第10話

文字数 14,539文字


 *

 寮生活に戻る。長期休暇に入り、訓練はない。教官達は家族と過ごすため帰国し寮にはほとんど残っておらず、訓練生達も次の就職先や転居先を探す時間に充てる。宮前は求人情報誌をパラパラとめくり、転居先をネットで検索する。シミュレーションなんて初めからなかったかのように祐一と普通に話をし、同僚達とも軽い冗談を交わし、毎日が平穏に過ぎる。
 変ったことといえば、自衛隊員募集のポスターと自衛隊広報誌が一階通路の掲示板に隙間なく貼られていることか。派遣社員募集の知らせはB五サイズの紙が一枚、ほんの片隅にセロハンテープで簡単に貼られている。玄関が開く度、風でびらびらとめくれる。自衛隊員に入れようという魂胆が見え見えで自分としては肩身が狭い。
 受け取ったテスト結果は、『否』だった。
 やっぱりな、と落胆する気持ちと、五ヶ月間頑張ってこの結果かよ、普段の訓練の態度も評価してくれればいいのに、訓練の評価も入ってこれだったら嫌だな、と不満に思う一方、受かったってもうあんなのはごめんだという気持ちと、それでもやっぱり受かりたかったという未練と、いろんな感情が交錯する。
 『自衛隊員募集』の大きな文字とキツネのマスコットキャラクターの笑顔にため息をつく。
 ──……次の職、探さなきゃな。
 どこからともなくおっさんが現れる。
「あら、宮前君。どこか良いところ見つけた?」と両肩に手を置き、顔を覗きこむ。
 ──……自衛隊の広報紙しか貼ってないだろ。
 おっさんが脚立に上がり鼻歌まじりでせっせと自衛隊員募集のポスターを貼っていたのを知っている。
「あっ、これなんかいいんじゃない? お給料二十四万円から、食費住居費不要、週休二日、長期休暇あり、ボーナス年二回、各種保険・年金完備。すごいわー、どこかしら? ……あ、自衛隊ですって。やっぱり雇い主が国だと違うわねー」
 聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいわざとらしい。
「ねえねえ、どう? 自衛隊」
「……いえ、ぼくはテスト落ちたんで……」
 やっとそれだけ言うと、おっさんが衝撃を受けたように声を張り上げる。
「やっだー、いいのよ、テストの結果なんて関係ないの。言ったでしょう? テストは落とすためのものじゃないって」
 それからのべつまくなし、しゃべり続ける。口を挟む余地がない。要約すればこういうことだ。
「テスト結果が『否』でも希望すれば自衛隊に入れる」そうで、「その代り、三ヶ月間の教育訓練から始めなきゃいけない」らしい。「派遣社員として登録するなら今すぐ海外で活躍できる」とあのはちきれんばかりの笑みで教えてくれた。そしてこうも付け加えた。
「それでも自衛隊がいいわよー。お給料はいい、補償はしっかりしている、定年まで働ける、リストラもない。入隊してすぐ各部隊に配属されるより教育訓練から受ける方が足慣らしになっていいわよ」と。
 ……正直、迷う。ここにいる時みたいに打ち解けた人間関係の中で訓練できるんなら自衛隊もいいかな、と思う。上下関係でもみくちゃにされるような職場は向いていない。……でも、自衛隊に入り、教育訓練をこなし無事部隊に配属されても、そこに気の合う奴がいるかどうか分からない。嫌な奴ばっかりだったら? 気難しい先輩上司がいたら? あの鬼教官に勝る奴がいるとは思えないが世間は広い、いないとも限らない。
 迷いを見透かしたようにおっさんが言う。
「私の知っている自衛隊員さん達は皆、優しくて誠実な人達ばかりよ。シミュレーションが終わった後に『ぜひ、うちの訓練生を受け入れてあげて下さい』ってお願いしたら、幹部の方達が『アースさんの訓練生ならこちらからお願いしたい』と言って下さったのよ」
 と大きな目を潤ませる。
 懇親会で話をした自衛隊員を思い出し、あの人達が俺の先輩上司になるんならいいかな、と思う。
 おっさんは続ける。
「アメリカ軍にはね、救いようがないほど根性悪い幹部がいるの。名前は言わないけどそいつがシミュレーションのセッティングをしたのよ。分かるでしょう? 子どもがテロリストの一味なんて誰も思わないわよね。ウェインをアドバイス役に入れたからわざと難しい設定を加えたのよ。訓練生じゃなくウェインを救護所へ確認に行かせたのも応戦に行くのを遅らせるためよ。駆けつけ警護だって嫌がらせかと思うくらい遅かったし、……あんなの聞いてなかった。自衛隊幹部の方も設定が違うって驚いていたわよ」と怒り出す。
「シミュレーション、やけにアメリカ軍の被害が少ないからおかしいと思っていたんだけれど、案の定、訓練期間一年以上の兵士も交ぜていたらしいわ。ウェインが入っているなら自分のところもと思ったのかしらね? ……図々しいったら。初めっから簡単な設定にしとけばこっちだってウェインを投入することはなかったのよ。きっとうちに対抗心を持っているんだわ。アース社員の方がアメリカ軍兵士よりずっと優秀だもの。アースはとびっきり優秀な人材を世界中から集めているの。学費免除をちらつかせて高校生を勧誘しているアメリカ軍とは規模が違うわ。私達アースに取って代わられやしないかと心配しているのよ」
 話しているうちに興奮してきたようだ、鼻息が荒い。おっさんは一息つき、笑顔を浮かべる。
「……ああ、誤解しないでね。私はアメリカさん好きよ。なんたってアースの大事なお得意様ですもの。ウェインと一緒にいたあなたは巻き添えをくったわけ。テストの結果は気にしなくていいわ。運が悪かっただけ」
 おっさんの愚痴のような、自慢のような励ましを受け、やっと、「……もう少し、考えさせてください」と答えた。
 おっさんは満面の笑みで言う。
「自衛隊も人材不足なの。特に貴方みたいな若い盛りの人が。やる気さえあればあとはなんとでもなるの。自衛隊だって歓迎してくれる。是非是非、前向きに検討してね」
 宮前の右手を大きな両手でしっかり包み、「宮前君」と大きな目を潤ませ、大きな口を引き結ぶ。
 宮前はぎょっとした。
 ――おお、おっさん? ……手、手を離してくれ。こんなところ人に見られたら。
 宮前は他の奴らに誤解されやしないかと辺りを見回し、よかった、誰もいない、片方の手でほどきにかかる。その手までおっさんにがっちりつかまれ、万事休す、逃げられない。
 おっさんは熱っぽく宮前を見つめ、言った。
「宮前君は立派な自衛隊員になれる。……信じて、私は嘘をつかないっ」
 宮前はこくこく頷いた。
 ──わかった、分かったから早く、早く離してくれ。
 ようやく解放され、足取り軽く去るおっさんの背中を見送りながら、宮前は強く握られ汗ばんだ手をぷらぷら振り、感心しきって呟いた。
「……あれだけ、空々しく聞こえるのもすげぇよなぁ」

 宮前は高木と居酒屋で乾杯し、注文した料理が出てくるまでお通しをつまむ。高木が喉を鳴らしビールを飲みほす。空になったジョッキをどんと置き、ビールの追加を頼む。
 ──……飲みっぷりがすげえわ。
 どれくらい飲むつもりだろう、想像したら恐ろしい。ビールがもったいない、水にしたらいいんじゃないだろか、と本気で思う。食べ方も豪快だ、高木はお通しを一すくいで口に入れる。ジョッキに手を伸ばし、空だと分かるとテーブルの端に置く。
 修了テストの結果は出た。後十日で寮を出ないといけない。仕事はおいおい決めるにしてもそれまでに住む場所を決めないと……。職場から近いに越したことはない。やっぱり仕事を探す方が先か……。探すとしても、自分でも何がやりたいのか分からない……。
 シミュレーションが終わったお祝いと今後の身の振り方の参考に意見が聞きたくて宮前の方から高木を飲みに誘った。
「祐一君は来ないって?」
「ああ、ノンアルコールもソフトドリンクもあるぞって言ったんだけど用事があるんだってさ。次は行くから誘って、てよ」
「そっか。じゃあ、今度はお別れ会も兼ねて皆で食事会しようよ。飲めない人も楽しめるレストランかどっかでさ」
「っていうか、今日飲んでまた食べに行くのか?」
「だめかな?」
 宮前は頬が引きつる。
「……祐一って、テスト受かったのかな。俺は駄目だった」
 高木がさらりと言う。
「そりゃあ、受かったんじゃない? シミュレーションの時、祐一君すごかったらしいよ。『銃撃戦も教官の擁護射撃もしっかりやり遂げていた』、『鬼気迫るものを感じた』って隣にいた奴が言っていた。そいつが受かったんだから祐一君も受かったんじゃないかな。俺から見ても訓練生の中で一番活躍していたと思うよ」
「……そう、なんだ。祐一、頑張ったんだな」
「お待たせしました」店員がビールを置いて行く。
 高木が新しいビールに早速口をつける。
「元気ないね。祐一君と喧嘩でもした?」
「喧嘩はしてないけど、ぎこちないんだ。どこがどうってわけじゃなく。普通にしゃべるんだけど……」
「気にしすぎじゃないの?」
「……そう、かな……」
 テスト以来、祐一とはぎくしゃくしていた。どこがどう、とは表現しづらい。テスト前と同じように飯や好みのタイプの女性とか、なんでもない話で盛り上がる。笑いもするしふざけもする。けれど、シミュレーションについてはそれ自体が存在しなかったように話題からすっぽり、抜け落ちていた。
 会話の途中で不意に黙る祐一を目の当たりにすると、自分からは切り出せなかった。
 はじめは俺に怒っているのかと思った。大した働きをせず、それどころかしくじった俺を苦々しく思っているのかと。でも、それとは別のところで悩んでいるようだった。
 どうしてかっていうと、シミュレーションが終わって以来、肉にがっつかなくなった俺を「お前が肉食わないなんて……、病気か? 悩み事があるなら聞くぞ?」と優しいことを言ってくれる。だから多分、シミュレーションのことで怒っているのではない、と思う。ただ、テスト結果は聞き出せずじまいで、祐一も教えてくれなかった。
 宮前は汗をかいたコップを指の腹で拭う。
「高木は受かったんだろ? 晴れて念願の自衛隊に入れるな」
 高木はビールを飲みほし、「……う、ん……」と空になったジョッキを脇に置く。
「なんだよ、行く気満々だっただろ。情報収集のいっかんだって懇親会の時自衛隊員のテーブルに行ったりしてさぁ」
「……うん。そのつもりだったんだけど、シミュレーションをしてみて思っていたのと違うなあって……」
「どこが?」
 宮前が身を乗り出す。高木は困ったように微笑う。
「俺、小学生の時から自衛隊に憧れていたんだよね。ほら、よく浸水で孤立した住民をボートで助け出すとか、地震で倒壊した家屋から住民を救助するとかテレビで見て、俺もいつかあんな風になりたいなって思っていたんだ。憧れの自衛隊で働けるならって訓練頑張っていたところもあるかな、正直。……けど……」
「けど?」
「自衛隊って人道支援とか復興支援とか、人を助けるイメージが強かったけど、……その、まあ、……ああいうこともするんだなって。……人を殺したり、とかさ。こっちが人助けのつもりでやっていることでも戦闘行為に発展することがあるんだって思ったら、いろいろ考えじゃってさ。災害救助だけじゃなく戦闘もしなくちゃいけないのかとか、人を助けるために人を殺すのかとか、あの人達は俺達がいたからテロリストの攻撃に遭ったんじゃないかとか考えたら、……きれいな仕事ばかりじゃないんだなって……」
 高木は壁にもたれ、ビールが入ったコップを揺する。
「……身内とか、大事な人を守るためならしかたないって思う。……でも、外国まで行って、世界の平和のために戦えと言われても、……ぴんとこないんだよね。……人を撃つって、生半可な覚悟じゃできないよ……」
 泡がコップの縁からこぼれる。
「自衛隊って、行きたくなかったら断ることもできるんだろ? 行く前に派遣の希望があるか確認されるって、掲示板に貼った紙に書いてあったぞ」
「……うん、読んだ。でも、新しい法律(安全保障関連法)ができたから海外派遣も自衛隊の義務になるんじゃないの? 『行きたくない』なんて言ったら命令に従わなかった罪で刑務所行きになるんじゃないかって、他の奴が心配してたよ。行かなくてすむとしても、派遣先から戻ってきた同僚が出世していくのを見るのは辛いよ。やっぱり、やるからにはとことん上を目指したい気持ちがあるからさ」
 宮前は何も言えなくなり、高木はビールに口をつける。
「ま、そういうことで、自衛隊に入るかどうか、迷い中。……宮前は? 自衛隊行くの? 落ちても希望すれば行けるんでしょ?」
 宮前は気泡が上がって行くのを目で追う。
「……俺は、自衛隊に入るなんて考えたこともなかったなぁ。しんどそうだし、厳しそうだし。大体、国を守るより自分の生活守るのに精一杯だったし。俺とは無縁の世界っていうの? でも、自衛隊って給料いいし、食費も宿代もかからないし、保険も年金もついてるし、言うことなしなんだよな。ここも待遇良かった。いい環境に慣れちまったら今更家賃払うのに精一杯の生活には戻りたくないんだよな。訓練は嫌いだけど言われたことをこなしていればいいわけだし、生活は安定しているし、休日は遊びまくれるし。……楽なんだよなぁ」
 高木はビールを飲みながら聞き耳を立てているようだった。
「……でも、……俺……、シミュレーションですっげえミスしちまっただろ? 人が死んで、血まみれで、人か何かもわからないくらいぐちゃぐちゃになって……」
 思い出し、酸っぱい物が喉を競りあがる。宮前は四回唾を飲み込んだ。
「あれがもし、現実だったら、俺、絶対引きずると思う。あの後鬼教官が『応戦に行くぞ』なんて言っていたけど、あれを目にしたらもう、戦おうなんて気、起きなかったよ。っていうか、体が動かなかった。……ほんと、嘘で良かったよ」
 宮前は消えていく細かい泡をじっと見る。
 ……人の命は地球より重い、なんて嘘だ。それじゃあ、地球がいくつあっても足りない。ほんとは泡みたいにあっけなく消えていくんだ。撃てば死ぬし、死んだら肉と骨になる。いずれは腐って、なにも残らない。
 ──……なんてな……。
「……俺も、悩み中……」
 いつの間にか、グラスの汗で手のひらがぐっしょりだった。

 *

「自衛隊に入らないってどういうこと? 貴方が入らなきゃいったい誰が入るの? シミュレーションの結果、貴方が一番成績良かったのよ。このまま辞めてしまうなんてもったいないと思わないの? ねぇ、木村君」
 イーシンは社長室に木村を呼び出し、ウェインと共に説き伏せていた。木村は俯いている。
「責めているんじゃないのよ? せっかく才能があるのに生かさないなんてもったいないと言っているの。他にやりたい仕事でもあるわけ?」
「……ありません……」
 木村は静かな声で否定した。
「じゃあ、どうして? 自衛隊は給料も待遇も文句なしにいいわよ? 木村君は自衛隊に一番相応しい人材だと、私は確信を持っているわ。推薦してもいいわよ?」
 木村は更に深く俯き、ウェインは腕を組んだまま気乗りしないふうに壁際に立っている。
「ウェインからもなんとか言ってやって。貴方が一番シミュレーションで木村君に助けてもらったんでしょう? 彼の働きがなければ貴方だって『死亡』していたかもしれないのよ」
「本人にする気がないなら、無理強いはできない」
 ――なんのために貴方を同席させてるのよ。ここは訓練と同じで強気で押してくれなくっちゃ。
 イーシンは歯を剥き、ウェインを威嚇した。
「……向いて、……いません……」
 木村が硬い声で呟く。
「ぼくはずっと、向いていないと、思っていました。マネキン相手に刺突する訓練も、射撃も、嫌でした。体力に自信があるわけでも、皆のように闘争心があるわけでもない。訓練期間が終わったら辞めるつもりでした。……シミュレーションは、ただ無我夢中で撃っていただけです……」
 イーシンは真顔になり、木村の様子を探る。下手に刺激しないよう、静かに語りかける。
「本番で最高の動きができるのは一種の才能よ。誇りに思っていいわ。最前線に送られるアメリカ軍兵士でも初めてのシミュレーションは動けなくなったりするの。それを貴方は敵を倒し、味方の救助に擁護射撃で貢献したんじゃない。立派よ?」
 木村は痛々しいほど深く俯き、声を震わせる。
「……ぼくは、シミュレーションでは何もできない、と思っていました。人を撃つなんてぼくにはできない、と思い込んでいた。人を殺すくらいなら自分が死んだ方がましだと……」
 大きく鼻をすすり、深く息を吐く。
 イーシンは思い出した。シミュレーション前夜、敵と住民の見分け方について最後までこだわっていたのは、木村だ。
 木村は震える声で続ける。
「……でも、違いました。味方を助けるとか、任務を遂行するとか、関係なく、……ただ怖くて、死にたくない一心で銃を撃っていた。……ぼくは、少年を殺しました。自分が死にたくないばかりに……。動かなくなった少年の背中にまで、三発、撃ちました。……自分の浅ましさを思い知ったんです」
 両頬から透明の滴が流れ、膝に置いた手の甲にぽたぽたと落ちる。
 イーシンは、お手上げ、と両手をあげた。
「貴方の気持ちは分かったわ。しつこく勧誘して悪かったわね。……戻っていいわ」
 木村はすすり泣き、頭を下げ、俯いたまま部屋を出て行った。

 重い静寂が漂う。
「真面目すぎるのも考えものね」
 イーシンはわざとおどけた調子で肩をすくめる。ウェインは伏し目がちに問う。
「……イーシンは、兵士の時の行いを悔やむことはないのか?」
 責める口調ではなく、純粋な問いのようだった。
 イーシンは断言した。
「ないわ、全然。全く。思い出すことはあっても後悔はしない。戦場と一般社会じゃステージが違うもの。戦場で人を殺して何が悪いの? 一般社会の価値観で戦闘行為をはかられたんじゃたまったもんじゃないわ。私は狙撃兵だった。敵のリーダー役を叩くのが役目なの。私が殺さなきゃ味方に甚大な被害が及んでいた。同僚の死を悼むくらいなら敵を撃ち殺した方がよっぽどましよ。子どもが交じっていたって気にしないわ。私は任務に従っただけ。戦場でやったことは正しい、一点の曇りなく言い切れるわ」
 ウェインは無言だ、イーシンはそれを否定の意思表示と捉えた。
「戦場でのことをいつまでも引きずって薬やアルコールに手をだし崩壊していくお人好しを何人も見てきたわ。私はそうはならない。私は国のために手足を動かしていただけ。少しでも自分の行いに疑問を持ったら私だって精神病棟行きよ。国家が始めた戦争を兵士が肩代わりしているんだから罪を償いたければ国が償えばいいのよ。イラク、アフガン、二つの戦争を始めた元大統領は国際社会から裁かれもせず平穏な余生を送っているわ。ISが生まれる原因を作り、イラク戦争中にばら撒いたクラスターや劣化ウラン弾で今でも人が死に続けていることに比べたら私が殺した人数なんてたかが知れている。裁くなら正義漢面して他国を爆撃した国家元首を裁けばいいのよ。兵士に罪をなすりつけないでほしいわ。私は間違っていない」
 沈黙を続けるウェインに「反論は受け付けないわ。私はそう信じているんだから」と手を横に払う。
 ウェインは微笑んだ。
「……うらやましいな……」
 イーシンは目を瞬かせる。頭の中で言葉を反芻し、思案する。「ああ」と閃いて、手をぽんと叩く。
「恨めしい」
「羨ましいだ、ちゃかすな」
 ウェインが声を荒げる。
「……ごめんなさい。……意外だったものだから、聞き間違いかと思って……」
 イーシンは素直に謝った。
「……少しだけ、ほんの一瞬、そう思っただけだ」
 腹立たしげに弁解するウェインの頬が、うっすらと赤い。
 ──……もしかして、照れてる?
 珍しい物を見てしまった。
 ウェインは躊躇いがちに話す。気になるのか、木村が座っていた椅子を横目で窺いながら。
「……夢を、見るんだ。イラクにいた頃の……。……奇妙なことに、撃ち合っている敵が、……親友なんだ。戦死した仲間もいる……」
 苦悶の表情で固く目を閉じ、唇を引き結ぶ。鍛えあげ逞しくなった肩を強張らせ、拳を握りしめる。眉間に深い皺を刻み、まなじりを震わせる。幻影に耐えているようだった。
 ゆっくり目を開き、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「……なんだろうな……。……親友の自殺を止められなかった……、仲間を救えなかった後悔かな……」
 イーシンは慎重に言葉を選んだ。
「夢は、いつから?」
「……シミュレーションが終わって、施設に帰ってきた夜から……」
「眠れないの?」
「……いや、そこまでじゃない」
「病院で診てもらう? 紹介するわよ」
「……それほどでもない。……一時的なものだ……」
 言葉とは裏腹に、ウェインの表情にいつもの力強さはなかった。

 *

 祐一と宮前は高木の部屋に集まり、思い思いに過ごしていた。
 六日後にはここを出て行かないとあって高木の部屋はきれいに片付いている。いや、元から自分の持ち物なんてほとんどなかった。寮に入る前に所持品全部取り上げられ、訓練が終わり携帯などの貴重品を返された今でも部屋を常に片付ける習慣がついたため、ごみ一つ落ちていない。俺の部屋だってきれいなもんだ。
 ここを出たら三人でしばらく共同生活をすることになった。金はある、集団生活には慣れている。高木や祐一と別れるなんて寂しいなと思っていたから、「三人で共同生活」が決まった時は、「やったーっ」と拳を突き上げた。三LDK、家具付き、南向き、駅から徒歩十分、即日入居OKの部屋を祐一が確保してくれた。後は荷物担いで出発するだけだ。仕事は失業保険が付く間に決めればいい。
 ということで心配事は何にもなくなった。頭を使わない、体を使わない生活は暇で暇でしょうがない。ゲームにも飽きた、宮前はスマホを弄る手を止めた。
「ああー、暇だなあー。なあ、どっか行こうぜ」
「暇ならグラウンドを走ってこいよ」
 祐一は求人情報誌で次の仕事を探すのに忙しい。目ぼしい所がいくつかあるようで付箋が五、六枚貼ってある。
「訓練がなくなったのにそんなしんどいことできるかよ。なぁ、高木どっか行こうぜ」
「うん、後で散歩でもしようか」
 高木は売店で買ったコーヒーを片手に地元情報誌をめくり、食事会の店を探している。机に置いた紙コップが窓から入る光で茶色に透ける。高木は紙コップを口に運び、情報誌をめくる。
「宮前はステーキとかハンバーグがいいんだよね?」
「……いや、魚がいい」
 高木が不思議そうに聞く。
「前に、魚は食った気がしないって言ってなかった? すぐに腹が減るって」
「……いや、そんなことはない。魚も好きだ」
 シミュレーション以来、肉が食えなくなった宮前に祐一が助け船を出す。
「宮前はダイエットしているんだ。最近訓練してないだろ? 太らないか心配なんだ」
「なるほど」と高木は頷いた。
 本当のことは祐一にだけ打ち明けた。高木を信用していないのではなく、思い出したくない、というのが本音だ。それに、こんな状態は長く続かない。
「あんな嘘っぱちのテストで一生肉が食えなくなるなんて人生を半分ドブに捨てるようなもんだ。俺の肉への愛情はそんな薄っぺらいもんじゃない。肉を食えない病は必ず克服してみせる。そのあかつきには極上ステーキをたらふく食ってやるぜっ」
 と祐一の前で誓いを立てた。
 高木との飲み会から帰ってきた夜、祐一はほっとした様子で、
「社長室に呼ばれていたんだ。リー社長がウェイン教官も同席で自衛隊への入隊を勧めてくれたけれど、『ぼくには向いていない』って断った」と教えてくれた。
 泣いたのか、目が赤い。それでも淡々と語っていた。
「……テストで足を引っ張った俺を怒っていたんじゃなかったんだ」
「……なんだよ、それ」
「だって、テストの結果とか教えてくれなかっただろ」
「知りたかったんなら聞けばいいのに。いらないことはぺらぺらぺらぺらしゃべるくせに」と祐一が笑った。
「俺、そんなにしゃべってるか?」
「会話の九十九パーセントは聞いても仕方ないことばっかりだ」
「…………」
 腹が立つ前に思いすごしだったと分かり、マジでほっとした。
 それから夜が明けるまで、シミュレーションのことも含め、いろんなことを語り合った。
 そしてまた以前と同じようにくだらない話で盛り上がり、宮前が軽口を飛ばすと祐一は正論を並べ立て反論する。アホなことでも直球で返してくれる、この気が置けない関係が心地よかった。
 祐一が求人情報誌を閉じ、真顔で切り出す。
「教官達も呼ばなくていいのかな」
「……はぁ?」
「ほら、ずいぶんお世話になっただろう? 食事会、教官達を招待した方がいいんじゃないかな?」
「ないない」宮前は手首が折れるほど勢いつけて手を振る。
 高木は「うーん、考えてなかったなあ」と宙を仰ぐ。
「止めとこうぜ。教官が来たら飯が喉につかえる。他の奴らだって嫌に決まってる。教官達がいたら楽しい雰囲気も吹っ飛んじまうぜ」
「俺は、そんなに嫌じゃないなぁ」とは高木。
「俺は嫌だ。教官が来るなら俺は行かない」
「そんなに嫌がらなくてもいいだろ。宮前がしっかりしていないから教官が厳しかったんだ。少しは感謝しろよ」
「お前は感謝しすぎだ」
 前言撤回、祐一とは気が合わん。
 祐一が求人情報誌を床に置き、宮前は腰をあげ臨戦態勢に入る。
「まあまあまあまあ」高木が間に入る。
「呼びたいのはやまやまだけど、ほら、休暇を取っている教官もいるし、残っている教官だけ誘うのも不公平じゃないかな。ボルダー教官だって明日には出発でしょ?」
「明日?」祐一がうろたえる。
「うん。リー社長に呼び出された時に、たまたまボルダー教官とそんな話をしていたよ。社長が『明日出発ね。準備は済んだ?』って、教官に聞いてた」
「……今、何時?」
 祐一がうわずった声で尋ね、高木は腕時計を見る。
「十四時過ぎだよ」
「……ちょっと、行ってくる」
 祐一が部屋を飛び出す。
「お、おいっ、待てよっ。祐一っ」
 宮前は血相変えて立ち上がろうとして、ジーン……。動けない。片足を尻に敷いた姿勢でいたから足が痺れた。
 ││ああっ、くそっ。
「高木止めろよッ、早く」
 高木が「……止めるって、どうして?」とのん気に聞く。
「祐一君、どこへ行ったの?」
 宮前は唾を飛ばし断言した。
「決まってるだろ、教官のところだよ。あいつ、あいつ鬼教官に告白するつもりだ」
 高木があんぐり口を開けた。

「ああー、もうっ」
 イーシンはパソコン画面とにらめっこをする。
 国に提出する報告書を作成中だ。シミュレーションは莫大な費用と人手をつぎ込んだ分、訓練生の頑張りもあり、いい映像が撮れた。訓練全般の態度や技能習得の評価も悪くない、というより過去五年間で最高の出来だ。訓練期間を終え、訓練生全員に配ったアンケートの感想も悪くない。報告書を作成する資料は揃っている。……なのに……。
「なんで一人も入隊希望者がいないのよっ」
 ヒステリックに叫ぶ。
 成績が良くったって自衛隊に入らなければ意味がない。テストに受かった訓練生を呼び出しウェインと共に説き伏せ、いやウェインは「本人の好きなようにさせろ」の一点張りで役に立たなかった、イーシン一人で説得を試みたものの……。
 一番テスト結果が良かった木村祐一は「ぼくには向いていません」と固辞し、入隊に前向きと思われていた高木将吾は「自衛隊には入らないことにしました」と爽やかな笑顔で言ってのけ、「貴重な体験をさせていただきました。今まで本当に有難うございました」と深々と一礼し、これまた颯爽と部屋を出て行った。他の合格者も曖昧な返答を繰り返すか、黙りこむかで埒があかない。
 こうなったら人を選んではいられない、と再度勧誘した宮前等は、「失業保険がきく間に就職できなかったら考えます」と、入るのか入らないのか全くもって分からない返事だった。
「できれば今、ううん、二、三日中に決めてくれないかしら?」と頼むと「俺、急かされるの苦手なんです。マイペースで生きたいっていうか……」と締まりがない顔で笑った時には平手打ちしてやろうかと思った。
「自衛隊に入ってくれたら、私の秘密、教えてあげてもいいわよ。知りたいんでしょう?」と耳打ちしても、「いいです。仕事をかけてまで知りたくないです」とあっさり断られた。
 他の訓練生にも片っ端から声をかけたが、奥歯にものがはさまったような物言いで煮えきらない。見張っているのがばれているのか、誰も彼も掲示板の前を足早に通り過ぎ、自衛隊員募集のポスターを見ようとすらしない。
「なんだってんのよ!」
 キーボードをバンッと叩く。画面が真っ暗になり、白い横線が入り、パチッと消える。
「きゃあー、うそうそうそ。ごめんなさい、機嫌直してぇ」
 パソコンに平謝りし、キーボードを押す。再起動ボタンを何度も押し十分近く格闘したけれど、うんともすんともいわない。
 ──……もしかして、壊れた? ……嘘でしょう? 修理に出したら何日かかるのかしら。買った方が早いかも。ああ、お金が……。でも提出期限に間に合わせないと……。
 疲れた頭を抱え、真っ黒になった画面を見つめる。
 ──……少し待って、電源押したらたちあがるかも……。
「……きゅ、きゅうけい……しよう……」
 電源が入らないパソコンをそのままに、イーシンはよろよろと立ち上がった。

 部屋を出たところで木村に会う。ウェインの部屋の前を行ったり、来たり。目が合うと慌てた様子で敬礼し、壁際に避ける。
「……ウェインに用?」
「あっ、いえ、……用、というほどでは……」
「いないの?」
「……あ、はい。あ、いえ、分かりません。……まだ……」
 イーシンは扉をノックし、「はい」、返事と同時に開ける。
「ウェイン、木村君が来ているわよ。……部屋、暗いわよ。カーテン開けたら?」
 赤くなったり青くなったりしている木村に「いるわよ」と扉を全開にする。
「ウェインに用事があって来たんでしょう?」
「……は、……はぃ……」
 しょげたように小さくペコリと頭を下げ、すごすごと部屋に入る。
 イーシンは扉を閉めた。
 ──……挙動不審ねえ。宮前そっくり。いつも一緒にいると似るのかしら。
 ウェインの部屋は片付いていた。時間を変更して出発時間を切り上げてもいいかもしれない。高速が渋滞しないとも限らないし、早めに出発すれば空港でゆっくり過ごせる。
 アメリカに帰ればアース社員として戦場に戻るのだろう。起ち上げ二年、会社の運営が軌道に乗ってから三年、よく働いてくれた。途中、教官の大量辞職、訓練生の激減といろんなことがあったけれど、今となってはいい思い出だ。
 中佐クラスの実績がある指導教官を新たに探す手間を考えれば、例え見つかっても癖のある教官達を束ねる器量があるかどうか分からないことを考えると、このままウェインを雇い続けた方が得策ではある。……が、プロジェクトの継続が危ぶまれる現状では迂闊なことは言えない。
 自衛隊入隊者ゼロを考えればプロジェクトの打ち切り公算大、……ウェインどころか自分もアメリカに帰らなくてはならなくなる。下手をすれば解雇もありうる。
 ──せめて、プロジェクトの継続が決まってくれれば呼び戻してあげてもいいんだけど……。
 戦場より平和な日本で軍事インストラクターとして働く方がいいに決まっている。その時はもう少しお給料を上乗せしてあげてもいいわね。ついでに私のお給料もあげちゃおうかしら。ああ、でもお金より休みが欲しいわ。二ヶ月ぐらい有給休暇を取って世界一周もいいわねぇ。秘書を雇うのもいいかも。今は事務経理、全部私一人でやっているから疲れるったら。
 夢は果てしなく膨らむ。
 ──……でも、その前に報告書を書かなくっちゃ。
 現実は厳しく、報告書の作成が遅々として進まない。
 入隊希望者ゼロという結果に至った考察がどうしても書けない。向こうの心情を悪くしないようやんわり書かないとと思っても、理由が分からないから書きようがない。こっちが教えてほしいくらいだ。
 また、頭痛がしてきた。軽く握った両拳でこめかみをぐりぐり押す。
 ──煮詰まった頭ン中を吹っ飛ばすくらい面白いことないかしら。
 角を曲がった途端、黒い物が胸元に飛び込んできた、とっさに体を百八十度開く。黒い物が言う。
「びっくりしたー」
 黒い物は宮前の頭だった。階段踊り場に高木もいる。
「こっちがびっくりするわよ」
 “しぃーっ”と言うように宮前が口に人差し指を立てる。高木は頭に手をやり、二度、三度頭を下げる。
「ここ二階よ、なんでいるの」
 宮前は高木の服を引っぱり、高木がつまずきながら前に出る。
「ぼく達、木村君を探しているんです」
「木村君? ならウェインの部屋にいるわよ」
 宮前が「ほら、みろ」と高木の腕を愉快そうに叩く。高木は口をつぐみ、宮前は高木の耳元で何やら囁く。
「なんなの、用件ははっきり言いなさい」
 苛立ちから命令口調になる。
 ほとんどの教官は休暇中で不在。訓練が終わり、当日の訓練の申し渡しがない今、教官がいる二階に訓練生が来ることはない。それが、木村、宮前と高木、三人も二階にいるのだ。しかも宮前ではなく、真面目な木村が挙動不審だった。
「……もしかして、なにかとんでもないことをやらかしたとか?」
 不祥事が起こった場合の報告は指導責任者であるウェインか社長のイーシンが受けることになっている。頭痛の種は増やしたくないと思いながら聞く。
「そうではなくて……。……なあ……」
 宮前が高木に目配せをし、にやにや笑う。
「言っちゃう?」
 高木は斜め上を向き、「……うーん……」と悩んでいる。
「祐一君に怒られるよ?」
「大丈夫だって。教官は明日にはいなくなるんだぞ。ここで帰ったら祐一の一世一代の大告白を聞けないぞ? 社長だって聞きたいんじゃないか? 言おうぜ、なっ、なっ」
 二人で訳の分からないことをブツブツ言っている。
「だからなんなのっ」
 イーシンは怒り出した。
「しぃー、聞こえますって。……すんごい面白い話、聞きたくないですか」
 宮前がそそそと近寄り、目を細い三日月にして笑う。
「な、なによ」
 ──……不気味ね。
「実はですねー、木村君って訓練、嫌だったんですよ。いつも『ぼくには向いていない』ってぼやいていたんです」
「……知っているわ……」
 社長室で涙ながらに感情を吐きだしていた木村を思い出す。宮前は動じるふうもなく続ける。
「その木村君がですよ、この半年間、厳しい訓練に耐えてきた訳、知っていますか?」
「知らないわよ、そんなこと」
 宮前は当然とばかりにうんうんと頷く。
「それはいつもそばに、厳しい訓練に耐えてまで木村祐一君をここに引き止めるほどの存在がいたからですよ。その人と後わずかで会えなくなる。その前に自分の思いのたけを伝えたいって熱い気持ちが今、祐一君を駆り立てているんです」
 宮前が恥じらうように両手を頬に当て、「きゃっ」と体をよじる。
 馬鹿丸出しの言動にイラッとくる。
「だから、なんなの?」
「……まだ、分かりませんか? ……ウェイン・ボルダー教官って、明日にはいなくなるんですよね?」
 宮前は目を三日月にし、口の両端をいやらしく引き上げる。
 突如、休止していた頭がフル回転で稼働する。挙動不審でウェインの部屋の前にいた木村祐一と、常にしかめっ面のウェインが頭の中でシャッフルされる。
「……えっ、……ええっ?」
 宮前を凝視し、壁から顔をつき出しウェインの部屋を凝視する。頭を引っ込め下品な笑みを浮かべる宮前を見つめる。
「え、ええっ。まさか、ええっ? でも、ええっ? 木村君って、そういう趣味なの?」
 宮前の顔がこれ以上ないくらい崩れる。だらしなく緩んだ口がゆっくり動く。イーシンは息を凝らし、耳を澄ます。
「お察しの通り、祐一君は、実は……」
 廊下に怒声が響き渡り、宮前の声をかき消した。

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