第8話

文字数 16,154文字


 *

 いよいよ共同訓練とシミュレーションを残すのみとなった。
 共同訓練はアメリカ・グアムにある訓練施設で行われる。自衛隊基地まではトラック、自衛隊基地からグアムの訓練施設までは航空自衛隊の兵員輸送機で移動する予定だ。自衛隊陸将の鈴木には頼んである。
 ──……後は、と。
 イーシンは明日の準備を切り上げ、ミーティングが始まるより少し早く研修室に顔を出した。
 既に集まっている訓練生に呼びかける。
「皆さーん、明日はいよいよ修了テストを受けるために米軍キャンプに出発します。体調は万全かしら?」
 盛り上げるつもりで明るく言った言葉は何の反応もなく、部屋を一周し戻ってくる。
 肩を落とし、濁った眼差しで微笑う訓練生達にイーシンは泡を食った。
「どっ、どうしたのっ? お腹でも痛いの? 夕ご飯食べすぎた?」
 ──出発前だと思って特別メニューにしたのがまずかったかしら?
 あちらこちらから「いいえ」といかにも弱々しい返事が返ってくる。
「明日出発なんだけど? このやる気どころか生気の欠片もない状態はどういうことなの?」
 力なく視線をやり取りする訓練生達に混乱する。
 靴音が近づいてくる。イーシンはハッとした。ウェインはいない。
 イーシンは扉から顔を突き出し、こちらへ歩いてくる教官三人に「社長として訓練生に話があるから入ってこないで」と扉をぴしゃりと閉めた。扉の向こうがざわつき静かになったのを確かめ、イーシンは扉から離れる。
 余った椅子を一つ提げ、一番手前に座っている宮前に机を挟み向かい合う。キョロキョロそわそわしている宮前に声をひそめ聞いた。
「……ウェインに、何か言われたの?」
 原因があるとすればそれしかない。
「……いえ、違います」
 宮前の周りに訓練生一同が集まり、「そうではありません」と一様に否定する。
「……じゃあ、どうして元気ないの?」
「あのー」
 宮前は言いにくそうに体を揺する。
「……実は、その、今、皆と話していて気づいたんですが……」
 ──みんなっ?
 カッと頭に血がのぼる。部屋にいる訓練生一同を右から左、手前から奥へ視線を走らせる。……ま、まさか……。
 宮前が続ける。
「……自衛隊とか、米軍とか、会うの初めてで……。そのうえ一緒に訓練するなんて、とんでもないと言うか、……気後れしてしまって……」
 イーシンは後ろに椅子ごとひっくり返りそうになった。
「お、お、驚かさないでよっ。全員が辞めるって言いだすのかと思ったじゃないっ」
「へ?」
「ああ、気にしないで、こっちの話」
 慌ててごまかす。
 肋骨を押し上げそうなほど鼓動する心臓を落ち着かせようと胸を押さえ、二度、三度深呼吸をする。
 ──心臓止まるかと思ったわよ。紛らわしい……。
 気を取り直し、笑顔で励ます。
「大丈夫よ。アメリカ軍も自衛隊さんも優しい人達ばっかりだから。私を見て。私もアメリカ軍に所属していたのよ。全然怖くないでしょう? 自衛隊員さんはもしかしたら貴方達の職場の先輩になるかもしれないわ。自衛隊ってどんな感じなのか知る、いい機会よ。懇親会もあるからそこで自衛隊員から自衛隊ってどんなところか情報収集できるわよ」
 いくぶん安心したような、それでもまだ引っかかるところがあるのか、宮前だけでなく他の訓練生も視線を泳がせる。宮前が後ろを向き、訓練生達が頷き、宮前が全員の意見を代表するように口を開く。
「あのー、修了テストが終わったらここを出なくちゃいけないんですか?」
「うん?」
「ここに残ったら、駄目ですよね?」
 イーシンは耳を疑った。宮前は照れたように笑う。
「皆、気心知れた奴らばかりだし、食事は美味いし、給料も待遇もいいし……。訓練はもう少し楽になったらいいなとは思うけど……。修了テスト終わってもここにいられたらいいな、なんて」
「まああー」
 ありったけの声で叫んでいた。宮前に抱きつく。
「ぎ、ぎぇえー」
 悲鳴をあげる宮前をぎゅううっと抱きしめ、頬ずりする。怯えた眼差しを向ける宮前の頬を両手でしっかと包み、笑いかける。目の端に涙が滲むのは年を取って涙もろくなったせいだ。
「嬉しいわぁー。そんなこと言ってくれたの、初めてっ。もうっ、なんていい子なの」
 もう一度、ぎゅうぅっと抱きしめる。宮前の顔を胸に押しつけ、シャンプーの匂いがする髪に鼻を擦りつける。腕の中でもがく宮前を抱きしめ、甘い息を吐く。
 不意に緩めた両腕からすり抜けた宮前が座ったまま後ろの机にぶち当たる。
「私も、残ってほしいんだけど、修了テストが終わったらここにはいられない決まりなの」
「……そう、ですか。あ、ちょっと聞いてみただけですから」
 宮前が背もたれにしがみつき、頭をぺこりと下げるから、イーシンの胸はキュンと切なく疼く。机に頬杖を突き、うっとり見つめる。
 宮前がガタガタと椅子ごと後退し、後ろの机が音を立てて動く。
「もう、ほんと。馬鹿な子ほど可愛いってほんとねー」
「……俺、いや、ぼく、馬鹿ですか?」
「馬鹿っぽく見えるくらい純粋ってことよ」
「……はあ……」
「ずっとそばに置いときたいくらい」
「それは、勘弁して下さい」
 宮前がしきりに首を振る。
 ──ああん、そこがまた可愛らしい。
「……あの、聞いていいですか?」
「なになに?」
 浮き浮きして身を乗り出す。
 鼻の頭に汗をかく宮前の横顔にイーシンの胸はときめく。
「……あのー、社長って、……どっちなんですか?」
「どっちって?」
「その、男ですか? 女ですか?」
「おおっ」
 周りがどよめく。
「やっだぁーっ」
 イーシンは思いっきり宮前を突き飛ばした。宮前は椅子ごと後ろの机に突っ込み、机と机の間にひっくり返りかけた寸前、訓練生達に支えられる。その一人、木村に「社長になんてこと聞くんだ」と頭を叩かれる。
「どっちに見える?」
 イーシンが照れながら聞き返す。
「……えーっと、それは……、そのー」
 宮前が木村をちらりと見、木村はそっぽを向き、他の訓練生はちらちらと宮前と視線を合わせる。宮前はおずおずといった感じで椅子ごと前に寄ってくる。
「知りたい?」
 宮前がこくこくと何度も頷く。後ろの訓練生も色めき立つ。そっぽを向いている木村も身じろぎせず、耳をそばだてているように見える。
「もう、どうしようー。恥ずかしいなー。教えちゃおうかなー」
 訓練生が落ち着きなくそわそわしているのが見て取れ、イーシンは笑いを堪えた。
「教えて下さいっ」
 宮前は焦れたように強く言う。
「うーん。じゃあ、耳貸して……」
「……耳、ですか?」
「そうよ。大切な秘密を教えるんだもの。大きな声では言えないでしょう?」
「……キス、とかしませんよね?」
「してほしいの?」
「いえいえいえいえ、とんでもないです」
 イーシンは笑いを噛み殺し、「しないわよ」と手招きし、恐る恐る近づく宮前に耳打ちした。
 バンッと扉が開く。
「教官を締め出して何をしているっ」
 ウェインだ。後ろから教官七人がぞろぞろとついて入る。
「イーシン、訓練生に何を吹き込んでいる」
「なにもー。じゃあ、皆、頑張ってねー」
 ウェインの鋭い視線をかわし、気まずそうに入ってきた教官達に笑顔を振りまき、ぽかんとしている訓練生達と頭を抱える宮前に手を振り、扉を閉めた。
 扉の向こうから「まじかー」と吠える宮前の声と「静かにしろっ」というウェインの怒鳴り声が聞こえ、イーシンは吹きだした。

 翌日、トラック数台に分かれ自衛隊基地へ向かう。
 自衛隊基地に到着後、共同訓練を行う自衛隊員に同乗させてもらい輸送ヘリでアメリカ軍グアム基地へ発つ。
「今、日本は冬。中東の気候に近い条件で訓練をするには常夏のグアムが適していると思いませんか?」というガイラックの提案だ。
 民間航空機で移動しても所要時間は三時間半と短い。イーシンは断る理由がなく承諾した。
 柔らかな曲線を描く暗緑色のヘリに乗り込み、ヘッドフォンを付ける。ヘリが急上昇し、空へ舞い上がる。
 山地を越え、陸地を離れ、外海に出る。フェリーやタンカーが白い波をあげ、海原を航行する。雲の切れ間から差す光の帯が青を凝縮した海面に注がれ、白金に輝く。混じり気のない雲海がはるか彼方まで広がり、海の色と同じ青が透明度を増し上空を包む。
 蒼が無限に続いていた。
 ボタンを押せばヘッドフォンごしで会話ができる、イーシンは隣に座るウェインに話しかける。
「素敵ねー。仕事を忘れて旅行に行きたいわぁー。貴方もテストが終わればアメリカに帰れるわね」
 ウェインは答えない。沈んだ表情で眼下を見下ろしている。
「……ホームシックにでもなった?」
「……いや……」
 ウェインは伏し目がちに答え、また窓の外に視線を落とす。
 ──……なんなのかしら。
 それ以上は追及せず、イーシンは広大な景色を堪能した。

 海に浮かぶ孤島が見えてくる、││グアムだ。島の周りをエメラルドグリーンの海面が膜のように包み、白い砂浜が見える。
 輸送ヘリが島へ向かって急降下する。
 アメリカ軍基地に到着し、自衛隊とアース一行はガイラック率いるアメリカ軍に出迎えられる。
「遠路、お疲れでしょう。どうぞキャンプ中は我が家と思いくつろいで下さい。精一杯もてなします」
 ガイラックがにこやかに笑う。
 ──……出たわね、古狸。
 イーシンは満面の笑みをはりつけ、ガイラックと握手を交わす。
「四日間、お世話になります。何から何まで準備していただき恐縮です。シミュレーションのセッティングは大変でしたでしょう?」
「問題ありません。我がアメリカ軍と自衛隊さん、そしてアースさんの未来を考えれば苦労などありません。三日間の合同訓練を是非有意義なものにしましょう」
「以前のような突然の変更点がなければもちろんそのつもりですわ」
 ガイラックは大きな体を揺すって笑う。肥満ではなく大柄な体に筋肉がつき、軍人として理想的な体格なのだ。細身のイーシンにはそれが余計癪に障る。
「いやはや、私は信用されていないらしい」
「あら、そう聞こえました? 日本語に不慣れなもので。勉強しておきますわ」
 イーシンは口元に手を添え、笑う。
「変更点など一切ありません。約束します」
「それは、とても嬉しいわ。では、よろしくお願いします」
 再び差し出された大きな手をイーシンは力を込めて握り返した。

 夕方、宮前は天幕付きの浴場で体を洗い、コンテナハウスに戻る。外から見れば鉄の箱、中は意外に快適だった。エアコンなしでも充分涼しい。裸電球が室内を薄く照らす。
 宮前は胸に地球と鷹のマークがある濃紺のアース社員用の制服に着替え、折りたたみ式レジャー用椅子を広げ横になる。この上に寝袋を広げれば簡易ベッドのできあがりだ。
「懇親会が始まる。早く行こう」
 祐一が急かしても宮前は気乗りせず寝返りを打つ。
「懇親会、つったって、大勢で飯食うだけだろ。英語なんて分からんし知らない奴とべらべらしゃべれるかよ」
「行かないのか?」
「行く」
 宮前はむっくと起き上がり、やけ気味に答える。
「行くに決まってる。俺は食うために生きている」
 祐一は驚きの声を上げた。
「そうだったのか」
「……冗談って分かれよ」
「お前が言うと冗談に聞こえないんだ」
「そうでっか」
「電気消してから来いよ」と祐一は先に出て行く。
 宮前は「へぇへぇ」とベッドを抜け出し、スイッチを消した。

 外はまだ明るく、西の空にある太陽は日本で見るより一回りも二回りも大きく、空一面をまばゆく照らす。何層にも重なる雲がオレンジ色に染まり、広大な砂場を赤く輝く大地へと変える。
 朝になればこの光の量に暑さが加わるのだろう。冬の寒さに慣れた体には堪えそうだ。
「遅かったね。もう始まるよ。寛いでいたの?」
 会場となる巨大な天幕付きテントの傍で立っている男が声をかけてきた。アースの制服を着た高木だった。
「高木、さまになってんじゃん。教官かと思ったぜ」
「またまたぁ。褒めても何も出ないよ」
「いや、まじで。似合ってる」
 長身で、体格が良く、動作も堂々とし、柔和な顔を引きしめたらいっぱしの若手教官だ。高木はお返しのつもりだろう、「宮前も祐一君も似合ってるよ」と取ってつけたように言う。
 高木が祐一と宮前の間に割り込み、「二人と同じ部屋が良かったなぁ」とぼやく。
「聞いた? 教官達全員一緒の部屋だって。ボルダー教官も一緒なのかな?」
 宮前は高木の体ごし祐一を盗み見る。祐一は立ち止まり、整然と並ぶコンテナの中から鬼教官が泊まるコンテナを探しているようだった。高木が宮前の肩に手を置き、耳元に口を寄せ囁く。
「言わない方が良かった?」
「俺に聞くな、秘密をばらしたのがばれるだろ」と高木よりも更に小さな声で文句を言う。
 受付で名札を貰い、左胸にあるマークの下に付け会場に入る。立食形式のため椅子はない。白い丸テーブルが並び、既に大勢の人間でひしめき合っていた。
 サラダ、温野菜、スープ、グラタン、ステーキ、フライドフィッシュ……、多種多様な料理が銀色の保温容器に入れられ、パンは三種類、それにご飯、酒こそないが、ドリンク類もコーヒー、紅茶、オレンジジュース、コーラと充足している。
「うおー、結構あるじゃん」
 宮前は早速端から一品ずつ皿に盛り付け、腹もちが悪いサラダなんかは少なめにし、ステーキやソーセージ、フライドフィッシュはトングでごっそりつかむ。
「そんなに盛って恥ずかしくないか」
 祐一にたしなめられても知ったこっちゃない、パンはタワー状に積み上げる。コーラを注ぎながら空いているテーブルを探し、我先にと陣取る。
 料理を取っている祐一に分かるように大きく手を振り、一人料理にぱくつく。おっさんやアメリカ軍幹部のスピーチをバックミュージック代わりに次々と料理を口に放り込む。
「食べている時が一番元気だな」
 隣に来た祐一が言っても気にしない。
 ──……この肉、思ったより硬い。うちの方が料理は美味いな。
 と思うより早くステーキは食べ終わり、フィッシュに取りかかる。
「すごい食べっぷりだね」
 高木が合流し、感心したように呟く。
「おう、遅かったな。早く食わないとお替りできなくなるぞ」
 高木が苦笑する。
「ボルダー教官に言われたよ。『宮前が目立つから注意しろ』って」
「……なんで、俺なんだよ」
「うーん、でも、スピーチ中もすごい勢いで食べているから目立ってるよ」
 高木が小さく笑い、祐一が弁解する。
「ぼくも注意したんだけど聞かないんだ」
 宮前はほとんど食べきったお皿をテーブルに置き、「聞けばいいんだろ、聞けば」と開き直った。鬼教官とばっちり目が合い、宮前は慌てて演壇を向く。
 ──……なんで、俺ばっかり……。
 スピーチが終わり、宮前は食事を続行する。二回目を取りに行こうと向きを変えた時、高木に腕をつかまれた。
「今から自衛隊のテーブルに挨拶に行こうよ」
 高木の腕をふりほどく。
「行かねえよ。気ぃ遣いながら食ったら飯がまずくなる」
「祐一君は?」
「ぼくも遠慮しとく。……誰か知り合いでもいるの?」
「これから作るんだよ。修了テストが済んだら自衛隊に入るかもしれないでしょ。俺達のことをアピールしとこうよ。顔覚えといてもらったら入隊した後、優しくしてくれるかもしれないよ。それに就職先がどんなところか知っといた方がいいでしょ?」
「……高木って……」宮前は一呼吸おいて言った。「計算高いんだな」
 高木は気を悪くする様子もない。
「そうかな? 就職活動の一貫だよ。自分を売り込んで、向こうの情報を入手する。ついでに仲良くなっておく。いいことだらけじゃん」
「俺は止めとく」
「ぼくも」
 高木はにっこり笑い、「まあまあ、そう言わず」と宮前の腕をつかんで歩き出す。
「ま、まてまてまて、本当に嫌なんだって。俺、人見知りなんだ」
「人見知りって柄じゃないでしょ」
「やめろって。手ぇ離せ。お前、ひょっとして飲んでるな?」
「飲んでないよ。ここ、お酒はないでしょ。ささっ」
「うわっ、うわうわうわー、祐一助けてっ」
「そこっ、うるさいっ」
 鬼教官に怒鳴られても構っていられない、「祐一っ、高木を止めてっ」体を反転し祐一に助けを求める、……祐一はトレイを持って逃げて行った。

 高木は自衛隊員ばかりのテーブルに行き、姿勢を正し、明朗に名乗る。
「こんにちは。初めまして。アース訓練生の高木将吾といいます。こちらは宮前等。ぼくの同期です」
 宮前は渋々、頭を下げた。
「……はじめまして、宮前と言います」
 自衛隊員達はトレイをテーブルに置き、宮前と高木それぞれに相対し自己紹介をする。
 名乗られても三等やら二等やらくじ引きみたいで偉いのか偉くないのかさっぱり分からん。全員が陸上自衛隊(陸自)であることと名札にある苗字しか覚えられなかった。
 サガミ、マエハラ、オサダ、全員短髪で、日焼けした肌はハリがあり、笑った顔にあどけなさが残る。十代後半、せいぜい二十歳を超えたばかりのようだ。話をしたら案外気さくでとっつきやすい。
 高木が外面よく言ってのける。
「ぼく達、修了テストが終わったら自衛隊に入りたいんです。自衛隊ってどんなところか知りたくてお話を伺いに来ました」
 高木の背中をどつく。
 ──俺がいつ自衛隊に入りたいって言ったよ!
 宮前は焦って話に割り込む。
「ぼくは、高木君みたいに優秀じゃないからなぁ。自衛隊なんてとてもとても……」
 高木は朗らかに笑って謙遜する。
「ぼくだってまだまだだよ。でも、可能性はゼロじゃないでしょう」
 笑顔の中に真剣さが滲む。宮前は顔をつきつけ、
 ──余計なこと言うな。俺まで巻き込むんじゃねえ。
 とすごんだ。
「アースさんって楽しそうだよね。のびのびして、仲良さそうで。入った頃を思い出すなあ」
 サガミが懐かしむように言い、マエハラ、オサダが「うんうん」、「わかるわかる」と頷く。
 宮前は遠慮がちに訂正した。
「のびのびだなんて。毎日、鬼のような教官にしごかれています」
「なんて言っちゃって、キャンプではいいチームワークだったじゃん」とは高木。
「そりゃ、ヘマしたら撃ち殺されそうな勢いだったからよ。必死だったんだ」
「そうなの? ぼくには息ぴったり、ナイスコンビに見えたけど」
 宮前が後ろを振り返りキョロキョロと辺りを確認し、高木にぼそぼそと耳打ちする。
「……違う話、しようぜ。本人が寄ってきそうな気がする」
「上司のこと、あけっぴろげに話題にできるのは自由だからだと思うよ」
 サガミの言葉に、宮前は、高木も不安になったのか、お互いに顔を見合わせる。「自衛隊って厳しいんですか?」声が重なる。
 サガミが答える。
「厳しいのはどこも同じだと思うよ。ただ、二人の様子や話を聞いていると上下関係が緩いのかなと思ったんだ。悪い意味じゃなくてね」
「私達だって教育期間の時はくだらない話で盛り上がっていたじゃないか」とマエハラが口を挟む。
「……各部隊に配属されてからは自分が一番下っ端だからね。同じ階級でも先輩は敬わなければいけないのもあって、ちょっと窮屈なんだ」とサガミが小さく笑う。
「……各部隊って……」宮前は呟く。
 サガミとマエハラはこちらに説明しているふうを装いながら慰め合い、オサダが結論づける。
「海自よりましじゃないか? 海自は一度出航したら十五日間以上無寄港で、狭い艦船内で上司や先輩たちと生活を共にするんだ。ストレスは並大抵じゃないと思う。私達は陸自で良かった」
「そうだな」とサガミとマエハラが頷く。
 自衛隊員達で話が一段落ついた後、宮前は恐る恐る尋ねた。
「……もしかして、……幹部の方、ですか?」
 どっと笑いが起きる。周りの注目を浴び、それでも笑いは止まず、笑いすぎたのだろう、サガミが紅潮した顔で答える。
「違うよ、平だよ。面白いね、宮前さんって」
 コップの水に口をつけ、また吹きだす。
「……各部隊に配属って……。新隊員訓練期間は終了しているってことですよね?」
 サガミが柔和に答える。
「ああ、そうだよね。自衛隊のことを知りたいから来たんだよね。幹部は幹部でコースが違うんだ。幹部になるための試験を受け、訓練を受けなきゃいけない。私達は新隊員の基本を学び、ようやく一隊員として訓練を始めたって段階。幹部ではないよ」
「……そう、ですか」ほっとした。知らずに偉い人と話していたら真っ青ものだ。
 サガミが付け加える。
「幹部は三年ごとに異動があるから大変だと思うよ。よく知らないけれど、新しい環境に慣れるだけでも一苦労なのに異動先の地形や訓練方法を覚えなきゃいけないらしいし、幹部として隊員を指揮しなきゃいけないから重圧も相当だろうね。……いつかは推薦してもらって幹部コースの試験を受けたいと思っていたけれどそれを聞いたら一生平隊員でもいいかな、なんて思うよ」
「三年に一回って、きついですね」
 サガミが頷く。
「きついと思うよ。だからかな。ここだけの話、……上官による不祥事や虐めも耳にするんだ」
 オサダが横から説明をする。
「先輩に無理難題言われた話も聞く。自殺する奴が毎年何人かいるらしい。公になっているよりもっと多いんじゃないかな」
 サガミが渋面を作る。
 それなら俺も毎日鬼教官に虐められています、と言おうとして、止めた。どうも自分が思っている以上に深刻な話らしい。
 サガミがばつが悪そうに謝る。
「……不安にさせてしまったね。私も彼らも配属されて間もないからいつ自分の身に降りかかるか心配で……。もちろん、私は虐められてはいないし、周りはいい先輩上司ばかりだよ。でも、気を遣うのは確かだね」
「……はい……」としか答えようがない。
「自衛隊は怖いところじゃないよ。修了テストの合否がどうと言わず、希望するなら来てよ。自衛隊はいつでも歓迎するよ」
 サガミは穏やかに笑い、マエハラとオサダも笑顔で頷く。
「……ありがとうございます」
 高木と二人で礼を言い、その場を離れた。
 違うテーブルで訓練生と話をしていた祐一と合流し、テントの外で先ほどの会話について語り合う。話せば話すほど気が重くなる。
 宮前は意気消沈、ため息混じりにこぼす。
「……おれ、自衛隊は止めておこうかな。虐められそうな気がする」
「宮前は上司受け悪そうだもんなぁ」と高木は否定せず、祐一は「文句が多いんだよ」とダメ出しする。
「お前らはどうなんだよ」
「ぼくは宮前みたいに目立つ方じゃない。ブラック企業で耐えてきたし、上司が酔っ払った時はいつも介抱していたから上司受けは悪くないと思う」
「俺は剣道で師匠の荷物持ちや送り迎えをしていた。上下関係には慣れているから上司との関係はクリアできるかな」
「へんっ。余裕かましている奴に限って虐められるんだ」
 宮前は負け惜しみを吐き、「ああ、考えるの、ばからしくなってきた。もう寝る。明日も早いし。おやすみっ」と一人コンテナに戻る。
 明日の準備をすませ、寝袋を広げ潜り込む。
 悩む前に寝る。一晩経ったらさっぱり忘れる。これが特技だ。ぐだぐだ考えるのは苦手だ。

 *

 アメリカ軍、自衛隊、アース訓練生による合同訓練一日目が始まる。
 全員に番号が配られる。EはEarthのE、自衛隊はJapanのJ、アメリカ軍はUnited States of AmericaのAが頭文字に付く。これからは全て番号で呼ばれる。『死亡』しても番号だ。
 宮前はE一六だった。
 ──……ちっぽけだな。
 テープが剥がれたら自分の存在も無くなる気がして、番号が書かれた白いテープが剥がれないように何度も撫でつける。
 合同訓練は盛大な祭りのようだった。
 肌を焼く陽射しの中、岩や石が隆起する広大な砂地に五人がかりで対戦車ミサイルを運び、決められた場所に設置する。耳を塞ぎ低く構え、目標物のジープめがけ砲撃する。空を穿つ爆音とともに土柱が高く上がり、地響きが足裏に伝わる。黒い煙が空を覆い、焦げた臭いが充満する。車は鉄屑と化し、白い砂地に黒いシミを作った。
 車を木端微塵にするミサイルの威力に興奮すると同時、人が乗っていたら……と思うと背筋が寒くなった。
 地対空ミサイルを肩に担ぎ遮蔽物へ移動し、空を疾走する飛行体めがけ発射する。衝撃が腹を突き抜け足底が痺れる。砲弾が空高く目標物に向かい吸い込まれ、命中する。巨大な火花が散り残骸が黒い尾を引き落下する。もうもうと昇る煙が空を黒く塗りかえる。
 ロケット弾の破壊力が己の体に乗り移ったような、指一本動かせば戦車であろうと戦闘機であろうと破壊できる万能感に胸が躍り、大きく息を吸い込んだ。
 自衛隊員が草や葉っぱでできたマントを頭から被り、何十台ものバイクで岩や石をすり抜け、塀のように隆起した障害物を小鹿のように飛び越え、荒地を疾駆する。横一列からV字型へ、波状から円形へ隊形を変化させ、接触しそうな程の距離で交差し円を縮めていく。敵を追尾し、取り囲み、身柄を確保する訓練だという。
 十台以上の戦車や装甲車が地響きをあげ土煙を上げながら大地を走り、戦闘ヘリが地上すれすれを飛び空に舞い上がる様は壮観としか言いようがなく、自分達が日頃やっている訓練とはスケールが違いすぎた。
 岩陰や地面に這いつくばり銃を手に頑張っても砲弾を一発浴びれば終わりだ。今までやってきた訓練が急に馬鹿らしくなり、敗北感に包まれる。戦闘服を着、兵士を気取っていた自分が惨めで、ここにいること自体が場違いに思える。苦いもので胸がいっぱいになる。
 巨大な夕陽が砂地を赤く染める。まだ訓練一日目が終わったばかり。
 ……早く帰りたかった。

 合同訓練二日目は市街地での活動を想定した訓練だった。
 頭、胴、両腕、両足の六か所にセンサーを取り付けたセンサーが敵の銃口から発するレーザーを感知すれば警告音が鳴り、左胸に着けた装置に銃撃を受けた個所と『死亡』、『重傷』を判定するランプが点く。情報は戦場から数百メートル離れた司令部に伝わり、指揮官は送られてきた判定と隊員が付けたGPSで隊員の配置や死傷状況を把握する。
 アメリカ軍、自衛隊、そしてアースも同様の装置を付け、訓練を行った。
 市街地に入り不審物、不審人物がいないか街中をパトロールする訓練、建物内に敵が潜伏していないか一軒一軒捜索する訓練、敵の占拠地を包囲し制圧する銃撃戦等が一日がかりで行われた。暴徒化した市民数十人を鎮圧する訓練も行われ、想定ごとに部隊ごとの役割、部隊同士の連携を確認した。
 一日目のようなヘリを飛ばし戦車を走らせる派手な訓練はなく、銃や榴弾等の小火器を主とした人対人の戦闘を想定した訓練だった。
 住民と敵が混在する市街地では大砲やミサイルのような破壊力がある武器は使えず、最も重要なのは兵士同士の連携プレーであり、銃などの小火器であると実感した。そしてそれは訓練生として五ヶ月間、幾度も体に叩きこまれてきたことだった。
 昨日の雪辱戦とばかりに宮前は走っては撃ち、遮蔽物から遮蔽物へ移動しては撃った。

 市街地を模した訓練場のあちこちで銃撃音が響く。
 ──興奮するわねー。私もやりたくなってきた。
 イーシンは武者震いし、お尻を動かす。モニターに映る訓練生達が真剣そのもので銃を撃つ姿にうっとりしてしまう。
 ──うちの子達、頑張ってるじゃない。カメラ映りもいいわぁ。ほれぼれしちゃう。
 アメリカ軍と自衛隊に交じり、必死に食らいついている。遠目で見る限り、遜色がないように思えた。
 ガイラックが同じようにモニターを覗きながら言う。
「アースさんがあんまり謙遜されるので本気にしてしまいました。アースの訓練生達はいい動きをしている。士気といい、練度といい、なかなかのものだ」
 イーシンは素直に喜んだ。
「ありがとうございます。アメリカ軍兵士もベテラン兵士と見分けがつかないほどいい動きをしていますわ。本当に新兵なのか疑ってしまうくらい」
 ガイラックは笑顔なく答える。
「訓練には在軍期間が長い者もいますがシミュレーションは入隊六ヶ月未満の兵士を使います。こちらが無理を言ってアースさんのシミュレーションに加わるのですから約束は守ります。……しかし、不公平ですな。アメリカ軍は敵の占拠地を制圧する危険な任務だ。アースさんがここまで動けるならもっと重要な役割を与えてもよかった」
 イーシンはきっと睨みガイラックを牽制する。ガイラックは不機嫌そのもので否定する。
「今更、設定は変えませんよ」
 ガイラックは再びモニターに目を遣る。悠然と構えているふりをしても本心は違うところにあるようだ。その証拠に、ガイラックの目の下に皺が何本も寄り、時々目尻がひくりと動く。こんなはずではなかったと悔しがっているように見える。
 ──……人を騙そうとするからよ。せいぜい己の愚かさを反省しなさい。
 両手を組み「うーん」と大きく背伸びしたいくらい気分がいい。
 ガイラックはイーシンをちらりと見、恨みがましく言う。
「約束は約束です。アースさんは遠慮なくボルダー教官でしたかな、一人と言わず二人でも三人でもベテラン兵士を投入して下さい」
 ガイラックの言い方にカチンとくる。爪を立てガイラックの顔面をストライプにする図を想像しながら、笑顔で応じる。
「では、お言葉に甘えて……、と言いたいところですが、最終案通りにシミュレーションが行われるなら一人で十分ですわ」
「もちろん、嘘はつきませんよ」
 ガイラックはゆったりと笑み、それがいかにも悔しげで、イーシンは声を上げ笑った。
 そして二日目の合同訓練が終了し、明日のシミュレーションを残すのみとなった。

 おっさんや教官達が宿泊するコンテナでミーティングが行われる。
 教官のコンテナも訓練生が泊まるコンテナと広さや設備は同じ、特別待遇はされていないようだ。寝袋を取り払われたレジャーシートに訓練生が詰めて座る。座れない者は空きスペースに立ち、それぞれ自分のスペースを確保し、丸椅子に腰かけるおっさんに注目する。おっさんの傍ら、鬼教官を先頭に教官達が壁際に並んで立つ。宮前は後ろの席に座った。
 背中に柔らかい物が触れる。頭の上、コンテナを横切るように吊るしたロープに白いシーツが一枚かかり、今は壁際に寄せられている。間仕切りのつもりらしい。
「聞いた? 教官達全員一緒の部屋だって」とは高木の情報。
 ──……ああ、だからか。鬼教官も人の子だったんだな。男と同室なんて恥ずかしいよな。教官達だっていたたまれないに決まってる。個室にしてやれば良かったのに……。
 間仕切り用ロープの後ろ、訓練生が座る二つのレジャーシートが目にとまり、ぎょっとする。
 ──二つ? 二つってことは、一つは鬼教官で、もう一つは……、おっさん?
 仕切られた空間はどう見ても、二人分。簡易ベッドになるレジャーシートも二人分。同じ部屋の区切られた空間におっさんと鬼教官が二人……。どういう関係なんだ? おっさんは男なのか、女なのか……。それとも二人はそういう関係なのか……。
「修了テストに受かったら教えてあげる」
 おっさんは秘密を教えてくれなかった。俺がテストを受からないと思っての発言か、それとも発奮させるつもりで言ったのかは分からない。
 どちらにしろ『秘密は俺の修了テストの出来いかん』という答えに「どっちだって?」、「社長はなんて言ったの?」と群がる奴らに「……教えてくれなかった。秘密だって」としらを切り通すしかなかった。「俺のテスト次第だって」などと馬鹿正直に言おうものなら、「宮前ならできる」、「頑張れ」、「絶対受かれよ」と皆からプレッシャーをかけられまくるに決まっている。そんなのごめんだ。
 明日のシミュレーションも気になるが、こっちも気になる。祐一は前の席に座り、ここからは祐一のうなじしか見えない。
 想いを寄せている教官が他の男と同じ仕切り内で寝泊まりして平気なはずがない。
 ──……後で慰めてやろう。
 と心に決めた。
「みなさん、二日間お疲れ様! 明日はいよいよシミュレーション、修了テストです。テストで判断されるのは新隊員としての体力、技能、知識。一定水準身に付いているか見るためのもので振り落とすためのものじゃないからテスト結果が悪くても気にしないでね。皆さんは映画のヒーローになったつもりで存分に暴れてくれたらいいの。今日は体調崩さないように早く寝て下さいね」
 部活の遠征に来た中坊にでも言うような軽いノリだ。やる気も緊張感も吸い取られ、体がぐにゃぐにゃになる。
「明日は晴れるといいわねぇ」
 ミーティング終了の雰囲気が漂う頃、おっさんは世間話をするように「今日の訓練が役に立つわよ」とぽろりと漏らす。
「イーシンッ」鬼教官が怒鳴る。宮前は震えあがり、訓練生達も縮みあがる。
「情報は一切与えないルールだっ」
「内容を話したわけじゃないんだからいいじゃない。当日、古だぬ、いいえ、アメリカ軍幹部から作戦の概要は説明されるし、市街地に入ったら誰でも察しがつくわよ。……うちの上司はお堅いわねえ。ねぇ……」
 前に座る訓練生に同意を求めても、鬼教官は拳を握りしめ、おっさんを睨みつけている。立場が弱い訓練生は縮こまるしかない。俺じゃなくてよかった、とつくづく思った。こんなこともあろうかとおっさんから離れて座ったのだ。
 他の教官達も訓練生も戦々恐々としているのに、おっさんは鼻歌でも歌い出しそうな表情であらぬ方向を向いている。
 ──……市街地戦、か。……それなら、なんとかなるかな。
 一日目のようなテストをやらされたら自信がない。市街地戦なら訓練施設でもさんざんしてきた。今日やったことと大差ないならできそうな気がする。
「質問があります」
 手を上げたのは祐一だ。祐一は明日のシミュレーションが気になって仕方がない様子で説明を聞き漏らすまいと優等生の鏡のようにおっさんのすぐ斜め前に座っている。
「テストは市街地戦、ということですよね? 以前、シミュレーションはエキストラを雇い、セットにも力を入れ、映画さながらにすると説明されていました」
 鬼教官がおっさんを睨みつける。一度、おっさんが情けない顔で鬼教官を見上げる。
「……よく、覚えているわね……」
「市街地戦でエキストラもいるということは、敵役と住民役がいるということでしょうか?」
「もちろん、そうなるわね」
 祐一が自信なさ気に質問する。
「……どうやって、敵役と住民役を見極めればいいのですか? ……訓練ではその、時々の判断で、つまり主観で行っていたので、……もっと正確に判断できるコツのようなものがあれば教えて下さい」
 おっさんは余裕を取り戻した表情で足を組み、説明する。
「敵と住民を見分ける方法、ねぇ。あればノーベル平和賞ものかもね。警告しても両手をあげない、地面に伏せない人間は撃ちなさい。明らかに害がないと判断した者は、……そうね、乳幼児は攻撃対象から外していいわ。迷う暇があったら指を動かせばいいの。バンッバンッ、ってね」
「ですが、住民を誤射したら罰則がありますよね?」
 おっさんがにっこり笑う。
「ないない。修了テストでは新隊員としての素質を見るから、テスト中は自衛隊員と同等に扱われるの。日本には自衛隊員が海外で民間人を射殺した場合裁く法はない。つまり自衛隊員と同じ、現地住民を誤射しようと罪にならないの。ほんの少し、国のイメージが悪くなるだけ。地位協定を結んでいない地域ならその国の法律で裁かれることになるけれど、それも日本政府が刑を軽減するよう地元政府と交渉してくれるんじゃないかしら」と無責任なことを言う。
 おっさんが聞き返す。
「住民と武装勢力、どこが違うと思う? 髪の色、肌の色、服装、背格好……。年齢は子どもから大人まで、男も女も関係なく、同じ民族同士、血縁関係がある者同士で戦っていたりするの。武器だって生活のため家族を守るため一般人でも四丁、五丁は普通に持っている。女性でも自殺用に手榴弾を身に着けている。敵は警戒されないように笑いながら近づいてくるのよ。見分けがつくと思う?」
「……いえ……」
「貴方一人の命じゃないの。仲間の命、貴方の近くにいる者の命が犠牲になるの。貴方の優しさ、じゃないわね、甘さが仲間を死に追いやるの。疑わしい住民一人や二人をかばって数十人の味方を失うかもしれないの。……それでも迷う?」
 祐一は答えない。おっさんは長い息を吐く。
「うちの最新式のゲームやってる? あれ、高かったから使ってね。住民殺して減点になってもゲームオーバーにはならない。それと同じ。住民を誤射しても上官から叱責を食らうぐらい、死んだら文句も言えないわ。もし敵に捕まったら楽になんて殺してくれないわよ。手足を切断されるか、生きたまま火炙りか、斬首か……。
 敵はこちらが民間人は撃てないだろうと踏んでわざわざ住民のいる市街地で戦闘するの。住民に紛れ込み、住民のふりをして近づいてくるのよ。トラックに爆弾積み込んで突っ込んでくるような奴らなのよ。正攻法で勝てる相手じゃないの。こっちもそれ相応、汚れる覚悟でいかなきゃ。頭動かすより体を動かす。そのために五ヶ月以上厳しい訓練をしてきたんじゃないの」
 コンテナ内に沈黙が漂う。おっさんは驚いたように組んだ足を下ろし両手を広げる。
「あちらは国際法規なんて頭にもない、異教徒なんて虫けら以下にしか思っていないの。殺せば聖戦、殺して死ねば殉教者、神に祝福され神の世界にいけるなら自爆でも放火でも誘拐でも強姦でも平気。六歳や八歳の少女に爆弾巻きつけて送り込むような奴らなのよ。こっちもゴキブリと思っておけばいいの。いたら叩くでしょう? 大きかろうが小さかろうが撃っとけばいいのよ」
 おっさんが熱弁をふるえばふるうほど覇気が失せる。祐一は深く俯き、宮前はいたたまれなくなり、教官達は難しい顔で訓練生達を見ている。
「ちょっと、ここまで来てなんなの? 冗談でしょう? 訓練でやってきたことをすればいいだけじゃないの」
 おっさんの甲高い声が虚しくこだまする。
「……私も、テストに参加する。判断に迷う場面があれば私が指示を出す。その結果生じた責任は全て私が負う。……それでいいか?」
 口を開いたのは、鬼教官だった。
 宮前は驚き、他の教官達も知らなかったようで訓練生同様にざわつき、一斉に注視する。
 おっさんは気が進まない様子で説明する。
「シミュレーションの設定を決める段階で不手際があってね。ウェインをアドバイザー役としてテストに入れることにしたの。……でもね、ウェインはあくまでサポート。貴方達のテストであり、貴方達が主役なの。ウェイン一人で貴方達全員の面倒は見られないの。弾がどこから飛んでくるか分からない戦闘中よ? 貴方達が自分で判断して動かないと。ウェインの指示を待っていたら全滅、全員死ぬの。分かる?」
 訓練生が戸惑いと安堵が入り混じった声で返事をする。おっさんは座り直し、姿勢を正す。
「……月並みだけど言わせてもらうわ。余計なことは考えなくていい。全力で戦いなさい」
 戸惑いを含んだ返事が不揃いに聞こえ、鬼教官が発破をかける。
「なんだその気が抜けた返事は! 明日、お前らは戦場に行くんだ。一切弱音を吐くな、死ぬ気で戦え。分かったかっ」
「はいっ」
 訓練生の声がコンテナ内に反響した。

 月が明るい。黒に近い紺色の空に無数の星がきらめく。一つ、二つ、彼方へ流れていった。
 コンテナがひっそりと立ち並び、月に照らされた砂利道を影が二つ、離れて歩く。全員コンテナに戻ったのだろう、人気はない。
 勝手にうろついて、……見つかったら腕立て伏せではすまない。
 解散した後、祐一は部屋とは逆方向へ歩き、宮前は黙って後を追った。
 一人になりたいのかもしれないけれど、肩を落とし歩く祐一をほうっておけず、宮前はとぼとぼとついて歩く。
 砂利道を抜け、砂地に足を踏み入れる。白く輝く砂に濃い影が現れる。
 祐一は立ち止まり、己の影を見ていた。冷えた風が吹いても微動だにしない。ぽつりと言った。
「……やるよ。……精一杯。……みんなのために……」

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