その8 可愛い素敵なおバカさん
文字数 3,152文字
「はあ、はあ……ほんっっっっっっとにありがとう! まさか本当に助けてもらえるとは思ってなかったからびっくりした!」
僕が感じた通り、奏音は助けを求めていたようだった。
あの後、奏音と一緒にいるところをなるべく人に見られないように、大急ぎで家庭科準備室に逃げ込んだ。
「それにしても僕が図書室に居るってよくわかったな」
「だって昨日も居たでしょ?」
「気づいてたのか」
「図書室からじゃ私の着替えは覗けないわよ?」
「別に覗きスポットを探してるわけじゃない」
っていうかお前はカーテンを閉めて着替えることを徹底しろ。
「ところでさ、奏音は暮内くんが苦手なのか?」
「……どうしてそう思うの?」
「確かに奏音に対するスキンシップは過剰だと思うけど、別に仲が悪いってわけじゃないんだろ? 壁ドンならむしろ暮内くんの方がお願いしやすかったんじゃないのか?」
「ダメよ。優くんは、私を女だと思ってないもの……」
そう言って、奏音は出しっぱなしなっていたパイプ椅子に座った。
「惚れてるのか?」
「ううん。小学生の頃に、好きなのかな、恋なのかなって思ったこともあったけど、ちょっと違うかな。幼馴染なのよ、優くんとは」
「まあ、なんとなく、そうなんだろうなとは思ってた」
「私も優くんも、小学校から私立の一貫校に通ってたんだ。家も近いし、地域の野球チームでも一緒だったから、ほんと、優くんとは兄弟みたいだったの」
野球か。
なるほど、奏音が引き締まったいい体つきをしている理由がわかった気がする。
ただ、逆に気になったこともあった。
「奏音も暮内くんもエスカレーターで大学まで行けたんだろ? なんでわざわざ公立校にしたんだ?」
「優くんはね、高校野球で“エース”をやりたかったんだって。エスカレーターで進学する高校の野球部は強豪だから」
「奏音は?」
「わ、私は……」
「制服が可愛いから?」
言った瞬間、奏音は真っ赤にした顔をこちらに向けてきた。
「なんでわかったの!? そ、そうよ……悪い!?」
「いいや、悪いどころか、凄いと思うよ」
「え……なんで?」
「大変だったんじゃないの? 受験勉強」
奏音の成績はよく知らないけど、エスカレーターで進学できた高校を蹴って受験勉強したのだ。
「制服が可愛い」が理由だとしても、それで合格したのだから単純に凄いと思った。
「大変だったよ……私、バカだからさ……」
「知ってる」
「うるさいなあ」
拳でぐりぐりと肩を小突かれた。
「ほんと、東大に入れるかと思うくらい勉強したんだ」
その発言は東大生に謝った方がいい。
「それにね、聞いて! そこの高校の制服がダサいの! ジャンパースカートなのはまだいいんだけど、ブラウスの襟がね! 丸いの! なんで!?」
「さ、さあ……なんでだろうね」
ジャンパースカートがどんなものかすぐに想像できなかったけれど、制服について熱く語る奏音は、スカートをはいていなくても“女の子”していて、すごくいいなあと思った。
「でね、優くんは私が、自分を追いかけて北坂高校に入ったと思ってる節があって、去年はさんざん野球部のマネージャーに誘われたわ」
「ああ……それは……」
僕が暮内くんの立場でも、きっとそう思ってしまいそうだ。
「……はっきりとは言いづらいな」
「そうなのよ。ボディータッチが過ぎるのも、本人に悪気がないのはわかってるから、余計に言い出せなくて……」
だとしたら、奏音は今まで散々我慢してきたことになる。
頑張って勉強して入った高校で。
スカートがはけないこと。
王子様を演じなければいけないこと。
暮内くんに男として接されること。
「今まではこんなこと言える人いなかったから我慢できたし、それが当然だと思ってた……けど、さっきはちょうどしんどいときに栄介を見つけちゃったから、ついあんな顔しちゃった」
「それは……つらかったね」
特に深く同情したわけでもなく。
ただ、何気なく言った一言だった。
言って、奏音の方を向いたら、パイプ椅子が倒れるほどの勢いで、僕の膝下にすがりついてきた。
「っく……ごめんね、これは嬉し泣きだから。大丈夫だから」
奏音には大変申し訳ないのだが、膝もととはいえ急に抱きつかれたので、僕はどうしていいのかわからなくなっています。
こういったとき、自然に肩を抱くなり、頭をなでるなりできればいいんだけど、そんな余裕も度胸も僕は持ち合わせておりませんお客様。
胸の中では心臓のドラムソロが始まりました。
肩を震わせて泣いていた奏音が急にぴたりとと止まった。
「ちょっとよろしいですか」
素に戻ったような奏音の声だった。
「はい」
「あたまをなでてください」
「はいわかりました」
急に英語を直訳したみたいな会話になった。
おそらく、僕がどうしていいのかわからなくなっていることがバレていたのだろう。
そっと頭頂部に手を置くと、奏音の体が「びくっ!」となった。
「だいじょうぶですか」
「もんだいありません」
なんだこれ。
奏音の髪はワックスがついていたので、本来の髪質はわからない。
前に見た、ウィッグをとったあとのぺたっとした髪型が可愛かったので、遊ばせていた毛先を整えるように撫でた。
しばらくの間、そうしていた。
「ごべんで……あでぃがどー」
「ごめんね、ありがとう」と言ったのはわかった。
顔を上げた奏音は、僕の膝から鼻水が糸を引いていて、それはもう酷い有様だった。
女子力が息をしていない。
それなのに、上目遣いの奏音を見て、僕の心臓が跳ねた。
バスドラムではない。
さっきまで僕の胸の中でドラムを叩いていた人は、次にピアノを弾いてくれるのかと思ったら、まさかの和太鼓がドドン! だった。
僕の胸から少年誌の主人公が大見得切ったような音がした……ような気がしたドン。
危ない所だった。
鼻水によって芸術点が原点されていなければ、壁ドンされたときの奏音のように、僕は白目を剥いていただろう。
泣いた後、少し弱気になった奏音の上目遣いは、それくらいの破壊力があった。
その可愛いさは情けも容赦もない。
「とりあえずはなみずをふたほうがいいですよ」
「ん……ありがとう」
いかん。
僕だけ言葉が片言のままだ。
とりあえずポケットティッシュを渡すと、一気に全部取り出してしまって慌てている。
そのとき、予鈴が鳴った。
無意識、にだろうか。
奏音が僕の上着の裾をきゅっと握った。
「あっ! ごめん、四組は午後から体育だっけ!?」
「ち、ちがうよ?」
どもった。
声もうわずった。
目が泳いだ。
奏音のことを少しバカにしてたけど、僕も大概だ。
「そっかー、ならよかった」
「………………」
いや、やっぱり奏音の方がバカだ。
べ、別に「もう、嘘が下手なんだからっ(はぁと)」的なやつなんて期待してませんよ?
まったく、奏音はバカだ。大バカだ。
女子の制服をバリっと着こなして、メガネをかけてクールビューティーを気取ってみたと思ったら、こんな風に愉快なやつだったり。
でも、バカなくせに可愛い制服が着たくて受験勉強がんばっちゃったり。
こんな可愛い顔した“イイ奴”が、泣くほどつらい思いをしていることを知ってしまったら、それを見過ごすことができるだろうか?
「……そんなことできるわけがないじゃないか」
「ん? なんの話?」
教室の隅にひっそりと置いてある、奏音が着たくて仕方がない制服を着た、トルソーマネキンが目に入った。
一つ、思いついたことがあった。
「なあ、奏音。スカートはいて、教室の外に出てみないか?」
僕が感じた通り、奏音は助けを求めていたようだった。
あの後、奏音と一緒にいるところをなるべく人に見られないように、大急ぎで家庭科準備室に逃げ込んだ。
「それにしても僕が図書室に居るってよくわかったな」
「だって昨日も居たでしょ?」
「気づいてたのか」
「図書室からじゃ私の着替えは覗けないわよ?」
「別に覗きスポットを探してるわけじゃない」
っていうかお前はカーテンを閉めて着替えることを徹底しろ。
「ところでさ、奏音は暮内くんが苦手なのか?」
「……どうしてそう思うの?」
「確かに奏音に対するスキンシップは過剰だと思うけど、別に仲が悪いってわけじゃないんだろ? 壁ドンならむしろ暮内くんの方がお願いしやすかったんじゃないのか?」
「ダメよ。優くんは、私を女だと思ってないもの……」
そう言って、奏音は出しっぱなしなっていたパイプ椅子に座った。
「惚れてるのか?」
「ううん。小学生の頃に、好きなのかな、恋なのかなって思ったこともあったけど、ちょっと違うかな。幼馴染なのよ、優くんとは」
「まあ、なんとなく、そうなんだろうなとは思ってた」
「私も優くんも、小学校から私立の一貫校に通ってたんだ。家も近いし、地域の野球チームでも一緒だったから、ほんと、優くんとは兄弟みたいだったの」
野球か。
なるほど、奏音が引き締まったいい体つきをしている理由がわかった気がする。
ただ、逆に気になったこともあった。
「奏音も暮内くんもエスカレーターで大学まで行けたんだろ? なんでわざわざ公立校にしたんだ?」
「優くんはね、高校野球で“エース”をやりたかったんだって。エスカレーターで進学する高校の野球部は強豪だから」
「奏音は?」
「わ、私は……」
「制服が可愛いから?」
言った瞬間、奏音は真っ赤にした顔をこちらに向けてきた。
「なんでわかったの!? そ、そうよ……悪い!?」
「いいや、悪いどころか、凄いと思うよ」
「え……なんで?」
「大変だったんじゃないの? 受験勉強」
奏音の成績はよく知らないけど、エスカレーターで進学できた高校を蹴って受験勉強したのだ。
「制服が可愛い」が理由だとしても、それで合格したのだから単純に凄いと思った。
「大変だったよ……私、バカだからさ……」
「知ってる」
「うるさいなあ」
拳でぐりぐりと肩を小突かれた。
「ほんと、東大に入れるかと思うくらい勉強したんだ」
その発言は東大生に謝った方がいい。
「それにね、聞いて! そこの高校の制服がダサいの! ジャンパースカートなのはまだいいんだけど、ブラウスの襟がね! 丸いの! なんで!?」
「さ、さあ……なんでだろうね」
ジャンパースカートがどんなものかすぐに想像できなかったけれど、制服について熱く語る奏音は、スカートをはいていなくても“女の子”していて、すごくいいなあと思った。
「でね、優くんは私が、自分を追いかけて北坂高校に入ったと思ってる節があって、去年はさんざん野球部のマネージャーに誘われたわ」
「ああ……それは……」
僕が暮内くんの立場でも、きっとそう思ってしまいそうだ。
「……はっきりとは言いづらいな」
「そうなのよ。ボディータッチが過ぎるのも、本人に悪気がないのはわかってるから、余計に言い出せなくて……」
だとしたら、奏音は今まで散々我慢してきたことになる。
頑張って勉強して入った高校で。
スカートがはけないこと。
王子様を演じなければいけないこと。
暮内くんに男として接されること。
「今まではこんなこと言える人いなかったから我慢できたし、それが当然だと思ってた……けど、さっきはちょうどしんどいときに栄介を見つけちゃったから、ついあんな顔しちゃった」
「それは……つらかったね」
特に深く同情したわけでもなく。
ただ、何気なく言った一言だった。
言って、奏音の方を向いたら、パイプ椅子が倒れるほどの勢いで、僕の膝下にすがりついてきた。
「っく……ごめんね、これは嬉し泣きだから。大丈夫だから」
奏音には大変申し訳ないのだが、膝もととはいえ急に抱きつかれたので、僕はどうしていいのかわからなくなっています。
こういったとき、自然に肩を抱くなり、頭をなでるなりできればいいんだけど、そんな余裕も度胸も僕は持ち合わせておりませんお客様。
胸の中では心臓のドラムソロが始まりました。
肩を震わせて泣いていた奏音が急にぴたりとと止まった。
「ちょっとよろしいですか」
素に戻ったような奏音の声だった。
「はい」
「あたまをなでてください」
「はいわかりました」
急に英語を直訳したみたいな会話になった。
おそらく、僕がどうしていいのかわからなくなっていることがバレていたのだろう。
そっと頭頂部に手を置くと、奏音の体が「びくっ!」となった。
「だいじょうぶですか」
「もんだいありません」
なんだこれ。
奏音の髪はワックスがついていたので、本来の髪質はわからない。
前に見た、ウィッグをとったあとのぺたっとした髪型が可愛かったので、遊ばせていた毛先を整えるように撫でた。
しばらくの間、そうしていた。
「ごべんで……あでぃがどー」
「ごめんね、ありがとう」と言ったのはわかった。
顔を上げた奏音は、僕の膝から鼻水が糸を引いていて、それはもう酷い有様だった。
女子力が息をしていない。
それなのに、上目遣いの奏音を見て、僕の心臓が跳ねた。
バスドラムではない。
さっきまで僕の胸の中でドラムを叩いていた人は、次にピアノを弾いてくれるのかと思ったら、まさかの和太鼓がドドン! だった。
僕の胸から少年誌の主人公が大見得切ったような音がした……ような気がしたドン。
危ない所だった。
鼻水によって芸術点が原点されていなければ、壁ドンされたときの奏音のように、僕は白目を剥いていただろう。
泣いた後、少し弱気になった奏音の上目遣いは、それくらいの破壊力があった。
その可愛いさは情けも容赦もない。
「とりあえずはなみずをふたほうがいいですよ」
「ん……ありがとう」
いかん。
僕だけ言葉が片言のままだ。
とりあえずポケットティッシュを渡すと、一気に全部取り出してしまって慌てている。
そのとき、予鈴が鳴った。
無意識、にだろうか。
奏音が僕の上着の裾をきゅっと握った。
「あっ! ごめん、四組は午後から体育だっけ!?」
「ち、ちがうよ?」
どもった。
声もうわずった。
目が泳いだ。
奏音のことを少しバカにしてたけど、僕も大概だ。
「そっかー、ならよかった」
「………………」
いや、やっぱり奏音の方がバカだ。
べ、別に「もう、嘘が下手なんだからっ(はぁと)」的なやつなんて期待してませんよ?
まったく、奏音はバカだ。大バカだ。
女子の制服をバリっと着こなして、メガネをかけてクールビューティーを気取ってみたと思ったら、こんな風に愉快なやつだったり。
でも、バカなくせに可愛い制服が着たくて受験勉強がんばっちゃったり。
こんな可愛い顔した“イイ奴”が、泣くほどつらい思いをしていることを知ってしまったら、それを見過ごすことができるだろうか?
「……そんなことできるわけがないじゃないか」
「ん? なんの話?」
教室の隅にひっそりと置いてある、奏音が着たくて仕方がない制服を着た、トルソーマネキンが目に入った。
一つ、思いついたことがあった。
「なあ、奏音。スカートはいて、教室の外に出てみないか?」