向、同じ敵に発砲している。一人、また一人敵が減っていく。撃つしかない。
 倒れた自衛隊員の元へ駆けつけるウェイン教官を目の端で確認し、祐一は必死で撃ち続けた。

 *

 休憩に入り、イーシンは訓練生達の元へ向かった。
 昨夜のミーティングが頭にあったからテストが終わるまで気が気じゃなかった。ふたを開けてみたら、訓練生達は訓練時と同じ、いやそれ以上の働きをしてくれた。なにより心配していた木村が一番素晴らしかった。宮前は……、もっと頑張ってくれるかと思ったら早々に戦線離脱……。
 ──……まあ、初めはあんなものよね。
 訓練生達に声をかけようとして、立ち止まる。
 全員地べたに座り込み、流れる汗が落ちるままに、ある者は顎をあげ、ある者は俯き、肩で息をしていた。水分補給をするでなく、目は虚ろで、言葉を発することもない。手を伸ばせば届く距離にいる同僚を労うどころか、お互い話をせず、視線も合わせない。まるで自分一人しかここにはいないと思っている様子だった。
 宮前はトイレにでも行ったのかおらず、今回一番褒めてあげたい木村はうずくまり、まとめ役のウェインは訓練生を励ますどころか、一人離れ、静かになった市街地を見ている。
 イーシンは声をかけそびれ、そのまま反省会が行われるテントへ向かった。

 作戦に参加したアメリカ軍、自衛隊、アース訓練生による反省会が始まる。
 訓練生達はいくぶん落ち着きを取り戻したように、イーシンには見えた。
 ガイラックの進行で、任務の目的と内容、実際に起こった攻撃、どう対処したか、戦果が説明された。
「市街地にて食料配布の監視誘導中に子どもを使った自爆テロ及びトラックに爆弾を搭載した自爆攻撃が発生。自衛隊員三名とアース訓練生にて応戦。駆けつけ警護に当たった自衛隊とアメリカ軍により敵の占拠地を制圧。敵二十七名を射殺、八名を拘束。こちら側の被害は『死亡』自衛隊員八名、アース訓練生五名、『負傷』アメリカ軍三名、自衛隊員五名、アース訓練生八名……。NGO職員を含む民間人十八名が犠牲になり、三十名が重軽傷を負う。民間人の被害が最も大きかったのは市場での十名、次いで救護所の五名。(中略)死亡者の内訳は、救護所、妊婦一名、子ども一名、医師一名、看護師二名。死亡したうちの二名、妊婦及び子どもが自爆テロを行った容疑者として調査中。……作戦内容、被害状況の報告は以上です。注意点、問題点、改善方法、思いついたことがあれば手を上げて下さい」
 挙手がない。アース訓練生達は一様に俯いていた。イーシンは報告書を手に意見を促す。
「通訳がいるから英語が話せなくたっていいのよ。どんどん発言してちょうだい」
 ウェインが手を上げ、立ち上がる。
「E二、ウェイン・ボルダーです。私が容疑者の一人、母親をチェックしました。爆弾を見落とした私のミスです」
 イーシンはすぐさま遮った。
「ボルダー教官、反省会は責任を追及する場ではなく、なぜそうなったか原因を明らかにし、どう改善すればいいかを話し合う場です。誰のミスでもないわ。それを踏まえた上で説明します。二人の容疑者のうち爆弾を持っていたのは子ども。妊婦は子どもを誘導する役目でした」
 宮前が小さく手を上げ、立ち上がる。俯いたまま蚊の鳴くような声で発言する。
「E一六、宮前です。ぼくが、子どもを、チェックしました。検問所でチェックされていると思い……、金属探知機に反応が無くて、子どもに泣かれて、それでボディ・チェックはしませんでした……。……すみません……」
 宮前は頭を下げ、椅子をガタゴトと鳴らし、着席した。
「検問所でも子どもは金属探知機を当てただけでボディ・チェックはしなかったそうよ。少年の股間に取り付けられていたのはプラスティック爆弾。金属探知機では反応しないわ」
「……はい……」
「今回は場所の都合上、狭いエリアで行ったけれど、現地の市街地は検問所にバリケードを建て周囲に金網を張り巡らせているくらいで入ろうと思えばどこからでも入れるの。金網は切断できる、検問所に立つ警察やスタッフを敵側が買収することも考えられる。武器を横流しする者もいるし、住民がテロリストを引きこむ場合もあるの。物資を運ぶ者、商売人、避難民……、毎日何百人という人間と車両が出入りするの。検問所があるからと油断はできないわ」
「……はい……」宮前が弱々しく頷く。
 アメリカ軍、自衛隊からも挙手があり、「ボディ・チェックは老若男女に関わらず徹底するべきだ」、「一度ではなく複数回行うべきだ」、「しかしそれでは時間がかかり過ぎて市街地に入れない者が周囲にキャンプを作り、治安が悪化する」、「他の場所の警備が甘くなる」、「市民の反発を買う」という意見が多数出た。
 敵を制圧する方法については時間を割いて討論された。
 締めくくりに、イーシンは全員を褒め称えた。
「この四日間、アメリカ軍、自衛隊、アースの皆様、本当にお疲れさまでした。私個人の意見としては、期待以上の成果を見せていただきました。特に、アース訓練生は初めてのシミュレーションにも関わらずよく頑張ったと思います。近い将来、自国の平和と安全のみならず、世界の平和と安全のために三者が共に手を取りあい戦える日が来ることを願い、解散とさせていただきます。……また、お会いしましょう」

 明日は日本に帰る。荷作りを終えた宮前は居心地悪く、祐一や同室の奴らを避け、コンテナを出る。
 昼間の戦闘が嘘みたいに静かな夜だ。蒼い空いっぱいに無数の星が瞬き、一つ、また一つと降る。
 ──……ここから、いなくなりたい……。
 大きな被害をもたらした原因を作ったことに負い目を感じていた。一人怖気づいて戦線から離れたことが情けなかった。皆、戦っていたのに……。
 天井まで飛び散った血、壁に貼りついた皮膚、血だまりには手足が千切れ、人の形をなさない肉の塊が沈んでいた。じっと見つめる目、助けを求める手……。自爆した子どもは人の姿を失ってもなお、途切れた腕の根を母親が眠るベッドの足へと伸ばしていた。血を浴びた母親の大きなお腹が動いていた。
 血や死体は演出、足や腕が無い人達は障害を持ったエキストラで、悲鳴も絶叫も全て演技。そう知らされても、胸の辺りは重く、ドロドロと酸っぱい物で溢れる。下を向いたら吐いてしまいそうだ。
 シミュレーションが終わり、反省会が終わっても、祐一は一言もしゃべらず、他の奴らも黙りこくる。皆は敵と戦っていたのに、俺一人、隠れていた。
 なんでお前だけ逃げたんだ。俺達が死に物狂いで戦っていた間お前は何をしていた。裏切り者、卑怯者、臆病者、恥知らず……と、無言で責められている気がした。
「ごめん」と謝りたくても、重苦しい沈黙に委縮する。祐一の背中をちらちらと窺い、同室の奴らの険しい表情に気落ちし、外で時間を潰した。
 消灯の時間になり、部屋に戻る。祐一は既に寝袋に潜り込み背中を向けていた。
 ──……ごめん……。
 祐一の背中に謝る。祐一は戦っていたのに、あんなに戦うのは嫌だと言っていた祐一が頑張っていたのに、俺はびびって隠れていた。情けなくて申し訳なくて、泣けてくる。寝袋の縁に涙をすりつけ、宮前は目を瞑った。

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