その14 スカートをはくときに忘れてはいけないもの

文字数 2,833文字

ざわついていた。
奏音が暮内くんに尾行された日の翌日の昼休み。
学校生活をエンジョイしている人々からは距離をとっている僕ですら、昼休みのざわつきに気がついていた。

校舎を一番よく見渡せる四階の廊下から、周囲を見回してみる。
なんだ? なにが起きている?

そういえば、中庭に菫屋ハーレムが見当たらない。
そのとき、一階の廊下を数人の生徒が走っていくのが見えた。
複数人と連れ立って、何かに乗り遅れまいとするように駆けていく。

まさか、と嫌な予感がしたとき、ポケットのスマホが振動して、飛び上がるほど驚いた。
奏音からのメッセージがあった。

“たすけて”

弾かれたように走り出していた。
奏音がどこにいるかはわからない。
とりあえず、さっき一階の廊下を生徒が走っていった方に向かった。

階段を降りている途中、またスマホが震えた。

“共用棟の屋上出入り口にいる”

なぜそんな場所にいるのかはこの際どうでもいい。
一階に降りかけた階段を二階まで上り、渡り廊下を通って共用棟を目指した。

そのとき、またメッセージが。

“家庭科準備室から制服持ってきて”

それを先に言ってくれ!
おそらく奏音は、昼休みに謎の美女として校内を歩き回っていたのだろう。
昨日、尾行されるというアクシデントがあったにもかかわらず、どうしてそんな……。
きっと、何かあったんだ。
一階に降りてから家庭科準備室で奏音の制服をカバンに詰める。
スラックスが脱ぎ散らかしてあったので、やはり今の奏音はスカート姿だ。

共用棟には職員室や図書室など、全学年の生徒が共通で使用する機会のある教室が、一階から四階までに詰め込まれている。
共用棟の四階には屋上に続く階段があるのだが、通常、屋上は出入り禁止で、ロープが張ってあり“立入禁止”の札がぶら下げてある。

ロープをくぐって屋上に続く階段を上りながら「僕だよ」と上に向かって声をかけてみた。

「ごごごごごめんね! よかったあああぁぁぁ……」

屋上入り口の扉の前まで行ってみると、泣きそうな顔で角にへたり込む奏音の姿があった。

「大丈夫? 何かあった?」
「その……」

奏音は顔を真っ赤にして、スカートを股に挟み込んでもじもじしている。

「漏らしたの?」
「ちがうわよ! パンツはきわすれただけ!」
「どうしてそうなる!」

スカートをはくなら絶対に忘れちゃダメな装備だろうに。

「昼休みだし……急いで着替えようと思ったら、スラックスと一緒にパンツまで脱いじゃって……時間短縮のためにタイツもはいてなかったし、気づいたときは絶望したわ……」

僕はパンツをはきわすれる奏音の感覚に絶望しているぞ。
確かに、今日の奏音は生脚だった。
スポーツをやっていただけあって、引き締まったいい脚だ。

「あんまり見ないでよ……っていうか、あっち向いてて」
「はいはい……」

カバンを渡すと奏音はくしゃくしゃになったスラックスを取り出し、さらにその中から薄いピンク色のパンツを発掘して「あったあった」と喜んでいる。

そのときだった。

階段下の方から「こっちから声がしたぞ!」という声が。
続いて、バタバタと複数人の足音がする。

「ねえ奏音、なんで追われてるの?」
「それがね、新聞部の人に見つかっちゃって……逃げてるうちに話が広まって、大勢が追いかけてきて……」

ヤバいことになった。
一か八か屋上に続く扉のドアノブを回してみたけど、当然鍵がかかっている。

「仕方ないか……」

“謎の美女”姿の奏音と一緒にいるところを見られると後々面倒そうだ。
校内新聞の記事のでもされたらたまったものではない。
僕一人ならどうとでもなるけど、一緒にいた奏音まであらぬ疑いをかけられたら、スカートどころではない。

「パンツははいたね? とりあえず音をたてないでじっとしてて」
「な、なにをするの?」
「踊り場の手前で野次馬連中を食い止めるから」

階段を降りようとする僕の上着を奏音が引っ張った。

「それはやめて」
「はい!? じゃあどうやって追い返すの! 僕とこんな場所で一緒にいるところ見られたら奏音に迷惑――」
「迷惑じゃないよ」
「……え?」

急に奏音が真面目な顔になって言うものだから、一瞬固まってしまった。

「迷惑じゃない」

また。
真っ直ぐな瞳に射抜かれた。
可愛い制服が着たいだけで勉強を頑張ってしまうよな。
そんな素直さの証明のような眼差しは、息をのむほど鋭く、そして魅力的だった。

けれど、奏音がなぜそんなことを言い出したのか、すぐには理解が追いつかなかった。
今、奏音がいる世界は、いるべき場所ではない。
だから、僕は奏音には元の世界に戻ってほしい。
奏音もそれを望んでいるはずだ。
それなのに、どうして僕を止める?
僕は奏音を元の世界に戻すため――スカートをはいて学校生活を送れるために行動しているのに。

とにかく、この場を凌がなければいけない。
けれど、奏音の手を振り払って階段を降りようとすると、もっと強い力で奏音は僕を引っ張る。

「どうして――」
――そんなことをするんだ! と。

始めて奏音に対して怒りの表情を向けた。
奏音はとても悲しい表情になった。
でも、僕を掴む力は弱くはならなかった。

階段下の声が近づいてくる。

「こっちだー! こっちこっち!」

聞き覚えのある男の声だった。
僕らのいる場所に誘導しているのかと思いきや、階下のざわめきが遠くなってくる。

直後に「こら! お前たち、こんなとこでなにをやっている!」という女性の声。
こちらはすぐにわかった。
乙華先生だ。

おそらく、最初の男の声は吠場だろう。
どういうわけか、僕の窮地を知って、野次馬を遠ざけてくれたのだろう。
そして今、ゆっくりと足音がひとつ、階段を上ってくる。
その足音の主はすぐに察しがついた。

「麗!」
「まったく……なにやってんのよ、もう……」
「ありがとう、助かったよ……」
「だから菫屋にはかかわるなって言ったじゃない」

菫屋は僕と麗の顔を見ながらきょとんとしている。
麗はそんな奏音を見て目を細めた。

「へえ、普段は王子様なのに……スカートだけでお姫様になるものね」
「そ、それほどでも……」

奏音は嫌味を言われていることに気づいていないらしい。
そんな様子を見て麗は大きくため息をついた。

「……来なさい。ウチの部室なら安心して着替えられるでしょ」
「すまん、麗。助かるよ」
「そのかわり、後で洗いざらい話してもらうから、覚悟しといてね」
「うわあ、麗ちゃんていうんだね。すごく可愛い……」
「うるさいわね……」
「も、もしかして……栄介の彼女さん?」

奏音がとんでもないことを言い出した。

「ちがうわよ!」

光の速さで麗に否定された。
事実ではあるけど、その速さは傷つく。
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