第6話

文字数 15,928文字

 イーシンとウェインは打ち合わせ場所となるホテルに入った。
 十八階のフロアで既にアース本社社長ロバート・ロッシュとアメリカ陸軍中将ジルトン・ガイラック、それに自衛隊陸将鈴木浩太が談笑していた。
「やあ、イーシン、元気そうじゃないか?」
 先に声をかけたのはアース本社社長ロバートだった。
「社長もお元気そうで何よりです。皆さん、お早いご到着で」
「ホテル最上階のレストランでコーヒーを飲んでいたんだ。イーシンも早く来れば一緒にできたのに」
「いえ、私は。お気遣いありがとうございます」
 イーシンはアメリカ軍幹部と自衛隊幹部に面識がある。一度、会議もしている。ウェインは今回が初めて、イーシンは打ち合わせ出席者にウェインを紹介した。
「彼女はウェイン・ボルダーです。アース日本支社の指導責任者で、訓練生の特性や訓練の状況を熟知しています」
「アース日本支社の指導責任者を務めているウェイン・ボルダーです。よろしくお願いします」
 ウェインは微笑むように唇の両端をわずかにあげ自己紹介した。
 ──わぁ、良くできました。
 イーシンは心の中で拍手した。車の中でサンドイッチをかじっている間も不機嫌そのものだった。こうやって一同の前で微笑みらしきものを浮かべ、口元を隠したら完全に無表情だ、挨拶できただけでも褒めちぎってやりたい。
 ウェインが一人一人に握手をする傍らで、なぜか本社社長のロバートだけが時間が停止したように固まっている。ウェインがロバートの前に立ち「お久しぶりです。よろしくお願いします」と挨拶した瞬間、ロバートはスイッチが入ったように体を反らした。
「ウェイン? ミズ・ウェイン・ボルダーか? ……いやあ、これは驚いた。同姓同名の別人かと思ったよ。いやはや、これは美しい。光の天使が舞い降りたようだ」
 水色の瞳を熱く燃やし、フロア中に響く声で背中がむずがゆくなるセリフを吐く社長にイーシンは眩暈を覚えた。
 ──……蒸し返さないで。また機嫌が悪くなったらどうするの。 
 ウェインは無表情をきめこんでいるらしく、社長には敬礼の姿勢を取る。
「その美しい姿に無粋な敬礼は似合わない。どうかロバートと呼んでくれ。私もウェインと呼ばせてほしい」
 ロバートは体中に歓迎の色を湛え、たっぷりの笑顔で手を出す。怒りを押し殺しているのだろう、ウェインはわずかに目を細め、唇を引き結び握手に応じる。
 それがロバートには媚びない強さと映るのか、ますます上機嫌で握ったウェインの手をいつまでも離さず口説き始める。
「いやあ、それにしても美しい。跪きたくなるほどだ。会議の後、ぜひともディナーを一緒にしてほしい」
 ウェインがいつ怒り出すか分からない。イーシンはキリキリ痛む胃を抱え、社長とウェインの間に割り込む。
「社長、アメリカ軍の方と自衛隊の方とのお話は終わったんですか? さっき何かお話していましたでしょう?」
 ロバートは不満そうにウェインから手を離す。
「多大なる支援を受けているんだ、もちろん心から感謝の気持ちを伝えたよ。金品は受け取れないそうだから、感謝の気持ちをなにも表せないのは辛すぎる、せめてコーヒーの一杯でもおごらせてほしいとお願いしたんだ。一時間足らずの短い時間だが素晴らしいひと時を過ごさせてもらったよ。アースとアメリカ軍との繋がりはますます強固なものになる。自衛隊の方々も誠実で信頼できる。我がアース訓練生が自衛隊で働けることを私は心から光栄に感じたよ」
 ロバートはいかにも紳士風に笑い、
「今夜、私は一人でこのホテルに泊まるんだ。一人でのディナーは味気ない。ぜひともイーシンとウェイン二人に付き合ってほしい」と言う。
 イーシンはロバートに負けないくらいにこやかに、
「とても光栄なお誘いですが、私もウェインも明日の朝までには寮に戻りたいのでディナーは他の方達で」と辞退した。
「一泊して行けばいい。二部屋、別に取ろう」
「いえ、本当に今日中にここを出発しないと。社長と指導責任者二人が寮を空けるのは好ましくありませんの」
 額が汗ばむのを感じながらイーシンは抵抗した。ロバートの魂胆は分かっている。ウェインとディナーをした後も個人的に関わりたいのだ。あわよくばウェインとベッドの中で夜明けを迎えたいと思っているに違いない。
 蜂蜜色の髪、アクアマリンの瞳、人懐っこい笑顔に鍛え抜かれた体、世界中に支社を持ち、莫大な財産を有し、五十歳に届く年齢を感じさせない活力溢れる独身男性とくれば女がほっておくはずかない。
 実際、女性遍歴は派手だった。美しい女性を見れば見境なく相手がなびくまで情熱と誠意と財力、知力、忍耐力全てを使い口説き落とすのだ。もちろん本人は至って真剣、悪気など微塵もなく、女性にとっても社会的地位が高い男に猛アピールされて悪い気はしないのだろう、射止めた女性は数知れず、しかしいずれは冷める恋、結婚離婚を繰り返していた。
 両者の合意があるなら口を出すつもりはないが、相手がウェインとなると話は別だ。ウェインは自分が女だという自覚に欠けている。
「兵士はいついかなる時も臨戦態勢に入れる状態でいなければならない」と食事、風呂、洗濯、靴磨き、ベッドメイキング、身支度……、全ての作業を二十分以内に終わらせる。そんな生活を十数年以上続けていると、男だ、女だと構わなくなるのかもしれない。
 ウェインが初めて寮に来た日、
「どう? 素敵なゲストルームでしょう? ダブルベッドに、液晶テレビ、ソファにバスルーム、日用品も全て揃っているわ。当分お客様が来る予定はないから貴方はここを使ってね」と勧めたにも関わらず、命令ではなく許可と受け取ったのか、男連中と相部屋で寝食を共にした。風呂場でウェインと鉢合わせた時はイーシンの方が絶叫した。
 婉曲に言ったのが間違いだった。イーシンは荷物とベッドを社長室に押し込みパーティションで区切り、監視を兼ねて社長室隣の個室をウェインに明け渡した。社長命令としてゲストルームのシャワーを使うことも義務付けた。
「私だけゲストルームのシャワーを使うのは不公平です」としつこく渋っていたくらいだ、男女の駆け引きなどしたことがないだろう。兵士として優秀でも女性になりきれていない思春期前の少女、否、少年(ガキ)なのだ。
 ──女が男風呂に入るなんて信じられない。私でさえ時間をずらして入っているのに。……裸、見られちゃった。
 思い出せば、辛くなる。
「なら、イーシンは帰ってウェインだけでも私とディナーを付き合ってほしい」
 まだ食い下がるロバートに、イーシンはウェインの腕をつかみ宣言した。
「絶対に、ウェインは連れて帰ります」
 ウェインは訝しげにイーシンを見下ろし、ウェインの方がイーシンより身長が頭半分高い、ロバートはイーシンの剣幕に負けたというふうに眉をひょいとあげた。
「では、限られた貴重な時間を共に過ごそう」と意味深な言葉を発する。
「帰らないんですか?」
 イーシンは素で聞いた。
 ロバートが少し困ったような、照れたような笑みを浮かべ、額をさする。
「『シミュレーションの打ち合わせに是非参加して下さい』とアメリカ軍中将に誘われてね。私は『日本支社のことはリー社長に任せています』と断ったんだが『そう言わず、ぜひとも参加して下さい』と言うから同席させてもらうことにしたんだ」
「……今からでも断られたらどうですか。時間かかりますよ?」
「そう思っていたんだが、特別急ぐ仕事もない。同席させてもらうよ」
 効率を重視するロバートがあっさり引き下がるなんて、……怪しい。ウェインに会って気を変えたに違いない。とはいえ、会議中に手は出せないだろうから座っているだけならいいか、と黙認した。

 アース本社社長、アメリカ軍幹部、自衛隊幹部、通訳、事務官……、関係者がぞろぞろとビジネスルームへ入る間もイーシンはウェインの腕を離さず、壁際で立つ。
 ウェインはここでは一番立場が低いと自覚しているのだろう、当然のように幹部達が着席するまで動こうとしない。イーシンがいつまでも自分の腕をつかんで立っているのが不思議なようで、座ったらどうだと言いたげに二度、三度、円卓の方へ視線を送る。
 イーシンはウェインの視線を無視し、ロバートが円卓に着くのを見届けてからウェインを自分の隣に座らせた。もちろんイーシンが真ん中である。
 ロバートがイーシンの体ごし、ウェインに熱い視線を投げてもイーシンは書類を広げブロックした。ウェインは全く気付いていない様子で至極真剣に配られた書類に目を通している。
 日本で会社を起ち上げる頃からの付き合いだ。友人でなくとも同僚としての情はある。小憎たらしいところは数えきれないけれど盛りがついた犬から遠ざけてやるくらいはしてもいい。並んで歩いている同僚がウ〇コ踏みそうになったら腕をひいてやるのと同じだ。
 イーシンはロバートの視線を遮るように腕を伸ばし書類を広げた。

 アメリカ軍幹部二名、自衛隊幹部二名、そしてアース本社社長、イーシン、ウェインが円卓を囲み、シミュレーションの打ち合わせが始まる。
 アメリカ軍中将ガイラックが進行役を務める。
「……それでは、自己紹介が終わったところで、何か質問がある方はいませんか」
 イーシンはすかさず挙手した。
「この計画案、間違っていますわ。私が前回提出した物と違います」
 イーシンが指摘した書類にはシミュレーションの概要が書かれていた。打ち合わせは概要を元に細部を詰めていく作業をする。その元になる概要自体が間違っているのだ。
 自衛隊幹部二人は書類を手に顔を近づけ話し合い、ロバートは老眼が入ってきたのだろう、書類を遠ざけ、ウェインは黙する。
 ガイラックが良く通る声で答える。
「リー社長から受け取った書類にはいくつか問題点がありました。そのため修正させていただきました」
 イーシンの頬がぴくりと引きつる。
「……修正したって、全くの別物になっておりますが?」
 ガイラックは平然と答える。
「はい。リー社長の計画案では、アース訓練生が自衛隊員と共に現地住民に食料品などの支援物資を配給中、武装勢力の攻撃を受け、銃で抗戦。自衛隊とアメリカ軍が駆けつけ応戦する中、アース訓練生は撤退する、となっていました。そしてアース訓練生は建物や岩場の陰から現れたテロリストを次々と射殺し隣国へ逃げ延びる、まるで映画の粗筋です。あまりにも現実離れしています」
 イーシンは両サイド、ロバートとウェインから突き刺さるような視線を受け、大きく咳払いした。
「アース訓練生は敵と交戦することを想定しておりませんの。あくまで後方支援を行う自衛隊のサポートです。活動地域が戦闘状態になれば逃げていいということになっておりますわ」
「しかしですね」
 ガイラックは苦笑混じりに答える。
「目の前で戦闘が勃発し、助けに来た味方が応戦している状況で、任務外だからと自分だけ逃げだすのは、……常識的に考えてどうでしょう? 無理に味方陣営から離れ撤退しようとすれば敵の集中砲火を浴びる危険性もあります。そちらの方がどう考えても非現実的だと思うのですが」
「我が社アースに敵前逃亡する社員はいません」
 力を込め断言したのはアメリカ本社社長ロバートだ。
 ──それはアース社員のことでしょうっ。こっちは訓練生、一緒にしないでちょうだいっ。
 イーシンは目をひん剥く。呼吸を整え、指先で前髪を直す。
「お言葉を返すようですが、実質五ヶ月の軍事訓練しか受けていない者を、それも小銃や手榴弾が使える程度で実戦経験もない者に、自衛隊やアメリカ軍の方と共に戦闘に加われというのは酷じゃありませんこと? 今回のシミュレーションは我が社の修了テストです。テストのでき如何でプロジェクトが継続されるか、中断されるかが決まるんです。社運を賭けた大事なテストなんです。シミュレーションは我が社主導でやらせていただきたいわ」
 ガイラックも負けていない。
「事情は分かりますが、相応の資金と兵員をお貸しするわけですからこちらの意向も酌んでいただきたい。近い将来、自衛隊とアメリカ軍、もしくは自衛隊と他国軍が世界規模で軍事的な共同作戦にあたる時に、その同盟国軍の中にサポート役としてアースさんも加わるわけでしょう」
「プロジェクトが上手くいけばっ、ですけどっ」
 イーシンが険もほろろに言い返す。
 ガイラックは頷き、続ける。
「その時に三者が足並みを揃えなければ任務を達成することは難しい。アースさんが活動される場所は我々アメリカ陸軍と陸上自衛隊同様、陸地でしょう? ならば、武装勢力やテロリストと抗戦する場所は市街地がほとんどです。市街地は一般市民とテロリストが混在しています。戦歴のある我々でさえ一般市民とテロリストを見分けるのは難しい。ですから高度な技術を要する設定にはしません。重要なのは一度も戦地に行ったことがない兵士達に戦場を体感してもらい、本番でパニックにならないよう戦場に慣れてもらうことです。自衛隊も戦場を体験するつもりでこのシミュレーションに参加するのです」
 イーシンは冷静になろうと髪の生え際を五本の指で揉む。
 ──……この前の会議ではこんな話、出ていなかったわよ。
 書類を読むふりをしながら自衛隊幹部二名を観察する。書類に視線を落とし、反論する様子がない。
 ──私のいない所で談合していたってこと? 三人で一緒にコーヒーを飲んだって言ってたわね。打ち合わせに急遽同席するのも不自然だし。まさか、ロバートも共犯? 
 隣で他人事のように椅子に深く腰かけ、ぼんやりと書類を眺めているロバートを観察する。眠気をかみ殺すように眉間に皺を寄せ、口をぎゅっと閉じている。この態度も実は演技で、裏で示し合わせていたとか? 
 すり変えられたシミュレーションにロバートが深く考えず賛同しても本人は背信行為とは思わないだろう。訓練生のことも訓練の状況も知らない。自分が常に自信を持って派遣している数々の精鋭を基準に判断を下してもおかしくはない。軍幹部達にアース民間兵の活躍を自慢していたら、ガイラックが無理難題を通すのに“好都合”と会議に招いたとも考えられる。
 ──ああ、違う、今はこんなことどうでもいいわ。とにかくこのピンチを切り抜けなくちゃ。
 イーシンの心中を察してかどうか、ガイラックが言う。
「安心して下さい。シミュレーションに参加するのは新兵のみです。アメリカ軍も自衛隊も条件は同じです。我々が立てた計画案のように現実に即した設定で訓練するべきではありませんか? そのための模擬訓練なのですから」
 即座にイーシンは否定する。
「環境も条件も違いますわ。我が社は人材派遣が主であり、戦闘員を養成しだしたのはこの五年足らず。何もない状態から訓練場用に広大な土地を買い取り、武器購入が厳しい日本で煩雑な手続きをしようやく装備品を買い揃え、元民間兵や軍隊経験者を集め、彼らの知識と経験を元に訓練計画を独自に作成したんです。
 人材育成は初めてという教官達の下、銃を見たことも触ったこともない訓練生達を六ヶ月足らずという短期間で、厳しい制約を守りながら一定レベルの自己防衛力を身に着けさせようと日々模索しながら訓練しているんです。
 統率された組織の下、装備設備共に充実した環境で一貫した訓練計画によって鍛え抜かれ、世界トップレベルの軍事力を維持してきたあなた方軍隊と同等に考えられては困ります。
 それに、現実に即した訓練をと言いますけど、この計画案では中東が舞台になっていますよね? テロリストが日本大使館を占拠したという設定ならともかく、海外での活動中に戦闘状態になればその時点で『部隊長の判断で活動を中断、もしくは撤退させる』のは自衛隊さんも同じでしょう? 首相も防衛大臣も国会でそう答弁していましたわよ。
 敵の奇襲を受け他国軍とともに応戦するまでは集団的自衛権の範囲内でしょうけど、更に敵の潜伏地に乗り込んで制圧するというのは自衛の範囲を超えているのではありません? そこはどうお考えかしら?」
 自衛隊陸将鈴木浩太が挙手し、重い口を開く。
「どこまでが自衛でどこまでが攻撃だと区別するのは難しいと考えます。交戦中に敵からの攻撃が途絶えたからと軽々に撤退すれば敵から攻撃を加えられる危険性があり、また我々が撤退することで味方軍が窮地に立たされることもあります。起こりうる状況を想定し訓練しておかなければ、万一その状況に陥った場合対処できません。今回の訓練は意味があると思います」
 イーシンはせせら笑った。
「戦場では何が起こるか分かりませんものね? 国の方針に反しても敵の拠点を制圧する訓練が必要ならどうぞ貴方方でなさって下さい。けれど、アースは活動地域が戦闘状態になれば遠慮なく現場の判断で撤退させていただきます。それが防衛省とのお約束ですから。断っておきますが、我が日本支社アースの目的はアース訓練生を将来自衛隊員として受け入れてもらうこと。そのために訓練生は自衛隊員としての体力、技能、知識を身につけるべく日々励んでいますの。敵を壊滅する能力は要求されていません。彼らは訓練生、アース社員ではありません。アース本来の業務とは切り離して考えていただきたいわ。
 このシミュレーションは明らかに行き過ぎです。我が社の修了テストにはふさわしくありません。誰の指示で我が社の意向を無視し、市街地戦のシミュレーションに変更したのか、どういった意図で世界トップレベルのアメリカ軍と自衛隊ともあろうものが一民間企業である我が社の修了テストに自軍兵士をねじ込むのか、是非お聞かせ願いたいわ」
 資料を机に投げる。
「まあまあ、そう目くじらを立てずとも」
 ガイラックが鷹揚に笑う。
 ──あんたに聞いているのよ、この古狸っ。
 ガイラックの悠然とした態度が癇に障る。毒をたっぷり含んだ口調で問いかける。
「……アメリカさんからは兵士だけでなく多額の費用も負担していただいていますわね。これはアメリカ側が仕組んだことと捉えてもよろしいのかしら?」
「仕組んだとは酷い誤解です。神に誓って偽りはありません。私はただ有意義な訓練にしたいと切に望んでいるだけです」
 ──ぬけぬけと。その口縫いつけてあげましょうか。
 イーシンは引きつった顔が隠れるよう頬に手を添え、笑う。
「あら、言い方がまずかったかしら。日本語って難しいわ」
 ガイラックもつられたように笑うから血管が切れそうだった。
 自衛隊幹部鈴木は沈鬱な表情で手を上げる。
「……我々は憲法と法令に基づき行動します。我が隊が貴社のシミュレーションに自衛隊を動員するというのは幹部だけでは決められないことです。……私からはこれ以上は申し上げられません。どうか、お察しいただきたい」
 ──……日本政府も容認している、ってことね。うちのプロジェクトの邪魔をしているんだから補助金を出している防衛省とは別ってことよね? もしかして、外務省? 日本政府の内側なんて知りようもないけど、もし分かったら爆弾でも送りつけてやりたい。
 冗談とも本気ともつかぬことを考え、……自嘲する。
 一民間企業の修了テストにアメリカ軍ばかりか自衛隊までが兵員を出し、アメリカに至っては資金援助まで約束してくれるなんて話がうますぎる、と今なら思う。国を背負っている軍隊が嘘をつくはずがないと信じ込んでしまった。ネームバリューで相手を信じさせ金をふんだくるのは詐欺の常套手段だというのに……。私はまんまとひっかかったわけね。
 自衛隊とアメリカ軍の新兵とアースの訓練生とでは訓練期間が同じでも訓練の内容が違う。自衛隊やアメリカ軍のように戦車や自走榴弾砲を走らせるわけでも、機動性が高い指揮車、歩兵戦闘車、機動砲システム、偵察機を連携させ市街地に潜む敵を制圧する訓練はしていないし、そんな設備も人員も装備もない。
 せいぜい手榴弾や自動小銃、手榴弾をより遠くへ飛ばすグレネードランチャー、戦車や建物を破壊するロケットランチャー、携帯式地対空ミサイル……、歩兵が一人で持てる程度の武器しか使っていない。
 接近戦となると兵士自身の能力とチーム同士の連携がなにより重要になる。常日頃から百人、五百人規模の部隊で訓練し定期的に共同訓練している自衛隊とアメリカ軍の新兵と、数十人単位のグループで半年ごとに入れ替わるアースの訓練生とでは格差は一目瞭然、駄目さ加減が際立って国への報告用にならない、会社の宣伝用にもならない。いっそのこと金も人員も要らない、アースだけでします、と言えたらどんなにいいか……。
 ロバートが無責任な発言をする。
「リー社長、シミュレーションの舞台をセッティングしてくれると言うんだ。少しくらいのシナリオ変更は受け入れてはどうだい?」
 ──部下が窮地に陥ってんのにあんたが追い込んでどうすんの! 反対するのが当たり前でしょっ! 日本進出が泡になっても構わないの! 
 この紙を破り捨て、椅子を引き倒し「そんならあんた達で勝手に決めなさいよ」と啖呵を切って部屋の扉を蹴っ飛ばし出て行ってやりたい。
 ……行動に移すには良識ある大人になり過ぎた。感情で動くより先に損得を計算してしまう。援助を無下にするほど会社に余裕はない。甘い言葉を鵜呑みにしシミュレーションに回すはずだったお金は訓練生の給料上乗せ分やボーナス、それに食事代に充ててしまった。これは辞めていく訓練生を引き止めるための措置だ、ウェインにも責任がある。それにゲーム機、これもウェインの相談を受けての出費だ。
 ……まさか、ウェインもグル? ううん、そんなはずない。アーロンの報告書には本社やアメリカ軍とも連絡を取っている記述はなかった。アーロンが重要な情報を見落とすはずがない。腕は確かなのだ。今日だってウェインはここに来るまでずっと一緒に行動していたわけだし、……やっぱり、無実よね。……ひょっとして、アーロンも裏切り者? 本社に買収されて嘘の報告書を作成した、とか……。
 疑い出したらきりがない。
 お金はいくらか残っているけれどシミュレーションをアースだけで行えるほどの金額はない。余らせても国に返すだけだからと防衛省から貰った補助金のほとんどは装備品を買い足すのに使ってしまった。あれにも使ったわね、これにも……。
 イーシンは深く、重いため息をついた。
 静かになった空間にガイラックの声が通る。
「他に、ご意見はございませんか? ミズ・ボルダー、貴方は私が作成した計画案をどう思われますか? 指導責任者として率直な意見をお聞きしたい」
 イーシンは目を極限まで見開きウェインを見つめ両手を組んだ。
 ──お願いっ、無理って言って。うちの訓練生には難しすぎるって。
 ウェインは思いつめた表情で立ち上がる。
「……こちらでは、敵と遭遇した場合に限り、自己防衛のために最小限度の武力を使うことを念頭に訓練をしてきました。……使える武器は小銃や手榴弾、その他の銃火器、少人数で使える物に限られ、また地雷から身を守る方法等、敵を撃ち破るのではなく自己を守る訓練に重点を置いてきました。市街地戦の訓練を行えるような設備や人数はなく、味方と交信する無線機も足らず、敷地内の建物でごく小規模の訓練をしたのみです。この計画案にあるような敵と市民が混在する市街地で銃撃戦をしながら敵がいる建物を探し当て、集団で潜伏地を攻略する設定はアース訓練生には極めて難しいと思われます」
 ──素敵っ! その調子よ、頑張ってウェイン!
 イーシンは両手を固く組む。
「……ですが、もし私が味方兵士であったならば非常事態に陥り同盟国軍が生死をかけて敵と戦っている最中に、己の任務外であるからと仲間を見捨てて逃げるような者と行動を共にしたいとは思いません。撤退中に彼らが敵の攻撃を受けても一片の同情も湧かないでしょう。兵士ならば戦うべきです。訓練生であろうと国の方針であろうと関係ない、戦えないなら最初から加わってほしくありません」
 会場内に沈黙が流れる。
 ──……お、……おわった……。
 イーシンは頭を抱えた。
 自衛隊幹部鈴木が手を上げる。
「我が隊は先のイラク人道復興支援では他国軍に守られる立場でした。時に民間警備会社に護衛されてもいました。敵の襲撃を受けた場合は敵と同程度の武器での応酬が認められてはいましたが、一回目は警告及び威嚇射撃、二回目でようやく致命傷にならない箇所を撃てる状態でした。周辺地域で活動する同盟国軍が攻撃されても応援に駆け付けることもできませんでした。我が隊は望んでそうしたわけではない。法に従わざるを得なかった。厳しい訓練を受け、それ相応の力を身につけている自負がありながら民間の警備会社に守ってもらわなければならなかった惨めさがどのようなものか、ご理解いただきたい。
 イラク人道復興支援で地元住民に歓待を受け、自衛隊の仕事にやりがいを感じたのは私一人ではありません。戦いたいわけではない。我々は我々のできる範囲で世界に貢献したいのです」
「……自衛隊の方々の心情も考えず感情的になり過ぎました。お許し下さい」
 ウェインが謝罪の弁を口にする。
「……いえ……」鈴木は短く答える。
 ウェインは立ったまま、言を続ける。
「この計画案通りにシミュレーションが行われるならば、一つお願いがあります。私を訓練生の中に加えていただきたい」
「はぇ?」
 イーシンは素っ頓狂な声を出し、ウェインを仰ぎ見る。
「訓練生にこの計画は難しい。彼らをサポートする役が必要です。許されるなら、私をシミュレーションに参加する訓練生の中に加えていただきたいと思います」
 一同が沈黙する中、ガイラックが出席者に意見を促す。
「皆さま、異論はありませんか?」
 ロバートが感極まった様子で拍手をする。反対する者はいなかった。
「では、ボルダー教官の提案を受け入れ、細部を詰めていきたいと思います」
「了承していただきありがとうございます。シミュレーションに参加する者が打ち合わせに参加するのは公平ではありません。私は退席させていただきます」と一礼し、部屋を出て行った。
「……では、私もそろそろ……」
 ウェインと二人きりになろうという魂胆が見え見えの締まりがない顔で慌ただしく席を立つロバートの腕をイーシンはひしっとつかみ、「社長は打ち合わせに同席して下さい」と座らせた。

「まさか、ずっとここで待ってたの?」
 会議を終えたイーシンは地下二階エレベーター前のフロアでマネキンのように突っ立っているウェインと会った。
「買い物でもしているのかと思ったら。四時間近くもこんな薄暗いところにいたの? せめてロビーで待っていればよかったのに。……あなた、変人なの?」
 ウェインはわずかに眉をひそめ、無愛想に答える。
「人が出入りする場所は落ち着かない」
 ──……休日も外泊どころか外出もしないわね。服を買いに行ったのも私だし……。ウェインには他人は全員泥棒に見えるのかしら。油断しないのはいいことだけれどプライベートもなら、職業病ね。
「鍵は? 私が運転する」
 イーシンが鍵をポケットから取り出す。
「助かるわ。ちょっと、肩凝っちゃって。後で替わる」
「私が最後まで運転する。荷物は?」
 ウェインがイーシンの鞄を奪い取る。
「いいわよ、自分で持つわよ。貴方一応女性だし、荷物を持たせるなんてレディーファーストに反するわ」
「構わない」
 ウェインは取り返そうとするイーシンの手を軽く振り払い、車へすたすたと歩いて行く。
 ──……だから私が悪く見られるんだって。
 妙に優しい。嬉しいような、気持ち悪いような。
 ──きれいにしていても行動が男っぽいから台無しね。
 イーシンは心底残念に思う。
「ちょっと後ろで休ませて」
 イーシンは車の後部座席に乗り込む。車が発進し、駐車場のゲートを抜け地上に出ると、すっかり暗くなっていた。開けた窓から冷たい風が入る。夜風に当たりながら一日を振り返る。
「……虚しいわね……。私って何しに来たのかしら。まさか、騙されるとは思わなかった。詐欺にかかった被害者ってこんな気持ちなのね」
 イーシンは姿勢を崩し、ドアの肘置きに寄りかかり、高層ビルに囲まれた小さな星空を眺める。
「……イーシンが、アメリカ軍幹部と自衛隊幹部相手に議論してくれるとは思わなかった」
「会社の命運がかかっているんだからあれくらい言うわよ。補助金貰っているのは防衛省からで自衛隊からは一円も貰っていないもの、遠慮する義理はないわ。アメリカ軍からは援助受けているけど、どうせならあのガイラックを捻り潰してやりたかったわね」
 忌々しく答えるイーシンに対しウェインの口調は至って穏やかだ。
「……イーシンは兵士の命よりビジネスを優先すると思っていたから、意外だった……」
 ──……私ってどれだけ人でなしと思われているのかしら?
「株があがったなら無駄でも言ってみて良かったのかしらね?」
 冗談めかして言ってみる。
「……見直したよ」
 イーシンは肘置きからずり落ちそうになった。
「つけあがるな」と突っかかってくるかと思ったのに、……どうも調子が狂う。
 社運をかけたシミュレーションの主役を横取りされそうになったから問い質した、それがウェインには訓練生を庇っているように見えたらしい。上司には絶対服従の軍人からすれば、アメリカ軍幹部や自衛隊幹部に口撃する姿は孤軍奮闘するドン・キホーテに見えたのかもしれない。滑稽で哀れな老兵士に……。
 ──だったら意見を求められた時に訓練生には無理って通してくれればよかったのに。
「己の任務外であるからと仲間を見捨てて逃げるような者と行動を共にしたいとは思いません」
 ──……戦場で戦う兵士としての本音でしょうね。
 ウェインは会話の途中でも感情的になることがある。口には出さないけれど無表情だった顔がさっと青ざめ、殺気を帯びる目で一点を睨みつける。全身を硬直させ、拳を握り、唇を引き結ぶ。ピンと張った静けさが一瞬で刃に変わる瞬間を何度も目にした。軍人としてのプライドと反抗心の強さからと思っていたけれど、それだけではないのかもしれない。
 ふっと何かヒントになるようなものが浮かび、……すぐに消える。
 もう少し突き詰めて考えれば正体が分かるのかもしれないけれど今は無理、疲れている。
「……訓練生のレベルは大体把握している。飛べない雛を崖から投げ捨てるほど変態じゃないわ。自分で飛び降りるのは勝手だけど」
 ミラー越しにウェインは苦笑していた。
「……イーシン、すまなかった」
「……なに……?」
「社長であるイーシンに断りもなく、シミュレーションに参加させてほしいと言った」
「……ああ……」
 また、何か重大な告白をするのかと思った。実は連中と手を組んでいた、とか。シミュレーションをアメリカ軍と自衛隊が主体になるよう仕向けたとか。……ああ、だめだめ、今は何を聞いても疑心暗鬼だ。
 前方に注意を払うウェインの目に対向車のライトが反射し、銀色に明滅する。静かに揺らめく銀の光を見ていたら疑うのが馬鹿らしく思えてくる。
「……いいわ。私もウェインが参加することになって、正直助かった。……大筋は決まったけれど後一、二回会議を開いて細部を詰めることになりそう。最終案が決定したら後はあの油断ならないガイラックがセッティングしてくれるそうよ。私もだいぶ粘ったけれどあっちもしたたかだわ。シミュレーション、結構大変かも……」
「……了解した……」
「訓練の方法を変えないといけないかもね。なんなら情報流しましょうか?」
「断る。それでは不公平だ」
「言うと思った」
 座席にもたれ、音をあげる。
「……疲れたー。精神的にどっとくるわー」
「寝ていていい。着いたら起こす」
「そうさせてもらうわ。サービスエリアで変わりましょう」
「寮まで私が運転する」
「いいわよ。貴方には訓練の方頑張ってもらうから。運転くらいするわ。……ああ、そうそう、これ」
 イーシンはズボンのポケットから紙切れを取り出しウェインに手渡す。
「高速を走っているんだ、後にできないのか? なんだこれは?」
 紙屑みたいな紙切れをウェインは怪訝な表情で見る。
「なんでこんなにくしゃくしゃなんだ?」
「ああ、ごみと間違えて握り潰しちゃったの。ロバートから、いつでも連絡くれって。連絡先が書いてあるわ」
「社長が?」紙切れを持ったままハンドルを握る。
 ウェインは真意をはかりかねるようにミラー越しにイーシンをちらりと見、くしゃくしゃになった紙を指で二つ折りにしポケットに入れる。
 自分が考えた案を無断で書き換えられ、足元を見られ言いなりになるしかなく、それでも信用ならない古狸達相手にシミュレーションの計画を詰めていかなきゃいけないのに、唯一味方であるべきロバートは会議中でも戦績優秀なアース社員が参加すると思っているのか、ガイラックの提案に頻繁に相槌を打つ。腹立たしいことこのうえない。
 会議が終わった後はウェインの賛美を延々と聞かされ、
「イーシンが何度も本社に電話をかけてくるから警戒していたけれど、美しく凛とした女性じゃないか。彼女は軍人としても素晴らしい。まさに戦いの女神だ。できれば個人的に話をしたかったが明日には日本を発たなければならない。彼女に是非とも私が会いたがっていたと伝えてくれ」と渡されたのが一枚の紙きれだ。
「本社から資金援助を増やして下さい」と頼んだら、ロバートは宥めすかすように身振り手振りを交え、どれほど本社が日本支社に期待しているか、どれだけの資金を提供したかを、これまた倍以上の時間をかけて説明した。そしてこう聞いたのだ、「兵士を養成するのはそんなに大変かい?」と。
 イーシンはキレた。反射的に耳まで上がった平手を、荒い息を吐きながらなんとか思い止まり、怒りに震えるその手を下ろす。……前髪が二、三本、はらはらと抜けていった。
 ベテラン兵士が戦場での感覚を忘れないように訓練するのとは訳が違う。銃を見たことも触ったことも軍事訓練を受けたことも人を殺したこともない、兵士になる意欲も自覚もない一般人を兵士に育て上げるのだ。厳しくすると辞めるし、優しすぎると物にならない。手間も時間も金も半端なくかかる。
 結局、「これ以上の資金援助はできない」とロバートに言い渡された。それからまたウェインの話に戻り、どれだけ彼女と別れるのが辛いかと、くれぐれもよろしく伝えてくれと、何度も念押しされた。
 携帯でウェインを呼び出し、ウェインとのデートを条件に資金を捻出させる方法も頭に浮かんだ。
 同僚の貞操より会社の資金が大事。
 ロバートだって無理じいはしないはず。腰に手を回す、肩を抱く、キスの一つや二つくらいなら……。とはいえ、ウェインを説き伏せ実行に移す気力は残っておらず、ウェインが従うはずもない。
 無理に二人きりにしても飢えた狼の前に子羊を、というほどか弱くないが(むしろ凶暴)、差し出すようで、なけなしの良心が痛みそうな気がして、騙されたと知った時のウェインの報復も怖くて、止めた。
「連絡しない方がいいわよ」
 そっと忠告する。
「仕事上のことはイーシンに相談する。社長に連絡するとしたら私が退職する時だ」
 ウェインはさらりと言う。
「そうしなさい」
 言うなり寝る体勢に入る。
 ──……日本人って狸食べるかしら? 今度、食堂のメニューに狸料理を入れてもらえるか、シェフに頼んでみよう。ガイラックそっくりのふてぶてしい狸の丸焼きが出てきたら傑作ねー。私は食べないけど。
 疲れた頭で意味のない空想を巡らせる。
 ──……ああ、疲れた。
 痛む頭を手で押さえ、目を閉じた。

 *

 一日の訓練を終え、宮前は食堂に向かう。
 何が楽しみかと言えば、やっぱり食事。特に夕飯が一番。メニューは豪華だし、腹いっぱい食えるし、うまくてサイコー。
 高木と飲みに行っても夕飯時には戻ってくることにしている。外食で済ませたことがあるが量は少なく、おかわりはできないうえ味も劣る。おっさんが食事を自慢しているだけあって休日姿を見せない奴らも食事時には現れる。
 宮前は食堂に入るとお盆に食器を並べ、自分の顔ぐらいある大きなしゃもじで丼鉢にご飯を盛りつけ、ラーメン鉢を一回り小さくしたお椀に野菜スープをたっぷり注ぎ、おかずコーナーに移る。お皿に見目よく盛りつけられた料理に空腹を忘れ、見入る。
「……なんだ、これ?」
 でかいハンバーグ二つをだるまのように重ね、上のハンバーグには薄く輪切りしたゆで卵を二つハの字に貼りつけ、てっぺんに絶妙なバランスでシイタケを載せてある。シイタケの下から肉団子が二つ間隔をあけ顔を出す。周りにサツマイモの甘露煮や楓の葉型に切り抜いた人参、ブロッコリーが盛り付けてある。
「どう? どう? 何に見える?」
 いつからいたのか、おっさんが背後で文字通り目をキラキラ輝かせている。
「ねえ、ねえ、何に見える?」
 両手を組み、期待を込めて見つめるおっさんに無言のプレッシャーを感じ、もう一度皿を確認してから恐る恐る答える。
「……たぬき、ですか?」
 おっさんははちきれんばかりの笑顔で人差し指を立てる。
「そうっ。ピンポーン、せいかーい。分かる、分かる? 上手くできているでしょう? シェフに狸料理を出してって注文したら狸は衛生上よろしくないって。狸に似せて作ることは簡単だって言うから、ぜひぜひってお願いしたの。あのね、上のハンバーグが頭で、下のハンバーグが胴体、肉団子が耳で、ゆで卵が目なの。それでシイタケが傘。ブロッコリーは山の中をイメージしていて、サツマイモは切り株、人参は落ち葉……」
 キンキンと高い裏声が食堂内に響く。目の錯覚か、嬉々として語るおっさんに後光が差している。おっさんは宮前の首根っこを押さえ皿を突きつけ説明する。
「面白いのよ、これ。お皿を回して真横から見ると切り株の上に狸の頭部が載っているみたいでしょう?」
「……はぁ……」
 頬を上気させ説明するおっさんが空恐ろしい。
「それでね、食べ方があるの」
 宮前の首から手を離し、宮前のお盆からフォークとナイフを取りあげる。
「まずフォークで目玉をブスッと刺して、ナイフで傘ごと頭から胴体まで真っ二つに割って……」
 ゆで卵にフォークを突き刺し、ナイフでシイタケとハンバーグ二つをまとめて縦に裂く。ブロッコリーを脇に散らし、更にハンバーグを切り刻み、
「それでね、口に放り込んで丹念に噛み砕いてやって。食事時間を十分延長しているから、ゆうぅくり、味わって食べてね」と無惨になった料理を宮前のお盆に載せ、ウィンクする。
「後で感想を聞かせてね。評判良かったらうちの定番メニューにするから」
 にっこり笑って、鼻歌まじりで食堂を出て行く。
 ハンバーグは細かく刻まれ、シイタケは裂かれ、ゆで卵はぼろぼろ、ブロッコリーや人参はお皿の周りに散らばる。もはや何の形だったのか分からない。
 祐一が顔を近づけ皿を覗きこみ、宮前は無惨になった料理を前に呆然となる。
「……おっさんって、……狸が好きなのか……?」
「……さあ……」
「こっちもやられたよ」と声をかけてきた奴のトレイを見ると同じように細かく刻まれた料理が載っていた。あっち見てみろよ、というふうにそいつが指さす方を見ると、何人もの奴がバラバラに刻まれたハンバーグをせっせと口に運んでいた。

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