その3 土下座する準備はできていた

文字数 1,750文字

ウチの婆ちゃんの蔵書の中に、号泣する準備ができているようなタイトルの本があったと思うが、菫屋(すみれや)に(胸の感触を堪能しながら)腕を引かれている僕は、土下座する準備ができていた。

それはもう見事なまでに、地球の裏側に何らかの影響を及ぼす勢いで、額を床に叩きつける覚悟はできていた。

連れてこられたのは昼休みに菫屋がスカートを着ていた教室だった。
どうやらここは家庭科準備室という教室らしいが、少なくとも僕が一年生の頃には一度も入ったことはない。隣の家庭科室には入ったけど。

家庭科準備室とは名ばかりで、授業で使われるミシンや、文化祭で使われたらしいよくわからに大道具などが壁に寄せて雑に置いてあるだけだった。
既にカーテンは引いてあり、隙間から差し込む日差しがスポットライトのようだ。

ここだ。
日が差しているこの場所が――いや、太陽が僕にここで土下座をする場所だと教えているのだ。

教室に入るところを誰にも見られていないか確認し、菫屋も中に入ってきた。
今だッ! やるなら今しかねぇ!
見せてやる! 僕の一世一代の大土下座!
いっけ――

「昼休みに見たことは内緒にして!」

――えええええええええええ!?

先に土下座をしたのは菫屋だった。
ゴン! という音がした。
僕がやろうとしていた土下座を、そっくりそのまま菫屋がやってくれた。
その様は日本の裏側にある南米大陸に何らかの影響を及ぼしそうな勢いがあった。

「えーと……」
「お願いぃぃぃ! 何でもするからぁぁ!」

混乱していた。
青春の終わりを覚悟していたのに、目の前の菫屋はまるでこの世の終わりのようだ。

「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。別に菫屋のことを言いふらすつもりはないし、誰にも言ってないから」
「ほんとに!?」

がばっ! と顔を上げた菫屋の額は赤くなっていた。
割れてなくてよかった。南米大陸も無事だろう。

「ああ、その代わり――」
「わ、私の体を?」
「そう、菫屋の体を……って違う! 昼休みに何してたか教えてくれよ」
「あ、あれはね……その……」

菫屋は立ち上がって、膝をはたいてから僕に向き直り、恥ずかしそうに視線を逸らした。

「あれは……禁断症状……的な?」

想像を遥かに超える物騒な単語が飛び出してきた。
確かにクスリが切れたことによる行動なら、大抵の奇行は説明がつく。
これは通報案件かと思い、ポケットのスマホに手を伸ばしかけたが、待て。
そんなわけないだろう、と思ってすぐにひらめいた。

「あー、そういう設定ね。静まれ! 俺の右腕! みたいなやつ」
「ちがうわよ! ……私ね、定期的に女であることを確認しておかないと、なんか頭がおかしくなりそうで……」
「へ、へぇー」

あ、これは本当にクスリかもと思ったが、なんかさっきから菫屋の様子がおかしい。
なんだろう、いつも通りのスラックススタイルなのに、普段よりも可愛く見えるような気がするのだ。

「あれ、菫屋。その喋り方……」
「ああ、これね。もうあなたには昼休みに見られちゃったから、隠す必要もないかな、って」

そう言うと菫屋はいくつかトルソーマネキンが置いてある方に向かって歩き出した。
その中の一体にはショップでディスプレイされているように、キレイに女子の制服が着せてあった。

もちろんスカートの。

首の部分には黒髪ロングのウイッグも置いてある。

「着替えるからちょっと待ってて」

そう言ってトルソーから制服を大事そうに取り外すと、カーテンの裏側で着替え始めようとしている。

「なあ菫屋」
「なあに? ちょっと待ってて、着替え終わったら全部話すから」
「待っててもいいけど、そこで着替えると僕から見えなくても外から丸見えだぞ」
「ア゛ーーーーーーーーーーーーーッ!」

脱ぎかけの菫屋がカーテンの下から転げ出てきた。
約3時間ぶり、2度目の菫屋の下着姿は、色気も何もあったものではない。

この子はバカなんだろうな、と確信した瞬間でもあった。
同時に、驚いてもいた。
菫屋のバカさ加減に……ではなく、ただ話し方を変えただけで、こんなにも女らしくなるものか、と。

訂正しよう。
菫屋はバカで可愛い。
バカワイイ。
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