その21 最初から知ってた

文字数 3,529文字

乙華先生が奏音と暮内を家庭科準備室に呼び出した意図はわからない。
僕と吠場は家庭科準備室に向かって走っていたけど、通信技術愛好会の部室からは距離があった。“コ”の字を描くように、大きく迂回して移動しなければならないからだ。

二階の廊下に差し掛かり、向かい側の校舎に家庭科準備室が視界に入った。
カーテンは空いている。
ちょうど扉が開いて、暮内が、続いて奏音が入ってきた。
二人にとっても、あの放送の呼び出しは急だったのだろう。
奏音はジャージ姿で、暮内も既に練習着に着替えていた。

「栄介クン、あれ見て……」
「なっ!?」

家庭科準備室の中央に、これ見よがしにトルソーマネキンが置かれていた。
トルソーには女子の制服――ブレザーとスカートが着せられ、首の部分にはウィッグが引っ掛けられている。

もちろん、遠巻きに見ただけでわかるのは“女子の制服であること”だけだ。
おそらく近くで手にとって見たところで、持ち主が誰かなんてわからないだろう。
けれど、家庭科準備室に、あんな風に大事に飾られている制服があるとすれば、それは奏音のものに決まっている。

でも、奏音が隠れてスカートをはいていたときは、もっと奥まったところにひっそりと配置されていたはずだ。
一体誰がどうして……などと考えている余裕はない。

どうやら暮内がその存在に気づいたようで、トルソーに――制服に向かって歩き出した。

なぜだろう。
絶対に。
絶対に、あいつにだけは触れられたくなかった。

「ごめん、先に行くよ」
「えっ!? ここ二階――」

吠場の言葉を待たずに、窓を開けてくぐった。
窓のすぐ下にあるコンクリートが出っ張った部分に出て、次はそこに手をかけてぶら下がる。
なるべく落下距離を短くしてから手を離し、地面に転がって勢いを殺す。

地面に降りたら一直線に家庭科準備室の窓に向かって走った。

「やめろおおおぉぉぉ!」

室内の二人は、僕の叫びが自分たちに向けられたものだと気づいていない。

「それに触るなあああぁぁぁ!」

家庭科準備室の窓にたどり着き、まずこちらに注意を引くために、外側から窓を手のひらで叩いた。

ばあん! という音に、中の二人が驚愕してこちらに視線を向ける。
そして、次の瞬間。
窓ガラスにビシッ! とヒビが入り、粉々に砕け散った。
勢いあまって強く叩きすぎた!?
けど、幸い僕は無傷だし、家庭科準備室に入れるようになったので好都合だ。

「栄介!?」

窓から入って、制服と暮内の間に割って入った。

「東出……なんでお前がここに来る。呼び出されたのは俺と奏音だぞ」
「奏音とお前がどうしてここに呼び出されたのかは知らない。でもこの制服には触れてほしくない」

暮内が明らかにムッとした表情になった。

「お前には関係な――」
「あるね」
「どう関係があるというんだ」
「僕は……この制服の持ち主が、どれだけ制服を大切に思っているか、知ってるからだ」
「なんだって……?」
「それに、お前はそのことを知らない。だからその制服に触れる資格はないよ」

“悪”である僕からそんな言い方をされたからだろう。
どちらかと言えばクールな印象な暮内が激昂した。

「……いい加減に……しろッ!」
「いっ!?」

暮内は僕の肩を掴んで思い切り横に払った。
運動部の力は凄まじく、ただ背が高いだけの僕は簡単に吹っ飛ばされる。
転がったところに机があって、思い切り後頭部をぶつけた。

「ハッ! なにが大魔王だ! おっかないのは見た目だけだな!」
「あ、当たり前だ……僕が強いだなんて、誰が言った……」

机に手をついてやっと立ち上がったが、頭を打ったせいだろう。
視界が揺れる。
真っ直ぐ歩けない。

「栄介!」

奏音が悲しそうな顔をしていた。
朦朧とする意識に、悲しそうな顔。
一瞬、右目の傷ができたときの状況を思い出してしまった。。
あの時の僕は、薄れゆく意識の中で、なにもできなかった。

けれど。
今は違うぞ。

誰だ……。
奏音にあんな顔をさせる奴は。

立っていられない。
それなら……。

前のめりに倒れ込んで、暮内の脚にしがみついた。

「は、離せっ!」
「お前……その制服をどうするつもりなんだよ」
「そ、それは……」
「僕はな、その制服を、ちゃんと持ち主が着るべきだと思ってる。だからお前に触られたくないんだ」

揺れていた視界が安定してきた。
暮内の練習に掴まりながら立ち上がり、そのまま思い切り引っ張って、制服から引き離した。
暮内は油断していたようで、僕に引っ張られた勢いで尻もちをついた。
また、制服の前に立ちふさがった。

「この制服の持ち主はさ、この制服が着たくて仕方がないんだよ」
「そ、それがどうした!」
「おい、ハゲブリーフ」
「は、ハゲブリーフ……」
「お前のことだぞ」

暮内がショックを受けている。
こうかはばつぐんだ。
これを考えた乙華先生は教師の風上にも置けない人だ。

「知ってるか? この学校は制服が着たくて入ってくる女子が、けっこういるんだとさ」
「だから、それがどうした!」
「この制服の持ち主もさ、ウチの高校の制服が着たい一心で、東大に入れるくらい勉強したらしいんだ」

騒ぎを聞きつけたのか、廊下から教室の中を伺う人影があった。
けれど、構うものか。

「でもさ、やっとの思いで高校に入れたのに、その子はこの制服が着られずにいるんだ」
「い、一体なんの話を――」
「ただ、その子は優しいんだ。本当はスカートがはきたくて仕方ないんだけど、みんなが喜んでくれるからって、スラックスをはき続けてる」

いつの間にか周囲が静まり返っていた。
おそらく、僕の声に聞き耳を立てているのだろう。

「なあ、暮内。お前、この制服を着た“謎の美女”に壁ドンされたあと、奏音にベタベタ触らなくなったよな。最初から気づいてたんだろ? “謎の美女”が奏音だって」
「ち、違う……」
「壁ドンされて始めて、奏音が“可愛い女の子だ”って気づいたんだろ。違うか?」
「違う!」
「奏音が制服に憧れて北坂高校を選んだことにも薄々勘づいてたのに、自分を追いかけてきてくれたと思いたくて、気づかないふりをしていた。違うか!?」
「違う違う違う違う違う違う違う!」

声を張ったらめまいがして、よろめいてしまった。

「お前がこの制服をどうにかしようとするのも、奏音にスカートをはいて欲しくないからだろう。スカートをはいた可愛い奏音を独り占めしようとでも思ったんだろうけどな」
「ちが――」
「まあ、そんなことをしても無駄だけどね」
「……なんだと? どういうことだ!?」
「スカートなんかはかなくても、奏音が可愛いからに決まってるだろうが!」

悔しさを滲ませた表情で暮内は奏音の方を見た。
奏音の目からは涙がこぼれていた。

「お前は壁ドンされなきゃ気づかなかっただろうけど、僕は――僕らは最初から知ってたぞ。奏音が可愛いって」

同時に、奏音が両手で顔を覆って崩れ落ちた。

「ごめんね、優くん。ごめんね、みんな。私……スカートが、はきたいです……」

なんか“バスケがしたい不良”みたいな言い方だった。
奏音が、始めて本当の気持ちを主張した。

すると、なにを思ったか奏音は立ち上がると同時に下のジャージを脱ぎだした。

「奏音……それは……」

ジャージの中にはスカートをはいていた。
上はジャージ、下はスカートという出で立ちが、なんとも奏音らしかった。

「私……スカートがはきたいんですッ!」

今度は高らかに宣言した。
直後、どこかから「可愛い!」という声がした。
僕にはすぐに誰の声かわかった。
麗の声だ。
すると、麗の声に続いて周囲から「可愛い!」という声が。
いつの間にか、さっきよりも多くの生徒が廊下から見ていて、奏音の宣言の目撃者となった。
そして、そのほとんどが女子だった。

乙華先生を使った呼び出しや、奏音がジャージの中にスカートを仕込んでいたりしたのは、間違いなく麗の仕業だろう。

やっと。
これでやっと奏音がスカートをはける日が来る。
そう思ったら、首の皮一枚でつながっていた緊張の糸が、切れた。
すうっと魂が抜けていくような感じで、不快ではない。
体の制御を失い、このまま倒れ込むのだろう――と思った瞬間に抱きかかえられた。

なにか柔らかいものがクッションになっていた。
その正体はすぐに理解できただけに、その感触を後頭部でしか堪能できないのが残念でならない。

「奏音……」
「ありがとね……栄介」
「お礼なら麗に言った方がいいよ」
「うん。さっきも言ったんだけどね。あとでもう一回言っておく」
「なあ、奏音」
「なあに?」
「パンツ、はいてるか?」
「はっ!?」

パンツの有無を確認するために僕の体を支えていた両手を離したものだから、頭を床に強打する運びとなりました。

ゴン! という音の後に続く「あーっ! 栄介! ごめん、大丈夫!?」という奏音の声を最後に、僕の意識は途切れたのだった。
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