ELDEN RING

文字数 1,389文字

 期待していたゲームが、期待を遥かに凌駕するほど面白いというのは、なかなかあることではない気がする。常軌を逸したスケールと濃密さのゲームだった。
 ダークソウルや隻狼など、高難易度の死にゲーを作ってきたフロム・ソフトウェアの初のオープンワールドゲーム。いや、オープンフィールドと称しているんだっけ。フロム・ソフトウェアの過去作が好きな人なら、至福の体験を味わえる作品だろう。と思っていたら、いまいちだったという声もネット上で散見されて、驚いた。自分はなんの不満もなかった。全力で楽しめた。こんなに素晴らしいゲームを生んでくれてありがとう、とか、ひたすら感謝しながら遊んだ。終盤の鬼畜のようなボスには殺意を抱いたけど、それも含めて、あまりにも楽しかった。
 ダークソウルやブラッドボーンは、拠点やボス戦などの一部の場面を除けば、音楽がなかった。敵の足音や叫び声、武器を叩きつけたときの効果音だけが響き、それが異様にストイックで寡黙な雰囲気を醸成していて、病みつきになるような魅力につながっていた。隻狼になると、フィールドや雑魚戦でも音楽が流れるようになった。ソウルシリーズとは少し系統の違うアクションゲームだから、違和感はなかったけれど。エルデンリングはどうか。この作品も、フィールドで音楽が流れている。ただ、環境に溶け込むような、主張しすぎない音楽で、寡黙なゲーム体験を損なってはいない。なおかつそのフィールドの静けさやおぞましさを巧みに演出していて、これはこれで病みつきになるほど心地よかった。敵に遭遇すると、緊迫した音楽に変化するのだが、その遷移が本当にスムーズで感心した。
 行ける場所が多い、やれることが多い、というゲームは、時に煩雑でうんざりさせられる場合もあり、作業的な退屈につながることもある。でもこの作品は、あくまで自分にとってはだが、レベル上げの作業すら楽しかった。何百時間も遊んで、退屈な時間がほとんどないというのは驚異的だ。というか、退屈なはずの局面はあるにはあるのだが、豊かな退屈という気がして飽きなかった。単に好みの問題かもしれないが。
 行ける場所が多い、やれることが多い。それがありがたかったのは、ここ最近、自分がひどい憂鬱に陥っているからかもしれない。ゲームの素晴らしい点は、無意味な生存に目的を与えてくれるところだ、とか思うときがある。目的といっても、あのアイテムを取るとか、あのダンジョンを攻略するとか、あのボスを倒すとか、それ自体は人生においてなんの役にも立たないような、無意味な生存に輪をかけて無意味な目的かもしれないが、その目的を果たす作業に没頭しているうちに、いつのまにか憂鬱が鎮まっていたり、こころが安らかになっていたりする。虚無的な作業によって虚無的な憂鬱に突き落とされる、というゲーム体験だってあるけれど、自分は救われることの方が多かった気がする。遊びごときに救われるなよ、と言われそうでもあるが、自分はゲームに関しては感動屋だ。こんな遊びがあるのか、生きててよかった、とか単純に感動してしまう。
 このゲームには祝福と呼ばれる休息ポイントがそこかしこに出てくる。祝福に触れれば、それまでのダメージは回復し、敵も襲ってこないし、ほっと一息つくことができる。安易で短絡的な重ね合わせだけど、ゲームそのものが、自分にとっては祝福だなと思った。
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